青祓のネタ庫
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≪ 謝罪のいろは | | HOME | | 語り継ぐこと ≫ |
深夜に腹の上に乗る重い存在に気づく。
手をやって、それに触る。それは黒い毛で覆われていた。
なんだ、またクロが俺の布団にもぐりこんできたのか。
深夜になると人肌が恋しくなるのか、猫又のクロはよく燐に寄り添って寝たがった。
しかし、腹なんていう場所じゃなく、枕元で寝てくれればいいものを。
クロは自分の寝やすさを優先するため、
大抵燐が寝苦しい態勢をとらされることになる。
足の間だったり、腕に寄り添ったり。
それに意外と長時間そこにいられると重い。
勿論、クロのことは可愛いと思っている。思っているが。
深夜に起こされるのはやっぱり、ちょっと迷惑だ。
腹の上の感触をわしわしと撫でてみた。相手は特に動かない。
こうすれば大抵クロは起きて、枕元に移動してくる。
今日は、熟睡しているのだろうか。仕方がない。
明日は休みだし、まぁ別にいいか。と考えて、クロの体をもう一度撫でた。
クロの体はすらりとした、猫らしい滑らかな体つきだ。
しかし、何度触っても腹の上のクロからはゴツゴツとした骨ばった感触しかしない。
これはどういうことだ。
手を下の方に伸ばせば、毛の感触がなくなった。
クロ、お前毛が抜けたのか。換毛期か。脱毛か。なんてことだ。
燐は閉じていた目を開けた。
そこには可哀想に、毛の抜けたクロの体。は、なかった。
燐は自分で見た光景が信じられなかった。
「・・・ゆき・・・お?」
燐の腹の上に頭を乗せて、狭いベットに潜り込んでいるのは。
向かいのベットで寝ているはずの弟。雪男だった。
夢かと思って、向かいのベットを見てみた。
雪男のベットにはクロが悠々と体を伸ばして寝ていた。その広さが羨ましい。
燐は足を動かそうとしたが、雪男の身体が乗っているため動かせない。
しかも、寝返りを打とうとしても雪男が燐の腰をがっちりと掴んでいるため
態勢変更も無理だ。
「おい、雪男。雪男。お前任務で、どうせ夜遅くに帰ってきて疲れてんだろう?
お前のベットで寝たほうがいいんじゃないか?」
小声で話しかけるが、雪男は燐の腹に顔を埋めたまま動かない。
ゆきお、と声をかけて唯一動く手で、肩を揺すった。
雪男が起きる。目が合った。
「雪男」
「兄さんうるさい」
今度は胸の方までよじ登ってきて、そこに顔を埋められる。
声をかける暇もなく、聞こえてくる寝息。
こいつ、そのまま寝やがった。
先ほどよりも動けなくなって、燐も諦めた。
窓の外に目を向ければ、まだ月が昇っている。
窓の鍵は、いつもなら開いているのに閉まっていた。
雪男が閉めたのだろうか。
そう思っているうちに、眠くなってきてしまう。
快適な安眠は望めないが、そのまま目を閉じた。
明日の朝にはいくらなんでも雪男はどいているだろう。
こいつ、俺より起きるの早いし。
程なくして、二人分の寝息が部屋に響いた。
「・・・おいどういうことだ」
翌朝、燐が目を覚ましても雪男は燐にべったりと張り付いたままだった。
一応、寝巻きから普段着に着替えている辺り燐よりは先に起きたのだろう。
しかし雪男は着替えて、普段の支度をして、また燐のいるベットにもぐりこんだ。
これには流石に寝苦しくなって、燐も起きた。
雪男は燐が着替える間も、ただひたすらに燐の首に腕を巻きつけて離れようとしない。
燐もいい加減めんどくさくなって、引き剥がすのを諦めた。
力はある為、雪男一人くらい背負っていても問題無く動ける。
だが、燐と雪男では身長差があるため、どうしても雪男の足を引きずって歩くようになる。
朝食の準備もこの格好のまま行なう羽目になった。
台所の角で、何回か雪男が足をぶつけていたが、この際我慢してもらおう。
「雪男ー」
「なに」
「今日の朝ごはんなにがいい?」
「さかながいい」
「そうか、焼くけどいいか?」
「うん」
「大根おろしもつけてやるからな」
「うん」
寮の階段を下りるとき、窓は全部鍵が掛かっていた。
しかも、カーテンのあるところは全部閉まっている。
普段なら朝の光に包まれる寮が、今は少し薄暗い。
いつもは開いている部屋の窓も閉まっていた。
これも全部、雪男がやったのだろう。
そうしてふと、燐は気づいたのだ。
「お茶は何がいい?ほうじ茶か。緑茶か」
「ほうじ茶」
「ご飯もいつもどおりでいいよな」
「うん」
「ほら、できたぞ雪男」
「おいしそう」
「だろ?」
「食べさせて兄さん」
「・・・しょーがねぇなぁ」
燐は、箸を取って魚の身を挟み、自分の肩の方に持っていった。
二人羽織みたいな体勢だが、離れない雪男にはこうして食べさせるしかないだろう。
咀嚼する音が耳元で聞こえてくる。
「相変わらず美味しいね」
「ありがとな」
「兄さん」
「なんだよ」
「離れて欲しい?」
「いいよ、今日一日くらい。兄ちゃんが甘やかしてやるよ」
「・・・甘えてるわけじゃない」
「はいはい」
背後の、雪男の頭を撫でてやった。
雪男は、この状態に満足しているらしいからいいだろう。
小さな頃、雪男は怖いこと、辛いことがあると、決まって燐にくっついて離れなくなった。
大抵背中に張り付くので、燐は雪男を負ぶったまま修道院をうろついていたことだってある。
中学にあがった頃からなくなったから、すっかり忘れていた。
こうなった雪男は燐から離れたがらない。
しかし、甘える自分を他の人に見られたくないという変な意地も持っている。
だから、雪男は燐に甘えようとする前日には窓の鍵からカーテンまで全部締め切るという癖があった。
燐が雪男の癖を思い出したのも、寮の窓やカーテンが閉まっていたからだった。
ご飯を二人羽織のまま全部食べ終えて、食器を食堂に置いておく。
片付けは後ですればいいだろう。
燐は、雪男の投げ出されたままだった足を拾って、持ち上げた。
所謂、おんぶの態勢だ。
先ほど足を投げたまま階段を下りたので、雪男の足は強かに階段に打ち付けられていた。
燐の足音と、がん、がん、ぐき。と背後から響く音。
流石に可哀想なので、今度はちゃんと持ってあがってやろう。
燐は、雪男を背負ったまま一歩ずつ部屋に向かって上がっていった。
こつん、こつん、こつん。
ゆっくりと、二人の体重を乗せた足音が響く。
「なぁ雪男」
「なに」
負ぶっているので、雪男の表情は見えない。
燐の表情も、雪男からは見えない。
きっと、この態勢が二人にとっては一番いい。
「なにか、辛いことでもあったのか?」
階段の踊り場で、燐の足が止まる。
カーテンの隙間から、朝日が漏れて二人の影を映し出した。
背後から、くぐもった声が聞こえてくる。
「夢を・・・見たんだ」
「へぇ、どんな?」
少し間をおいて、雪男は答える。
「兄さんが死ぬ夢」
そうか、と燐は答える。
「俺、いつ死んでもおかしくないもんな」
「そんなことない」
「そうか?」
「僕がそうさせない」
「・・・そうか」
「続きがあるんだ」
「うん、俺が死んで・・・お前はどうした?」
思い出すのも辛い。
血の海に沈む兄、胸を倶利伽羅で刺し貫かれていて。
呼吸はない。顔もどんどん血の気が失せていって、身体も冷たく染まっていく。
自分は泣いて叫んで、兄の名を呼ぶのに、二度と答えてはくれない。
笑ってもくれない。
兄さん、兄さん。嫌だ。目を開けて。
一人にしないで。兄さん。
雪男の慟哭は兄の死を引きとめることはできなかった。
そうして、燐の死体に縋って泣く雪男の背後で、声が聞こえてくる。
『ようやく死んだのか。忌々しい魔神の息子め』
雪男は振り返る。そこには正十字騎士団の祓魔師たちが、いた。
彼らは、口々に言う。
お兄さんが死んでよかったじゃないか、これで君は自由だよ。
そうさ、優秀な君に、あんな悪魔の兄なんかいらないんだよ。
君は我々と同じ人間だろう。
悪魔を殺す、祓魔師だろう。
そんな君が、どうして悪魔ごときの死で涙を流すんだい。
違う、違う、違う。
僕はお前らとは違う。
兄さんを殺す、祓魔師になりたかったわけじゃない。
兄さんを守る、祓魔師になりたかったんだ。
僕は、お前らとは違う。
お前らか。
お前達が兄さんを殺したのか。
コレがお前達の正義か。
両親は既に亡く。優しかった養父も殺され。
僕に残された、たった一つの家族までも笑って奪う。
雪男は憎しみの篭もった瞳で、騎士団を見つめる。
「だから、僕は・・・」
「雪男」
燐はその先を雪男に言わせなかった。
祓魔師が憎しみを宿した時、心は闇色に染まり神を呪う、悪魔堕ちとなってしまう。
長い騎士団の歴史の中でも、決して前例が無いわけではない。
雪男の心は、燐を失うことで壊れてしまう。
燐を失うことになるのは、悪魔のせいではない。
騎士団のせいで死ぬことの方が、はるかに可能性が高いのだ。
「なぁ雪男。お前は悪魔になんかなるなよ」
「兄さん・・・」
「俺はさ、お前が羨ましいんだ。
頭良くて、スポーツできて、背も高いし、女の子にモテる。
俺の自慢の・・・『人間』なんだ」
「・・・にいさん」
雪男は耐えられなくなって、視線を下に落とした。
影が見える。重なる二人の影から伸びた、一本の尻尾。
人間には無い、悪魔の尻尾。
こうしてみると、まるで雪男から生えているみたいにも見える。
「人間は、悪魔になれても。悪魔は人間にはなれねーんだからさ」
母さんから貰った身体。大事にしろよ。
言われて、僕は返す言葉も無い。
兄さんは、僕を背負って歩き出す。
階段を上る音と、兄さんの鼓動。
兄さんは、生きている。
そうして、僕も生きている。
「兄さん、明日にはいつもの僕に戻るよ」
「うん」
「だから、今日はこのままでいい?」
「いいよ」
兄さんの背からから降りようとも思った。
けど、降りたら僕の影から悪魔の尻尾はなくなってしまう。
こうしている時だけでも、兄さんと同じでいたいと思う僕は。
醜くて、きっと、弱い。
兄さんが羨ましいと言う人間は、こんなにもちっぽけだ。
何度確かめたって、僕に悪魔の尻尾はない。
そう、僕は人間だ。
ちっぽけで弱い。ただの人間なのだ。
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