青祓のネタ庫
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青い炎が視界いっぱいに広がっていく。
バキン、とガラスが割れるような音がした。
記憶を塞いでいたものが壊れ落ちていく、そんな感覚。
「大丈夫か、お前どこか調子でも悪いのか?」
「なんでもないよ」
「でもよ」
「どうでもいいだろ。それより宿題やったの。
いつもやってないんだから。苦労させないでよね」
「今やってんじゃねーか!それに、お前のことだろ!どうでもよくなんかねー!」
「うるさいな!放っておいてよ!
兄さんはいつも僕のこと引っかき回して・・・迷惑だ!」
「お前・・・」
「僕の邪魔してる自覚あるの?」
「俺は・・・」
「兄さんがいなければ、僕は祓魔師にもなっていなかった。
今頃医者を目指して勉強していただろうね」
嫌悪感を隠さない僕を見て、兄さんは椅子から立ち上がる。
倶利伽羅を背に背負った。
宿題は机の上に置いたまま、扉の前で靴を履く。
僕はそれを止めない。むしろ今この場に一瞬でもいて欲しくなかった。
兄さんが扉を開ける。
一言だけ、兄さんは言った。
「そうだな」
扉の向こうに兄さんは消えていく。
静かな部屋。机の上には兄さんがやっていた宿題。
中を見る気にはなれなかった。
どうせ、またやってないんだろうな。
そう予測できたから。
ため息をつく。
そうだ、いつものことじゃないか。
しばらくして、ようやく僕は冷静になった。
失敗したな、任務のことを引きずるなんて。
八つ当たりするなんてらしくなかった、と反省する。
でも後を追いかける気にはなれなかった。
気まずかった。見せたくない部分を見せてしまって。
兄さんが、帰ってきたら謝ろう。
嫌な思いを抱えたまま、それに見て見ぬ振りをして僕は自分のベットの上に転がって目を閉じる。
次にある記憶は、豪華な部屋。
旧館ではない、新館の男子寮にいる自分。
そこでなんでもない風に振る舞う自分。
兄さんのことを忘れて過ごす時間。
兄さんがいなくなって、平穏だと感じていた日々。
兄さんの声が響く。
「そうだな」
僕は否定をしなかった。
それは兄さんがいなくなることを、肯定したのと同じじゃないか。
違うよって言えば良かった。
あの背中に向けて、言えば良かった。
そうすればこんなことにはならなかったんじゃないか?
炎の向こうに、兄さんの姿が見えた。
僕を呼ぶ声が、炎の向こうに消えていく。
倶利伽羅の鞘が自然と閉じていった。
青い炎も消えていく。
僕は床に座り込んで、呆然と。
だが確信をもってつぶやいた。
「僕は・・・最低だ」
ぎりっと剣を握る。
僕が忘れていたのは、僕のたった一人の家族だったなんて。
自己嫌悪でいっぱいになっていると
クロが雪男の手に顔をすりつけてきた。
にゃーと心配そうな顔で鳴いている。
クロの声は、兄さんじゃないとわからない。
でも、僕には聞こえた。
大丈夫か、と心配する声。
兄さんが僕にいってくれた言葉。
クロの頭をなでる。
そうだ、後悔は後でいっぱいしよう。
雪男は記憶を頼りに、机の上にあったノートを手に取る。
中を見て、驚いた。
悩んだ跡や何度も消した痕跡があったけど、宿題はできていた。
ざっと見ただけでも、ミスはあるけどあっている。
きっと雪男が任務に言っている間に一人で頑張って問いたのだ。
ノートの裏を見れば、名前があった。
『奥村燐』
この世界で初めて兄の名前を見た。
兄さんも頑張ってたのに。
それを、僕は。
雪男は立ち上がった。
記憶の蓋が開いたことで、見えなかったことが見えてくる。
不自然に移動されたこの部屋もそうだ。
奥村燐の存在と痕跡を消す為にかなり大がかりなことがされている。
そして、みんな示し合わせたかのように『奥村燐』の存在をなかったことにしている。
こんな人知を越えたことできる奴は、知る限り一人しかいない。
雪男は携帯電話を取り出し、電話をかけた。
呼び出し音の後に、相手が出る声が聞こえた。
「もしもし、しえみさんちょっと聞きたいことがあるんですが」
雪男は携帯している銃の位置を確かめた。
銃弾の切れはない。いつでも応戦もできる。
今回の目的は、あくまで兄の救出だ。
相手が何を考えてこんなことをしているのかわからない内は、
できれば、相手との交戦は避けたい。
が、万が一に備えて準備は怠らない。
倶利伽羅はクロに預けている。
もし僕がまた兄さんのことを忘れた場合に備えてだ。
僕が忘れた僕たちの部屋を覚えていた猫。
きっと何があっても忘れたりはしないだろう。
雪男はしえみに電話であることを聞いた。
「雪ちゃん、どうしたの?」
「突然すみません。しえみさん、この前言っていた『僕に似た男の子』は
通学路のどのあたりにいたか覚えていますか?」
「え?ああ、あのクッキー渡した時のこと?」
「ええ」
「うーんそうだな、通学路じゃなくて学校より上の建物だよ。
窓のところにいたの。屋根の色が独特だったの覚えてる。
ピンクのような紫のような・・・あの辺りは確か学園の理事長先生の土地って聞いたことあるよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「ううん、どうしたの急に」
「思い出したことがあって。行かないといけないんです」
「そうなんだ・・・窓にいた子ね、寂しそうだったからすごく気になってたんだ・・・」
「しえみさんはすごいですね。僕が気づかなかったことに気づくなんて」
「そ、そんなことないよ」
「いえ、すごいです」
「そんな事全然・・・あ、雪ちゃん。あのクッキーね、
2つ渡したんだけど・・・もう1つはとってある?」
「ええ、ちゃんと」
雪男は電話を切って通学路から学園の上部を見上げた。
この世界の違和感を感じていたのは僕だけじゃない。
それが聞けて安心した。
兄さんは、きっとあそこにいるはずだ。
しえみが言っていた屋根の建物は複数あった。
でも、ここから窓の中にいる人物の顔がわかる距離にある建物は限定される。
あの屋敷か。
雪男は狙いを定めた屋敷に向けて駆けだした。
メフィストはこの屋敷に近づく者の気配を感じた。
気づいたのは彼だろうと思っていた。
にやりと口角をあげて笑う。
鳥かごの中には目を閉じたままの子供がいる。メフィストは鎖の端を持った。
鎖にひとつキスを贈る。
世界は―――まだ眠っている。
確かに「平穏」だなと思った。
雪男はコートを着て、学園内を歩いていた。
近くの公園では学生が憩おっているし、道行く人々も各々の休日を楽しんでいるようだ。
向かいの教会の鐘が時刻を告げる音を鳴らした。
いい音だ、視線を教会の方へ向けた。
教会の門は閉ざされている。
そうして気づいた、そういえば今日は安息日か。
教会でミサは行われない。
安息日は何もしてはならない日だからだ。
キリスト教やユダヤ教において神が世界を創造し、7日目に休息をとったことに由来する。
コートからは血のにおいも、硝煙の臭いもない。
あれから任務もないから、こうしているとあの血生臭い感覚を忘れていくようだ。
雪男の心は穏やかだった。
でも、それはなにかを無くしたから成り立っているもの。
遠ざかる後ろ姿、顔は見えない。
夢で見たあの人に通じる手がかりがないだろうか?
学校の教室、校庭、噴水の前。駅。
目的はあるのに、あてもなく歩いているような感覚。
雪男は違和感を感じた。
それはクロも気づいた違和感だ。
「・・・コールタールがいないなんてこと、あるのか?」
コールタールは菌に取り憑く悪魔だ。
菌はそれこそ空気中にいくらでも存在する。
無菌室でもない限り、コールタールはこの世界に空気のように存在する悪魔だ。
それがいないなんてこと、ありえるのだろうか。
雪男は眼鏡を取って、目をこすった。
もう一度眼鏡をかけて空を見る。
何も見えない。
「・・・悪魔が見えなくなった・・・とか」
魔障は一度受けると一生消えることはない。
悪魔が見えなくなる。
それは祓魔師にとってはいいことではない。
だが、生まれたときから見える雪男にとっては「見えないこと」は一種のあこがれでもあった。
小さな頃は怖いものを見ないですむ、普通の人が羨ましかった。
そこで、雪男はふと思った。
僕はどうして魔障を受けたんだっけ。
ずきりと頭が痛む。
まただ、何かを思いだそうとすると頭痛がする。
この違和感はなんなんだろう。
頭痛でふらついて、道の横にあった植え込みに足がひっかかった。
いつもなら小さなゴブリンが植え込みの暗闇に住んでいるのに、植え込みにも悪魔の気配はない。
学園は中級以上は入れない。その分下級は山ほどいる。
祓魔師の拠点となっている正十字学園から「悪魔」がいなくなるなんて、ありえるのか。
雪男は悪寒がした。
なにかが起こっている。
足が自然と駆け足になった。
訓練所に行こう。あそこには授業で使ったリーパーがいたはずだ。
リーパーは訓練所の檻の中にいる。
その檻を囲むように小高い塀が立てられていて、
万が一逃走したときでも塀によってすぐに出れない仕組みになっている。
そのはずなのに、なんで檻の中からリーパーがいなくなっているんだろう。
檻の中は空っぽだった。リーパーを繋いでいた鎖が置かれているだけ。
雪男は電話をかけた。
「椿先生、リーパーが檻にいないのですが何があったんですか」
「え、リーパーは昨日別のところに移動したはずだがね」
「どこにいるんですか?」
「申し訳ない、そこは手騎士の管轄だからわからないのだがね。
あ、先生すまない今忙しいのだ。子猫ちゅわーん待ってー」
「え、ちょ、先生!」
ぶちっと電話が切れる。
ここは駄目だ。雪男は鍵を取り出して、扉に差した。
塾への扉が開く、先ほどとは打って変わって冷たく暗い扉と、廊下が雪男を迎える。
ゴブリンの住処になっている教室の扉を開いた。
部屋の中にはなにもいなかった。
見えない、という選択肢もないこともないが。
リーパーも、ゴブリンも、コールタールも。
そしてクロもいなくなった。
「悪魔が、消えている・・・?」
人間にとってこれほど都合がいいことはない。
だがこの穏やかさはどこかおかしい。
おかしいはずなのに、誰も気づかない。
気づかないものは穏やかに過ごせる世界。
悪魔がいない世界はなんて平穏なんだろう。
それは今まで悪魔と戦ってきた雪男だからこそ、心に染みるように感じた。
でも、違うと雪男は思う。
穏やかだと思う反面、それを全力で否定する自分がいる。
こんな世界おかしい。
―――がいないのが当然の世界。
おかしさを自覚すると、雪男の足は自然と歩きだした。
歩き慣れたように足は勝手に進む。
記憶では一度も来ていない、正十字学園旧男子寮。
ぼろぼろの外観。ここは新館と違って住んでいる者はいないはずだ。
でも、足取りは新館にいる時より軽い。
木の床を踏みしめて、ある部屋にたどり着く。
扉は少しだけ開いていた。
軽く押すだけで、自然に開いていく。立て付けはあんまりよくないらしい。
新館とは全然違うな、と思いながら中に入る。
床には埃が積もっていて、人の気配はない。
部屋は2人部屋だ、一つの部屋には荷物もなにもなかった。
ごっそりと不自然に抜け落ちたようになにもない。
引っ越しでもしたのだろうか。
もう一つの部屋には、机の上にノートが置いてあった。
靴を脱いで、きしむ床を踏みしめる。
埃があるせいで足跡がついた。部屋には雪男と、猫の足跡が二つ。
「にゃー」
「クロ!?よかった!無事だったんだ」
クロはベット上にある布団で丸くなっていた。
久しぶりに会った家族の頭をなでる。
すると手に冷たい感触を感じた。
「・・・鍵?」
クロは鍵を通してある紐を首からかけていた。
この鍵には見覚えがあった。
「これ、神隠しの鍵だよね。神父さんが持ってた、何でも隠せるっていう鍵だ。
どうしてクロが持ってるの?」
クロはにゃーと鳴いた。
やっぱりクロの言葉はわからない。
「ごめん、クロこれちょっと貸して」
クロから鍵を受け取り、部屋のクローゼットの前に立つ。
いなくなったクロが持っていた鍵。
部屋を見渡す。
クロはいたけど、空気中にコールタールはいなかった。
悪魔の出現に、クロは関係ないらしい。
クロは蚕神だ。「神」に属する者だから、「悪魔」には分類されないのかもしれない。
クロがいた。そして、そこに神父さんが持っていた鍵がある。
ごくりと唾を飲んで、鍵を、クローゼットの鍵穴に差した。
開ければ、この穏やかな世界は終わる。
雪男はここでなら平穏に暮らせる確信があった。
ここは自由だ。
医者になる為に勉強する時間だってあるし、頭を悩ますこともない。
ここにいれば、それができる。
それでも、雪男は鍵を使った。
暗闇の向こうに青い何かがある。
扉を完全に開けると、ごとりと布に包まれた何かが出てきた。
床に落ちた音からして、金属の棒か何かだろうか。
拾って布を取り除く。
「・・・剣だ」
剣からは威圧感があった。普通の剣ではない。
何かを封印してある、魔剣の類か。
魔剣は基本的に祓魔師でも滅多に触るものではない。
祟りや呪いがかかった剣はいくらでもあるからだ。
でも、雪男は鞘に手をかける。
これは、夢で見たあの人が持っていた剣だ。
遠ざかる背中が背負っていた。
一気に剣を引き抜いた。
刀身から噴出したのは―――
魔神が纏う、青き炎。
穏やかな世界は、確かに安らいだ。
だが、その平穏をなくしてでも、共にいたいと思う
誰かがいる。
―――がいなかったら。
その声を聞くと、胸が締め付けられる。
確かに、俺がいなければあいつが辛い思いをする事も
苦しい思いをすることもなかったんだろう。
俺が、いなければ。
その言葉を聞いたとき、俺はあいつの顔を見れなかった。
なぁ、お前に否定されたら俺はどうすればいいんだろう。
どこにいけばいいんだろう。
俺は、どこに帰ればいいんだろう。
目覚めると、頬に涙が伝っていた。
寝ている間に泣いたのか。
覚えていないけど、すごく辛かった気がする。
起きあがると、しゃらんという音がして自分を戒める鎖が鳴った。
この部屋にはなにもない。音もしない。
この鎖が鳴る音と自分の動揺した呼吸音だけが今は響く。
扉の方を見るけど、開く気配はなかった。
いつからここにいるのか、もうわからない。
窓の方を見る。外にいた「雪男」や「しえみ」はもういない。俺に気づかないまま去っていった。
二人とも、笑っていた。
あれからどれくらい時間がたったのかもわからない。
でも、俺がいなくても、外の世界は変わらないのか。
俺を知っている誰かは、俺のことなんてなんにも知らなくて。
俺は、その誰かを忘れてる。
かしゃんと冷たい檻に額を押しつけた。
誰かいないのかな、このままじゃ声の出し方まで忘れそうだ。
「元気ないですね」
驚いて声のする方を見た。メフィストがソファに座ってこちらを見ている。いつの間に来たのだろう。
でも、久しぶりの会話だった。
「・・・当たり前だろ」
「外の世界に未練でも?」
「なんで俺はここにいる」
「そうしなければならないから、ですかね」
「なんで」
「あなた、気づいていますよね?」
「何に」
「見て見ぬ振りですか、それとも忘れたんですか」
「何を」
「・・・まぁいい。イヤでもわかりますよ」
メフィストは立ち上がる。燐は後ずさった。
また鎖を引っ張られるのはごめんだ。
メフィストは笑った。
「無駄ですよ」
パチンと指を鳴らすと、鎖の端がメフィストの手に渡った。いやな汗が出た。
こいつは魔法みたいなことをする、そしてとても意地が悪い。
鎖を引っ張られてよろけながら前に連れてこられた。
メフィストはじっと視線を合わせた。
「思い出してはきているようで」
目尻を指で拭われた。泣いているのがばれたのか。
なんだか恥ずかしくなって手をつっぱって抵抗した。
メフィストは抵抗をものともせず、そのまま燐を抱きしめた。顔が近づいてくる。
違う。
心の中で誰かが叫ぶ。途端に身体から青い炎が吹き出した。同時に首の輪が炎に呼応するかのように締め付け始めた。苦しい。
「う・・・げほっ」
炎の向こう側に何かが見えた。
あれはーーー
「・・・ゆき・・・お」
つぶやく言葉にも、青い炎にもメフィストはひるまなかった。炎を纏った燐の顎を持ち上に向かせた。
燐の苦しそうな顔を見て笑っている。
「あなたに気づいた人がいるようですね」
メフィストは燐に口づけた。
途端に炎の勢いは急速に弱まっていく。
炎の収束と共に、首の輪が緩む。
同時に、向こう側にいた雪男も消えた。
でも、口を塞がれて息ができなくて苦しい。
「や・・・、めろ」
顔を背ける。嫌がる姿がおもしろいのか、行為はエスカレートしていった。手が、燐の身体を這っていく。
メフィストと燐の間には檻がある。
抱きしめられると身体に冷たい檻が当たって痛い。
檻の中の人間を外から追いつめていく強引なやり方だ。
メフィストの指が、燐の胸元にある黒いリボンに延びた。
指がかかって、しゅるりとほどけていく。
燐は正気に返る。
こいつ、何をするつもりだ。
どんっと衝動的にメフィストを突き飛ばして、檻の反対側に逃げた。檻をつかむ。
ここから出れれば。
出ないと。
逃げないと。
背後から声が聞こえた。
「あなた、逃げるところなんてあるんですか?」
檻をつかむ手が緩んだ。
逃げた先には。
―――がいなかったら。
顔は見なかったはずなのに、雪男の迷惑そうな顔が頭をよぎった。
鎖を引っ張られて仰向けに倒れた。
気づいた事実が怖かった。
俺は、どこに帰ればいいんだろう。
どこに逃げればいいんだろう。
倒れた身体の上に、メフィストが伸し掛かってきた。
どうやって中に入ってきたんだろう。
また、魔法みたいなのでも使ったんだろうか。
いや、そうじゃないことも俺はもう気づいていた。
「奥村燐くん」
頬を起きた時と同じ涙が伝っていた。
そうだ、俺がいるとあいつにあんな顔、されるかもしれない。
それがすごく怖かった。
だから、ここにいるしかなかったんだ。
檻の、入り口を見た。
「哀れな君は、とても美しいですね」
メフィストは嗤う。
魔法でもなんでもない。
最初から、鍵なんてかかっていなかったんだ。
鍵がかかっていて逃げれなかったんじゃない。
逃げても行くところがなかったから、
俺は逃げれなかったんだ。
それでも手が、檻の入り口に延びた。
その手をメフィストが掴んで下に敷いてある白いクッションに押しつける。
「嫌だ・・・」
一言つぶやいて、目を閉じた。
そうして俺は、出口をなくす。
もう会えなくなるなんて思ってもいなかったんだ。
切欠はほんのささいなことだ。
任務から帰ってきた僕は疲れていた。
―――は机の上で宿題をやっていて
珍しいね、そう答えてコートを洗濯用のかごに入れる、血の匂いがするから洗わないといけない。
今回の任務はとある神社に住み着いた悪魔を殲滅することだ。
悪魔が居座っているせいで、神事もできなくなっているらしい。
神社は神聖な場所だ。しかし、そこに着いた途端に感じたのは瘴気のにおい。
随分悪魔に侵食されている、急がなければ。瘴気が蔓延すれば周囲に影響が出ないとも限らない。
聖水を散布しながら、風の流れを確かめる。瘴気は神社の中央から鳥居の方へ流れていた。
神社の中央――社へ向かう。瘴気の噴出する中心点はそこだ。
扉の隙間から中を伺う。祭壇の前に角を生やした少年がいた。
祭壇に向けてなにかを呟いている。
人間に悪魔が取り憑いているなら祓わなければならない。
しかし、中から感じる威圧感と瘴気の毒性から雪男は少年を人間ではないと判断した。
なにより神社を乗っ取れるレベルの悪魔だ。そこいらにいるものとは格が違う。
中は蝋燭の明かりだけが照らしているから、確かじゃないけど。
あの少年の周りにある黒い影は、血じゃないか?
少年の体から、床の木、祭壇の上の神具にまで黒い影は飛び散っている。
誰か殺したのだろうか。
雪男の背筋に冷たいものがよぎる。
銃を握る。もし僕が間に合わなくて民間人が――誰かが殺されていたんだとしたら。
瘴気は今も漏れ出ている。
雪男は扉を蹴って、銃口を少年に向けた。
少年は振り返る。悪魔の角と牙が生えた少年。
少年が襲い掛かってくる前に、雪男は銃を撃った。
一発、二発。
少年は倒れる、社に広がる闇と同じ暗闇を噴出しながら。
危機が去ったことで、雪男は社の中を見渡す余裕ができた。
少年が倒れた場所、同じような子が倒れていた。
角と牙がある悪魔が二体、社の中に倒れている。
雪男が撃った少年は、まだ生きていた。
荒い呼吸を繰り返しながらもう死んでいるであろう子の上に覆いかぶさった。
少年はひと言呟く。
(兄さん、死なないで・・・)
そう言って、事切れた。
社の中に、兄弟の悪魔の死体が2体。
「・・・どうして」
雪男は兄、と言われた少年の方に駆け寄った。
既に息はしていない、床に広がる血も乾いていた。
雪男が来るずっと前に死んでいたらしかった。
乾いた血にまみれた兄に覆いかぶさるように弟は死んでいる。
いや、違う弟は殺したのだ。
社の中で呆然としていると、外から待機組の祓魔師達が入ってきた。
大丈夫かと聞かれたので、大丈夫だと応える。
瘴気も消えている、悪魔は殺した。任務は完了した。
同僚の祓魔師には良くやったと言われた。
「すみません、この悪魔なんですが兄弟のようで、兄の方は先に死んでいたみたいなんです。
怪我をした悪魔が神社に逃げ込むなんて何があったんでしょうか」
「そういえば君は途中からの参加だったから詳細は聞いていなかったんだね」
同僚の祓魔師は答えた。
神社の裏山では以前より悪魔の兄弟が住み着いていた。
それは100年200年の話ではなく、もっと以前から悪魔の兄弟はそこにいたらしい。
この神社ができた理由も、悪魔の住処である山と人間の住処との境界線を区切るためだった。
しかし、近年の開発により裏山は人間の手が入るようになった。
悪魔の住処を奪うそれを悪魔達が黙っているはずもなく、小競り合いが続いていた。
そして、決定的だったのが正十字騎士団の祓魔師の一人が兄の方に致命的な傷を負わせたことだ。
弟の方は兄を連れて逃走し、その追跡途中に雪男が加わった。
兄弟は、何故神社に逃げてきたのだろうか。
祓魔師達が兄弟の死体を片付けていく、兄を守るように死んだ弟。
後味が悪い任務だった。
神社の鳥居をくぐって、出る時に神社の神主が立っていた。
運び出される悪魔の死体を見て、神主は呟いた、泣いている様にも見えた。
「むごいことをしました」
「どういうことですか」
「私がいけなかったのです。先祖代々私の一族は彼らと生きてきました。
お互いに干渉せず、それぞれの境界を守って生きてきたのです。
ですが、私の代でそれを破ってしまった。
私は裏山を取り戻すべきだという周囲の言葉に反対することもできず、兄弟を殺してしまった。
裏山はそもそも、あの兄弟のものでした。取り戻すも何も、最初から人間のものではないのに」
懺悔をするように、彼は悪魔の死体の手を握った。
兄が死んだ原因も、弟を破魔矢から庇ったからだった。
開発の手が入れば、あの山は住宅地になるらしい。
悪魔を追い出し、人間が住む。あの土地は確かに人間のものになった。
ふと雪男は思った。弟は何故、怪我をした兄を連れて神社に逃げ込んだのだろう。
自分達と共生してきた人間に、助けを求めたのか。復讐をしたかったのか。
そういえば自分が社に入る前、弟は祭壇に向けて何かを呟いていた。
死ぬ寸前に呟いた言葉は、兄に生きて欲しかったという願いがあった。
彼は、祭壇で神に祈ったのだろうか。それとも呪詛を吐いたのか。
それはもうわからない。
雪男が彼を殺したからだ。
帰ろう、雪男は思った。
兄弟の血のにおいがするコートを一刻も早く洗いたかった。
―――は疲れた僕に話しかけた。
声は聞こえない、ただ心配そうな顔だった。
なんでもないと答える、それより宿題やったの。いつもやってないんだから。
苦労させないでよね。口からは刺すような言葉が出た。
―――が宿題をやっているのを見た上でわざと言ってしまった。
―――は怒った、当然だ。怒らせるようなことを言ったのは僕だった。
喧嘩になった。
後味の悪い任務で機嫌が悪くて、八つ当たりしてしまった。
そうして、僕は言った。
「―――がいなかったら、きっと僕は祓魔師にもなってなかった。
医者を目指して今頃その勉強してたはずだろうね」
祓魔師になってから、あんな後味の悪い任務がなかったわけじゃない。
―――が悪いわけじゃない。
全部僕が決めてやったことだ。祓魔師になったのだって、今回の任務だって。
それなのに。そんなことわかっていたのに、口から出てしまった。
―――は俯いて、肩に刀を入れた袋を背負って部屋を出ていった。
出て行くときに呟いた言葉ははっきりと聞こえた。
「そうだな」
―――がいなかったら。
雪男は目を覚ます。
―――って一体誰だ。
僕はどうしてこんなにも誰かを求めているんだろう。
この夢をみるようになってから、胸を締め付けるような罪悪感が消えない。
僕は最低だ。何もわからないのに、それだけは確信できる。
部屋を見る、豪華な一人部屋。全部嘘に見えた。
そして、クロが部屋に戻っていないことに気づいた。
一昨日の朝、外に出てから帰っていない。
1日くらい帰ってこないことは以前にもあったが、2日ともなるとおかしい。
神父さんがいなくなって。
―――がいなくなって。
クロもいなくなった。
雪男は眼鏡をかけて、立ち上がった。
クロは、あの時様子がおかしかった。何かを探している、そんな様子。
もしかしたら僕が気づいていない何かに気づいたのかもしれない。
クロを探そう。
そうしたらこの思いを何と呼ぶのか、近づけるような気がした。
コートを羽織って、出かける準備をする。
コートからあの夢の様な、血の匂いはしなかった。
これもまた嘘めいていた。
だって雪男はコートを洗濯した覚えが無かったからだ。
雪男はカレンダーを見た。
学校も、塾もない。
今日は日曜日だ。
しろうがいなくなった。
つぎはりんがどこにもいない。
クロはとてもとても悲しかった。
獅朗が死んでしまったことを知ったときと同じ。
クロは獅朗が死ぬわけは無いと思っていた。
だって、獅朗は最強だったからだ。
でも、獅朗はクロを置いて死んでしまった。
そのことがどうしようもなく悲しくて、門番なのに
暴れて、獅朗が死んだことを信じたくなかった。
でもその時、燐が来てくれた。
獅朗の子供の燐だ。燐には雪男という弟もいた。
獅朗が死んで、クロはひとりになってしまったと思っていた。
でも違った。
燐がいて雪男がいて、クロには友達ができた。
一緒に住んで、燐の作ったご飯を食べて、家族がいたらこんな感じなのかな。
三人で一緒にいるといつも温かい気持ちでいれた。
そこに獅朗もいたらな、とも思ったけど。
クロは三人でいる時間が好きだった。
(あれ?)
違和感を感じた。妙に部屋が明るい上に布団がふかふかだ。
クロは目を開けた。豪華な部屋だな、というのが第一印象。
しかも、床の上にはカーペットがあるではないか。
肉球にいつもの木の板を踏む感触がなくてなんだか気持ちが悪い。
ベットがあるのが見えた。ぴょんと近くにあった机の上に登って確認してみる。
(ゆきおだ)
どうやら雪男は寝ているらしい。大きな窓の外を覗けば太陽はまだ隠れていた。
クロは部屋を見回した。この部屋にはベットは一つで机は一つだ。
雪男はどうしてここで寝ているのだろう。
旧男子寮では、ひとつの部屋で燐と一緒だったのに。
燐はどこに行ったのだろう?
クロはドアをカリカリと爪で引っかいた。
どうにも開かない。旧男子寮ではクロが押せば開くくらい建て付けが悪くて便利だったのに。
突然、雪男が起きた。顔がなんだか不安そうな表情をしている。
雪男は何かを考えるようにして洗面台で顔を洗った。
いつもの雪男の朝にしてはのんびりしてるなと思っていると、クロは気づいた。
(ゆきお、どうしてりんのことなんにもいわないんだろう?)
いつもなら、兄さん起こさなきゃとか、今日の追試どうしようとか
起きた瞬間からブツブツ言っているのに。
クロはもう一度雪男のいたベットに乗った。
もしかしたらベットの向こうにもう一つベットがあるのかと思ったのだ。
でも、そこにはベットなんてなくて、燐の姿もなかった。
これはおかしいんじゃないか。
クロは雪男に訴えた。
(ねぇゆきお、りんはどこ?)
聞いたけど、クロの言葉は雪男にはわからない。
もどかしくなって、ドアをカリカリ引っかいた。
雪男が開けたドアの隙間から急いで外に出る。
(りん、りん。どこー?)
燐にはクロの言葉がわかる。だから呼べば必ず燐は答えてくれた。
小奇麗な寮の部屋をひとつひとつ回ってみたけど燐は答えてくれない。
(ここにはいないのかな)
クロは探した。燐がいた場所を探した。
こんな朝早いから燐はまだ起きてないだろう、だからどこかで寝てるんだそうに違いない。
学校の方、寮のほう、駅のほう。
クロは走って探した。なんだか町を廻っているうちにクロはおかしなことに気づく。
(あれ、なんだか変だぞ)
クロが知る風景となんだか違う。
結局燐は見つからなくて、気がつけば道に学生服姿の人が歩くようになった。
その中にいないのかな、と植え込みからじっと観察をする。
雪男がしえみと笑いながら歩いてきた。
二人はクッキーのことを話していた。
しえみがなんで2つクッキーを作ったのか疑問に思っている。
雪男はそれを貰っていた。
それを見て、クロは少しほっとした。きっと燐にあげるんだ。
そのために雪男は2つ貰ったんだ。
二人がクロには気づかず遠くに歩いていく。声が聞き取りにくいから二人の後を追いかけた。
雪男は言った。
「だって、僕は一人っ子ですし」
クロは立ち止まった。二人に背を向けて走り出す。
(ちがうもん、ちがうもん!)
だって獅朗は生きてた頃クロに言っていた。
俺の息子達な、双子なんだ。
性格は似てないし喧嘩だってするけど可愛い俺の息子達なんだ。
クロ、仲良くしてやってくれな。
クロは走って、旧男子寮までたどり着いた。
ここに最初に来なかったのは、怖かったからというのもある。
ここに燐がいなければ燐は本当に『いなかった』ことにされるんじゃないか。
そんな不安があったからだ。
クロは階段を駆け上がって、「いつもの」部屋の前に来る。
カリカリと爪でドアを引っかく。建て付けが悪いおかげですぐ開いた。
中には、誰もいなかった。
慣れた木の感触を肉球で確かめて、部屋の中を探る。
誰もいないせいか、床の上にかすかにほこりが積もっていて
歩くたびクロの肉球の跡がついていく。
ベットが二つ。机も二つ。
雪男がいたほうにはなんにもなくなっていた。
きっとあの豪華な部屋にそっくりそのまま移動しているんだろう。
燐のほうの机を見るけど、ノートが転がっているだけでそれが燐のものかは
クロには判別できなかった。クローゼットもクロでは開けられないから中を
確かめられない。仕方なく、燐のほうのベットに飛び乗った。
ふかふかじゃなくて、ちょっと固めの感触。
布団から、かすかに燐のにおいがした。
このかすかなかおりに、クロはすごく安心した。
(りん、どこにいったんだよう)
涙が出そうだ。
なんでクロの大切なものはいなくなってしまうんだろう。
布団の上を歩いていると、布団に硬い感触があった。
なんだろうと思って、クロは布団の中に潜って中にあるモノを探し出した。
(あ、これしってる)
獅朗が持ってたやつだ。確か、今は燐が持っていたもの。
(そうだ、かみかくしのかぎっていってたな)
なんでも隠せる鍵だと獅朗は言っていた。
そして、クロはふと今まで感じていた違和感に気づいた。
(どうしてあくまがいなくなってるんだろう?)
クロが感じていた違和感。
いつもなら空中にコールタールがとんでいる。
学校の植え込みに小さなゴブリンがいることだってある。
なのに、朝起きてから今までひとつだって悪魔に出会っていない。
ましてやここは正十字学園だ。中級以上の悪魔は入ってこれないとはいえ、
下級の悪魔がいなくなるなんてことはありえない。
まるで神隠しにあったみたいにあらゆる悪魔が消えている。
なにが起きているんだろう。
しろうがいなくなった。
つぎはりんがどこにもいない。
(りん、どこー?)
クロはにゃーと一声鳴いた。