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CAPCOON7

青祓のネタ庫

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告白して、さよなら



「俺、告白すんのやめる」

志摩はきっぱりと言い切った。
燐も、そして雪男もぽかんとした顔をしている。
こういう部分では双子だ。顔がそっくりだった。

「俺は奥村君の死を背負うとか、そんな先生みたいな覚悟はないわ。
俺は、奥村君に死んで欲しいわけやない。もっと一緒に遊びたいし、ご飯だって食べたいし。
あ、手作りやったら尚可やけど、奥村君いまスケスケ状態やから、作れるんかな。
無理かな。それやったら、どっかご飯でも食べにいくんでもええわ。
またあの木陰に行こう。これから学校だって始まるやろ。たぶん。
校舎壊れとるけど、また建て直せるはずや。魔神はおらんようになった。
でも、奥村君がおらんようになるんはいやや。
奥村君が消えてまうんやったら―――俺は言わへん」

一生言わへん。

それが、志摩が決めた覚悟。
告白をしない覚悟、それを告白した。
燐は、それに答えを返す。

「ありがとな、志摩」

燐の身体が青い炎に包まれて、燃えていった。




***


「人の気持ちとは、誰が決めるのでしょうか」

メフィストは言葉を発した。

「自分がなにを好きで、しかもその理由を理論立てて語れる人はそうはいません。
まぁ、そもそも理論上で語れる気持ちなど、アンドロイドに組み込まれた数式みたいなものでしょうけど。
答えを出すのも、理由を決めるのも、自分自身でしかない。
ただ、気持ちを自分でコントロールできたのなら、人は悪魔堕ちなどしませんがね。
つまり、人間の気持ちは自分ではどうにもできない面も持っている。
そして気持ちとは、定義付けもなく曖昧だ」

メフィストは、視線を合わせた。

「奥村燐君、あなたは今どんな気持ちですか?」

弟と友人に致死節を言われ、死にそうになっても、燐は二人を恨んだりはしなかった。
燐は、雪男のことを大切に思っていたし。志摩のことも大事だった。
だから、二人の答えを聞くことが、自分なりの精一杯の誠意だと思ったのだ。
だから、死ぬことがわかっていても、答えたかった。

けれど、その時どんな気持ちだったかと聞かれれば、返答に困る。
必死だった。とでも言うべきなのだろうか。

「うーん、とりあえず離して欲しいかな・・・」

両サイドを志摩と雪男に挟まれて、燐はうんうんと頭を悩ませた。
志摩と雪男はその姿を食い入るように見ている。
その腕はがっちりと燐の身体を押さえている。
ここにいるのを何度だって確かめたいようだった。

「奥村君が慣れない頭を使って爆発しそうですよ、お二人とももう離してはいかがですか」
「いや」
「でも」
「奥村君はどこにも消えませんよ、それはお二人もよくわかっているでしょう?」

メフィストは燐を指さした。
燐は、告白に答えた瞬間に青い炎に包まれて燃え尽きていった。
しかし、燃え尽きたのは『燐自身』ではなかった。

「まさか人間に戻るなんて思わなかったなぁ」

燐は耳も丸くなり、牙も、しっぽもなくなった。
中学時代まで過ごしていた、『人間』の姿になっている。
燐は今まであったしっぽがなくなったことに違和感があるのか、そわそわと動いている。
どうにも、後ろの方が落ち着かない。

「貴方は半分悪魔で半分は人間だ。
おそらくですが、致死節は奥村君の『悪魔』としての部分を殺したのでしょう。
人間に致死節などありませんから、今貴方に残ったのは『人間』としての部分だ。
身体が物質界に存在しているぶん、他の悪魔と同じように憑依が解けて
消えたりしなかったのが幸いでした」

雪男の告白によって致死節に侵された燐は、一回死んでいる。
燐の致死節は、『好きなものから贈られる「好き」という言葉』だった。
雪男の告白は、それに該当する。燐もそれに答えたから死んだのだ。

では、志摩の告白はどうだろうか。
志摩は最後の最後で告白をしない選択を選んだ。
志摩の言葉は燐に直接死を与えたりはしなかった。
しかしそれは燐が志摩のことを好きではなかった理由にはならない。

燐の心に、志摩を慕う気持ちがまったくなかったと言えるだろうか。
答えは否だ。その気持ちは、好きという言葉で語れるほど育ってはいない。
友人と呼べる関係の好きでとどまっているかもしれない。
燐の心には、雪男を思う気持ちと志摩を思う気持ちがあった。
雪男は、誰よりもそばで燐を見ていたからこそ、それに気づいてしまった。

致死節にあたる好き、とは、燐の心の中のどの気持ちに該当するのか。
人の心は曖昧だ。自分でコントロールできるものではない。
燐の心が全て雪男だけに傾いていたのなら、最初の一言で燐は死んだはずだ。
だから志摩の発した言葉の欠片は、確かに燐をこちらに引き留める楔となったはずなのだ。

「俺は、まだまだこれからやっていうことやな」

志摩はほくそ笑んだ。燐の中に宿る成長途中の気持ちをどう育てるか。
志摩が雪男を出し抜くチャンスだ。
そうはさせまいと雪男も笑顔で答える。

「告白する覚悟もないのに、よく言いますね」

「告白するだけが全てやないですやろ先生。
俺は奥村君を死なせたないから、告白せぇへんかった。
だから告白できん分。それ以外の言葉で奥村君に振り向いてもろたらええんや。
気持ちを伝える言葉はひとつじゃあらへん。
奥村君世話焼きさんやから、弟っぽい子好きやろ?
俺、真ん中っ子やから甘え方も甘えさせ方も知っとるよ。ええ物件やでー」

「・・・俺はお前等を喧嘩させるために命賭けたわけじゃねー」

燐がぼやいたが、二人には聞こえていないようだ。
二人とも、譲るつもりは毛頭ない。

「これでようやくフェアな戦いになったわけですね」

メフィストは二人を見てニヤリと笑いながら、燐に問いかけた。

「そういえば、貴方青い炎は使えるんでしょう?」
「おう、人間の体だけど使えるぞ」

悪魔として死んだのに、人間として生きている。
しかし、持って生まれた青い炎は相変わらず健在のようだ。

「魔神が死んだとはいえ、青い炎は虚無界を照らす命の炎のようなもの。
そうそう簡単に尽きたりはしません。倶利伽羅は物質界と虚無界を繋ぐゲートも同然です。
悪魔の心臓がない今。心臓を介して炎を供給するのではなく。倶利伽羅を介した。
例えるなら、召還。今の貴方は、さしずめ『青い炎を倶利伽羅から召還する人間』といったところでしょうか。
こちらも私にとってはお得な物件です」
「なにが」
「おもちゃという面で」
「俺はお前に遊ばれる気はねーからな!!!」
「大丈夫、気づかないだけです」
「全然よくねーよ!」

燐は激高した。せっかく助かったのに、全然助かった気分になれない。
メフィストにかかれば日常生活も命がけになりかねない。
そんなほくそ笑むメフィストを警戒してか、雪男が燐を庇うように前に出た。
そして、雪男は背中ごしに燐に質問する。

「ねぇ兄さん、一つだけ聞きたい。あの時僕に答えようとしてくれた言葉には続きがあるの?」

俺も。と答えた言葉の続き。
燐が二人をどう思っているのかを確かめる為の言葉。

「ああ・・・」

雪男はそれを聞きたかった。しかし、止めたのは志摩だった。

「結論を出すのはまだ早いでー!俺が奥村君を口説いてからでもその言葉の続きは遅くないはずや!」
「志摩君は少し黙っててくれないかな・・・僕も兄さんに負担をかける気はない。
だから、いつかその言葉の続きを聞けるように僕もがんばるさ」

そこには、以前のように追いつめられた雰囲気はなかった。
メフィストは変わりましたね、三人とも。とつぶやいた。


「人間の君たちに質問です、告白とはなんのためにするのだと思いますか?」


志摩は思った。踏み切れない自分が覚悟を決めるためではないかと。
雪男は思った。相手に自分を見て欲しかったからではないかと。
悪魔からの問いに、燐は答えた。

「・・・うーん、新しい関係を築きたかったから。とかじゃねーの?」

志摩は、友達という関係から。雪男は弟という関係から。
一歩を踏み出したかったから言った。
燐はそう思っている。

志摩と雪男は一瞬きょとんとした顔をしたが。
少しだけ笑って、お互いに視線を合わせた。
思っていることは同じらしい。

だからいつだって前を向く、奥村燐が好きなのだ。

「怖いけど先生には負けへんで」
「僕も君に負ける気は更々ないね」
「いや、だから喧嘩すんなよ」
「なんだったら今ここで白黒はっきりつけてもいいんじゃありません?
奥村君は人間になったのですし、告白しても死にませんよ。たぶんね」
「たぶんなのか!?」

燐はメフィストにまた文句を言った。
悪魔が人間になって生き残ったケースは前例がない。
青い炎が操れる人間がいないように、
燐が青い炎が使えなくなって完全に人間になる時がくるのかもわからない。
志摩と雪男の心の中には、まだ燐が死にかけた姿が焼き付いている。
人は経験しなければ学ばない。なくしかけて学んだことがある。
でも。魔神はいなくなった。燐もきっと消えたりしない。
焦ることはないのだと二人は気づいている。

「これからこれから」
「ですね」

と、言いつつ、お互いの足を踏みそうになったのは余談だ。
戦いはすでに始まっている。
告白して、昨日までの関係にさよならをしよう。
そして、好きなんていう一言じゃ語れないくらいの戦争をするんだ。

「明日から学校始まるし、今のうちにリクエストや!
奥村君のお弁当おいしいんやもん。俺、肉がええわ!」
「残念。僕は魚がいい。久しぶりに兄さんのごはんが食べたいな」
「じゃあお前等じゃんけんしろ」


燐が笑って、二人に答えた。
長生きしないとなぁと思った。

昼休憩中に木陰でじゃれあう、そんな三人の関係とは当分さよならはできなさそうだ。

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告白して対立


「奥村君・・・?」

志摩は見間違いかと思った。
確かに、ここから声が聞こえてきたのに。
それなのに、そこには誰もいなかった。
視線をあげれば、黒いコートの人物が目に入った。
その人物は、ゆっくりと志摩の方を振り返った。
「志摩君・・・?」
「先生」
その様子で、すべてを悟った。
俺も。直前まで聞こえていた燐の声が、いまはどこにもない。
さっきまで、ここにいたのに。
いたはずだったのに。
志摩は今まで聞いたこともない声で、雪男を怒鳴りつけた。

「あんたが言うたんか!!!先生!!!」
「志摩君・・・」
「知らんかったとは言わさへんぞ!先生は知ってたはずや!!
先生が言うたら、告白したら・・・ッ!奥村君が消えてまうって、先生は知ってたくせに!!!!」
「・・・君も。知っていたんだね・・・そうか、だから兄さんは」
「なんでや!わかってて、なんで・・・」

志摩は、燐に言えなかったことがある。
燐はあのとき、雪男には言わないでくれと言った。
だから、志摩は雪男には言わなかった。

「僕は、フェレス卿から教えてもらっていた。君は、たぶん違うんだろうね。
兄さんからか。兄さんは僕には隠すくせに、君には言うんだね」

雪男は不快そうな顔を隠さなかった。
志摩は、燐との約束通り雪男には言わなかった。
だから、メフィストに教えたのだ。
メフィストに教えれば、おのずと雪男には伝わるだろうと踏んでのことだ。
兄弟の距離が空いて燐の致死節の事情を知っていれば、雪男は燐から離れると思った。
燐は、死なないと信じていたのに。
全部台無しにしたのは、この目の前にいる男だ。
結果は、わかってしまった。
燐はここにはいない。
つまり、燐は志摩のことを好きではなかった。
最後まで、弟のことを好きだったのだ。
燐の致死節がそれを証明してしまった。
志摩は、何度も燐に好きだとささやいた。
それは紛れもない志摩の本当の心から出た言葉だったのに。
やさしく包むような言葉では、燐を救うこともできなかったのか。
少しも心を動かすことはできなかったのか。

「なんや、気にいらんって顔してはりますね。
奥村君のこと全部独り占めにして、あまつさえ殺しておきながら、
それでも足りんいうんか。あんたは」

志摩は、長いものには巻かれるタイプだ。
だから、雪男のような優秀で頭の切れるものに怒鳴り散らすなど、本来なら絶対にしない。

のらりくらりと面倒を避けて生きれればいいと思っていた。
そんな志摩を動かしたのは、燐だ。
燐に死んでほしくなかった。
できることなら笑ってほしかった。
だから、揚げ足をとるようなまねをしても。
悪魔の理事長に情報を流してでも。
こんな結末を止めたかったのに。

「君は、僕を過大評価しすぎなんじゃないかい」

雪男は志摩につぶやいた。
そこには何の感情も見いだせない。
ただ、本心で語っているだろうことは察せれた。
講師も、上一級祓魔師の肩書きもない。
ただの奥村雪男の言葉だ。

「僕が、自分に正直に生きようと思った結果がこれだよ。
嘘をついているうちは一緒にいれて、やめた途端に兄を傷つける。
兄さんは・・・それでも僕に答えてくれたけど。期待していたんだ。なにかが、僕にも。
僕たちにも残るんじゃないかって思ってたのに、ただ一緒にいることもできないなんて・・・ッ」

両親は亡く、養父は殺され。
ただ一人の家族に好きということも許されないなんて。
君がうらやましい。そう言われた気がした。
雪男にとってはただ優しく包み込む言葉すら許されなかった。
言えば、燐が傷つくから。致死節を知ってからは、言わなかった。
雪男は燐が好きだった。
その感情は本当だった。
兄に幸せになってほしかったし、死んでほしいわけでもなかったのだ。
でも、それでも。

「奥村君の死を先生だけのものにしたかったんは、間違いなく先生のエゴや。
だから言うたんやろ」

「そうだよ、だから僕はここにいるんだ」

いつか、兄が悪魔として目覚めた時、雪男は兄を殺す覚悟を決めた。
その死を背負う覚悟を持って。
守りたいのに、殺すかもしれない矛盾を抱えて祓魔師の道を選んだ。
きれいな気持ちだけで、歩いてきたわけではない。
雪男は、自分のことを聖人君子だと思ったことはただの一度もない。
それどころか、悪魔としての本質には、燐よりも自分の方が近いと思っていたくらいだ。

「でも、僕が兄さんに告白しようと思ったきっかけは、間違いなく君だよ」

一年前の。あの昼休憩の頃からだろうか。
燐は雪男ではない、どこか違う場所を見ていることがあった。ここではない。
自分ではないものを見ている。
なんで、僕には言ってくれないのさ。
その視線の先にあるものを、雪男は言われなくともわかってしまった。
兄のことを一番近くで見てきたのだ。だから、イヤでもわかってしまった。
わかりたくなんか、なかった。
だから、消えてしまうとわかっていながら言ったのだ。

「でも、兄さんはまだ生きてる」

志摩は雪男の言葉に顔をあげた。
他の悪魔と同じように、体も消えてしまったのだと思っていたが。
燐は悪魔と人間のハーフだ。当然、普通の悪魔とは勝手が違う。
燐は倶利伽羅を入り口として、炎は虚無界に。身体は物質界に存在している。
物質界に存在する「身体」が、忽然と消えてしまうものだろうか。
かたちあるものは、そう簡単には消えはしない。
二人の視線が、燐がいた木陰に向かう。
そこには、誰もいない。はずだった。
だが、今ならわかる。

「いるんでしょう、フェレス卿」

雪男が呼びかける。志摩が睨みつけた。
燐がいた場所にピンクの煙に包まれた悪魔が降り立った。

***

「お二人とも、怖いお顔をなさっていますね」

メフィストは、動じた様子もなく燐がいた場所に立っている。志摩は、一年前。
魔神の物質界への侵攻がわかった時点で、メフィストに燐の秘密を打ち明けている。
人を駒のように操るメフィストのことだ。
その秘密すらも利用して盤上を操作していたとしても頷ける。
メフィストは、自分の快楽に忠実だ。
悪魔らしい振る舞いをする自分たちの上司を、雪男と志摩は睨みつけたままだ。

「この致死節は、双方の言葉があって初めて成立するものです。
先生は言って、奥村君は答えた。しかし、彼はまだ生きている。この意味がわかりますか」

志摩が聞いたのは、「俺も」という言葉だけだ。
もしも。もしも。
その言葉に続きがあったのなら、どうだろう。
志摩の冷えた心に一筋のあたたかい光が射した。
燐は、生きている。
同じ時に生まれた双子である雪男が言うのだ。
おそらく燐が生きているのは間違いないだろう。
志摩は、燐が生きていたことがうれしかった。
死ねば、その死は永遠に雪男のものだ。
でも、生きているならその先はわからない。
もしかしたら。と期待してしまう志摩の心は、まさしく人間のものだった。

「人の営みは中道にして病みやすいといいますが、貴方たち二人は普段の生活では取り繕って自身の欲を隠すのに。
奥村燐君に対してだけは自身の欲に正直に生きていらっしゃる。なかなかに見物ですね」

殺してまで手に入れようとするなんて、どこの悪魔だ。
そう本物の悪魔から言われているようで、二人とも反論の言葉はなかった。

「勘違いしないでください、私はそれを否定などしませんよ?むしろ、肯定している」
「兄は、貴方になにか言ったんですか」
「いいえ、奥村君は最後まで自分でなんとかしようとしていました。
私は貴方達にほんの少しの猶予を与えようと思っただけです。
しゃしゃり出たのは私個人の意志ですので、お間違えのないよう」

メフィストは、燐のことを最高のおもちゃだと思っている。
自分の予測のつかないことをしでかす玉手箱を、みすみす手放したくないとも思っている。
しかし、どんな結末を迎えるにせよ、選ぶのはメフィストではない。

「この致死節は、どちらか一方だけでは成立しません。戦いは、フェアであるべきだ」

そう言い残すと、メフィストはピンク色の煙とともに姿を消した。
ちゃりんという音がした方向を見ると、燐がいた木陰に一本の鍵が残されている。
一番近くにいた志摩がそれを拾った。
それは鈍く光って、志摩の手の中で存在感を示している。
おそらく、この鍵の向こうに燐がいる。
どんな状態かはわからないが、確かに生きて、そこにいるだろう。

雪男は、燐に告白をした。
しかし、この関係は二人だけでは終わらない。
志摩が告白をして、三人になることでようやくスタート地点に立てるのだ。
雪男は、一番近くに見えたドアを指し示した。
二人はのろのろと距離を置いて、そのドアの前に来る。
鍵を開けるのは、志摩の役目だ。
志摩はごくりと唾を飲んで、鍵を差し込んだ。かしゃん。と鍵が開く音が聞こえる。
この先に燐がいる。
しかしその先にあるものは、なんだろうか。

志摩は答えを出せぬまま、ドアを開いた。

***

そこには、まるで先ほどの木陰のような風景があった。
違うのは、地面に咲いている花が一面青い花であることだろうか。
青い花と、一本の木陰。
その中を志摩が先に歩き、後ろから雪男が歩いてきていた。
先に声をあげたのは雪男だった。

「兄さん!!!」

駆ける雪男の後をついていった。
そこには、燐が横たわっていた。
二人を見て、燐は薄目を開けた。
生きているが、存在が消えかかっているような。
そんな朧気な印象を受けた。
生気がなくなってきている。死のにおいがする。
燐は駆け寄ってきた雪男に視線をやらず、志摩だけに目を向けていた。

「奥村君・・・?」
「兄さん?」

燐に雪男の言葉は聞こえていないようだった。
志摩は疑問に思い雪男のいる方向を指し示した。
しかし、燐には雪男の姿は見えていないようだった。
雪男が手を握ろうとしても、その手は雪男の手を素通りしていく。
雪男は燐に認識されることも、触れることもできない。
致死節は成立しなかった。しかし、その代償はもたらした。
雪男の手が、ぐしゃりと地面に咲く青い花を握りつぶした。
志摩はその手を見て、そして燐に視線を合わせる。

「なぁ奥村君、先生。君に告白したんやな」
「・・・ああ、やっぱりこうなっちまったなぁ」
「あかんな、ごめん。うまく言葉にならへん。なんやろ、奥村君が先生のこと好きやって俺知っとったはずやのに」
「・・・なぁ志摩、俺は約束は守る男だ」
「え」
「言えよ、言っていい。だから、俺はここにいるんだ」

その言葉の続き、聞いてやるから。
二人にした約束を、燐は守ろうとしている。
雪男の言葉を、燐は聞いた。
次は志摩の番だ。
だから、志摩もそれに答えるべきだ。
聞いて欲しいと願ったのは、志摩なのだから。
考えた。考えた。

ここで俺が言うたら、奥村君はどうなってまうんやろ。
消えてしまうんやろか。先生は自分の気持ちを言うた。
こんな気持ちやったんやろか。

ぐちゃぐちゃの気持ちの中思い出したのは、自分を守って死んだ兄のこと。
そして、その死を無駄にしてはならないと言われ続けた言葉の数々。
死を背負う意味を、志摩は知っている。
残された家族がどう考えるのかを。
その死の重さも、なにもかもを。

「奥村君、聞いてくれる?」

志摩は口を開いた。
燐はそれを黙って聞いた。

告白してお別れ

「兄さん、聞いてくれる?」

雪男は唐突に言葉を放つ。
雪男は燐に背を向けている。視線は旧男子寮に向いていた。
修道院から離れて、今までを過ごした二人の家だ。
魔神との戦いで、半分崩壊してしまっているが、二人のいた部屋は無事のようだった。
燐は、約束通り雪男の言葉を黙って聞いていた。
木陰に背を預けて、雪男の言葉の続きを待っている。
雪男は燐に背を向けたままぽつりと語りだした。

「僕はさ、今まで言い訳みたいな言葉でしか兄さんに言ってこなかったよね。
「たった一人の家族だし・・・」「作ったものが・・・」いっつも言ってたけど、
やっぱり隠していたんだよ。ひとまず、全部終わった。だから僕はもう隠さない。
聞いてくれる?」

雪男は再度問いかけた。
雪男の言葉を燐は遮らない。
そう約束したからだ。

「僕は、兄さんのことが好きだ」


***


魔神を討伐することは、できなかった。
ただし、ダメージを与えられなかったかといえば、別の話だ。
虚無界の門を開いて現れた悪魔の軍勢は、
門を閉じることで侵攻をくい止めることができた。

魔神は、物質界に出現することはできない。
しかし時折上級悪魔に取り憑いた魔神は、何度も燐と刃を交わした。
そして、二人はどこまでも相入れなかった。
人を蔑みながら人を殺した悪魔と、人に蔑まれながら人を好んだ悪魔。
交わることは永遠にないだろう。
燐と祓魔師の努力の甲斐あってか、魔神の物質界への侵攻は止まった。
おそらく一時的なものだ。今回だけではなく、またあるだろう。
それでもひとときの休息が物質界に訪れたのは確かだ。
その安息を導いたのは、他でもない。
魔神の息子である奥村燐だった。

「これで、ヴァチカンもおいそれと奥村君を処刑なんてできへんやろな」

志摩は怪我人が多くひしめく学園内を走っていた。
虚無界の門は閉じられた。戦いは、終わったのだ。
聞いてほしいことがある。
あの日言えなかった言葉の続きを言おう。
志摩は燐を探してさまよっていたが、どうも姿が見えない。
もしかして、戦いが終わって早々にヴァチカン本部に呼び出されたのだろうか。
志摩の心に一抹の不安が宿る。
早く彼を見つけたかった。誰よりも早く見つけたかった。
志摩は忙しくかけずり回る祓魔師の隙間をぬって、
一番近場にいた医工騎士に話を聞いた。

「奥村さんですか?いえ、怪我をしたとかは聞いてないですよ。名簿にも載っていませんし」
「・・・そう、ですか」

一番の可能性として、怪我を疑ったが、どうやらそれもなさそうだ。
祓魔塾の同期と燐は最後まで虚無界の門を閉じようとあの場で戦った。
結局、戦いを集結に導いたのは燐だが、
信頼できる仲間のサポートがあったからできたのだと燐は笑って語っていた。
度重なる戦闘で燐はだいぶひどい怪我をしていたが、
悪魔特有の治癒力で学園に戻るころには大方の傷が癒えていたことを志摩は知っている。
志摩は、なぜだかあの昼休みの出来事を思い出していた。
怪我を隠して一人木陰にいた燐の姿。
誰よりも先に見つけたのは、志摩だった。
そうだったはずだ。
医工騎士は去り際に思い出したかのように言葉を口にした。

「ああ、でもさっき別の部の人が奥村上一級祓魔師と
奥村さんが一緒に歩いているのをみかけたようで・・・」
「なんやてッ・・・!?失礼しますッ!」

その言葉を聞いた途端、血の気が引いた。
雪男と燐が、ふたりっきりになっている。
それは、今この場面では非常にまずい。
魔神を追い払ったとはいえ、致死説の問題は何一つ解決していないのだ。
燐のそばに、雪男を近づけてはいけない。
志摩は本能で感じた危機に忠実に動いた。
魔神との戦いが終わった後。
区切りのいいこの時期を、あの弟が見逃すはずはない。
魔神の侵攻があったからこそ遠ざかっていた彼らの距離。今はなにもない。
走った。走った。走った。
ずきりと、戦闘で負ったわき腹の傷が痛むが気にしてなんかいられない。

志摩は悪魔ではないし、特別な生まれというわけでもない。
自分程度の祓魔師は、それこそ吐いて捨てるほどいるだろう。
それでも、志摩は今この瞬間。
譲れないものがある。その為に走っていた。

「奥村・・・君ッ・・・!!!」

あの昼休憩の時の木陰。
怪我をした燐が、誰にも言えないとひっそりと隠れていたその場所を目指した。
彼がそこにいるとは限らないだろうけど。
鍵を使って抜け出して、学園内を走り抜けて。
そして、あの時の木陰の近くに人影がいるのを見つけた。

『その続き。全部終わったら聞くからさ』

燐はそう言った。
だから、あの日言えなかった告白を今度こそ言おう。

木陰まであと数メートルというところで、ふいに、燐の声が聞こえた。
とても近くで。すぐそばで聞こえてきた。
ああそうだ。きっとあの木陰に座っているのだ。
あの時のように。
傷はもう痛まないのだろうか、そうだといいと思った。

「俺も―――」

聞こえてきた声に、志摩は、間に合ったと思った。
木陰をのぞき込んだ。

そこには、誰もいなかった。


告白してまた明日

あの昼休みの時間には、もう戻れない。
魔神の侵攻があったという連絡を受けた瞬間に、脳裏によぎった思いだった。
もちろん、恐怖も、心配も、逃げたいという気持ちも浮かんできたが。
志摩が惜しいと思ったのは。
あの昼休みはもう永遠に来ないのだという確信だった。
志摩は他愛のない記憶を思い出す、燐のお弁当を食べて、話したあの木陰。
きっとあれが最後のチャンスだったのだ。

「志摩はここにいろ、もし外でなにかあっても俺ならなんとかできる。
ここはメフィストの結界があるから大丈夫なはずだ」
「・・・わかった。坊達とすれ違いになってもあかんしな。俺はここで伝令係や」
「気をつけろよ、怪我すんなよ」
「なに言うとるん、それはこっちのセリフやで。気ぃつけてな」
「うん、行ってくる」

それだけ言って燐は飛び出していった。
向かった先は、おそらく弟のところだろう。
きっと燐は心配だったのだ。弟が無事か確かめに行ったのだ。
もし外に悪魔がきていれば戦闘になる。
詠唱騎士を目指す志摩は、竜騎士や手騎士のような直接攻撃の手段を持たない。
志摩の家族が、騎士の資格も取っていた意味を痛感して、志摩は下唇を噛んだ。
志摩を伝令役に残したのは、判断としては正しかっただろう。燐はいつもそうだ。
絶対に自分が前線に立とうとする。
今回は、他の塾生のメンバーが。
なにより雪男が心配だったから、飛び出していったのだ。
本当はすぐにでも行きたかっただろう。
それなのに、志摩のことを無事でいろ。と心配をするのだ。
さっきまで血を吐いていたのに。さっきまで青い顔をしていたのに。
燐は何度でも立ち上がる。
大切な何かを取りこぼしたりしないように。
その姿が、後ろ姿が、まぶしくてたまらない。

「死んだらアカンで、奥村君」

志摩は携帯電話を取り出して連絡をかけた。
悪魔にも。魔神なんかにも、それこそ雪男にだって奪わせてなるものか。
だって、奥村燐は志摩にとって大切な「友達」なのだから。

魔神との攻防は、それから一年に渡って続いた。


***


魔神との決戦前夜、雪男は燐を旧男子寮の屋上に呼び出した。
寒い、冬の日だ。もうすぐ誕生日になろうかという冬の日に、魔神と戦うことになろうとは。
皮肉めいたものを感じて雪男は自嘲する。
自分たちは、誕生日を迎えられるだろうか。それは今の時点ではわからない。
雪男は死ぬつもりなんてない。
しかし、今回の戦いはそれだけ過酷な戦いになることは目に見えてわかっている。
どれだけ戦えるのかはわからない。
しかし、兄を置いて自分が死ぬわけにはいかないし、
自分を置いて兄が死ぬ結末を迎えるつもりもない。
雪男は自分の思いを自覚している。
燐へこの言葉を言ってはいけないこともわかっている。
でも、最終決戦に向かう前夜だからこそ、気持ちを整理したかった。

「さみー」
「兄さん、遅かったね」
「寝てるとこ起こすからだろ、起きるまで時間かかった」
「よく寝れるね」
「明日に備えないといけねーだろ。
お前遠足の前は絶対に寝付けないタイプだったもんな。俺はお前と違うんだよ」
「知ってるよ、違うことくらい」
「そっか」

だから、自分たちは二人なのだ。
同じ腹から生まれてきて、別々の道を歩いて、そして魔神と戦うためにここにいる。
雪男は空を見上げた。澄み渡った空だ。息を吐けば白い。
二人で空を見上げて、雪男はふいに言葉を放つ。

「兄さん、あのね」
「待て、みなまで言うな」
「あの」
「言うなっつの」

雪男の頬がぷくーと膨れていった。
滅多に見せない、それこそ家族にしかできない
雪男なりの不満の表し方に燐は思わず笑った。
小さな頃、不満なことがあれば雪男はすぐ頬を膨らましていた。
燐への甘えのようで滅多に見せなくなったその姿。
それだけ、雪男は不満だったのだろう。
しかし、燐の心に生まれたのはあたたかくてくすぐったい気持ちだった。

「やべぇ久しぶりに見た雪男大福!」

燐は頬をつついて、大福を爆発させようとするが
その前に大福の方がしぼんだ。弟のお気に召さなかったようだ。

「・・・笑うな」
「ぎゃはは!!悪い悪い!!」
「兄さん!!」
「悪かったって!」

燐は弟の言葉をすべて遮った。
唇に指を当てて、いたずらが成功したかのように笑う。

「おまえの言葉は保留だ。明日、全部終わってから聞いてやるよ」
「なにそれ、今じゃなきゃだめなのに」
「バカ、今でいいなら明日でもいいんだよ。
明日でも、明後日でもいいから。その言葉の続き、聞いてやるから」
「兄さん、わがままだね」
「どっちがだよ。一日くらい待てねーの?」
「・・・わかった、待つよ」
「だから、明日死ぬんじゃねーぞ。お前、俺と違って人間なんだから」
「それは僕のセリフだよ、突っ走って先に死んだら許さない」

いつもの兄弟喧嘩の延長のような会話をしたことで、
明日も明後日も続きがあるような安心感を宿らせた。
あと数日に迫った誕生日だって迎えられる。
雪男は強ばっていた心が溶けたことで、体の力が抜けた。
リラックスできたのだろうか。
遠足の前に寝付けなくて、兄の布団に潜り込んだ思い出が甦ってなんだか恥ずかしい。

寒い。とつぶやいたのはどちらが先だっただろうか、
二人の足は自然と部屋に戻るために進んだ。
すると、燐の携帯がポケットの中で振動を告げる。

「どうしたの?」
「ああ、明日の連絡みたいだ。先戻ってろ」
「僕もいようか?」
「いいって、風邪ひくぞ」
「・・・わかった」

燐がひらひらと手を振ったことで、不満はあるながら雪男は去っていった。
燐は扉から少し離れて、震える携帯電話に出た。
明日の連絡というのは嘘ではないだろう。
燐は見知った電話番号を見て、少し笑う。そして、出た。

「もしもし」
『・・・』
「もしもーし?」

無言が数秒続いて、相手が答えた。

『よかったわー、奥村君生きとる?』
「おう、平気だ」
『血、吐いとらん?』
「大丈夫だって、心配性だな」

雪男みてぇ。とは言わなかった。
それは志摩に対して失礼だ。

『きっと決戦前夜やから、なんかあるかと思って』
「別になんもねーよ、明日が特別な日ってわけじゃねぇだろ」
『明日、魔神と戦うのに?』
「そんで、魔神倒すんだよ。明後日もその次も続いていくから、
俺たちは大丈夫だ。そうだろ、志摩」

絶対的な自信なんてものは、ないだろう。
しかし、それでも燐は明日以降の希望の可能性を絶対に否定しない。
生きて、みんなで笑って迎える明日を信じている。
だから、燐は強く立っていられる。
そして、自分がここにいるのはみんなのおかげだ。とつぶやいた。

「もちろん、お前もな」
『奥村君にはかなわへんなぁ』

志摩は電話口で苦笑した。
口振りからして、燐が血を吐いていないことや嘘をついていないことがわかって安心した。

あの魔神の侵攻が発覚したときから、物事はめまぐるしく変わっていった。
まず、戦闘以外の余裕がなくなってきたことだろうか。
これは燐との関係に悩んでいた志摩にとってはよかった。
忙しく動き回るせいで、兄弟もお互いに時間がとれにくいことを知ってもっと安心した。
危機が迫ったことで、燐は弟から与えられる死を回避することができたはずだ。
まともに話がつけれないのでは、致死節に意味はない。
あの日燐が言わないでくれと縋って頼んだ出来事がまるで遠い昔の話のように思えてくる。
燐は志摩にお礼を言った。

「ありがとな、志摩。雪男に黙っててくれて」

致死節のことだ。志摩はなにも言えなくなった。
燐の言葉を聞いてから一呼吸おいて答える。

『奥村君、あのな・・・』
「待て、みなまで言うな」
『あのおー』
「言うなって、その続き。全部終わったら聞くからさ」

そのかわり、俺の話聞いてくれる?と燐は問いかけた。
志摩は聞いたるよ、と返事した。

「俺さぁ、なんであの言葉が自分の致死節なんだろうなって今まで考えてたんだけど。
たぶん、俺と魔神の致死節って同じなんじゃないかな」
『なんやなんかわかったん?』

同じ力を持つもの同士の、共鳴とも、共感覚とも言える考えだった。
魔神と一番つながりが深いのは燐だろう。
燐の言葉は真実を射抜く。志摩は耳を傾けた。

「あくまで予想だけどさ―――悪魔って人に好きって言ってもらうことなんてないんだろうな。
ましてや、自分が好きになった「人」から言われることなんて、万に一つもないだろ。
寿命が違うし、好きになったやつが悪魔を見れる奴だとも限らない。
自分のこと見て欲しかったら、自分で好きな「人」のこと傷つけるしかねーじゃん。
悪魔ってさ。血のつながりはあってもたぶん究極的にはひとりぼっちなんだよ」
『奥村くんは、ひとりじゃあらへんよ』

みんないるやん、といった。
俺がいるよ。とは言わなかった。

「はは、ありがとな。でも、やっぱり悪魔は一人なんだよ。
なにより、魔神は人を、個人を好きになることなんて絶対にあり得ない。
その点でいけば、魔神って無敵だよな。物質界を欲しいとは思っても。
人を好きになることなんてありえない。致死節なんてわかっても意味ないんだ」

人に好かれない悪魔は、人を好きになんてならないから無敵になった。
人に好かれたかった燐は、人を好きになってしまったから死にそうになった。
人間の中で育ったからだろうか。
大切な人が人間だからだろうか。
やっぱり燐は人間というものを捨てることができない。

「あと。今まで俺が無事だったのは、
たぶん。俺が答えなかったからなんじゃねーかな」

好きという言葉は一方だけでは成立しない。
お互いに思い合って初めて形になるものだ。
燐は血を吐いても、体を痛めても、体は他の悪魔と同じように消失しなかった。
この致死節は、言葉と同じくおそらく一方だけでは成立しない。
双方の言葉があって、初めて死への道が開ける。
まるで、告白のような死の言葉だ。
それが、燐の見つけた答えだった。

『なんやのそれ』
「だから、魔神を一発で倒す致死節がわかんなくて残念だなって話」
『なんでそんな話俺にしたん』
「だって、騎士も取っちゃってるけどおまえ詠唱騎士だろ。
本業の人に話して何が悪いんだよ。雪男、詠唱騎士の資格まだ持ってねーし」
『後生大事にもっておけって?あかんわー、この秘密こそが俺の致死節やで。
バレたらいろんな人に殺される』
「おまえ、約束は守る男だろ」
『でも時として嘘はつくで』
「ふーん」
『ほんまやで』

志摩は自分の逃げ道を作っておきたかったが、こんな爆弾を落とされては退避しようがない。
でも、秘密を共有することは、不謹慎ながら少しの優越感に浸ることもできる。
燐は、志摩の言葉を遮った。続きはすべてが終わってから聞くそうだ。
志摩は、待つつもりだ。今までずっと待っていたのだから、あと一日くらい待てるだろう。

「じゃあ、また明日な」
『うん、また明日』

死ぬなよ。と言われてそっちも。とだけ答える。
志摩と燐は友達だから、これくらいの距離がいいのだろう。
みっともなくわめいて泣くことなどありえない。
志摩は携帯電話を閉じると、くるりとUターンをして旧男子寮の前から帰っていった。
あがるつもりも。会うつもりも。最初からなかった。
だって、自分たちには明日があるのだから。



燐は、遠ざかる背中を屋上から見送って部屋に戻ろうとした。
あの背中を見ていると、心があたたかいものに包まれる。不思議だ。
ちょっと話しただけなのに、燐の心はこんなにも軽い。
少しだけ笑って見送って、燐は背を向けた。
扉をくぐる前に、一度だけ夜空を振り返る。
遠い空の彼方に、流れ星が落ちるのを見た。
願い事なんて柄ではない。
燐はなにも願わずに扉をくぐった。

燐は前を向く。死ぬつもりなんて、絶対にない。


告白して告げ口

今までの恋愛遍歴を見れば、その人の性質がわかるというが、
志摩の遍歴を一言でいうならば手当たり次第。とでもいうべきだろうか。
近所に住んでいた子から同級生に転校生。果ては観光客から道行く人まで。
志摩の心は揺れ動く。
ただ、それが長続きするかというとまた別の話である。
志摩がいいなと思った女の子が、自分の家族。
柔造はその筆頭だが、金造から父である八百造まで目移りさせていくのを
間近に見ると、志摩の心はすとんと切り替わる。
ああ、俺やのうてもええんやな。
そんなことが多くあったためか、
相手が自分が好きなのかそうでないかを見極める目が自然とついてしまっていた。

だからだろうか。恋愛沙汰に関していえば
志摩は、気になったことは解決させておきたいタイプだ。
悪く言えば我慢ができない。とでも言おうか。
自分に関わりのないことなら知らぬ存ぜぬを通せるが、
こと自分の中に入れた人間に対しては、心を傾けてしまう傾向にある。
それは志摩だけではなく志摩家全体に言えることなので、
もはやこれは遺伝と言っていいかもしれない。
弟と歩いていく燐の後ろ姿を、志摩は止めることができなかった。
だからだろうか、燐が無事であることをこの目で確かめたい。
そんな思いがよぎったのだ。

我慢は体に毒。と言い訳をして志摩は体調不良と偽って、
授業中ながら学園の廊下を歩いていた。
志摩は別に優等生ではない。
だから幼なじみの勝呂や子猫丸のようにまじめに授業を受けなくても、
良心は痛まなかった。
だいたい、上の兄金造などは志摩よりももっとひどいことをいっぱいしている。

どの程度ならサボっても学校に許されるかは、兄から学んだ部分もある。
志摩と燐は普通科だ。
だから、通りすがりに教室にいる姿を見れればそれでいいと思っていた。
燐のいるクラスの前を通りかかる。
ざっとみたが、一つだけ教室の席が空席になっていた。
あの目立つ姿は教室にはない。サボりだろうか。
志摩は教室には用はないとばかりに、急いで階段を駆け降りた。
いるとすればどこだろう。あの昼休憩の木陰。それとも。
かたん。という音がして、志摩は特別教室の廊下を見た。
補修授業などで使われる教室だ。いつもは、空き教室になっている。
サボるなら絶好のポイントだろう。
志摩は音のした教室の扉を静かに開ける。

ぱっと見。人はいなかった。気のせいか。
志摩が扉を閉めようとするとツンと鼻を突く、鉄錆のにおいがした。
ここは祓魔塾の教室とは違う。
あの祓魔の教室には日常的に悪魔が潜んでいるので、悪魔人間双方に生傷が絶えない。
血のにおいなど日常のことだ。
しかし、ここはそんな殺伐とした光景があっていい場所ではない。
昼間の、一般的な高校の教室なのだ。志摩は目を凝らして、教室の中を見た。
教室の隅でうずくまる。黒いものを見つける。
志摩は、後ろ手で扉を閉めて、その黒いものへと近づいた。
正十字学園の制服から延びる黒いしっぽが不安定に揺れていた。

「おくむら・・・くん?」

おそるおそる呼べば、相手は答えた。
血のにおいは、彼から香っている。
志摩の嫌な予感は、確信に変わった。
うずくまる燐の足下には、赤い血が滴り落ちている。
志摩は男子寮での出来事を思い出す。
駆け込んだトイレ。排水溝に消えていく血。致死節。

「・・・奥村先生、か」

志摩は携帯電話を取り出した。
外部と連絡を取られることを恐れたのか、弟に知られることを恐れたのか。
志摩にすがるように、燐は叫んだ。

「よせ!!」
「なんでや!奥村君、なんで先生に言わへんのや!」

志摩は怒鳴った。志摩は詠唱騎士を志望している。
悪魔を殺す詠唱を唱える術者だ。
志摩の家系は皆取っている称号の為、
詠唱で消える悪魔を幼い頃から何度も見てきた。

跡形もなく、欠片も残さずに消失していく姿。
まるで最初からいなかったみたいに消えていく。
悪魔は自身の致死節をよく知っている。
だから戦闘時には、自分を殺そうとする詠唱騎士を真っ先に狙う。
その死に至る言葉を拒絶するために。
しかし、燐はそうしない。
本能で理解した致死節を知っていながら、それを止めようともしない。
燐は、悪魔としての本能を拒絶して自身を死の間際まで追い詰めている。
志摩は納得がいかなかった。
燐まで、あの悪魔たちと同じように。
ある時からふと志摩の前から消えてしまうことを。
志摩はなによりも恐れていた。

「言えるわけないだろ!!」

燐は叫んだ。やはり、弟が放つ自身の致死節を止めようとはしない。
志摩は燐の胸ぐらを掴んで、自分と目が合うように持ち上げた。

「言うたらええやん!先生のせいで、奥村君はこんな傷ついとるんや!」
「だからだよ!」

志摩は続く言葉を飲み込んだ。燐はぽつりぽつりと心中を吐き出していく。
雪男のせいだ。なんてそんなこと言えるわけがない。
燐はか細い声でつぶやいた。
それが、いつもの燐らしくなくて、志摩はひどく動揺した。
自分のせいで兄を傷つけていると知ったらどう思うだろうか。
守ろうとしているものを、自らの言葉で傷つけているなんて。
それを知って、燐よりも傷つくのは雪男だろう。
雪男の好意は、燐を害す毒になる。
兄を守るために死にものぐるいで祓魔師の資格をとって、
高校生になった今も寮で監視をしている。
雪男は、本来なら高校に入った時点で燐と別れることができたのだ。
それを不可能にしたのは、燐が悪魔として目覚めてしまったから。
唯一頼りにしていた神父も、自分のふがいなさで死なせてしまった。
雪男の重荷になるつもりは、燐は更々ない。
そして、自らが死ぬつもりもなかった。
今という時間を壊したくなかった。
言えば、すべてが変わってしまう。
そんなことできない。
雪男は大切な家族で、燐にとってかけがえのない存在だ。
離れたくはないし、その好意を拒絶することもしたくはない。
うれしい気持ちは確かにあるのに、体はそれを拒絶する。
燐は魔神を倒すという信念がある。
それを叶えるまで、燐は死ぬことはできない。
だから、雪男に答えることはないだろう。
この不毛なやりとりで削られるのは自分の体だけだ。
だからこのままがいい。それは燐の正直な気持ちだった。
燐は志摩に縋って頼んだ。

「頼む、雪男には言わないでくれ」

瞳の奥の、赤い光彩が揺れている。
志摩は、取り出した携帯を握りしめた。
燐は、自分の状況から逃げない。逃げたりはしない。
そのまま、燐の肩を抱き寄せて寄り添った。
いつもの軽口を真似るように言葉を吐き出す。

「奥村君、好きや」
「・・・うん」
「好き」
「・・・うん」
「すき」

何度も口に出して、雪男の代わりとでもいうように志摩は燐に囁いた。
燐は、雪男の時のように好意から逃げたりはしない。
志摩の好意を受け入れて、感謝の言葉を口にする。
志摩の言葉は燐を追いつめないし、傷つけもしない。
ただ、優しく包み込むだけだ。

「・・・ありがとな。志摩、楽になった」

燐はうれしそうに、申し訳なさそうに笑った。
こんな顔をさせたい訳じゃない。
志摩は好きな子には笑っていて欲しいし、幸せになるべきだと思っている。
しかし、燐の幸せはどんな形をしているのだろう。
志摩には想像もつかなかった。

「俺は、約束は守る男や」

志摩はわざとらしく携帯電話をポケットにしまった。
燐は知ってるよ。と答える。
二人で少しだけ笑った。
まるで演技してるみたいだけれど、そんな器用なことはできないことくらい志摩も燐も知っている。

しばらくすると、燐は自力で立ち上がることができるようになった。
血だまりをそのままにしておくわけにもいかず、二人で掃除用具入れから雑巾を取り出して床にたまった血をふき取った。
燐がふき取った雑巾を洗いにいく間、志摩はもう一度携帯電話を取り出した。
何度か文字を打って、送信ボタンを押す。
志摩は連絡がつかないことを覚悟で、メールを送った。

「言わんとは約束したけど、メールするなとは言われとらんわ」

揚げ足を取るようなやり口で吐き出した思いは、電波に乗って飛んでいった。
ほどなくして、燐が洗い場から帰って来た。
志摩の様子に気づいた様子は全くない。志摩は誤魔化すように言葉を続ける。

「もう授業受ける気せぇへんな、このまま塾いかへん?」
「俺は別にいいぞ」
「じゃ行こ行こ、奥村君」
「なんだ、やけに急ぐ・・・」

燐が振り返ったところで、志摩は燐の唇を塞ぐ。
触れるだけの感触でも、血の味がした。
いったい、どのくらい血を吐いたのだろう。
日にちが立つごとに、燐の寿命は雪男の言葉でどんどん消費されていく気がする。

「口止め料って、こういうこというんかな?」

わざとらしく舌を出して唇を舐め取る。
へらりと笑えば、燐も真っ赤になって降りあげた拳を降ろすしかない。
唇を何度も触って、違和感を拭おうと必死になっている。
こういう初心なところがあるから自分につけ込まれるのだ。
志摩はおもしろくてしょうがなかった。

「次はねーぞ!」
「はいはいー」

怒った燐は教室のドアに乱暴に祓魔塾の鍵を差し込んだ。

志摩の携帯が着信を告げている。
着信の相手を確認して、志摩はつぶやいた。

「まだるっこしいことは、やめや」

告げ口をするずるい自分を自覚して、志摩は一歩を踏み出した。
魔神が物質界に侵攻をかけたという情報が入ったのは、祓魔塾に着いてすぐのことだった。

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