青祓のネタ庫
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薬の調合をしていると、グラム数に敏感になってしまうのは職業病だろうか。
台所に立って兄の料理を手伝っていると、その適当さにあきれてしまった。
カップですくって、確かめもせずに投入。
よく目分量であれだけ美味しい料理が作れるものだ、一応褒めているつもりでも
兄はそうとは取らなかったらしい。
「なんだよ、料理ってのは分量じゃねーだろ」
「でも分量守らないとできないじゃないか」
「適当でも美味けりゃいいじゃんか」
「ご飯はそれでもいいけど、今作ってるのはお菓子だから適当じゃダメ」
お菓子の場合少しの分量の違いで生地が膨らまなかったりする。
雪男は再三注意するが、自分の腕に絶対の自信を持つ燐は譲らない。
「大丈夫だ!!」
「・・・もう」
ケーキの生地のたねはもう出来上がり寸前だ。
今更作り直すわけにもいかないので、このままいくしかない。
燐は生地を指で掬って舐めた。
もう少し砂糖が必要なようだ、燐は雪男に砂糖を足すように言った。
「どれだけ入れればいいの?」
「適当」
そういわれても、正直わからない。何グラムからよくて何グラムからダメなんだよ。
料理に慣れていないわけではないが、料理のこういう「適当」な部分を雪男は好きになれない。
仕方なく雪男は砂糖を秤にかける。燐も自分のスタイルを貫くなら雪男も自分のスタイルを貫くまでだ。
秤がグラム数を指し示した。
21グラム。
「・・・21グラム、か」
軽量カップを持ち上げてみる、軽い。
「魂の重さってやつか?」
生地を混ぜ合わせる燐が言った。
雪男は自分の考えていたことが通じたことに驚く。
「すごいね、覚えてたんだ僕の授業」
「お前、俺のこと馬鹿にしすぎだろ」
人間が死んだ時の体重を量った医者がいた。
その結果、人間は死の際に、呼気に含まれる水分や汗の蒸発とは異なる何らかの重量を失うことを発見。
その重さが21グラムであるという。
「ただ、犬の死での実験ではその結果は反映されなかった。
他の患者の遺体で計測しても何グラム減ったかは明確にはわからなかった。だから今では俗説ってことになってるね」
「でも、21グラムって随分軽いな」
「軽いか重いかはわからないよ。魂の重さの平均がわからないんだもの。
これも俗説だけど、一生懸命生きている魂は重くなるんだってさ」
「ふーん」
今では18グラムが魂の重さとする説もある。
そうすると、一番最初の被験者の魂は3グラム分「頑張って生きた」という証になるんだろうか。
魂のことは祓魔の世界でも未知の領域だ。
燐は生地を混ぜ合わせながらぽつりと言った。
「悪魔にも魂の重さってあんのかな」
燐は雪男の持っていた21グラムの砂糖を生地の中に入れた。
生地のたねを混ぜ合わせる。
21グラムはあっという間に溶けて消えていった。
雪男は応える。
「悪魔にあるかはわからない。人間にあるかもわからないしね」
「うん」
「でも、兄さんの魂は重そうだ」
雪男は生地を掬って燐の前に差し出した。
燐は雪男の指についたそれを舐め取って味わう。
「21グラム分甘いな」
「先生!落ち着いてください!!」
「僕は落ち着いていますフェレス卿。その証拠に勝呂君たちに帰るようにいいましたよ」
銃を構えて、雪男はメフィストに詰め寄った。
つまり、外に人がいないためこの部屋は密室だ。
何が起きても、そう銃を撃っても目撃者はいないわけだ。
「先生、奥村君の体調の変化に気づかなかったんですか?」
床に寝ている燐を横目で見た。
メフィストに倒されて気絶しているのかと思っていたが、顔が少し赤くなっている。
ぐったりとした身体。どうやら部屋に入ってから倒れたようだ。
雪男はメフィストに視線をやりつつも、燐の傍に膝を着いた。
額に手をやると、少し熱い。熱でもあるのだろうか。
朝、寝ている姿を見た時には異常は見られなかったのに。
「どういうことですフェレス卿」
「どうもこうもないですよ、奥村君なんで聖水なんか飲んだんですか?」
聖水、飲んだ。
そのキーワードだけで予想がついた。
昨日、机の上に聖水の入った瓶を置いていた。
雪男の顔が青く染まる。
感情の内訳でいうと兄への怒り半分、机に置いたまま寝てしまった自分への怒り半分。
「・・・なんで兄が聖水を飲んだと気づいたんですか?」
「今日、奥村君にお小遣い渡した時に、気づいたんです。
最初は間違いかと思ったんですが、酔っ払ったような状態を見て気づきました。上級悪魔が聖水を飲んだときそういう中毒症状が出ることがあるんですよ。治療しようとしたら奥村君が逃げたので、寮まで来たんですけど」
下級悪魔なら聖水をかけただけで死ぬ。しかし、上級ともなると聖水だけでは死なない。
皮膚にかけられただけなら聖水は気化するか、胎内に取り込んだ場合気化しないため
毒を身体に含んだ状態が続く。症状は人間で言うなら酔っ払った状態に近いものになる。
燐が今朝から足がおぼつかなかったのも、立ちくらみがしたのも、その中毒症状が原因だった。
雪男はうーうー唸る燐のお腹をそっと撫でた。
「兄さん・・・大方喉が乾いたからとかそんな単純な理由で飲んだんでしょう」
「期待を裏切らないお兄さんですね」
「フェレス卿、先ほどはすみませんでした。この症状を治療するにはどうすればいいんですか?」
雪男は持っていた銃を降ろした。
「簡単ですよ、口から聖水の聖気を吸い取ればいいんです。そうすれば聖水はただの水になりますから」
反射的にまた銃口を向けてしまった。
小遣いを渡した時に逃げたというのはそういうことか。
誰だって、理事長にいきなりキスされそうになったら逃げるに決まっている。この部屋に来る前に聞いたガラスが割れた音。悲鳴。
説明もないまま治療しようとしたメフィストに、燐が抵抗した音だったのだ。
雪男は銃をまた降ろした。ここは冷静にならなければならない。
兄のためにも自分のためにも。
「吐き出させる、という方向は?」
「ないこともないですが、吐き出すときに気管に詰まれば窒息しますよ」
「それって、理事長にしかできないんですか」
「まぁこの学園でできるのは私くらいでしょうね」
「じゃあ、聖水の聖気を消すくらい邪悪なもの食べさせるとか」
「コールタール千匹くらい食べさせるか、血を1リットルくらい飲めば、或いは」
いずれも倒れて唸る燐には難しそうな課題だった。
雪男は燐に問いかける。
「兄さん、選べる?」
「ど、れ・・・も・・・嫌だ」
右手を上げて、ぱたぱたと振った。精一杯の抵抗らしい。
だが、選択の時は迫っている。
「昨日はすみませんでした。
どうやら僕らの部屋に侵入した悪魔がいて、たまたま兄に用があった理事長がそこに出くわしたようなんです。
部屋にいた兄を庇ったらああいう状態になったそうですよ。いやあ偶然って怖いですね。
僕も、すぐ部屋に入って銃で悪魔に応戦しました。結果的に倒したので、安心してください。
あ、兄が今日調子悪そうなのは昨日の悪魔に少しだけ怪我を負わされたからです。心配するようなレベルの怪我ではないので、気にしないでくださいね。
では、授業を始めます。」
一呼吸で言ったので、その意味を正確に理解できたものは少ないだろう。
勝呂と志摩、子猫丸は反論の余地も許されないまま授業に入ることになった。
(昨日は家庭の事情っていうとったやろ先生・・・)
悪魔なんていなかったじゃん。
気づいてはいたけれど、突っ込んだらいけないらしい。
三人以外の生徒は雪男の言葉を理解できなかったのだろう。
すこしだけざわついたが、すぐ授業に入っていった。
勝呂は机に突っ伏している燐の姿を見て、志摩と子猫丸に顔を寄せた。
「・・・まぁ解決はしたみたいやな」
「にしても、ほんま昼ドラも驚きの展開やったわぁ。気になるわぁ」
「志摩さん、好奇心は猫をも殺すって言葉知らんのですか?」
雪男の言葉を信じていないわけではないが、全てを信じるわけにもいかないようだ。
理事長、燐、雪男。その関係は後見人とその子供という関係だけではない。
もっと根本的なところに、秘密がありそうだ。
しかし、子猫丸が言う言葉にも一理ある。
好奇心は猫をも殺す。
ヘタに首をつっこめば、なにが出てくるかわからない。
(まぁ、あいつが本当に困っとった時に助けたればええやろ・・・)
勝呂はそう、自分の心にけじめをつけ授業に意識を向けた。
勝呂は知らなかった。
机に突っ伏す燐が今、とても傷ついて尚且つ困っていたことに。
(・・・メフィストにキスされた・・・)
どうしようもない状態で選んだ道だった。
メフィストにキスされるのは嫌だったから、薄れる意識の中でせめてと思って犬姿での治療を頼んだ。
もふもふした感触は今も忘れられない。
あの時の雪男の表情はもっと忘れられない。
ちなみに治療後メフィストは爆笑しながら去っていった。
流石は人の不幸は蜜の味を地で行く男だ。
体調は戻ったけれど、雪男の表情は冷徹だった。機嫌は極寒地帯といっていい。
自分の選択は雪男のお気に召すものではなかったようだ。
きっと、今日の授業が終わった後また苛められるんだろうな。
ちらりと教壇に上がる雪男を見た。視線がかち合う。
「奥村君、教科書の205ページを読んでください」
「・・・はい」
苛めはすでに、始まっているようだ。
燐は、二度と雪男の机にあるものを触るまいと心に誓ったのだった。
奥村雪男は絶句していた。丁度寮に向かう途中で受け持つクラスの生徒達が来た。なにか進路や授業に関する相談事でもあるのだろうかと思って、旧男子寮の空いている部屋で話を聞いた。
自分達が住んでいる部屋はもっと上の階にある。兄ももう帰っているだろう。
今日は任務があったし悪魔薬学の授業も無かったため、朝から兄に会っていない。
その兄のこととは夢にも思っていなかった。
「ありえません」
「じゃあ奥村と理事長ってどんな関係なんですか?」
「うーん、それは・・・」
説明するべきか雪男は悩んだ。燐の力のことなど言えないし、メフィストが怪しい動きをしているのも
言えない。当たり障りなく、勝呂達の勘違いを正さなければ。
「そもそも、理事長は僕ら兄弟の後見人なんですよ」
「後見人?」
「ああ!!!だからあいつ養ってもらってるとかなんとかいうてたんか」
話を聞くと自身の兄の口からでた言葉は勘違いされても仕方のないことばかりだった。
事情を深く話すわけにもいかないので、兄にとっては苦肉の策だっただろうが、これはひどい。
「養父が死にまして、それでその養父の友人であったフェレス卿に後見人になってもらったんです」
「じゃあ封筒貰ってたっていうのは?」
「お小遣いですね、この間は二千円札もらってましたけど」
「少なっ!!!」
なんとか誤解は解けたみたいだ。
しかし、今後このようなことがないようにきつく兄には言い聞かせておかねば。
きらりと光る雪男の眼鏡に不穏な気配を感じたのか、三人は早々に退室すべきだと悟った。
「やっぱり坊の勘違いやないですかー」
「いやあでも、確認はすべきですね。これで一安心ですよ」
「・・・」
勝呂の疑問はあと一つ残っていた。渡り廊下で会っていた理由もわかったし、封筒の中身についても解決した。じゃああの説明するのも憚られる、口と口がくっついてというか。
俗に言うキスに見えたあれは一体何なのか。
もうこれ以上追求するのはやめておくべきか。
扉に手をかけたところで、ガラスの割れる音がした。それと悲鳴。聞き覚えがある。
上の階からだ。
「奥村!!?」
「兄さん!?」
雪男が部屋を飛び出して走り出した。思わず勝呂も駆け出す。
奥村燐に対しての疑問、理事長との関係、勝呂が見たあの光景。
全くもって面倒な奴だ。だがこうなったら最後まで付き合ってやる。
率直に言うと、勝呂は奥村兄弟の部屋で見てはいけないものを見てしまった。
雪男が部屋に乗り込んで、扉の前に勝呂は着いた。
見てしまった。
部屋の真ん中で理事長、メフィストが奥村燐の上に乗っかっている所を。
扉が物凄い勢いで閉まった。
何発か中から銃声が聞こえてきた。
「・・・先生やろか」
竜騎士の資格を持ってるのはこの場では雪男しかいないからそうなるのだろう。
理事長に発砲する理由もわからないではないが、部屋に入ってすぐ発砲。
その躊躇のなさに勝呂は戦慄した。
廊下から、遅れてやってきた志摩と子猫丸がやってくる。
「坊!どうなったんですか!?」
「奥村君だいじょうぶ・・・」
いきなり扉が開いて雪男の顔だけが覗く。
三人は身構えた。
「すみません、家庭の事情のため帰ってください。詳しいことは後日」
雪男の顔は笑っていたが、冷めていた。
扉の隙間も、雪男の身体で遮って見えないようになっている。
それだけいうと、また扉が閉まった。
勝呂はうな垂れた。
後見人が養っている子供の兄の上に乗っかっている光景。
弟は銃をもってその部屋に乱入の末、発砲。
「坊、なんかあったんですか?」
「僕ら遅れてきたから全然わからんのですけど」
二人は勝呂に質問した。
「わからん、よそ様の家庭の事情は複雑怪奇や・・・」
勝呂はそうとしか応えられなかった。
まず三人が考えたのは、事実の確認をすることだった。
理事長と奥村燐の関係は本当に援助交際なのか。
茶封筒の中身は恐らく金だろうと推測できる。
でも、推測の域をでないなら確認をしなければならない。
もしかしたらメッフィーランドのチケットが入ってたかもしれないし。
正直、これから祓魔師になるまでの長い付き合いになるのだ。クラスメイトを疑ったままではチームとして組めない。
祓魔師に必要なのはチームワークだ。奥村先生はそう言っていたじゃないか。
「奥村君と理事長ってどんな関係なんですか?」
子猫丸がさらっと燐に問いかけた。
人畜無害な顔をした子猫丸だからこそできる芸当だが、いささかストレートすぎる。
志摩と勝呂は教室の隅ではらはらしながら見つめていた。
(あああ、あかんわぁ子猫さん。やっぱり子猫さんにスパイみたいな真似無理やったんや・・・)
(いや、探ったりするほうが変かもしれんぞ。ここは子猫丸に賭けよう)
子猫丸の言葉を聞いて、燐は持っていたシャーペンを床に落とした。
かしゃーんという音が教室に響く。
(坊、奥村君シャーペン落としましたよ。子猫さんの質問に衝撃でも受けたんでしょうか)
(そんなマンガみたいなことあるか?)
子猫丸は落ちたシャーペンを拾って燐に渡す。
「はい・・・ってなんだか顔赤いですよ奥村君?」
「ん?気のせいじゃねぇ?ああ、悪いな子猫丸、シャーペン落としちまって」
衝撃を受けた様子は無く、いたって普通の様子だ。
強いて言えば、少し普段とは違うといった印象を受けた。
といっても微々たる変化なので、それが何なのかはわからなかったが。
「いえ、それはいいんですけど理事長の・・・」
「理事長・・・ってああ、メフィストのことか」
(ファーストネーム呼びか・・・)
探りを入れるといちいち細かいところに気づいてしまう。三人は嫌な予感でたった鳥肌を撫でながら
燐の言葉を待った。
「なんか奥村君が理事長と会ってるとこ見たって人がいて」
「ああ、あいつに小遣いもらってたんだよ」
神木も燐に対し訝しげな視線を向けている。正直、教室でする話ではない。
「小遣いってなんでですか?」
「何でって言われてもなぁ」
燐は悩んでいた。自分がここに来るきっかけは養父である藤本が死に、メフィストに導かれたからだ。
クラスメイトに自分がサタンの落胤であることなど言えないし、そうするとメフィストとの関係もどう説明すれば
いいものか。この状況を説明するために後見人という便利な言葉があるのだが、燐の頭の中には入っていなかったし
浮かんでも来なかった。
そんなわけで、燐は今の状況をありのままに説明することにしたのだった。
「俺、あいつに養ってもらってるし」
「は?」
クラスメイト一同、声が揃った。
「この間もあいつに遊ばれたし信用ならねー奴だけど、我慢しねぇと暮らしていけないしな」
「ちょ、ちょっとあんた一体なにいって・・・どういう関係なわけ?」
きっと雪男がここにいたなら「ただの後見人ですから!ただの後見人ですから!!」と叫んでいたことだろう。
その雪男は今、授業用のプリントを作っているためここにはいない。
三人は確信した。もう聞かない方がいいだろう。
「神木さん、授業はじまるから静かにしような」
「はぁ!?なに言ってるの!?あんた達が言ったんでしょ!」
「静かにせい。人には突っ込んだらアカンこともあるで」
燐は神木、勝呂、志摩の言葉にきょとんとしていた。
「子猫丸、なんか俺まずいこと言った?」
「いいんです、奥村君、気にせんといて下さい。いいんです、いいんです・・・」
子猫丸が目頭を押さえて勝呂たちのところへ帰っていった。
遅れて教室にやってきたしえみはどんよりとした空気の教室に引いた顔をしたし、
唯一ツッコミができる雪男はやっぱり教室にやってこなかった。
次の授業が聖書学だったことが勝呂たちの敗因だったかもしれない。
「で、だ。このことって奥村先生の方は知ってると思います?」
「知らないんじゃないですかねぇ・・・」
実の兄が援助交際してたとか、そんなヘヴィなことを知っていたら弟の方は間違いなく止めていると思う。
と、いうことは兄の方は弟の方に何もいっていないし、
弟を雇っている理事長の方もなにも言っていないのだろう。
「弟の雇い主は兄とできていました・・・ってどこの昼ドラやこれ」
「まさに事実は小説より奇なり、ですね。」
三人は寮の部屋でうな垂れていた。燐は明るく笑って答えていたが、あの笑顔のウラにあんなことやこんなことが隠れていたのか。
人間って怖いな。としみじみ実感する。
実際そんなことがあれば燐はメフィストを青の焔で殺害する勢いで拒否するだろうが、勝呂達は燐の事情を知らないので
こんな過大妄想めいたことになってしまっていた。世の中知らないことのほうが怖いのである。
「結局、あの双子はお金が足りないってことですかね?」
「先生のほうは奨学金で来ているし、講師としての収入もありそうなもんやけどな」
「あ、でも先生のほうって財布の紐が堅そうやしなー」
「でも待て、そもそもあいつらってどうやって暮らしているんや?兄弟だけで暮らしているんか?」
勝呂には住職である父親がいるし、その弟子である志摩と子猫丸も住職の下でお世話になった。
他のクラスメイト達のお家事情など知る由もないし、だいたい祓魔塾に来るような人には
それなりの過去があるものだ。聞くのも憚られる。
「でも、先生には言った方がいいと思うんです」
子猫丸が意を決したように言った。勝呂と志摩も決心は同じだ。
もし、確認をして間違いだったらそれでもいい。というか弟のほうから
「兄さんはそんなことしてませんよ」
という言葉があれば万々歳だ。
このままじゃ、燐を見るたびにもやもやした気持ちになってしまう。
悪魔薬学の授業にだって集中できない。
「よし、いくか」
「奥村先生まだ教員室にいますかね?」
「おらんかったら旧男子寮にいけばええですよ」
「奥村いそうやけどな・・・」
「・・・・・・」
「いやいやいや!ゼンブ間違いかもしれないですし、どんよりせんといきましょ!」
足取りは重いが、目指すは奥村(弟)のいる所。
「援助交際」
一時的な交際の対価として金銭の援助を受ける行為そのものを指し、
また必ずしも性行為は伴わない。
勝呂は学校から塾へ行く途中、志摩達と別れた。
ジュースを買おうと思ったからだ。
売店には気に入るものが置いてなかったので、ちょっと足をのばして普段使わない自販機のところまで行った。
いつもなら絶対によらない道だったのに、この日に限って通ってしまった。
事件とは大体こういうときに起こるもので、後悔とは後から悔いるから後悔と書く。
思い返せばこの時が分岐点だったのだ。
未来の勝呂がいたならば、まっすぐ塾に行けと警告できたのに。
自販機にコインを入れ、ボタンを押そうとしたときカラフルな柄が視界に入った。
十字学園と寮を繋ぐ渡り廊下の前だったので、普段見ない色が気になったのかもしれない。
色のある方向に目をやると、ピエロの格好をした男と、十字学園の制服の男子がいた。
「あれは、奥村と理事長か・・・?」
奥村は確か理事長の口利きで特別入学したらしい。
奥村の入学経緯について納得はしていないものの、本人に対してはある程度認めてきている。
いやしかし、こんな金持ち学校の理事長と渡り廊下で話すなんて一体あいつは何者なのか。
「今月の分ですよ奥村燐君」
理事長が茶封筒を渡し、それを受け取る奥村の姿が見えた。
奥村の表情は不機嫌そうだ。
「この前はよくも遊んでくれたな」
「二千円札なんて斬新だったでしょう?」
「しるか」
「おや怖い」
「遊びじゃなくてこっちは真剣なんだからな」
理事長を見る奥村の顔が真面目だった。あいつのあんな表情はじめてみた。
茶封筒を受け取った奥村は、用はないとばかりに去ろうとする。
が、理事長が奥村の腕を掴んで引き寄せて・・・
「は・・・?」
引き寄せてというか、抱き寄せてというか、はっきり言うと二人の口がくっついてというか。
(は、はああああああああああ!???)
驚きすぎて声すら出なかった。思わず押した自販機のスイッチ。
出てきた味は「濃厚ミルクサイダー」だった。
まずそうだ。いや、今の状況はいろんな意味でまずい。それなのに自販機からは間抜けな声で
ルーレットチャンス、あたりが出たらもう一本。などとほざいている。いっそぶっこわしてやろうか。
奥村は弾かれたように理事長から離れていった。
理事長はニヤニヤ笑いを浮かべて去っていく奥村の後姿を見つめた後、鼻歌を歌いながら校舎の中に消えていった。
奥村のセリフが頭の中に響く。
「この前はよくも遊んでくれたな」
「こっちは真剣なんだからな」
あのセリフはどういうことなのだろうか。
「援交・・・なんてそんな。はは、あいつ男やもんな」
電子音を響かせていた自販機が「大当たりぃ」と間抜けな声を響かせた後、ジュースを吐き出した。
出てきた味は「初恋の味レモン水」だ。
やっぱりこの自販機ぶっこわしておけばよかった。
塾へ行っても勉強はできなさそうだ。
「最近の援助交際って男の子でもやるんやなぁ」
志摩がワンセグで表示されたニュースを見ながら言った。
まだ塾が始まるまで時間がある。今は高校で言えば放課後にあたる時間だ。
塾の教室にはまだ三人以外に人は来ていない。
最近暇つぶしに三人で志摩の携帯を使って番組を見るようになった。
ワンセグには「揺れる日本の社会!援助交際の実態」
といった夕方のニュースにありがちなドキュメンタリー式の番組だった。
顔をぼかしてはいるが学ランを着た男子高校生がテレビに映る。
制服でたら見る人が見たらわかるんじゃないですかねぇと子猫丸が呟いた。
男子高校生は家出中、一時の宿を得るために携帯電話で「泊めてほしい」との旨と、
プロフィールを援助交際のサイトに書いたところ一日で20件もの申し出があったという。
しかもその中のほとんどが男からのメールだというから驚きだ。
男子高校生はその中の一人と実際にあって、家にも泊まったらしい。
泊まった時になにがあったかなどの詳細はぼかされていたが、見てるこっちが邪推する程度のことはあったのだろう。
未成年を食い物にする社会はいけない、というありきたりな締めで番組は終わった。
番組を見終わった後、勝呂はなんともいえない気分になった。
「この学園でもあるんですかね?」
子猫丸が言うとすかさず勝呂が否定した。
「あるわけないやろ!」
否定したところで、メフィストと燐のやり取りが頭に浮かんだ。いや、違う。ありえない。ありえない。
「そうですか?案外やってる奴おりそうですけどね」
「志摩も何いいだすんや」
「だって、ここお金持ち学校でしょう。ブランド力あるし、男女ともに食いつく大人はいくらでもいそうですけどねぇ」
「なんやそれ、ありえへんわ。だいたい、男同士やろ・・・」
強面の顔をさらに歪めて、勝呂は唸った。
「まぁ世の中には坊みたいな強面を好きな大人もいるっちゅうことですよ」
「そんな情報いらんわ!気色悪い!」
「でもそれでいうと奥村君みたいな人は好かれそうですね」
子猫丸の爆弾発言に勝呂の顔が一気に青ざめた。頭の中にまたメフィストと燐のやり取りが浮かんだ。
停止する勝呂を尻目に、子猫丸と志摩の話が進む。
「ああ、奥村先生も奥村君もかわいい顔してはるもんね」
「僕、ネットで十字学園をネタにした掲示板にアクセスしたことあるんですけど」
「ふうん、そんなのあるんやねぇ」
「この人の情報モトム!っていうので奥村君と先生の二人が写ってる写真がありましたよ。勿論削除申請しときましたけど」
「うわ、本格的やな。奥村ツインズはそのテの人のツボでもついてるんやろか。どんぶり狙いとかタチ悪いわ」
「第一の興味はやっぱり顔なんですかねー」
「・・・なんか奥村ツインズ可哀想なことになってるってことやん・・・・・・」
手の震えが止まらない。世の中に蔓延る援助交際がまさか、こんな身近で起こっているなんて。
正十字学園はもっと意識の高い人らが集まる神聖な学び舎だと思っていたのに。
その理事長は子供を食い物にする性癖だったなんて。
まじでそういうことなのだろうか。理事長と奥村は。
聖書学のテキストを持ったまま固まる勝呂に、志摩と子猫丸が訝しげな目を向けた。
「坊、調子でも悪いんですか?」
「なんか悩んでいるなら相談に乗りますよ?」
志摩と子猫丸の言葉に甘えるべきか。勝呂は悩んだ。これは自分ひとりの問題ではなく奥村兄弟にも
関わってくるから。いや、でもクラスメイトが間違った道に進んでいるならば、それを止めるのもクラスメイトの役目ではないだろうか。
決心した勝呂は重い口を開けて二人に自分の見たこと、その詳細を打ち明けた。
「あのな、奥村が・・・」
話した後、志摩は大笑いしたし、子猫丸は苦笑いしていた。
しかし、勝呂の顔が大真面目だったことから事の重大さに気づいた二人の顔は、見る見る青く染まっていった。
「嘘でしょう・・・」
「嘘やったらよかったわ」
あの時、あの自販機にいかなけりゃこんなことにならなかったのに。
濃厚ミルクサイダーを飲んだ。吐き気がする。
こんなまずい味生まれて初めてだ。