青祓のネタ庫
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
深夜に腹の上に乗る重い存在に気づく。
手をやって、それに触る。それは黒い毛で覆われていた。
なんだ、またクロが俺の布団にもぐりこんできたのか。
深夜になると人肌が恋しくなるのか、猫又のクロはよく燐に寄り添って寝たがった。
しかし、腹なんていう場所じゃなく、枕元で寝てくれればいいものを。
クロは自分の寝やすさを優先するため、
大抵燐が寝苦しい態勢をとらされることになる。
足の間だったり、腕に寄り添ったり。
それに意外と長時間そこにいられると重い。
勿論、クロのことは可愛いと思っている。思っているが。
深夜に起こされるのはやっぱり、ちょっと迷惑だ。
腹の上の感触をわしわしと撫でてみた。相手は特に動かない。
こうすれば大抵クロは起きて、枕元に移動してくる。
今日は、熟睡しているのだろうか。仕方がない。
明日は休みだし、まぁ別にいいか。と考えて、クロの体をもう一度撫でた。
クロの体はすらりとした、猫らしい滑らかな体つきだ。
しかし、何度触っても腹の上のクロからはゴツゴツとした骨ばった感触しかしない。
これはどういうことだ。
手を下の方に伸ばせば、毛の感触がなくなった。
クロ、お前毛が抜けたのか。換毛期か。脱毛か。なんてことだ。
燐は閉じていた目を開けた。
そこには可哀想に、毛の抜けたクロの体。は、なかった。
燐は自分で見た光景が信じられなかった。
「・・・ゆき・・・お?」
燐の腹の上に頭を乗せて、狭いベットに潜り込んでいるのは。
向かいのベットで寝ているはずの弟。雪男だった。
夢かと思って、向かいのベットを見てみた。
雪男のベットにはクロが悠々と体を伸ばして寝ていた。その広さが羨ましい。
燐は足を動かそうとしたが、雪男の身体が乗っているため動かせない。
しかも、寝返りを打とうとしても雪男が燐の腰をがっちりと掴んでいるため
態勢変更も無理だ。
「おい、雪男。雪男。お前任務で、どうせ夜遅くに帰ってきて疲れてんだろう?
お前のベットで寝たほうがいいんじゃないか?」
小声で話しかけるが、雪男は燐の腹に顔を埋めたまま動かない。
ゆきお、と声をかけて唯一動く手で、肩を揺すった。
雪男が起きる。目が合った。
「雪男」
「兄さんうるさい」
今度は胸の方までよじ登ってきて、そこに顔を埋められる。
声をかける暇もなく、聞こえてくる寝息。
こいつ、そのまま寝やがった。
先ほどよりも動けなくなって、燐も諦めた。
窓の外に目を向ければ、まだ月が昇っている。
窓の鍵は、いつもなら開いているのに閉まっていた。
雪男が閉めたのだろうか。
そう思っているうちに、眠くなってきてしまう。
快適な安眠は望めないが、そのまま目を閉じた。
明日の朝にはいくらなんでも雪男はどいているだろう。
こいつ、俺より起きるの早いし。
程なくして、二人分の寝息が部屋に響いた。
「・・・おいどういうことだ」
翌朝、燐が目を覚ましても雪男は燐にべったりと張り付いたままだった。
一応、寝巻きから普段着に着替えている辺り燐よりは先に起きたのだろう。
しかし雪男は着替えて、普段の支度をして、また燐のいるベットにもぐりこんだ。
これには流石に寝苦しくなって、燐も起きた。
雪男は燐が着替える間も、ただひたすらに燐の首に腕を巻きつけて離れようとしない。
燐もいい加減めんどくさくなって、引き剥がすのを諦めた。
力はある為、雪男一人くらい背負っていても問題無く動ける。
だが、燐と雪男では身長差があるため、どうしても雪男の足を引きずって歩くようになる。
朝食の準備もこの格好のまま行なう羽目になった。
台所の角で、何回か雪男が足をぶつけていたが、この際我慢してもらおう。
「雪男ー」
「なに」
「今日の朝ごはんなにがいい?」
「さかながいい」
「そうか、焼くけどいいか?」
「うん」
「大根おろしもつけてやるからな」
「うん」
寮の階段を下りるとき、窓は全部鍵が掛かっていた。
しかも、カーテンのあるところは全部閉まっている。
普段なら朝の光に包まれる寮が、今は少し薄暗い。
いつもは開いている部屋の窓も閉まっていた。
これも全部、雪男がやったのだろう。
そうしてふと、燐は気づいたのだ。
「お茶は何がいい?ほうじ茶か。緑茶か」
「ほうじ茶」
「ご飯もいつもどおりでいいよな」
「うん」
「ほら、できたぞ雪男」
「おいしそう」
「だろ?」
「食べさせて兄さん」
「・・・しょーがねぇなぁ」
燐は、箸を取って魚の身を挟み、自分の肩の方に持っていった。
二人羽織みたいな体勢だが、離れない雪男にはこうして食べさせるしかないだろう。
咀嚼する音が耳元で聞こえてくる。
「相変わらず美味しいね」
「ありがとな」
「兄さん」
「なんだよ」
「離れて欲しい?」
「いいよ、今日一日くらい。兄ちゃんが甘やかしてやるよ」
「・・・甘えてるわけじゃない」
「はいはい」
背後の、雪男の頭を撫でてやった。
雪男は、この状態に満足しているらしいからいいだろう。
小さな頃、雪男は怖いこと、辛いことがあると、決まって燐にくっついて離れなくなった。
大抵背中に張り付くので、燐は雪男を負ぶったまま修道院をうろついていたことだってある。
中学にあがった頃からなくなったから、すっかり忘れていた。
こうなった雪男は燐から離れたがらない。
しかし、甘える自分を他の人に見られたくないという変な意地も持っている。
だから、雪男は燐に甘えようとする前日には窓の鍵からカーテンまで全部締め切るという癖があった。
燐が雪男の癖を思い出したのも、寮の窓やカーテンが閉まっていたからだった。
ご飯を二人羽織のまま全部食べ終えて、食器を食堂に置いておく。
片付けは後ですればいいだろう。
燐は、雪男の投げ出されたままだった足を拾って、持ち上げた。
所謂、おんぶの態勢だ。
先ほど足を投げたまま階段を下りたので、雪男の足は強かに階段に打ち付けられていた。
燐の足音と、がん、がん、ぐき。と背後から響く音。
流石に可哀想なので、今度はちゃんと持ってあがってやろう。
燐は、雪男を背負ったまま一歩ずつ部屋に向かって上がっていった。
こつん、こつん、こつん。
ゆっくりと、二人の体重を乗せた足音が響く。
「なぁ雪男」
「なに」
負ぶっているので、雪男の表情は見えない。
燐の表情も、雪男からは見えない。
きっと、この態勢が二人にとっては一番いい。
「なにか、辛いことでもあったのか?」
階段の踊り場で、燐の足が止まる。
カーテンの隙間から、朝日が漏れて二人の影を映し出した。
背後から、くぐもった声が聞こえてくる。
「夢を・・・見たんだ」
「へぇ、どんな?」
少し間をおいて、雪男は答える。
「兄さんが死ぬ夢」
そうか、と燐は答える。
「俺、いつ死んでもおかしくないもんな」
「そんなことない」
「そうか?」
「僕がそうさせない」
「・・・そうか」
「続きがあるんだ」
「うん、俺が死んで・・・お前はどうした?」
思い出すのも辛い。
血の海に沈む兄、胸を倶利伽羅で刺し貫かれていて。
呼吸はない。顔もどんどん血の気が失せていって、身体も冷たく染まっていく。
自分は泣いて叫んで、兄の名を呼ぶのに、二度と答えてはくれない。
笑ってもくれない。
兄さん、兄さん。嫌だ。目を開けて。
一人にしないで。兄さん。
雪男の慟哭は兄の死を引きとめることはできなかった。
そうして、燐の死体に縋って泣く雪男の背後で、声が聞こえてくる。
『ようやく死んだのか。忌々しい魔神の息子め』
雪男は振り返る。そこには正十字騎士団の祓魔師たちが、いた。
彼らは、口々に言う。
お兄さんが死んでよかったじゃないか、これで君は自由だよ。
そうさ、優秀な君に、あんな悪魔の兄なんかいらないんだよ。
君は我々と同じ人間だろう。
悪魔を殺す、祓魔師だろう。
そんな君が、どうして悪魔ごときの死で涙を流すんだい。
違う、違う、違う。
僕はお前らとは違う。
兄さんを殺す、祓魔師になりたかったわけじゃない。
兄さんを守る、祓魔師になりたかったんだ。
僕は、お前らとは違う。
お前らか。
お前達が兄さんを殺したのか。
コレがお前達の正義か。
両親は既に亡く。優しかった養父も殺され。
僕に残された、たった一つの家族までも笑って奪う。
雪男は憎しみの篭もった瞳で、騎士団を見つめる。
「だから、僕は・・・」
「雪男」
燐はその先を雪男に言わせなかった。
祓魔師が憎しみを宿した時、心は闇色に染まり神を呪う、悪魔堕ちとなってしまう。
長い騎士団の歴史の中でも、決して前例が無いわけではない。
雪男の心は、燐を失うことで壊れてしまう。
燐を失うことになるのは、悪魔のせいではない。
騎士団のせいで死ぬことの方が、はるかに可能性が高いのだ。
「なぁ雪男。お前は悪魔になんかなるなよ」
「兄さん・・・」
「俺はさ、お前が羨ましいんだ。
頭良くて、スポーツできて、背も高いし、女の子にモテる。
俺の自慢の・・・『人間』なんだ」
「・・・にいさん」
雪男は耐えられなくなって、視線を下に落とした。
影が見える。重なる二人の影から伸びた、一本の尻尾。
人間には無い、悪魔の尻尾。
こうしてみると、まるで雪男から生えているみたいにも見える。
「人間は、悪魔になれても。悪魔は人間にはなれねーんだからさ」
母さんから貰った身体。大事にしろよ。
言われて、僕は返す言葉も無い。
兄さんは、僕を背負って歩き出す。
階段を上る音と、兄さんの鼓動。
兄さんは、生きている。
そうして、僕も生きている。
「兄さん、明日にはいつもの僕に戻るよ」
「うん」
「だから、今日はこのままでいい?」
「いいよ」
兄さんの背からから降りようとも思った。
けど、降りたら僕の影から悪魔の尻尾はなくなってしまう。
こうしている時だけでも、兄さんと同じでいたいと思う僕は。
醜くて、きっと、弱い。
兄さんが羨ましいと言う人間は、こんなにもちっぽけだ。
何度確かめたって、僕に悪魔の尻尾はない。
そう、僕は人間だ。
ちっぽけで弱い。ただの人間なのだ。
燐の首筋には一本の刃が向けられていた。
それは魔剣カリバーンと呼ばれるものであり、
アーサー=オーギュスト=エンジェルという
祓魔師として最高位に位置する聖騎士が所持する剣である。
ここは正十字学園だ。祓魔塾を擁する学園に彼がいること。
またその剣があることにはなんの違和感も無いだろう。
だが、ここで問題なのは昼間の学園内でしかも一般生徒が行き交う階段の踊り場で
アーサーと燐が対峙していることだ。
幸い今は授業中だから、廊下に人はいない。
だが、あと30分もすれば授業が終了する時刻だ。
30分でこの事態が収集するとは思えなかった。
階段の踊り場で首を絞められながら剣を向けられることになろうとは、燐は全く考えていなかった。
そして、思わず言った。
「TPOを考えろ・・・!」
「それは貴様だ、何故ここにいる」
「ここは学校で、俺は高校生だからだよ!」
「そうではない、この時刻にいるということはサボりだろう。
よって魔神の胤裔は誅滅する!」
「理屈がわからん!」
「風紀を乱した!罪だ!」
「お前は風紀委員にでもなったつもりか!」
燐は炎を出して抵抗しようにも、どこに生徒の目があるかわからない以上出すことはできない。
燐は周囲に視線を配るが、誰もいなかった。
廊下の方から英語のリスニングに使うCDの音声だけが響いている。
燐は、別にサボろうとしたわけではない。
ただ単に、トイレに行きたかったから先生の許可を貰ってトイレに行った。
トイレから教室に帰ろうとした帰り道を、アーサーに襲撃されたのだ。
燐に落ち度は全く無い。あるとすれば時間と場所と場合も構わずに襲い掛かってきたアーサーだ。
「一般人に見つかったらどう責任とるんだよ!」
「今は授業中だ、大丈夫だ問題ない」
「あるだろ!授業終わったら階段の踊り場で生徒が死んでるんだぞ!
完全に警察沙汰の上に正十字学園七不思議とかにカウントされるに決まってる!
俺は嫌だぞ!」
「階段の踊り場の怪談か」
「ふざけんなコラ」
「魔神の仔の最期には相応しいな」
「そんなアホな死に方嫌だ!」
燐はアーサーの腕に手をかけるが、それよりも先に剣が首筋に刺さった。
紅い筋が皮膚を伝って落ちる。
これはいよいよヤバイ。
アーサーは本気で白昼堂々燐を惨殺しようとしている。
トイレに行って、逝くなんて嫌だ。
誰か、誰か助けてくれ。雪男、シュラ。
俺、このままだと何時までたってもトイレから戻ってこない奥村君
なんていう称号を得ちまう。
クラスでそんな目で見られたら俺は一体どうしたら。
燐も相当切羽詰まっているため、考え方がおかしくなり始めた頃。
アーサーは教室から漏れる音を聞いてふと剣を刺す腕を止めた。
「意外と懐かしくなるものだな。高校の授業というものは」
「え、お前高校生だった時あるのか?」
「当たり前だろう。とはいっても、俺が通っていたのは海外だがな」
「じゃあなんで、今ここでこんなことしてるんだ?」
「どういうことだ?」
「いや、高校行ってるのに。なんでそんな常識がないのかと・・・」
「何を言う、俺は飛び級で大学も早くに卒業したエリートだぞ。どこに常識が無い」
「高校で俺を殺そうとするところが」
「大丈夫だ、証拠隠滅は抜かりなく行なう」
「髪の毛そこに落ちてるぞ。鑑識に見つかるだろ」
「後で拾っておくことにしよう」
それじゃあ指紋が着くだろう。
どこが抜かりないんだよ・・・と燐は自分が死んだ後のことがすごく気になりだした。
どこかで劇的に死ぬんじゃなくて、こんなアホに殺されるなんて。
燐の死後、燐をトイレに送り出した教師はテレビのインタビューにこう答えるだろう。
『私が奥村君をトイレに行かせなかったらこんなことには・・・』
クラスの女子はこう答える。
『奥村君、トイレに行くって言ってから戻ってこなかったの』
『結構長い時間行ってたから、お腹でも壊しているのかなって言ってたんだけど。
まさか、階段でお腹(内臓的な意味で)を出して死んでるなんて・・・』
ダメだ。やはり俺はここでは死ねない。
俺は教室に帰って、トイレに関わったことで死んだのではないと証明しない限り死にたくない。
いや、初めから死にたくなんかないけど。
燐は覚悟を決めた。そうして、アーサーに最期の質問をした。
「これだけは答えろ」
「なんだ?」
「お前、頭いいんだよな?」
「ああ」
「いちたすいちは?」
「たんぼの田」
ダメだ、こいつ頭はいいけど知恵が無い典型的な例だ。
何を言っても無駄だと悟った燐は、一気に炎を出して抵抗をはじめた。
今まで大人しかった者が急に抵抗を始めたことで、アーサーも一瞬怯む。
その隙に、燐は叫んだ。
「雪男―――!助けてく・・・むぐぅ!!!」
口元を押さえられ、踊り場に押し倒される。
青い炎は二人を包むが、燐は倒された衝撃で一瞬意識が飛んだ。
炎は収束してしまう。
次に燐が目を開くと、もう口から言葉が出なかった。
「やってくれるな奥村燐」
「むー!!むーーー!うう!!」
口を手の平で押さえられて、何も言えなかった。
燐の目が恐怖で染まる。
嫌だ、誰か。父さん、雪男。俺は・・・
「兄さん!!」
雪男が発砲した。銃弾はサイレンサーつきで、音はあまり出なかった。
その音も、授業終了のチャイムの音にかき消される。
銃でけん制されたアーサーは燐から飛びのく。
ガシャンとアーサーの背後の窓ガラスが銃弾で割れた。
音を聞きつけたのか、ばたばたと廊下を走る教師の足音が迫る。
「よく駆けつけたな奥村雪男。授業はどうした」
「移動教室だったもので。その帰りです」
雪男は燐の手を引っ張って、自分の背後に隠した。
「今日のところはここまでだな。次はないと思え」
そういって、アーサーは割れた窓ガラスから、外に降りていった。
ここは5階だが、アーサーのことだ。死にはしないだろう。
しかし、窓の外から悲鳴が数回聞こえてきた。
雪男は背後から聞こえてくる足音の近さに気づき、銃を素早く隠す。
駆けつけてきた教師は雪男に問うた。
「奥村君・・・!今の全裸の男は一体!?」
「どうやら変質者が紛れ込んだようですね。兄はその変質者と最初に遭遇したようです」
「何、大丈夫かね?」
「・・・なんとか」
「先生、兄は動揺しているようです。保健室に行っても?」
「あ、ああかまわない。警察を呼ぶべきだな」
「はい。それと理事長にもお伝えした方がよろしいかと」
雪男は燐の手を引っ張って、階段を下りていった。後処理は教師がやってくれる。
階段の窓から外を見ると、遠くの方に金色の光が見えた。きっとアーサーだろう。
「全裸で颯爽と駆けるとか、アイツにしかできねぇよなぁ・・・」
「兄さん、大方炎を出して、服だけ燃やしたんだろ・・・」
「全裸で伸し掛かられるとか恐怖以外の何者でもないな」
「パンツまで燃やさなくてもよかったんじゃない?」
「いや、俺は燃やしてない。つまり、あいつ履いてないんだ」
雪男はなんともいえない顔をした。
燐もなんともいえない顔をした。
「・・・とりあえず、助かったぜ雪男」
「移動途中に兄さんの悲鳴が聞こえたからびっくりしたよ、間に合ってよかった」
「流石俺の弟だ」
「まぁ、全裸の男に伸し掛かられる兄という恐怖映像を見たけど」
雪男の眼鏡がきらりと光った。
その後、雪男の策略によりアーサーの名は学園に語り継がれることになる。
アーサーが落下したシーンを目撃した生徒が多数いたため、信憑性も増した。
正十字学園七不思議の一つに、落下する全裸男という怪談話が追加されたことを、アーサーは知る由もなかった。
雷の音が鳴っている。少し目を閉じて、数を数えた。
いち、にい、さん・・・十数える前にまた音が鳴る。
近いな、と思えば、窓の外で閃光が走った。
嵐だ。それもこの山を直撃のコース。
雨脚が強まって、風が薄い小屋の壁を叩く。
ここに山小屋があってよかったと心底思う。
燐は濡れた上着を乱暴に脱いで、床に投げ捨てた。
電気も通っていない古い小屋のせいか、中央には囲炉裏しかない。
雨で濡れた体が暖を求めていた。燐が、火を灯そうと囲炉裏に近づこうとすると。
ドンドンドン!
背後のドアから音がした。
燐は倶利伽羅を構える。悪魔がここまで追ってきたのか?
この山には集団で人を襲うゴブリンが出現する。
候補生の任務で塾生と山にきたのはいいが、探索を開始し初めて山が荒れだした。
万が一の為に雪男に集合場所を聞いてはいたのだが、この天候だ。
視界も悪い中、集合場所に向かおうと走っていると、木の根に足を取られた。
しかも、運悪く足首を痛めるという最悪な事態。
ずきずきと痛む足は、触ると熱を持っていた。
燐の治癒能力は高い。だが、痛めた足を引きずってまで歩けそうにもなかった。
仕方なく、近くにあったこの小屋に逃げ込んだ。
そのときには、悪魔の気配はなかったはずだ。
(・・・どうする?ここでやりあうべきか?)
燐は考えるが、ドアの向こうの相手は蹴破る勢いで叩いてくる。
ここでドアが壊れれば、この暴風雨を防ぐ手段がなくなる。
そうなればかなり都合が悪い。仕方が無い。
ドアノブに手を廻して、いつでも踏み込める姿勢をとった。
足首に鋭い痛みが走る。燐は眉をしかめながら、意を決してドアを開けた。
瞬間、猛烈な雨風が小屋の中に吹き荒れた。
外にいたものが勢い良く飛び込んでくる。
燐は炎を出した。
相手は、その炎を見ても怯むことなく燐に飛び掛る。
構えた剣を抜こうとした。
が、それを本能的に止める。
そして、飛び込んできたものとともに、もろとも床の上に倒れこんだ。
相手の足が、燐の足を踏みつけた。激痛と、背中に冷や汗を感じた。
鋭い痛みが、足から頭まで駆け抜ける。
炎は痛みに反応して勢いを増した。
「いってえええ!!」
燐を押し倒す形で飛び込んだ人物は、その声にぎょっとする。
「うわ、奥村君ごめんな!堪忍!」
燐の上に跨るのは、同じく塾生の志摩だった。
足を押さえて蹲る燐と、背後の開けっ放しのドアから吹き荒れる暴雨。
志摩は一先ず、急いでドアを閉めた。
風で揺れるドアを押さえるために、鍵も掛ける。
小屋の中に、静寂が訪れた。志摩は燐にかけよって顔を覗きこんだ。
「ごめん、奥村君。俺集合場所に着けんくてここ来たんやけど。
てっきりゴブリンが中におるもんやと・・・」
「いや・・・俺も・・おんなじこと、思ってたからいいよ」
燐は痛みに顔を歪めながら体を起こした。
痛みに反応して、体からぼうっと青い炎が灯る。
その炎が囲炉裏の中にあった墨にじんわりと熱を灯した。
囲炉裏から、煙が上がる。燻った炎も上がり出す。
青い火に照らされて、燐の足の怪我も志摩の目に映った。
赤く腫れた部分が痛々しい。
「ごめん、俺のせいで・・・」
「いや、これ俺がこけてなったんだよ。大丈夫だ」
「あ、そうなん?」
「・・・そこを踏んだのはお前だけどな!」
「ごーめーん!俺のせいやーん!」
志摩は、燐の足に自分の脱いだ上着を畳んで乗せた。
湿った感触が患部の熱を冷やして気持ちがいい。
「折れてはないみたいやから、応急処置や。帰ったら先生に見てもらおうな」
志摩は囲炉裏の状態を確認して、床に投げ捨ててあった新聞紙を拾って放り込む。
きっと以前の使用者が残していったものだろう。
床には他にも新聞やチラシなど燃えやすいものが落ちていた。
それらを次々に炎の中に放り込む。
勢いを増した青い炎が、小屋を暖めるために燃えていく。
「へっくしゅ」
燐がくしゃみをして、志摩もつられてくしゃみをした。
足を怪我して動きにくそうな燐を囲炉裏の前まで引きずって持ってくる。
燐の体からは、ぼうっとした炎がいくつか灯っていた。
触れれば温かい、青い炎。
こういうとき、炎があると便利だなぁと志摩は感じた。
雨と風、それに山の低い気温で寒くて仕方が無かった。
志摩は、足の間に燐を挟んで座った。燐は志摩に背を預ける姿勢だ。
「ちょ、なんでこの態勢?」
「だって奥村君の身体、炎であったかいんやもん」
「えー、俺ホッカイロかよ」
「そうそう、山で体は冷やしたらあかんからな。動けんようやし我慢して」
「なんかおまえ機嫌よくねぇ?」
「ソンナコトナイヨー」
囲炉裏の前で、青い炎を囲んで二人は座っている。
志摩は、濡れている服を脱いでいく。
燐もそれにならって、服を脱ごうとした。
しかし、濡れた服はなかなかに脱ぎにくい。
志摩の手が、後ろから燐の服のボタンにかかる。
「悪いな」
「ええよ、役得役得」
「え」
「冗談やて」
「・・・なぁ、他のやつらって大丈夫なのか?」
「ああ、坊も子猫さんも大丈夫やで。
杜山さん達と一足先に集合場所についたってメール着てたし」
「じゃあ俺達だけかよ。取り残されたの」
「まぁ電波が悪くなる前に連絡だけはとったから置いていかれはせんと思うよ?」
「・・・いや、なんか帰ったら雪男に怒られそうな状態だなぁと」
「あ、そうか。俺そん時奥村君と合流してへんかったし。
先生達にしてみれば奥村君は行方不明状態なんちゃう?」
「え、ちょ。それたぶんまずいよな!」
燐は急いで携帯電話を取り出すが、圏外としか表示されない。
嵐になれば、山の電波状況は最悪だ。
つまり、燐の無事は雪男たちのもとに届いてはいない。
雪男の怒りの表情が頭をよぎる。これは、絶対に。叱られる。
燐は、背後の志摩を振り返った。
志摩の携帯も圏外を表示していた。
「うあああ、嫌だな。雪男、俺は無事だ!なんとかこの電波を受信してくれ!」
「いや、無理やろ。連絡はこまめにしときいや奥村君」
「ゴブリン倒すのに夢中だったんです」
「それ、先生に言うたら余計起こられるで」
自分と、燐の上着をあらかた脱がし終えると、志摩は服を囲炉裏の傍に並べた。
少しでも乾いてくれたら、この状況も早く終わるだろう。
そう、志摩と燐は半裸だった。ズボンだけは履いているが、上は裸だ。
しかも、背後からくっつきあっているので、なんだかとてもいかがわしい。
「・・・なぁなんかこの格好はおかしい気が」
「だって寒いやん」
「いや寒いけど」
「温かくなりたいやん」
「そうだけどさぁ」
「あ、そうだ。ほんなら奥村君、炎出してくれへん?」
「え、なんで」
「その炎出してる奥村君に俺が抱きつけば、二人して温かいやん」
がしっと、志摩の腕が燐の首にかかる。
動こうにも、足は痛めてるからうまく逃げれない。
燐は、炎を出そうとして。
やめた。
「なんでやめるん?」
「・・・いや、いいのかよお前」
燐は、少しだけ躊躇した。
炎を出して、そんな俺に抱きつくのか?
そんなことしてお前はいいのか?
燐の考えに気づいた志摩は、笑いながら言った。
「ええよ。奥村君は俺を燃やしたりなんかせんよ。大丈夫やって」
炎が宿った。
青い炎は、二人を温かく包み込む。
小屋の中は青い光に照らされて、火の粉が宙に舞っては消えていく。
綺麗だな、と純粋に思った。
そして。
「はあああ、温かいわぁ。気持ちいいわぁ」
「ちょ、こら、耳元でしゃべるな」
「あ、感じた?」
「馬鹿いってんじゃねーぞ志摩」
「奥村君、これでマッサージ屋とかやっても生きていける気がする」
「炎マッサージ?新しいな」
「やろ」
またぎゅっと燐を抱きしめた。
お互いの鼓動が心地よかった。
伸ばした足で燐の足をつついた。
「痛い?」
「いてぇよ馬鹿」
そして、その足が出ている部分に気づいて志摩はぎょっとした。
「ちょ、俺のズボンがない。パンツだけや」
「あ、ごめん。俺炎のコントロールまだ十分じゃなくてさ。
パンツしか残らねーんだわ」
「なにその破廉恥な能力!!?」
「だ、だから『いいのかよお前』って聞いたじゃん!!」
「そこ!?その言葉は服を燃やされることにかかっとったん?予想外!」
「だからごめんって!」
「しかしうらやましいわああああ!俺もその力欲しいいいいい!!」
「・・・」
こうして二人で騒いでいるうちに、嵐は去っていった。
「あ、雪ちゃん!燐と志摩君が帰ってきたよ!」
しえみが指差した方向を見れば、志摩に背負われた燐が。
二人で山道を下っているところだった。
雪男は急いで駆けつける。
「よかった!心配したんで・・・すよ」
「ごめんな雪男、携帯圏外で連絡できなくてよ」
「奥村先生、奥村君怪我してはるんで診たげてください」
雪男は改めて、二人の格好を見た。
志摩に背負われた燐。
燐はズボンを履いていなかった。そして、足には怪我の痕。
よくよく見れば、志摩の履いているズボンは、燐のズボンではないか。
「どういうことか説明して」
「いやあ、俺は嫌だったんだけど・・・志摩がどうしてもって言うし」
「ちょ、奥村君その言い方はまずい!」
燐が言っているのは山を降りるときに自分で歩けるといったのだが、
心配した志摩に背負われたということ。
そして、その際に山を歩くにはズボンなしではいけないだろうと、
志摩が燐のズボンを履いた。
それだけのことだが、説明なしに聞けば雪男のように誤解を招く言い方だ。
「山小屋で、ズボンなし、半裸で、しかも怪我をして。無理矢理・・・だと?」
しかも、歩けない。なるほど、腰にダメージでも負ったのか。
雪男の頭の中の出来事が志摩には手に取るようにわかった。
てっきり、連絡をしていない燐が怒られるのだと志摩は思っていた。
しかし、現実には誤解が誤解を呼び、目の前には青筋を浮かべる雪男の姿だ。
「こ、この山にはほんまもんの悪魔がおるわ・・・」
ゴブリンなんか目じゃないくらいの。
ちんちーんというベルの音がして
電車のドアが閉まりそうになる。
「乗ります!ちょっと待った!!」
ドアに手をついて間一髪で滑り込む。
プシューと空気を排出して、ドアは燐の背後で今度こそ閉まった。
焦って乗ったので、荒い息をひとまず整える。
任務の待ち合わせ場所にはこの電車でしか間に合わない。
時計を確認して、ほっと一息ついた。
これなら遅刻だと雪男に怒られないだろう。
本来なら一本前の電車に乗るはずだった。
焦りたくなければ、余裕をもって電停にいるべき。
しかし、いかなければならない気持ちより睡眠欲が勝ってしまって
こんなギリギリの時間になった。
流石に、寮から全力で走っただけあって疲れた。
できればイスに座って休みたい。
ドアに背を預けて周囲を見るが、車内は完全にすしずめ状態だった。
今も、目の前にいる白い服の男と体が密着するくらい近い。
そして気づいた。
「あ」
「・・・ん?」
目の前の男が振り向いた。
金髪長髪に真っ白い祓魔師のコート。
流石に車内に魔剣は持ち込んでなかったが、
正真正銘アーサー=オーギュスト=エンジェルその人だった。
燐は反射的に後ろを向いた。
なんでここでこいつに出くわすのか。
と、いうかなんで電車に乗ってんだ。
寝坊した自分を呪いたかった。
ばれてない、と思いたかったがドアのガラスに写ったアーサーと目があった。
「貴様、奥村燐か」
ぐるりと体の向きを反転させられる。
向かい合わせになって、目が合って。
回転させられた勢いのまま平手打ちされた。
ぱしーんという乾いた音が車内に響く。
「いてぇ!」
「なんだ、夢じゃないんだな。とてつもなく不快だ」
平手打ちした手をアーサーは聖水とかかれたスプレーをかけて消毒していた。
頬を押さえて燐は抗議をしようとするが、同時にがたんと電車が止まる。
車内が揺れた。人の圧力に押されて、燐の目の前に白い制服が迫る。
「うぎゅ」
アーサーの胸に思いっきり潰された。喉から変な声が出る。
しかも身長差があるものだから上から包まれるように、完全に潰れた。
燐に触れたことが不快なのか、アーサーもその場から逃れようともがく。
しかし、すしずめの車内はびくともしなかった。
一時停止した車内にアナウンスが響く。
この先車両トラブルを起こした電車があるため、停止します。
お客様にはご迷惑をおかけしますがもうしばらくお待ち下さい。
そのコメントは燐に絶望をもたらした。待ってられない現状がある。
遅刻してもいい。今すぐここから出してくれ。
「くそ、こんなことなら電車を使わなければよかったな」
アーサーも燐と同じことを思ったらしい。眉間に皺が寄っている。
ただでさえ離れたい相手がいるのに、電車はいつ動くともわからない。
不快にならない方が無理だ。なんとか顔だけ出して、燐も反論する。
「そりゃこっちのセリフだ。セレブの癖に電車乗るな!」
「全くだ。庶民感覚を理解しようと任務ついでに試しに乗ってみたのだが、
二度と乗りたくはないな」
ぎろりと鋭い目で見下される。
アーサーの長い髪のせいで、燐の周囲は金色で覆われている。
身長差と、髪のカーテンと、人ごみ。
乗客も、アーサーの前に人がいるとは気づかないくらいに燐は隠れてしまっていた。
つまり、アーサーは周囲の人間からしたら独り言を言っている変人だった。
「おい、離れろ奥村燐」
「俺に言うセリフかよ・・・お前が動け!」
「では試しに」
「だああ!足を踏むな!」
「ハハハ、貴様こそ俺の腰についている手をどかせ!」
「そんなとこ触ってねーよ!」
「嘘をつくな。ここに一般人がいなければすぐにでも消してやりたい所だ!」
アーサーの手が燐の背後のドアにつく。
その手が少し動けば、燐の首くらい簡単に刎ねるだろう。
そんな位置だ。燐は、緊張からごくりとつばを飲む。
アーサーという檻の中に閉じ込められたような感覚だ。
やらなければやられる。燐はぐっと拳を握った。
突然、アーサーは不快そうに眉を寄せた。
「ところで奥村燐」
「・・・なんだよ」
「貴様、いい加減その手をどかせ」
「は?」
燐の手は背後のドアについている。
アーサーは何を言っているのだろう。
首を傾げる前に、また平手打ちされた。
「ちょ、イテェな!!お前さっきから何言ってんだよ!俺の手はここにあるだろ!」
両頬がひりひりして痛い。なんとかもがいて、両手で頬を押さえた。
その手を見て、アーサーは驚く。
「貴様、腕が4本あるのか」
「・・・お前マジでいってんの?」
「そうとしか説明できないだろう。でなければ何故。誰が今俺の尻を触っている」
沈黙。
燐は咄嗟に声が出せなかった。
そもそも何故自分がアーサーの尻を触るのか。
アーサーの尻を触る理由は無い。
では、現状一体誰がアーサーの尻を触っているのか。
燐が嫌な汗をかいているのにも気づかず、アーサーの言葉はエスカレートしていった。
「・・・大胆だな、コートの中に手を入れるとは」
「え・・・その・・・」
「くっ・・・だが、残念だったな奥村燐」
「何が」
「今、俺のパンツに手を入れようともがいているだろう?」
「・・・」
痴漢の実況中継にマジ泣きしそうだった。
しかも、成人男性の尻を揉むアブノーマルプレイ。
15歳の燐にはいささかハードルが高すぎる。
「だがお前の思惑通りにはいかない!」
「思惑って何だよ」
「さっきから写真とろうとしているだろう。レンズが当たる。そうか、貴様の狙いは俺の下着か!」
「何!?どういうことだよ!?意味わかんねーよ!」
下着の写真でも撮って弱みでも握ろうとか思われているのだろうか。
心外だった。
「下着狙いというのなら。この勝負俺の勝ちだな奥村燐」
アーサーは痴漢されているのに何故こんな態度なのだろう。
意味がわからない。何も聞きたくない。耳を塞ぎたい。
しかし、燐が耳を塞ごうとする前に爆弾が投下された。
「なぜなら俺は穿いていないからな!!」
そう、今は夏で、暑いからだ!と言った。
コートの下は穿いていない。
この純白の祓魔師の制服を脱げば、そこには全裸が?
嘘だろう。
こいつ白昼堂々すしずめの車内でノーパン宣言をしやがった。
車内の空気が明らかに変わった。
そして、先ほども言ったが燐は現在アーサーに潰されていて
周囲の乗客には見えていない。
つまり、アーサーは痴漢の実況中継をしたあげくに、
下着つけてません宣言を全て独り言で語ったという風に見られている。
完全に周囲はドン引きだ。
本人は、全く気づいていないが。
手が、前のほうにまわってきたな・・・大胆だ。
というアーサーの声で、燐は我慢の限界を超えた。
馬鹿力を発揮して、アーサーに潰された身体の隙間から両腕を抜く。
そしてアーサーのコート内に入っていた手と、アーサーの腕を同時に掴んで言った。
「この人達痴漢です!!」
車内からの視線が痛い。
頭上に上げた痴漢の犯人の腕には腕時計があった。
時刻を見て、もう完全に遅刻であろうことを悟る。
雪男には怒られるだろうが、事情を話せば今回はわかってくれると思う。
アーサーはきょとんとした顔を燐に向ける。
「私もか?」
言って、アーサーは何を思ったのか。掴まれていない手で、また燐の頬をビンタする。
「いてぇ!」
「残念、現実だ!!」
涙目になりながら、燐はアーサーに訴えた。
未成年に猥談囁くのだって立派な痴漢だ!
にゃーというかわいらしい声に惹かれて、燐は草むらの方へ足を向けた。
そっと覗き込んでみると、草むらの中に茶トラの子猫がいた。
近くで母猫が腹に同じような子猫を二匹抱いて寝ている。
一匹だけ起きて、近くを散策していたのだろう。
無垢な瞳が大変可愛らしい。
燐は恐る恐る猫の体に触れた。
ふかふかで柔らかい。
それに随分人に慣れていた。
首の方を撫でてやると小さな首輪がついている。
見れば母猫や兄弟猫にも同じような首輪があった。
「よかったー、お前らもう拾われてたんだな」
家には既に一匹の猫又がいるため、拾っても面倒は見れない。
猫に家族と帰る場所があることに安心した。
これで思う存分可愛がれそうだ。
子猫をころんと転がして腹を擽る。
「可愛い奴だなー」
「にゃーにゃー」
「うん、ここが気持ちいいのか?」
「にゃー」
「あー、お前クロと違って腹がふくふくで気持ち…」
クロは子猫の姿だが、立派な成猫だ。
戦闘も行なうため、お腹の肉は引き締まっている。
外猫と、家猫の違いだろうか。
外猫は外の環境でも適応できるように、体はすらりとしたハンター体型。
家猫は環境の変化がない為、体はとろりとした柔らか仕様。
この猫達は毛並みも良いし、シャンプーの香りもするのできっと家猫だろう。
この家猫特有のだらりとしたお肉の感触はたまらない。
そのやわらかな感触を楽しんでいると、背後から声が聞こえた。
『ひどいッ』
振り返る。そこには目を潤ませてこちらを見つめるクロの姿が。
『りんのうわきもの!』
「いや、浮気ってなんだよ」
いつから俺達は付き合い始めたのか。
考えて、今年の夏か?とあさっての方向に返答する。
それに焦れたのか、クロが尻尾を振って訴える。
『おれよりそいつのがいいのか』
「ちょっと待て。一言もそんなこと言ってないだろ」
『みてればわかるもん!』
「にゃー」
「あ、こらそっちは道路だから危ないぞ」
『りんのばか!』
「馬鹿とはなんだ!」
茂みから、猫と兄の声が聞こえてきた。
思わず眼鏡を抑え、耳と目を閉じ口を噤んだ存在になろうと考えた。
しかし、そんなことしたら後々厄介なことも知っている。
通り掛かった雪男はこっそりと茂みを覗き、その様子を見てため息をついた。
「にゃーごおおおお」
「なんだよ、怒るなよ!」
「ふにゃああああー!」
「え?浮気癖は獅朗ゆずり?な、え?・・・ジジイ浮気してたの!?誰と!?」
「なあああああ」
「そこらのメス猫!?どういうことだよ!??クロ!お前何を見たんだ!」
クロの言葉は人間にはわからない。
こんな猫と会話している様子を見たら事情を知る自分ならともかく、
一般人に見られたら確実に兄は変な子扱いだ。
草むらをかきわけて、一言言う為顔を出す。
「何してるの兄さん」
「ふぎゃー!」
いきなり話し掛けたとはいえ、まさか猫みたいな悲鳴をあげるとは。
雪男は戦慄した。
兄が猫に、いや電波系になってしまった!
「頭大丈夫?」
「痛い痛い!頭よりも尻尾だ馬鹿ぁ!」
「え、うわ!ごめん!」
下を見て気付く。思いっきり兄の尻尾を踏んでいた。
悲鳴もあげるはずだ。
燐は子猫を抱いたまま雪男に食ってかかる。
「雪男の馬鹿!」
子猫を離さない燐に向けてクロが言う。
『りんのばか!』
なんとなくクロの言ってることがわかった雪男は思わず吹き出しそうになる。
慌てて口を押さえたがばれたらしい。
「笑うな!」
『わらうな!』
「…ぷっ、あははは!あ、ごめん」
叫ぶ一人と一匹を宥めるのにかなり時間がかかってしまった。