青祓のネタ庫
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燐は安心していた。
藤堂は倒したし、学園の瘴気もなんとかなった。
極めつけのアスタロトに関しても、どうにかなった。
後、燐にできることと言えば休息を取ることくらいだろう。
貧血と怪我でへとへとの燐も、病院で点滴を打ってもらい横になっているだけで随分とよくなってきた。
悪魔の治癒力も、回復を助けているのだろう。
燐は、ベットから起きあがった。周囲には人はいない。完全な個室だ。
燐の体質状仕方ないことだが、誰もいないのは少しだけさみしかった。
藤堂のことを思い出す。藤堂は、最期まで一人だった。
燐は、一人きりにはもう戻りたくなんてない。
二人の選択の結果の果てに、今があるのだろう。
あんな最期は、迎えたくない。それは確かだ。
燐は、もう一回横になった。
あんなにひどかった立ちくらみももうしない。
でも、暖かいベットに眠気が沸いてくる。
少しだけいいかな。燐は目を閉じた。
次に目を開けたときには、誰かがいたらいいな。
そんなことを思いながら。
どすり、と腹に重さを感じて、燐はもう一度目を覚ます。
見れば、ピンク色のもふもふが腹の上に乗っかっているではないか。
「メフィスト・・・?」
呼びかけたら、犬は顔をあげた。マスクをしていた。
犬ってマスクつけれるのか。病院に動物が入っていいのだろうか。
疑問に思っていると、目の前が煙で包まれる。
燐の腹の上には人型のメフィストが乗っかっていることになった。
目元が赤いし、なんだかずびずびと鼻を鳴らしている。
いったいどうしたのだろう。
でも、どうでもいいから退いてほしい。重い。
「重いんだけど」
メフィストに訴えても、メフィストは動かなかった。
それどころか血走った目で燐の顔の横に手を置いて、覆い被さってきた。
端から見れば、押し倒されているような。そんな体勢。
メフィストはがし、と燐の顎を掴んで、口を開けるように訴えてきた。
というか、無理矢理に開けさせられた。すごく痛い。
メフィストは医者がするかのように燐の咥内をのぞき込んできた。
「いひゃい!いひゃい!!」
「・・・・・!?」
メフィストが驚いた表情をするが、もう構ってられるか。
燐は腕を振りかざしてメフィストを殴ろうとした。
メフィストは燐の両腕を捕まえて、ベットに押さえつける。
足はメフィストの体が乗っているので振りあげることもできない。
「ど、どうしたんだよ・・・?」
燐の抵抗を封じて、何をしようと言うのか。
メフィストは、ようやく重い口を開いた。
「こんの、阿婆擦れが―――!!」
ばしーんと燐の頬をぶち殴る。
一応、平手打ちなので手加減はしたのだろう。
燐は、呆然とした。こいつ、意味がわからない。
「あばずれってなに・・・」
「わからないままの貴方でいて欲しかったですけど!
私は貴方をそんな尻の軽い子に育てた覚えはありません!」
「俺はお前に育てられた覚えはない!」
「そうですけど!そうですけど!」
「落ち着けよ、お前がなに言ってるのか全然わかんねーよ!」
「だまらっしゃい!アスタロトのお手つきにされておきながら!何がわからないですか!!!」
お手つき、と言われてもそれが何を指すのだろうか。
メフィストは、指を鳴らして手鏡を出現させた。
燐の舌を掴んで、引っ張り出す。すごくいたい。
鏡の前に映し出されたのは、舌の上に小さな円が出現している光景だった。
「にゃにこれ」
「私に許可もなく、アスタロトと契約した証ですよ」
「けいやく?」
「そうです、アスタロトと血を交換したでしょう。全く貴方は簡単に騙くらかされて!!!
私のアレルギーが悪化したら間違いなく貴方のせいですよ!!!」
血、交換。と言われて思い浮かんだのは。
アスタロトにキスされたこと。そこで、相手の血を飲み込んでいる。
といっても、あれは憑依されている人間の血じゃなかったのだろうか。
血、を交換。と考えて、燐は顔を青ざめさせた。
「あ・・・そうか、アスタロトが帰るとき俺の血うれしそうに持って帰ったのって・・・」
望外の喜びです。これから何度でも参ります。とアスタロトは言っていた。
このことだったのか。燐はそんな契約のこと全く知らなかった。
説明は全くない。アスタロトは一言だってそんなこと言わなかった。
完全に騙しの手口じゃないか。
「お呼びですか、若君?」
がちゃりと扉が開いた。
そこには、男子生徒もとい、白鳥零二の姿が。
背後にはコールタールが沸いている。
またアスタロト取り憑かれたのか。
こいつ、悪魔に何度も取り憑かれるなんてどこまで性根が腐っているのだろう。
メフィストは傘を広げて、部屋を区切るようにして結界を張る。
同時に、大きなくしゃみをした。アレルギーというのは本当のようだった。
燐は頭を抱えた。せっかく、どうにかなったと思っていたのに。
一番やっかいな奴が残ってしまうなんて。
「若君、体調が優れないのですか?虚無界に帰りますか?」
「いや、どうしてそうなる!なんでお前ここにいるんだよ!」
「若君と私は主従の契約を結んだのですから、呼ばれれば出向くのは当然かと・・・」
燐の舌に記された刻印は、アスタロトを召還するための魔法陣だ。
勝手に契約させられて、勝手に出てきて。
悪魔というのは心底自分勝手にできているらしい。
「奥村君が名前呼ぶからでてきたじゃないですか!!!ぶえっくしょーい!!」
「汚ェな!くしゃみはよそでしろよ!俺はそんな契約聞いてない!」
「一応、私はお怒りになるかもしれませんがお許しを、とは言ったのですが・・・」
「あれはそこにかかっていたのか!?悪魔ってみんなそうなのか!?なぁメフィスト!」
「まぁ大抵そうですね。じゃあ、奥村君舌出してください。ぶった斬って刻印消して、契約破棄して差し上げますよ」
「え・・・斬るの?舌を?」
「はい、貴方悪魔なんですし回復しますよね。はいじゃあ口開けて」
「若君を傷つけることを見過ごすわけにはいかない!若君、さぁこちらへ!!」
アスタロトは部屋に張られた結界に阻まれて燐のそばに近寄ることもできない。
結界に張り付いて、どんどんと結界をたたいている。
若君、若君と焦ったような声だ。
「奥村君、あんな性根の腐った奴についていく訳ないですよね!さぁ早く!!!」
「え、えー・・・」
究極の選択だ。
このままメフィストといれば閻魔大王もびっくり。
舌を引っこ抜かれてしまう。
いくら悪魔の回復能力があるからといって、痛いものは嫌だ。
それに、料理の時に舌が馬鹿になっていたら目も当てられない。
じゃあ、アスタロトのところへ行くか?答えは否だ。
なんだかんだと騙されて、アスタロトの都合のいいようにされている経緯がある。
なんだかんだで虚無界まで連れて行かれそうな気がしてならない。
選べるわけがなかった。
そんな燐にじれたのか、メフィストが燐を無理矢理に自分の方へと引き寄せた。
顔をあげさせて、視線を合わせられる。
嫌な予感でいっぱいだ。悪魔のこのパターンからいくと。
「じれったいですね、キスして噛みちぎって差し上げますよ」
「ぎゃあああ!嫌だーーー!!」
一日に、二度も男にキスされるなんて地獄以外のなんでもない。
燐が好きなのは大人っぽくてエロいお姉さんだ。
しかし、どうして悪魔は身体的接触が好きなのだろう。
燐の唇は悪魔の契約の為にあるのではない。と訴えたかった。
「・・・ッ待ってくれ!!」
アスタロトが叫んだ。
燐が傷つけられる光景を黙ってみていられなかったのだろう。
アスタロトは、苦渋の表情で告げた。
「契約を破棄すればいいのだろう。私から失効すればいい。そうすればその刻印は消える」
「ほう・・・いいのか?悪魔が一度決めた契約を破棄することはなによりの屈辱だというのに?」
「若君が傷つけられるより、ましだ」
「お前・・・」
アスタロトは、真剣な眼差しで燐を見つめる。
そんな目で見つめられたことのない燐は動揺を隠せない。
それは、燐が今まで受けたことのない感情だった。
「若君、私が貴方にしたことは確かに貴方にとっては不本意なことだったでしょう。
しかし、私はそうせざる負えなかった。無理矢理にでも、貴方と契約を結びたかった」
「なんでだよ」
燐は問いかける。アスタロトは、その場に跪いた。
「貴方の側に・・・いたかったからです。貴方がいれば、対価などいらない」
それだけです。と呟いた。
メフィストはそれを聞いて大笑いする。
「ははは!傑作だ!八候王ともあろうものが、まるで人であるかのようにものを言う!
やはり、貴方はおもしろいですね奥村君!最高だ!!」
悪魔との契約には、対価が伴う。
古来より契約により悪魔は力を執行してきた。
しかし、この悪魔は古来よりのしきたりを。
悪魔の本能を無視して。
対価を要求しないと。
契約すら破棄してもいいという。
「感情」は、「対価」を伴わない。
悪魔の心に生まれたものは、燐を慕う心だった。
悪魔への対価を、必要としない心だった。
「叶うことなら、これからもお側に」
アスタロトは、腕を振った。ばきん、という音がして、部屋の中の結界が破れる。
契約を破棄した時の衝撃が、結界を破ったのだろう。
燐は、舌が熱くなる感触がした。
いそいで鏡で確認すれば、刻印は消えていた。
契約は失効されたのだ。
契約のないアスタロトは、まもなく虚無界へと帰るだろう。
召還の魔法陣が消えれば、悪魔は消える。
アスタロトは、自分の手に噛みついた。
意識を失わないようにしているのだろうか。
ふらふらとおぼつかない足取りで燐のベット際まできて、その場に座り込んだ。
「おまえ・・・」
「また、会いに・・・きます」
そういって、アスタロトは消えた。
あとには床に倒れ込む白鳥零二だけが残されている。
燐はなんともいえない気分になった。
メフィストは、それを見てため息をつく。
「あなたも、罪な人ですね」
燐にはそういうつもりなんてさらさらない。
悪魔は消えたから、これでようやく今回の騒動は終結したのだろうか。
しかし、これだけ騒いでも誰も来ないなんて外は大丈夫なのだろうか。
燐は疑問を口にした。
「ああ、私が面会謝絶って扉に張ったからですよ」
「・・・それでか。ってかこいつも入院してたんじゃねーのかな。
気絶してるし、運ばないといけないっぽいか」
燐がベットから降りて、白鳥の体をよいしょと起こした。
気絶している白鳥が、がしっと燐の体にしがみついてきた。
まるで、ゾンビみたいな動きだった。
「と、いうわけで戻って参りました。アスタロトです」
にょっきりと頭から角が生えている。
燐は、呆然とした。
アスタロトは燐を抱えて、素早くメフィストから距離を取る。
見れば、アスタロトの。この場合白鳥零二だろうか、の腕には先ほどの刻印が記されているではないか。
先ほど、腕に噛みついていたのはこの為か。
「ぎゃあああ!出たーーー!!!」
「この!!しつこい風呂場のカビみたいな奴ですね!だから私はお前が大嫌いなんですよ!!!!」
「若君との契約は破棄したが、この人間との契約についてはとやかく言われる必要はない!」
やはり、アスタロトも腐っても悪魔だ。
燐を慕う心が生まれようとも基本的には自分の欲望に忠実に生きている。
というか、燐を慕う心のせいでいささか暴走している気配があった。
燐は、もう解放されたかった。
こんな風に悪魔の騒動に巻き込まれるなんて。
もうこりごりだ。
自分のことでぎゃーぎゃーと言い合いを始めた悪魔に向けて、燐は力を解き放つ。
「おまえ等、もう帰れーーー!!!」
部屋中に、竜巻のように青い炎が巻きあがる。
駆けつけて、ドアを開けた雪男と志摩が見た光景。
そこには、床に正座させられるメフィストとアスタロトの姿があった。
「な、なにがあったんや・・・」
「えーと、とりあえず。兄さんは無事・・・っぽいですね」
志摩と雪男はその光景を燐の怒りがひと段落するまで見つめていた。
その心には、悪がある。
だが、その心は時に対価も凌駕する。
正十字学園男子生徒。一年。
もとい、白鳥零二はクズである。
春先には手下を引き連れて、中学時代に悪魔と名高かった奥村燐を襲撃した。
あの生意気な顔が苦痛と恐怖で歪む。今でもそれを想像しただけで、ぞくぞくする。
あの春に、白鳥は確かに奥村燐の顔が苦痛に歪む顔を見た。
手下に押さえつけさせて、奥村燐を景気よくぶっ殺そうとした時。
その瞬間は、白鳥の中でも人生で一位二位を争うくらい最高の時だった。
しかし、不思議なことに、それ以後のシーンの詳細は白鳥はまったくといっていいほど覚えていなかった。
気がついたら病院にいて。親にうるさく泣かれたといううざったい記憶しかない。
医者や手下に聞けば、どうも錯乱したあげくに記憶を一部分消失しているそうだ。
そのぬけ落ちた記憶の詳細を聞いても、手下は。
「白鳥さん、悪魔みたいで。奥村のこと執拗に追いつめて殺そうとしてたんです」
ということしか出てこなかった。
俺は奥村のことを惨殺することはできなかったらしい。
しかし、追いつめるところまではいったのか。なぜその記憶がないのだろう。
白鳥は口惜しかった。
気に入らない奴の苦痛に歪む顔は正直三度の飯より大好きだから。
春先での出来事は結局親の力と金でもみ消し、白鳥は無事正十字学園に入学している。
同時期に、奥村燐も入学していたことには驚いたが。
金も権力もないあいつがなぜ入れたのかは不明だ。
優秀な弟に替え玉でもさせたのだろうか。
それとも、汚い大人の言うことでも聞いたのだろうか。
どちらにせよ、白鳥が奥村燐のことを気に入らないことは確かであるし不変だ。
あいつをどうやってはめてやろうか。目下の白鳥の目標であった。
しかし、奥村燐は放課後になるとどこかへと消えるように消えていくので、
今の今まで、ちょっかいすらかけられていないのが現状だったのだ。
そうこうしているうちに、学園内に不穏な出来事が起きた。
目の前にいる粒みたいな虫みたいなやつが、学校の生徒を襲い始めたのだ。
春先に入院しているとき、祓魔師とやらが来て、これが悪魔であることを教わっている。
でもこんな風に人を襲うところを見たのは初めてだ。
こいつらは、普通の人間には見えない。なんでも自分は、
この春に魔障とやらを受けた為、見えるらしい。これも、祓魔師に教えてもらった。
クラスの奴らは粒悪魔に気づかぬまま襲われていき、次から次へと倒れていった。
白鳥は粒悪魔をよけながら、一人でさっさと逃げ出した。
途中、全身を毛布で包まれたストレッチャーに乗せられた生徒とすれ違った。
重傷か?はは。いい気味だ。
そのまま廊下を通っていると、隅でうずくまって動かなくなっている女子生徒がいた。
助け起こすこともせず、さっさと通り過ぎる。
学園から出て、設置されている救護テントに行って、空いているベットに横になる。
勿論、怪我などしていない。
だが、いちいち周囲は一人の生徒に構ってはいられない状況だ。
白鳥にとっては好都合だった。
これで、昼寝してても問題ないだろう。
学園の外に出ることも考えたが、外の方にも粒悪魔が充満しているのが確認できた。
祓魔師がいるここのほうが、おそらく安全だろう。
程なくして。白鳥は、意識が遠くなっていくのを感じた。
なぜだろう。この粒悪魔が増えだしてから、なにかの声が聞こえる気がする。
最初は弱々しく。今は、強く。
声が。声が。声が。
俺を呼ぶ。
不思議と、眠りに落ちる瞬間。奥村燐の顔が浮かんだ。
あいつは血塗れで、苦痛で顔が歪んでいた。
いい夢が見れそうだ。そんなことを期待しながら、白鳥零二は眠りについた。
そして、現在気がつけば。
白鳥は正十字総合病院の一室に入院している。
どうも身体の節々が痛い気がする。あと、謎の夢も見たような。
奥村燐の顔が、浮かんでは消え。
夢の中で奥村燐と自分は・・・キスのようなことをしていなかったか?
白鳥はそれを思い出して、首を振った。
いや、そんなバカな。俺があいつと。
俺はあいつを殺したいと思ってはいても。そんなことは。バカな。
あいつの唇が結構柔らかかったとかそんなこと思ってなんかいない。
あれは夢だ。
白鳥は口元を拭って、悪夢を振り払うようにして、視線を周囲へ向けた。
病院の個室だ。
ベットと、簡易テレビと冷蔵庫。棚。それくらいしかない。
白鳥は首をかしげた。自分は救護テントで寝ていただけだ。
もしかして、親の力かなにかで大事をとって入院という形になったのだろうか。
腕についていた点滴の針を抜き取って廊下に出た。
何人か、正十字学園の制服を着たままの奴らがいた。
どうやら、搬送されたのはかなりの人数だったようだ。
白鳥が廊下を道なりにあるいていくと、ある個室の前で自然と足が止まった。
入院患者の名前を見る。
『奥村燐』
白鳥の意識は、また途絶える。
志摩は、コールタールの浄化作業を一時中断して、正十字総合病院へ来ている。
藤堂を倒した後、塾生を待っていたのは、学園内の広範囲の浄化作業だった。
あの後、まもなくしてシュラが燐たちと合流した時のことだ。
シュラの服は、ぼろぼろだった。声も疲れている。
「おー、親玉は倒したみたいだにゃー」
「シュラさん、どこに行ってたんですか?」
雪男が質問すると、シュラが雪男たちに鋭い視線を向けた。
「どこ?だってよ!おまえらな!アタシは言ったよな!!魔法陣を破壊しつつ、燐を捜索しろって!
魔法陣の破壊が中途半端だったおかげで、こっちは一人で陣を壊しまくってたんだぞ!」
旧校舎が倒壊したため、魔法陣の捜索と破壊は中途半端だった自覚は雪男たちにはある。
シュラはあの時、出来る限り外を見て回る。と言っていた。
そう、校舎の外にも、魔法陣は大量にあった。
壊された校舎の中でも、壊れずに存在している陣もあったのだ。
だから、アスタロトは物質界に存在していた。
燐を拉致することにかけては藤堂並に燃えている悪魔。
正直二度とお目にかかりたくない。
「あ・・・そうか、アスタロトが途中で消えたのって」
「アタシが陣全部壊したからに決まってるだろ!おまえ等全員爪が甘い!
罰として、ここら一帯の浄化作業は塾生だけでやってもらうからな!
覚悟しとけよ!」
ふん、とシュラが言ったところで、燐が手を挙げた。
「シュラ」
「なんだ」
「お・・・れ、もうギブアップ・・・」
燐が卒倒した。
当たり前だ。
血は限界まで抜かれ、藤堂との戦闘をこなし。
あげくアスタロトを追い返すとこまでやった。
いくら燐の体力が宇宙だといっても、限度がある。
この上、浄化作業までやってたら確実に寿命を削る。
燐は悲鳴を上げる身体の言うことを素直に聞いた。
もう無理。
あわてたのは雪男たちだ。
「ちょ、兄さん!まずい口からなんか出てる!!顔が土気色だ!!病院連れていかないと!」
「あかん、奥村しっかりせえ!!」
「・・・燐はいいわ。おまえ等だけで浄化作業やれ」
そうして、燐は病院にかつぎ込まれた。
燐の体質は特殊な為、個室で治療を受けることになった。
燐を病院にかつぎ込んだ後は、塾生たちは命令どうり浄化作業に従事していたのだ。塾生は燐のことが心配だった。
でも、命令を無視するわけにもいかない。
だから、交代でこうしてお見舞いに来ることにした。
少しすれば、志摩も戻るつもりだ。
雪男も、もう来るだろう。
雪男は燐の家族だ。
雪男は監督不行届きだと言われて、シュラの厳命で浄化作業をしていた。
しかし、燐が落ち着いたらそばにいてもいいとも言われている。
塾生もそれを了承している。家族が怪我しているのだ。
代わってやれることは代わるつもりでいた。
志摩は、燐の病室の前に来る。
さて、あの子は大丈夫だろうか。
点滴を受けてからはずいぶんと顔色がよくなっていた、と先に見舞に来た勝呂が言っていた。
志摩は、病室の名前を確認して、扉を開けようとした。
が、できなかった。
扉の前には、あるプレートが張り付いていた。
『面会謝絶』
志摩は、絶句する。どういうことだ。
勝呂が見舞いに来て、志摩が交代でここにくるまで、そう時間はたっていない。
その間に容態が急変したとか?
バカな。志摩は、扉が開かないかひねってみたが、開かない。
鍵がかかっている?そんな。そこまで悪いのか。
扉に耳を当ててみれば、中からは機材が動く音と怒号が聞こえてくる。
志摩の顔が真っ青になった。
燐は、大丈夫だと思っていたのだ。
彼は悪魔だから、傷の治癒が早い。今回も、無事だった。
そこに、甘えはなかったか?
志摩は急いで携帯を開いた。扉が開く気配はない。
数コールの後、相手が出た。
『もしもし?』
「先生!奥村君が・・・!!」
『志摩君?え、兄に何かあったんですか?』
「今ッ・・・今、奥村君の病室の前におるんですけど、面会謝絶ってあって!」
志摩の混乱した声が、雪男に届く。
声色を聞いて、雪男もただ事ではないと悟った。
「今行きます!」
面会謝絶、と書かれたプレートの扉が開いた。
別に、中から医者が出てきたとか機材が搬出されたとかいう訳ではない。
雪男が鍵を使って、一直線に病院へと飛び込んできたわけだ。
その証拠に、雪男の背後には青い空と旧校舎の瓦礫があった。
ぽかんとした出雲の顔も隙間から見えた。扉は一瞬で閉められる。
「ぎゃあああああああ!!出たーーー!!!」
「それよりも、今の話本当ですか!??」
雪男もかなり焦っているので余裕がない。
たぶん、自体に気づいた仲間は後から来るだろう。
ただ、いくら急いでるからと言ってなにも、その病室の扉から出現することはないとは思うが。
雪男がもう一度問いかける。
「志摩君、兄は?」
「た、たぶんこの扉の中に・・・」
志摩が指し示した扉を、雪男が開けようとする。
がしゃん、という音が部屋の中から響いてきた。
曇りガラスの向こうに、青い炎が光って消えた。
「兄さん!!」
「奥村君!!!」
返事は返ってこない。
扉は、閉まったままだ。
人が悪魔の力を得るには同等の対価が必要だ。
古来より人は悪魔の力を得ようとさまざまなものを供物として捧げてきている。
曰く。鶏、動物の死体。毒草。しゃれこうべ。そして、処女。
生け贄の山羊といえば、定番だろうか。
それらを悪魔へと捧げ、召還者は悪魔の力を行使した。
そう思っているのは人間だけかもしれないが。
悪魔は甘言を言って人をたぶらかし、自分の思うように人を操る。
それは召還者に対しても同じことだ。
悪魔の言葉に乗せられて、命を奪われた人は数知れない。
対価を。悪魔は言う。
悪魔の力を使っておきながら、なにもなしとは言わせない。
悪魔は人に微笑んだ。
燐は、やられた。と思った。
アスタロトは最初からこれが狙いだったのだ。
燐に話しかけてきたことも。最終的には自分の望みをこちらに飲ませるために仕掛けてきたことだった。
アスタロトを召還するにあたって燐がやったことといえば、呼びかけに答えたことだ。
召還の魔法陣や血はすべて藤堂がお膳立てしている。
なにも、アスタロトを召還しようとしてしたことではないとはいえ、
藤堂の行為で悪魔は物質界へ干渉する力を得た。
そのタイミングを悪魔は逃さなかった。
悪魔は、意識もおぼろげな燐にささやいた。
およびください。と。
力になります。と。
燐はみんなを助ける力が欲しかった。
呼べという悪魔。招く召還者。利害が一致した瞬間。
悪魔は力を行使する。
そして、その分の対価を要求してきた。
鶏でもなく動物の死体でもなく。毒草、しゃれこうべでもない。
ましてや処女や生け贄の山羊でもない。
悪魔の世界への、帰還。
古来から続く契約への対価をアスタロトは要求する。
「このまま若君をこちらに残して帰るわけには参りません。さぁ行きましょうか」
「ちょっと待て!ストップ!!降ろせ!俺を降ろせ!」
「できません」
アスタロトはどんどん雪男たちから距離をとろうとする。
止まれ、と燐が言ったことでようやく足取りが止まる。
遠ざかっていた雪男の顔が近づいてきた。
顔色が真っ青だ。そうだよな、いきなり虚無界行きが決定しそうになったのだ。
心配しないわけがない。
「いったいどういうことなんや奥村!」
同じく駆け寄ってきた勝呂も焦った声で燐に問いかける。
燐が答えようとして、それをアスタロトが遮った。
「どうしたもこうしたもない。若君の御身を貴様等に任せておくわけにいくか。
現に見ろ。若君はこんなにも傷ついておられる。
それをしたのは悪魔堕ちした元人間だ。
これ以上人間に若君を傷つけさせるわけにはいかない」
「待てって!俺は虚無界に行く必要なんて・・・」
燐が言おうとしたところで、ぐらりと意識が揺れた。
まずい。藤堂を倒したことで気が抜けたのか。貧血が一気に襲ってきた。
アスタロトの腕の中でぐったりとした燐を見て、雪男が声をかける。
「兄さん、意識を持って!召還者が意識を失えば、悪魔のいいなりになってしまう!」
燐は雪男の声で、なんとか自分を保った。危ないところだった。
アスタロトは、痛々しい目で燐を見る。
アスタロトが燐を心配することは本当だ。
そして、燐を救うやり方が間違っているとは、アスタロトは思わない。
悪魔は自分の欲求に忠実だ。悪魔の欲求は悪魔自身の正義となる。
それが間違いだとは露ほども思わない。
それが悪魔と人間の違いだ。
「対価をなくすならば・・・ここら一体をすべて汚染し直しましょうか。
先ほど払ったコールタールを戻せばたやすいことです。
私が満足するまで壊せば、大人しく虚無界へと帰りましょう。
お迎えにはまた後日伺わせて頂き・・・」
「そ、それはだめだ!」
「では、ご一緒に帰還致しましょう」
「それも無理!」
「ではどうしろと」
燐が逃げようともがくのを、アスタロトは逃さない。
雪男たちも、なにかを言おうとするが、言えば言うだけドツボにはまりそうだ。
悪魔に言質を取られれば、なし崩し的に燐を浚われかねない。
燐が行かなければ、ここら一体は汚染される。
おそらく大勢の人が死に、町も死ぬ。
では、このまま燐を虚無界へと向かわせるのか?
答えは否だ。燐一人に背負わせるわけにはいかない。
雪男たちは覚悟を決めてアスタロトに武器を向けた。
相手は八候王。正直勝てる相手ではない。
それでも、仲間を見捨てることは、できなかった。
「兄を離してもらおうか」
「奥村一人で背負わせたりせえへんで」
雪男たちも譲れないものがある。
アスタロトにも譲れないものがある。
アスタロトはおもしろい、といった風に片手を挙げる。
その手にコールタールと瘴気が集う。
瘴気は毒と同じだ。人間が吸えば、死んでしまう。
燐は双方をみた。
自分を守るといって虚無界へ行こうと誘う悪魔。
自分を見捨てはしないといって、命を省みずに戦おうとする仲間。
「お前等、ちょっと待て!!!」
燐はアスタロトを炎を纏っておもいっきり殴りとばした。
地面にアスタロトもろとも倒れこむ。
正直、貧血の身でやるにはつらい。
けれど、燐にも譲れないものがある。
燐は、ふらふらとしながらも誰の手も借りずに立ち上がった。
アスタロトと、仲間の間にたって。言い放つ。
「おいアスタロト」
「なんでしょう若君」
「対価とか言ってたよな?それ。もう一回言ってくれ」
「悪魔の力を得るには同等の対価が必要です。
私の力の行使への対価に私とともに虚無界へお帰りください」
「断る」
燐ははっきりと言った。アスタロトは目を見開く。
「それは、『人』の場合だよな?俺はもう人間でも、ましてや悪魔でもない。
だからお前の要求は断る!!!」
悪魔と人との契約に、自分はあてはまらない、と言い放つ。
燐の立場はかなり特殊だ。魔神の落胤で青い炎を継いだ唯一の存在。
それなのに人間とともに生きている。
純粋に人間、とは確かに言いがたい面がある。
ただの人間ならば八候王に傅かれたりはしないだろう。
それはアスタロトが証明している。
古来より、悪魔の甘言に乗って死んだ人間はごまんといる。
しかし、悪魔を説得して操った人間だって少数だが存在している。
要は召還とは悪魔と召還者側の主導権の奪い合いなのである。
勝呂は、思わず呟いた。
「奥村、以外と横暴やな・・・」
「・・・否定できないのがつらいです」
雪男も否定はしなかった。
アスタロトはにやりと悪い顔をして答える。
「フフフ、それでこそ我が君。このまま反論がなければ本当にお連れするところでしたのに」
「てめぇ、俺を試したのか」
「滅相もない。私は若君を信じておりました」
「この悪魔」
「褒め言葉です」
つまり、最初からふっかけてやがったのか。
いけしゃあしゃあとこいつは。と燐の額に青筋が浮かぶ。
いや、乗せられてはだめだ。我慢だ。
燐が深呼吸をしたところで、アスタロトは少し困ったように燐に告げた。
「では、他に対価はいただけないということでしょうか?」
「あー。そうだな・・・なにもないっていうのもなんだし。これやるから帰ってくんねぇ?」
燐はあたりを見回して、がれきの隙間に転がっていた瓶を拾った。
それは、藤堂が燐から無理矢理奪った血が入っている。
救急車の爆発を紛れたいくつかが、転がっていたようだ。
燐はすまなさそうにアスタロトにそれを渡す。
アスタロトの顔が喜色ばんだ。
「いただけるのですか?」
「え?ああ。これでよければ」
「対価として、頂きましょう。望外の喜びであります」
「まじで!よかったー!じゃあはやいとこ帰ってくれ!」
「承知致しました。・・・若君」
「なんだよ」
「お慕いしております。また、お会いしに参ります」
「いいよこなくて」
「これから、何度でも参ります」
「・・・いいから帰れ!」
なにかを言おうとしたアスタロトが、ぼしゅ、と音を立てて消えていった。
生徒から離れた黒い影が消失していく。
生徒は、どさりとその場に倒れ込む。雪男が急いで生徒の状態を確認した。
顔色は悪いが息はしている。入院する必要はあるだろうが、命に別状はなさそうだ。
藤堂も消え、悪魔も去った。
終わったのだ。
燐は耐えきれずにその場に倒れ込んだ。
ぎょっとした雪男たちが駆け寄ってくる。
「だいじょうぶ、生きてるよ・・・」
燐がひらひらと右手を振った。その様子に安心したのだろう。
みんな、その場に座り込んでしまった。
「一時はどうなるかと思ったわー」
「ほんまですね。でもみんな無事でよかった」
「燐、怪我大丈夫なの?」
「あんた、無茶ばっかりするんだから。付き合わされるこっちの身にもなってみなさいよ」
「ほんまや。奥村、お前また無茶ばっかりしおって」
「兄さん、後で覚悟しておきなよ?」
「・・・なんで怒られるんだよー」
燐はふてくされたように転がる。
雪男はそっぽを向いた兄の頭をなでた。
「それだけ、みんな心配してたってことだよ。お疲れさま」
なでられたのが恥ずかしかったのか、雪男の手を払うようにして、燐が起きあがる。
周囲を見回した。
そこには、燐の側にいてくれる仲間がいた。
藤堂は言った。その力は、神父を犠牲にして得た力ではないかと。
確かに、藤堂の言うことにも一理ある。
この力がなければ、神父が死ぬことはなかっただろう。
今でも、燐の雪男の隣にいてくれたのかもしれない。
だが、この力があったからこそ、倒せた敵もいる。
不浄王、そして藤堂もそうだ。
この力を得て失ったものは大きい、だがそれ以上に得たものだってある。
燐の力のことを知ってもなお、見捨てないでいてくれる仲間。
それが、燐の得たかけがえのない大切なもの。
「ありがとな、俺のこと助けてくれて」
燐はみんなに笑いかけた。
「なにいうとんのや、当たり前やろ。
お前が頑張ったからからなんとかなったんや。胸張ってもええと思うで」
「そうだよ!燐!」
「そうやでー、これで先生に殺されんですむわ」
「まぁ兄さんが浚われるのを見逃した志摩君には後で課題をたっぷりとあげますよ」
「ひどいいい!」
「反省は必要ですよね」
「しょうがない奴らねぇ」
みんなとこうして笑っていられるのは、神父さんが俺を生かしてくれたからなんだよな。
瞼を閉じれば、神父の姿が見えた。
瞼の裏の神父は笑っていた。
これでよかったんだよな。
燐は瞳をあけて、目の前の仲間と笑う。
神父さん、俺を生かしてくれてありがとう
今度、墓参りに言ったときに報告しよう。
俺は一人じゃなくなったんだって。
そう思った。
たとえ失ったものがあったとしても。
あがいた分だけ、人は何かを得る。
この手の平に得たものを今度こそ失わないように。
何度だって諦めないであがいてみせる。
燐は胸の奥でそっと誓った。
形勢は不利だった。
藤堂は、不死鳥の名を頂くカルラの炎を身に取り込んでいる。
炎は実体が掴めない。
陽炎のように不確かな赤い炎は、中に青い炎を宿しじりじりと燐を追いつめていく。
燐が、アマイモンと戦ったときのように力を出せれば、違っていただろう。
しかし、燐はあの戦いで我を忘れ、炎を暴走させたことがある。
力を解放するにしても、近くに一般人がいる舞台ではやりにくい。
極めつけは、失血だ。時間がたてば回復するであろうそれも、
藤堂の休む暇を与えない攻撃を受けていればおのずと遅れてくる。
視界が霞んでくる。
戦況は芳しくなかった。
藤堂が、周囲の被害を気にせず炎を撃つ。
まずい、このままの軌道をたどれば、被害が。
「くそッ!!」
燐はグラウンドに避難する一般人にいかないように赤い炎を
鞘をしたままの倶利伽羅で弾いた。
「ほら、よそ見してたら危ないよ?」
藤堂が、燐の背後に炎の塊を投げた。
当たる。と思ったが、コールタールの渦が燐の代わりに炎を受け止めた。
燃えていくコールタールを隠れ蓑にして、
燐の体は強引に旧校舎の教室に引っ張り込まれた。
藤堂から見たら、燐が炎で消失してしまったかのように見えただろう。
藤堂は視線を周囲に巡らせている。
しばらくは、時間を稼げるはずだ。
燐は、自分を廃墟となった教室に引っ張り込んだ人物を見て、ため息をついた。
「アスタロト」
「申し訳ありません、しかしやはりご無理は」
燐の手をとって、アスタロトは顔をしかめた。
体温が低くなっているし、顔色も真っ青だ。
このままいけばそうかからずに倒れるのは目に見えている。
それでも、燐には譲れないものがある。
アスタロトは、今にも藤堂に向かっていきそうな雰囲気があった。
しかし、それではだめだ。
アスタロトのことを燐は心配などしていなかった。
八候王と謳われる悪魔だ、アスタロトはどうとでも藤堂に対応するだろう。
しかし、炎を受けて、この生徒の体がどうなるかはわかったものではない。
アスタロトが憑依している体の持ち主の為にも、アスタロトには後方にいて貰いたかった。
「・・・お前、ここからさっきやったみたいに
あいつの出した炎が一般人にいかないように止めることってできるか?」
「できますが・・・このように弱っている貴方を置いて、人を助けろと言うのですか。
脆弱な人など放っておけばいいのでは」
燐の脳裏に仲間の姿が浮かんだ。
みんな無事だろうか。
雪男。心配していなきゃいいけど。
みんなを守るために、俺は戦っているんだ。
それを再確認する。炎には絶対に飲まれたりはしない。
「やってくれ」
「若君」
「俺は藤堂をやる。だからお前もそれを・・・」
ぐらりと燐の体が揺れた。
アスタロトは燐の体を支えて、その場に座らせた。
壁に背を預けるようにさせれば、燐の口から荒い息がこぼれる。
アスタロトは、少しだけ考えてから答えた。
「・・・わかりました」
「よし。じゃあ藤堂に見つかる前に仕掛けるぞ」
「若君」
「なんだ」
「お怒りになるかもしれませんが・・・お許しを」
燐の顔を上げさせて、アスタロトはそのまま顔を近づけた。
燐は、なにをされるのか。と警戒して腕を突っぱねる。
しかし力の入らない燐の抵抗を押さえるなど簡単だ。燐の手から倶利伽羅が落ちた。
かしゃんという金属が床にぶつかる音が廃墟に響く。
腕を捕まれ、壁に押しつけられた。
左腕は動かない。右手だけでは抵抗もままならなかった。
「お前ッ!なにを・・・!」
燐の言葉は続かなかった。アスタロトは燐の口に噛みついて、その咥内を貪った。
舌を絡めさせて、奥へと進入していく。
燐が入り込むアスタロトの舌を噛もうと牙をたてるが、痛みなど気にせずにアスタロトは燐を蹂躙していく。
ひるんだのは、燐の方だった。
血の味が口に広がって気持ちが悪い。息ができなくて苦しい。
何度も顔を背けたが、アスタロトは口が離れるたびに執拗に燐を追いつめた。
絡み合う二人の唾液が燐の顎を伝って、床に落ちた。
しばらくそうしていると、アスタロトが満足したかのように燐から離れる。
解放された燐は、むせながら苦しそうに空気を取り込んだ。涙目だった。
「こん・・・の!変態野郎!!!」
目の前の相手を、体の持ち主に気にせず殴ってやった。
春先も、この体の主とは喧嘩をしているので、あまり躊躇せずにできた。
手加減は流石にしたが。
怒りからか、燐の体から炎が沸き上がっている。
その様子に気づいて、燐は自分の体を見た。
なぜだか、さっきよりも体が軽い。
「血の気といいましょうか・・・生気を送りました。少しですが、持つはずです」
「おお!さっきよりはマシだ・・・すげぇ!」
が。燐が勢いよく立つと、また倒れ込みそうになった。
アスタロトは素早く燐の体を受け止める。
「やはり、人間一体の力ではあまり持ちそうにありませんね」
「ちょっと待て、お前、生気って・・・まさか」
「ええ。この体の主のをほんの少し。残念ですが私のでは、若君の力と反発しそうなので。
この若者は若いせいか血の気が多いですね。寿命は削ってないのでご安心を」
「・・・」
やっぱり悪魔っていうのは。と燐が思い知った瞬間だ。
燐はアスタロトと距離をおいた。
あんまりこいつを物質界に長居させてはいけない気がする。
そのためにも、藤堂を倒さなければ。
燐は目を閉じた。おそらく、あと一回。
それ以上は燐が持ちそうになかった。
倶利伽羅を持って立ち上がる。
剣を抜くのは最後の時だ。
いくら剣を抜いて炎を出しても、使う方の体が持たなければ意味がない。
アスタロトも立ち上がる。後は、手はず通りに。
「御武運を」
アスタロトは燐の手の平にキスをした。
あまりにも普通にするものだから、あっけにとられる。
一応、もう一回だけ殴っておいた。
「やっぱりお前嫌いだわ」
「私はお慕いしておりますので大丈夫です」
なにが大丈夫なのか全く訳がわからない。
藤堂は、消えた燐の姿を探していた。
青い炎で攻撃してやったが、こんなレベルで燐が倒せるとは思っていない。
どこかに隠れているのだろう。
旧校舎に向けて炎をぶつけた。
燃えさかる火炎が、校舎を飲み込んでいく。
「鬼ごっこよりかくれんぼが好きなのかい」
旧校舎を壊しても、反応はなかった。
やはり、あぶり出すには生きている人間を狙うのが一番かな。
藤堂は先ほどもやったとおり、炎を救護テントがある方角へ向けた。
藤堂は、一般人を巻き込むことになんら躊躇がない。
むしろ楽しそうに特大の炎を向けた。
「地獄絵図が見れるといいなぁ」
炎を扱えるようになってから知った人が焼け焦げるにおい。
それを好むようになったのは悪魔として目覚めたからだろうか。
炎が、グラウンドへと向かっていく。
おそらく燐はこの方角へ現れるはずだ。炎を阻止するために。
藤堂はそこを叩くつもりだった。
しかし。予想ははずれる。
炎を阻止したのは、黒いコールタールの壁だった。
ごうごうと燃え盛る黒い影達。しかし、数が衰えることはない。
燃えるたびに補給されるコールタールは炎を防ぐのに絶好の捨て駒だ。
アスタロトか。
藤堂は舌打ちする。
気配を感じた。そうか。
「後ろか!!」
燐は藤堂の背後で、剣を振りかざした。
左腕で鞘を持ち、剣を抜こうとする。
しかし、一瞬それが止まった。
目の前の藤堂が、赤い炎に変化したからだ。
燐の体はそのまま赤い炎に包まれる。
燐が纏っていた黒衣が焼け落ちてしまった。
まずい。
とっさに、青い炎を身にまとうことで体が焼けることは阻止したが、体を拘束されてしまった。
動けない。
藤堂を倒す、チャンスだったのに。
藤堂は、捕まえた燐をおもしろそうに笑いながら現れた。
「炎って便利だよね。実体なき陽炎という幻影も作り出せる。
そして、形も自由自在だ。剣を抜かなかったのは、途中で気がついたからかな?ほめてあげるよ。」
「てめぇ・・・」
「さっきは血から炎を貰ったけど、今度は全部だ。心臓も、炎も、体も。全部貰うよ」
黒のアンダーの上から、左胸を触られた。燐の体がびくりと震える。
触り方がどこまでも変態臭くて最悪な気分だった。
「君の力の源は、倶利伽羅にあるんだったよね。体の方に心臓はもうないのかな?試してみようか」
ぐっと、力が入る。藤堂の爪が鋭く伸びて、燐の体を切り裂こうとした。
燐は、襲いくるであろう痛みに耐えようと、目を閉じた。
声が聞こえた。
「被甲護身の印!!!」
燐の前に、結界が展開する。藤堂の悪魔の爪が、燐に届く前に弾かれた。
京都で、勝呂達が使っていた明蛇宗の印だ。
下をみれば、志摩と子猫丸が印を結んでいた。
間髪入れずに二人の隣で勝呂が唱える。
「伽樓羅焔 火粉の印!!!!」
燐を捕らえていた炎が、火の玉へと変化し、藤堂を攻撃した。
勝呂家は代々カルラと契約を結んでその力を行使してきた。
カルラとの縁は先祖を辿れば百年以上のつき合いになる。
成功するかは賭だったが、一時的な炎の使役は成功した。
拘束が解けた燐の体が、空中に投げ出される。
藤堂が体制を立て直す前に、別の声が藤堂の名を呼んだ。
「藤堂三郎太、兄をここまで痛めつけてただで済むと思っていたのか?」
雪男の機嫌は最悪に悪かった。額に青筋まで浮かんでいる。
当然だ。家族を傷つけられて嬉しい者などいるはずもなかった。
雪男達は逃げたわけではない。
それぞれに役目を果たすために期を伺っていたのだ。
誰も燐を一人で戦わせようとは思っていない。
祓魔師は一人では戦えない。
全員が力をあわせること。
京都で不浄王に打ち勝った時に得た教訓だ。
雪男はしえみ、出雲と魔法陣を囲んでいる。
それは、コールタールを呼び出すような簡易なものではない。
魔法弾を使用し、見習いとはいえ才能ある手騎士の力を借りて作った特製の陣だ。
しえみ、出雲。雪男は同時に叫んだ。
「「「水霊の水牢!!!」」」
藤堂の体が、水の檻に閉じこめられる。
三人分の力が籠もった檻は京都の時のようにすぐには抜け出せなかった。
カルラの炎を噴出させ、檻を蒸発させる。
壊されることも。想定内。
時間稼ぎが、雪男達の目的だ。
「出番だよ、兄さん!」
空に投げ出された燐を受け止めたのはアスタロトだった。
その連携の見事さに藤堂は舌打ちする。
燐は、藤堂に刃を向けた。
「終わりだ!藤堂!!」
動かない左腕の代わりに倶利伽羅を口にくわえて、右手で一気に引き抜く。
青い炎がその身に宿る。
そのまま、アスタロトの背を踏み台にして空を舞った。
今度は外したりしない。
青炎を宿した倶利伽羅で、藤堂の胸を貫いた。
青い炎がカルラの炎をも取り込んで燃え盛る。
藤堂の体が徐々に崩れ落ちていった。
「なぜだ・・・カルラの炎が、青い炎が・・・・」
「お前の敗因は、炎のせいじゃねーよ」
燐が不敵に笑う。
その顔は苦しそうだが、炎を弱めるつもりもない。
そのまま、一気に焼き付くす。
赤と青が相克し、火の粉が渦を描いて空へと消えていく。
藤堂が、燃え尽きる寸前に、さみしそうにつぶやいた。
「なぜ・・・私は君に負けたんだろう」
藤堂には、家族がいた。
父も兄も家も。最初から憎んでいたわけではない。
尊敬もしていた。大切だった。その気持ちも確かにあった。
それが歪んだのは一体いつからだったんだろう。
例えどんなに憎くても。重くても。
藤堂は捨ててはならなかったものを捨ててしまった。
燐は、大切なものを捨てたりなんかできない。
二人の違いは明確だ。
燐は答えた。
「俺が、一人じゃないからさ」
藤堂は、一人だった。
最期まで、一人だった。
燐の言葉を最期に。藤堂は、燃え尽きた。
燐の声は届いただろうか。それはもうわからない。
助けてくれる仲間がいるということ。
それは、祓魔師になる時に一番最初に教わることだ。
まっすぐな道でさみしい。とつぶやいたのは誰だったのか。
まっすぐな道でも、誰かと歩けば寂しくはなかったはずなのに。
落ちる燐の体をアスタロトが受け止め、地上にゆっくりと降りていく。
一番先に駆け寄ったのは、やはり雪男だった。
「兄さん!!」
「雪男!よかった無事だったんだな!!」
燐に近寄ろうとする雪男を、アスタロトが遮った。
雪男はむっとした顔を向ける。
燐は、まだアスタロトの腕に抱えられたままだった。
降ろせよ、と燐が言うが、アスタロトは言うことを聞かない。
「おい・・・?」
「若君、今回のことではっきりわかりました」
アスタロトは駆け寄ってくる燐の仲間と距離をとろうとする。
行動の意味が燐にはよくわからない。
アスタロトは言った。
「対価を頂きます。若君」
「たいか?」
「ええ、悪魔の力を得るには同等の対価が必要となります。
私を喚びだしてそれでおしまいという訳にはまいりません。
これまで使わせて頂いた力の対価を頂こうと思います」
その言葉は雪男達を。
そして燐をも戦慄させた。
「若君、私と共に虚無界に帰還して頂きます」
悪魔の力を得るならば、同等の対価が必要だ。
悪魔はにやりと微笑んだ。
呼び出すときのコツってなにかあるかなぁ?
勘よ。
と出雲は答えた。
例えるならそうね。
テストで2択問題があるとするじゃない?
マークシートでもいいけど。
それを頭の中で、答えはこれだ。って取捨選択する時に似ているわ。
悩んでいる時に、答えはでない。
答えはね。選んだ時にでるの。
正しくても、間違っていても。結果は選ばないと出ないわ。
あんたは、選べていないのよ。
こちらからの呼びかけに答える悪魔の声を聞きなさい。
あとは、あんたが選んで答えを出すだけよ。
しえみは集中した。
目の前には、コールタールを生み出す魔法陣がある。
燐がさらわれたことを知って、しえみは燐を助けたいと思った。
それには、グリーンマン。ニーちゃんの力が必要だということもわかった。
ニーちゃんがいなければ、自分には何の力もない。
だが、ニーちゃんがいれば、自分は何か人の役に立てる。
手に持った魔法陣に呼びかける。
「おねがい、ニーちゃん!燐を助けたいの!きて!!」
呼びかけに答えるように、魔法陣が光った。
ニー!という声が聞こえる。
以前なら、呼び出してすぐに消えてしまうこともあった。
だが今は、しえみの手のひらでぴょこぴょこと動いている。
しえみは、目の前の、コールタールを生み出す魔法陣を見据えて言う。
「ニーちゃん!お願いウナウナ君で魔法陣を壊して!!」
グリーンマンはしえみに応えて、魔法陣を破壊する。
グリーンマンの腹から生み出された枝が、勢い余って校舎の窓や壁を突き破ったが、
取り壊し予定の建物だ。目をつむって頂こう。
ここから新たなコールタールが生まれてくることはない。
しえみは、周囲を浄化する為、聖水を散布した。
これで、この教室一帯は大丈夫だろう。
他の仲間はどうだろう。
視線を旧校舎の別棟に向ければ、各場所から浄化の光や、攻撃の音が聞こえてきた。
「カーン!!・・・よし、ここは大丈夫や。しかし京都の時といい世話の焼けるやっちゃな!」
「かしこみ申す!!まったく、ここでもないわ!」
「ぎゃああああ、虫みたいなコールタールおったあああ!」
「奥村君が、いそうな所・・・どこやろ。クロやったらわかるんかなぁ」
それぞれに、役目を果たす。
それが最良の道につながると信じて。
しえみも、駆けた。大切な友達を救う為に。
雪男は、魔法陣を2カ所破壊した後。
何か藤堂の居場所に繋がる手がかりがないかと記憶を掘り起こしていた。
「藤堂は、鍵を使っていた。鍵は、扉を使わないといけない。同タイプの扉・・・
でも、スライド式のドアなんてどこにでもあるし・・・」
生物準備室で遭遇したときは、藤堂はドアをスライドさせて閉めていた。
ここ、特別棟は理科。生物。科学など。実験に使う教室だ。
これらの扉は、全てスライド式。
だが、スライドさせて開く扉と言えば、それこそ学校の教室だってそうだろう。
注目すべき点はそこではない気がした。
雪男は、記憶の中で見た光景が、どうにもひっかかっていた。スライド式のドア。
そして、機材に囲まれて血塗れになった兄の姿―――
「待てよ・・・機材?」
そうだ、兄は呼吸器のようなものをつけていた。
あれは、普通の学校にあるものか?
雪男は、思い出す。ストレッチャーに寝かされていた兄の姿を。
導き出される答えはひとつ。
送信者 奥村雪男
みなさん、救急車に気をつけてください!!
藤堂は、兄はそこにいる!
一般人を搬送するために学園に入った救急車。
その中の一台に紛れ込んでいるはずだ。
藤堂は当初救急隊員に紛れ込んで燐を拉致した。
その「患者」を連れても人が不自然に思わない場所といえば、
救急車だ。学園内にあっても不自然ではない上に、移動ができる。
救急車は、後部の隊員が出る扉がスライド式になっている。
鍵は同タイプの扉同士の空間を繋げる。
人工呼吸器のような機材は、救急車に設置されている。
兄を連れて、このまま車で移動でもされたら。
雪男は冷や汗をかいた。
廊下から、見渡せる限り救急車を探した。
止まっているもの。動いて行くもの。
今まさに患者を運び込んでいるもの。
止まっている車が一番怪しいはずだ。
なにか、目印は。
雪男は目を凝らした。
こんな時目が悪い自分を呪いたくなった。
雪男の携帯が着信を告げる。間髪入れずに出た。
「先生!たぶんあれや!!北校舎の一角の止まっとる救急車!周
囲の気配がすごい悪くなっとる。
コールタールが。あと、窓から青い光が出とる!!」
「なんだって!?ありがとう志摩君!」
志摩に全員の旧校舎からの退去の連絡を頼んで、電話を切る。
北校舎が見える、渡り廊下に出ようと階段を下りる。
そこで、なにかに躓いた。負担ならありえないことだ。
この急いでいる時に限って。雪男は眉間にしわを寄せながら階段の踊り場。
床を見た。雪男の足下には魔法陣が。
「しまった!!トラップか!」
気づいた時には遅い。
足下から一気に噴出するコールタール。
とっさに、顔を腕でガードする。
コールタールが噴出する勢いにはじかれて、そのまま渡り廊下までとばされてしまった。
倒れたコールタールが、雪男めがけて襲いかかってくる。
まずい。
雪男は聖水を撒こうとしたが、遅い。
襲いくる衝撃に備えようと、体をこわばらせた。
どこかから声が聞こえた。
来い―――
「・・・兄さん?」
衝撃は、襲ってこなかった。代わりに聞こえてきた誰かの声。
コールタールは、方向を急速に転換させて、空へと舞い上がる。
見上げた空には、いくつもの黒い筋が収束しあい、何かの図柄を描いている光景が。
悪寒がした。
藤堂なんか目ではないくらいの存在がいる。
北校舎の一角から、一際濃い瘴気が舞い上がった。
続けて、爆発音と炎が。
見なくても、わかった。焼けていくガソリンのにおい。
きっと救急車が爆発したのだ。
爆炎と黒い筋。
螺旋を描いて舞い上がる赤と青の炎。
動く影が、筋の中から飛び出してきた。
「―――!藤堂!!」
全身血にまみれた藤堂が、空中から出てきた。
藤堂は、炎の化身であるカルラを取り込んでいる。
空中を舞うように何かから逃げている。
視線の先を追えば、青と黒に包まれた人物がいた。
「兄さん!!」
雪男は声を荒げた。よかった。生きている。
無事でよかった。
見上げた燐の姿は、見たこともない黒衣に包まれていた。
黒のアンダー。制服の黒のズボン。
これは燐が身につけていたものだ。
しかしあの見慣れない黒衣は一体。
マントにも見えるそれが風に揺れる。
燐は、なにもない空中に着地した。
体から青い炎が沸き上がる。
黒衣が揺らめく。
目は、どこかうつろだ。
「・・・兄さん?」
雪男の声は届かない。
地響きが聞こえる。足下が揺れる。
見れば、校舎の壁にひびが入っている。
まずい。ここも危ない。
ただでさえ古い校舎で、取り壊し途中の建物だ。
藤堂と燐の力の圧力に、舞台となった校舎が悲鳴を上げている。
雪男は、ひとまず兄の姿を目で追いながら渡り廊下の階段を駆け降りる。
校舎から間一髪で飛び出した。
背後で、渡り廊下が、校舎が。崩れ落ちていく。
舞う粉塵と瘴気に眉をしかめながら思う。
塾生を早めに避難させていてよかった。
雪男の携帯が鳴り響く。
「もしもし」
『ちょっと先生!!あなたお兄さんにどういう教育をしたんですか!!!』
きーんと大声が雪男の耳に響く。
ちょっと携帯と距離を置きながら、再度電話に出る。
「今までさんざんかけた連絡に無視を決め込んでおきながら
今更の登場ですかフェレス卿」
『いや。本当私腐の気配だけは駄目なんですよ。アレルギーがひどくなっちゃって』
「ごたくはいいです。あれは、いったいなんなんですか?
兄はいったいなにに巻き込まれているんですか?!」
『先生。空を見てください。あれは、腐の王を召還する為の魔法陣です』
「腐の・・・まさか。アスタロト?」
『はい。この陰湿で紳士的な要素の欠片も感じられない気配は。
八候王の一角を司る彼しかありえません。
コールタールを召還するために描いた藤堂の陣。
あれは学園に何カ所も設置されていました。コールタールはアスタロトの眷属だ。
その陣を強引に乗っ取ってアスタロトの召還に使ったんですよ』
「誰が」
『あなたのお兄さんです。各魔法陣には彼の血が依代に使われていたようですしね。
小さな魔法陣同士を掛け合わせて、アスタロトを導く円を描いています。
これは、あなた方の協力のたまものでしょうか』
「どういう意味です」
『各場所に設置された陣を、あなた達は破壊していったでしょう?
よけいな陣を破壊したおかげで。
上から見たらよくわかるんですが、ちょうど残りの陣で円が描けます』
「・・・僕たちは示し合わせてやったわけではないのですが」
塾生達は、それぞれの役割をこなしただけだ。
それがこの結果を導き出すとは夢にも思っていなかった。
『偶然は必然につながりますよ。奥村先生。
なんにせよ。彼は腐の王を呼び出してしまった。
私としては胸が高鳴る展開ですが、
ここら一体が地獄絵図にならなければいいですね』
どこか愉快な声で道化の男は述べた。
笑い事ではない。ただでさえコールタールの瘴気で学園がやられているのだ。
雪男の脳裏に京都での不浄王の一件が浮かぶ。
あれの親玉を呼び出すなんで、兄はなにを考えているのだろうか。
「兄さん・・・一体どうするつもりなんだ・・・」
雪男の独り言ともいえる問いに、メフィストは答えた。
『どちらにせよ。彼は、選んだのでしょう。
結末については、見届けるしかありませんよ奥村先生』
見ているしかない。
それだけでは、雪男の衝動が収まるわけがない。
なんとかしないと。このままではいけない。
雪男は、走った。
自分は人間だ。
こうなった兄を止めるすべを自分は知らない。
でも、じっとしているなんてごめんだ。
「じゃあ、僕も選ぶだけだ」
兄の無事を。
みんなで笑える結末を。
「若君、お目にかかり光栄の至り」
アスタロトは正十字学園の学生服を着ていた。
髪は白髪。燐は、この春に出会った不良を思い出す。
名前は・・・忘れてしまったが。
生徒の体を依代にアスタロトは物質界に現れているらしい。
「おまえ、取り憑いているのか?」
「はい。この体は思ったよりもなじみ深いもので」
「終わったら出ていけ。その体、傷つけるなよ。人間なんだから」
「人間の心配をされるのですね」
「聞けないか?」
「いいえ、おおせのままに」
燐の体が、ぐらりと揺れる。アスタロトは燐の背を包み込むように支えた。
だいぶ息が荒い。それに顔が真っ青だ。
「若君、やはりお体が・・・いくら私の黒衣で支えているとはいえ、無茶は」
「いい。それよりも、倶利伽羅を探してきてくれ」
燐の体は、コールタールを収束させて作った黒衣でまとわれている。
これは、空中に体を浮遊させる役割もあるが、失血でおぼつかない燐の体を支えるためのものでもあった。
アスタロトは、腕を一振りしてコールタールの渦を巻き上げた。
舞い上がったのは一振りの刀。
それを、空中で受け止めて、燐の前に恭しく差し出した。
「ここに」
「助かる」
倶利伽羅の鞘は閉じていた。きっととばされた衝撃で閉じたのだろう。
燐は右手で倶利伽羅を受け取った。
左腕は、聖水を直接注射されたせいで、まだ動きが鈍い。
やるならば、右手一本だろうか。
燐は目の前の藤堂を見据えた。
「好き勝手やってくれたじゃねーか」
「ふふ、まさかこんなキャストを召還するとは予想外だったよ。
でもいいのかい?ただでさえ汚染されているここら一体がただではすまないよ?」
アスタロトは腐の王だ。
その息は呼吸をするだけで致死量の瘴気を吐き出す。
燐は、アスタロトに向かって言った。
「瘴気は、お前がなんとかしろ」
「では、空中にひとまとめに致しましょうか?」
「それでいい。学園や、人にまとわりついている奴も全部だ。取りこぼすなよ」
「承知いたしました」
「それと、お前いるだけで瘴気出すんだよな?それは押さえろ」
「私に息をするなとおっしゃるのですね。ひどいお方だ」
「できないのか」
「かしこまりました。若君は人間の死をお望みではないようなので」
アスタロトが言うと、学園中のコールタールが一斉に空へとあがっていった。
空に描かれている魔法陣のさらに上に、紫色の瘴気と、コールタールの球体ができあがっていく。
地上にいる人間ならば、息がしやすくなったと感じるだろう。
この舞台にいるのは悪魔と悪魔。
感じたのは、空を覆っていた雲が晴れたことだろうか。
隙間から漏れる太陽の光に壊れた校舎が照らされる。
その光景に、藤堂は唖然とした。
「意志なきコールタールを統率する存在・・・なるほど。
これじゃあテロの意味すらなくなってしまうね。これがやりたかったのか。
君はどこまでも人間を助けるんだね。反吐が出る」
「若君を侮辱するか。悪魔堕ちの出来損ないめ」
腐の王は、藤堂をバカにしたように言った。
悪魔は生まれ持った力ですべての階級が決まる。
力持つものは力なきものを容赦なく喰らい尽くすのが虚無界のルールだ。
藤堂のように、悪魔を乗り換えて力をつけていくようなやり方は、
アスタロトにとっては小物の小細工としか見えない。
「そうだな、僕はただの落ちこぼれだからね。こんなやり方しかできない。」
藤堂は、カルラの炎を呼び出した。
炎の中には、カルラの炎に包まれるように青い炎がぽつんと宿っている。
燐から奪った炎の欠片。
それは欠片でも、藤堂の体では押さえきれるものではない。
カルラの不死の炎で包んで、ようやくもてるような代物だ。
「青い炎に焼かれれば、君でも死ぬかもしれないね」
燐の周囲にカルラの炎が展開する。
中には青い炎が混じったものも。
燐は、アスタロトに自分から離れるように言った。
アスタロトは納得がいかないと燐に告げる。
「私をおそばに、若君一人では」
「お前の心配じゃない。その体の持ち主のこと言ってるんだ。
その体は人間のものだ。お前とも・・・俺とも違う」
「若君・・・」
アスタロトにとって燐の命令は絶対だ。
だが。悪魔がただ他人の言うことを鵜呑みにできるわけがない。
悪魔は、自己の欲求に忠実だ。
燐は、その悪魔の欲求を抑えろという。
人間など見捨てて皆殺しにして、燐の無事を願うアスタロトを燐は認めない。
「ひどいお方だ」
アスタロトは、燐の手をとって手のひらにキスをした。
それは忠誠の証。
アスタロトはそういって、燐から離れた。
腕を振り、コールタールの渦を操る。後方支援型に攻撃形態を変えた。
燐は、アスタロトがキスをした部分を容赦なくマントで拭う。
半ば衝動的な行動だった。
相手は、悪魔とはいえ自分と同じ男子学生の姿をしている。
あんまりキスされてうれしい相手ではなかった。
「君はモテるね。妬けてしまいそうだ」
「・・・丸焼きにされてーのかおっさん!」
「おっさんはひどいな。今は若いよ」
藤堂と、燐の体から炎が巻きあがる。
どちらかが、死ぬまで。勝負は終わらないだろう。
燐の視界が揺れる。
燐は、失血しすぎている。
言葉が普段よりもぶっきらぼうなのは、しゃべる余裕がないからに他ならなかった。
藤堂は、きっと燐の状態に気づいている。
そこを突かれれば、危ないこともわかっている。
このまま戦闘になっても、いつまで持つかわからない。
だが、それでも。
燐はそれを選択した。
すべてを背負う、選択を。
「いくぞ、藤堂!」
「君を倒して、君の全てを奪ってあげるよ」
赤と青の炎が明滅するように学園を包み込んでいった。