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CAPCOON7

青祓のネタ庫

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亡国のプリズム5


『いいですか、この先生き残りたければ人の顔と名前を覚えなさい』

それが雪男が教えられた最初の生きるための術だった。


男が勢いよく扉を開けて、王の間に入ってきた。
王の間は通常、衛兵が控えており王への謁見の許可がない者については
追い返すはずだ。衛兵は男の後ろをお止め下さい、と叫びながらも無理に止めることができず
戸惑っているようだった。
雪男は男の顔を確認すると、ため息をついた。
衛兵が止めれないのも無理はない。男はこの国の財務を司る大臣だったからだ。
男は肥え太った身体から、怒りを露わに雪男を詰った。

「王よ!とうとう乱心なされたか!!」

王座の前で髪を振り乱して、唾を散らしている。
後で掃除をしてもらわないといけないな、と雪男はまたため息をつく。
つくづく、人に迷惑をかけるのが好きな奴だ、と冷静に男の行動を見ていた。
そんな取り乱す様子のない雪男に焦れたのか、大臣がなおも雪男に向かって声を荒げる。
雪男はおろおろと焦る衛兵を哀れに思い、そっと退出するように促した。
王の間は、大臣と雪男の二人だけになった。これで外に情報が漏れることはないだろう。

「我が領土と財産を没収など、納得ができぬ!一体私が何をした!
此れまで身を粉にして国に貢献してきた者に対する仕打ちがこれか!!」
「え、貴方って仕事していたんですか」
「何を戯けたことを!!」

雪男は心底驚いたという表情で、それでも言葉を選んで発したつもりだったが
大臣にはその気遣いは通じなかったらしい。
雪男は持っていた書類の束を大臣に向かって投げた。
目の前に落とされた書類には、数多の写真もつけられている。
大臣はその書類と写真を見て、一瞬で言葉を無くした。
そこには大臣が女性と戯れているものや、その他言葉に表現できないようなものまで様々なものが
映し出されている。
雪男は冷ややかな目で大臣を文字通り見下した。

「不自然な金の流れがあると思って調査をした結果がこれだ。
長年財務大臣をやっていた貴方は国庫から金を奪い取り、私腹を肥やしていたことが揺るぎなく証明された。
大臣が国の金を盗るなど、盗賊よりも悪質だ。
よって貴方に下される罪状は国から与えられた領土の返還と財産の没収。かつ、国外追放だ。
命まで取らないことをありがたいと思って欲しいくらいですよ。本来ならば即座に斬首だ。そうだろう?」

貴方たちは昔から、そうやってきたでしょう。
雪男の冷酷な瞳を見て、男は身を竦ませるしかなかった。
確かに、本来ならば斬首を免れないほどの罪だ。
けれど男はなおも罪を免れようと雪男に向かって言った。

「だ、誰がお前を見つけてやったと思っているんだ!
王の座に座れるようになったのは私の、いや我々のおかげだということを忘れたのか!!」

あの滅びた村から救ってやったのは誰だ。
大臣はそう叫んだ。当時王家の血筋の者を一人残らず無くした国は荒れており、権力争いが絶えなかった。
次代の政権を握ろうと考える者たちは正当な王の血筋に連なるものが残ってはいないかと血眼になって探した。
王家には、血生臭い争いが絶えず、権力争いの火種を潰すために
王座に着いた者以外の血族が根絶やしになることは日常茶飯事であった。
そんなほの暗い争いを王の周囲の者たちは知っていた。
その中で一番の年長者が、口に出してはならないと言われる名を思い出したのだ。

王家を追放されたユリ=エギンという娘がいる。

表向きは斬首による処刑で死亡扱いだったが、
子を身ごもっていた為使用人たちが協力して彼女を逃がしたと聞いている。
その子が、悪魔と通じて出来た子だということも。
敵である悪魔の血を引く子だとしても、追いつめられた彼らにとっては天使のように思えた。
悪魔と言ってもまだ子供、使える者は使え。

そして雪男は、この醜い場所へと連れてこられた。
母と兄を失って、この場所で生きるしかなかった。
雪男は一瞬で大臣の眉間へ銃口を向けた。
大臣には雪男がどう移動して自分の傍に来たのかも見えなかっただろう。
王として生きていく為に、全ての技術を見に着けてきた。
雪男は王としての知識と共に、騎士団長クラスの実力を兼ね備えている。
そうしなければ、生きてこれなかったからだ。

きっと次に目覚めたお前の世界は、ここよりもずっと綺麗な世界だ。

兄の最後の言葉を思い出す。
遠く、夢に落ちる寸前に聞いた兄の言葉は今でも雪男の心を締め付ける。
兄は全てをわかっていたのではないだろうか。
あの後起きた全てのことを。

「この王座という場所は、この世のどんな場所よりも汚いですよ。
そんな場所に座れたことを感謝しろと?よくそんなことが言えたものだ・・・」

かちりと雪男は銃の安全装置を外した。これでいつでも大臣を処理することができる。
温情をかけて命を取ることだけはやめてやろうと思ったのに、墓穴ばかりを掘る馬鹿な輩だ。
大臣は怯えて額からは脂汗をかいている。
死にたくない死にたくないと口からは呪詛の様に言葉を呟いていた。
口から出る言葉は本当だろうが、時間稼ぎの意味合いもあるだろう。

「貴方の子飼いの者たちは、皆秘密裏に処理しました。後は貴方だけだ。
助けを待っても無駄ですよ」

あの計画に係わっていた者たちは皆、この王宮の中にはいない。
そう呟けば、大臣は今度こそ、全てを諦めたようだった。
雪男は畳み掛ける。

「言え、あの時。僕たちの村が滅びた時。一体何があったんだ!」

雪男が起きた時、全ては終わっていた。
その全貌をこの男は知っているはずだった。
男はためらいながらも、当時知っている全てのことを雪男に話し始めた。

王の間には、一発の銃声が響いた。

***

王の間を開けると、そこには倒れ込む大臣と傍に佇む雪男がいた。
ああ、これはいけない。
メフィストはにやりと笑って扉を閉める。
王の間から銃声が響き、けれど決して開けるなと王に命令されていた衛兵は
メフィスト=フェレスに助けてくれと声をかけた。
彼はふりふりのメイド服姿で王宮内をうろついている妖しい人物なので、すぐに見つけることができた。
メフィストは雪男の後見人を務めている男だ。

十五歳の雪男は例え王であったとしても成人までは後見人をつけなければならない。
メフィスト=フェレスは変わり者の変人であったけれど、まるで悪魔のように人の心を読み、頭が切れた。
雪男に帝王学と生きていく為の知恵を教えたのもメフィストだ。
メフィストは見込みのある人間には助力を惜しまない。
雪男は自らの地位と立場を固める為に、使える者は胡散臭いことこの上ないメフィストさえも使った。
王の教師としての面と、後見人としての面を持つ彼は、
一階の衛兵が首を突っ込めないこの国の暗部を見ても問題のない数少ない人物だった。

メフィストは目の前の光景を見て、衛兵の機転に関心した。
自分から扉を開けるようなことをせず正解だ。
あの男には後で口封じの意味も込めて報奨金をあげてもいいかもしれない。
メフィストは笑いながら雪男に声をかけた。

「殺したんですか?」

雪男は答える。足で倒れている大臣を蹴り飛ばした。

「残念ながら気絶してるだけです。頬を掠ってすらないのによく撃たれたって思えますね」
「それだけ貴方の本気が伝わったってことじゃないですか」

王が大臣を殺すなどあってはならないことだ。
例え正当な理由があろうとも、王が乱心したと他人に捉えられてもおかしくはない。
自分の立場を危うくさせることをわかっていてやったのだろう。
そうまでして、得たい情報があった。

「・・・生き別れた兄さんを探すために、王の立場は都合がいい。
村も、家も、家族も。何もかも無くして絶望していた僕にそう呟いたのは誰だったか。
今はもう思い出せません」

目覚めた時には全てが終わっていた。
子供だったこともあり、あのころは状況が上手く呑み込めてはいなかったのだろう。
兄を探し出して、この王宮で共に暮らすことを心の支えにしなければ過酷な状況の中生きてもいけなかった。
けれど、成長して知識を見に着けていくうちにあの頃の状況に不可解な点が多いことに気づいたのだ。

「僕達が魔神の落胤だったことを、この人たちは知っていた。知っていて利用しようとした。
あの時兄さんに選ばせたんだ。僕か自分か、どちらか一人だけ生き残らせてやると。
最初から、兄さんを生かす選択肢はなかったくせにッ」

あ、あいつは。あの悪魔の力は使えると思ったんだ。
だから、あいつの心臓を奪って、倶梨伽羅に封印した。
騎士団長が持っている倶梨伽羅が悪魔を祓う力を持っているのは、そのためだッ
村は、奪った炎の力を試すために燃やした。
どうせ疫病が流行っていた村だ、遅かれ早かれ滅びていた。
だから、周囲に病が広がらないように燃やしてやったのだ。
人も、家も、何もかもが消滅した。あの炎には魅せられた。
悪魔の侵攻もこれで止めることができると皆で喜んだ。
あれは、全てを薙ぎ払う武器としてこの国の礎になったのだ!

「心臓を奪った身体はね、悪魔の餌にでもなるだろうって荒野に捨てたそうです」

雪男の指は今にも大臣の心臓を撃ち抜きそうだった。
今日、この手で倶梨伽羅を騎士団長に手渡した。
あれには奪われた兄の心臓が収められていたのだ。
それを他人に渡して、あまつさえそれで国に侵攻する悪魔を祓うなど。
なんという茶番だ。
今すぐにでもこの国も、自分もめちゃくちゃに壊してやりたいくらいだった。
一刻も早く、倶梨伽羅をこの手に取り戻さなければ。
取り乱す雪男を、メフィストは諌めた。

「王よ、騎士団は既に前線へ向かっております。今から呼び戻しても手遅れかと。
それに、敵の侵攻も始まっておりますし」
「そんなことはわかっているッ!!」

その作戦を立てたのは雪男だ。
雪男の手からは血が滲み出ていた。
この期に及んで、倶梨伽羅を悪魔に奪われるようなことがあれば雪男は自分が許せない。

今日の儀式の時にいた騎士団長、彼はどんな名前だっただろうか。
そう考えて、思い出せない自分がいた。
いや、端から覚えようとはしていなかったのだ。

騎士団長は戦争に行くたびに名前が変わる。
十人を超えたあたりから、彼らの顔も名前も覚えることを止めてしまった。
見知った人を無くすより、名前を知らぬ人を無くした方が悲しみは少ない。
何度も何度も人に死ねと命じるしかなかった雪男が見つけた処世術だった。
彼は儀式なので顔を一度も上げることはしなかったけれど、自分と同じ黒髪だったことは覚えている。

「フェレス卿、現在の騎士団長は誰なんですか。名前を教えてください」

雪男は問いかけた。
メフィストは道化のようにおどけてみせる。

「教えれば、これ以上取り乱さないと誓いますか?」

問いかけに問いかけで返すメフィストにイライラとしながらも雪男は頷く。
王としてやってはならないことをしてしまった自覚はある。
一つ深呼吸をして、雪男は心を落ち着けた。
これ以上、取り乱すことはないとその時は思った。
メフィストは淡々と雪男の疑問に答えた。

「彼の名前は奥村燐。副長の話によれば、
青い瞳に、赤い虹彩が人目をひくそうです―――そう、王よ。
まるで貴方と同じ色合いですね」

雪男は自分の手から銃が零れ落ちる音を聞いた。

いいですか、この先生き残りたければ人の顔と名前を覚えなさい
それが雪男がメフィストから教えられた最初の生きるための術だった。
その声がどこか、遠くに響いている。


僕は守りたかった兄を、自らの手で戦争に送りこんでしまったのだ。


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青い炎で焼かれて死のう


燐が目を覚ますと、いつもの部屋のいつもの天井が見えた。
木目や色合いも何時もの通りだ。けれど燐は心臓が破裂しそうなほど緊張していた。
起き上がってシャツを見れば汗で濡れている。気持ち悪い。
すぐにでもシャワーを浴びたいくらいだった。

「兄さん、どうしたの?」

聞き慣れた弟の声にどきりと身をすくませた。別に悪いことをしているわけではないのに。
燐は弟の方を見た。祓魔師の団服を着ている。今から任務に行こうと準備をしていたのだろう。
燐は慌てて布団を出ようとした。朝ごはんの準備をしなければ。
雪男が任務に行くとわかっていたらもっと早く起きて準備をしたのに。
燐の慌てた様子を見て、雪男が答えた。

「さっき突然連絡があったんだ、ご飯は昨日の残りを食べたから気にしないで」
「今日休みだったんだろ、いいのかよ」
「悪魔は待ってくれないからね、仕方ないよ」

行ってきます。と言い残して雪男は寮のドアに鍵を差し込んで出て行った。
今日くらいは弟もゆっくりできるだろうと思っていた分、急な任務を振る騎士団に対して
不満が湧き上がってきた。別に雪男でなくてもいいだろうに。
平日は学校と塾、休日も任務となればいくらなんでも体を壊す。

一回メフィストに労働基準法違反について訴えるべきだろうか。

燐はそう思って、ぶるりと身を震わせた。自分で考えておきながら、やめておけばよかったと思い直す。
雪男には悪いが、早く部屋を出ていってくれたのは幸いだった。
燐はベッドを降りて、床に足を付けた。
気持ち悪い、身体が気持ち悪い。燐は足早に風呂場に向かった。
身体の奥底から、何かが流れ出している。
頭の中にメフィストの声が響く、燐は頭を振ってメフィストの声を振り払おうとした。

「夢だ、夢のはずなんだ・・・」

けれど脳裏に浮かんだメフィストの姿はまるで現実に起こったことのように思える。
燐はそれだけは否定したかった。



草木も眠る丑三つ時。
正十字学園旧男子寮も眠りの闇の中に包まれている。
月の灯りから逃げるように、影に舞い降りる白い悪魔。

「こんばんわ、奥村君」

メフィストはベッドで眠る燐に話しかけた。けれど燐が起きる気配はない。
メフィストの背後にいる雪男も起きる気配はなかった。
いつもなら、悪魔の気配を感じて飛び起きる雪男も何事もなかったかのように眠っている。
部屋の中には紫色の煙が立ち込めていた。
その煙はメフィストが人差し指をくるくると回す度にゆっくりと部屋に満ちていく。
悪魔が灯す眠りの煙は、例え何があろうとも部屋の住人を起こすことはない。
部屋の中から、大切なものが奪われようとも。
メフィストは眠っている燐のベッドに手を差し伸べた。
ばちりと結界によってメフィストの手が弾かれる。大方、弟が眠っている兄の為に張ったのだろう。
この程度の結界、メフィストにとって破ることは造作もない。
指を鳴らせば、鏡が砕けるような音が響いた。それでも燐が起きる気配はなかった。

「奥村君」

メフィストは結界の奥で眠っていた燐をそっと抱き起した。
力の入っていない体はメフィストの腕に燐の重さを確かめさせる。
とくんとくんと温かい、生きている温度が感じられる。

「今宵も、私と共に」

メフィストがスリーカウントを唱えると、二人の姿は煙に包まれて消えてしまった。


眠る燐をそっと自身のベッドに下すと、メフィストは満足げに笑った。
部屋の中は暗闇で包まれており、一切の光はない。それでも悪魔の瞳は燐の全てを見ることができる。
横たわる体からは甘いにおいが漂っていた。
メフィストはその甘いにおいにつられるように、燐の体の上に覆いかぶさった。
手をそっとシャツと肌の間に差し入れる。燐の肌は温かく、その身に眠る青い炎の熱を彷彿とさせた。
対してメフィストの手は冷たく、体温は感じられない。
燐もメフィストの冷たさから逃れるように身をよじっている。
意識があれば、飛んで逃げているだろう。
メフィストの手は、死人と同じだ。

「奥村君、私の体はね。もう死んでいるんですよ」

だからこんなにも冷たいのです。大昔に憑りついた人の体はとうにその生命活動を停止している。
悪魔は死人の体を動かして、生きているかのふりをしているだけだ。
上級悪魔であるメフィストを受け入れることのできる人の体は稀だ。
この体を失えば、次の憑依体を見つけるまで何年かかるだろう。
下手をすれば見つからない可能性だってある。

身体を持たずに生まれてきた悪魔が行きつく先は皆同じだ。
メフィストの兄であるルシフェルがなっているように、人の体は持たなくなれば崩壊を始める。
それでもその体を捨てることができない。
メフィストは燐の体を抱いてその体温を味わうようにそっと耳にささやいた。

「貴方はとても温かいですね」

生きている悪魔は貴方だけしかいない。
この体にどれだけの悪魔が憧れているのか、それを貴方はわかっていない。
叶うことならば今すぐにでもこの体を奪ってしまいたいくらいだ。
けれどそうしてしまうと、大いなる楽しみを無くしてしまうことになる。
それだけは我慢しなければならない。

「でもね我慢は悪魔にとって毒も同然なのです」

メフィストは眠る燐の首に噛みついた。
燐の体が反射でびくりと揺れる。
怯えているような仕草にメフィストは高鳴る胸の鼓動を押さえられなかった。
そのまま燐の体を覆っていた服を乱暴に奪っていく。
燐の足を大きく広げて、体を間に差し込んだ。

「今宵も楽しみましょう。貴方も私も、ね」

メフィストの部屋からは眠っている燐が漏らす悲鳴とベッドの軋む音が響いていた。


***


燐は風呂場に駆け込むと、急いでシャワーを頭から被った。
冷たい水を浴び続ければ火照った体が冷えていくと思った。
燐の体には、昨夜の痕などなにも残っていない。
メフィストが傷をつけようとも、燐の悪魔の体は朝までに何事もなかったかのように修復してしまう。
けれど、そんなメフィストが燐の身体に残したものがあった。
それは。

「なんだよ、どうして俺・・・」

身体の奥から流れ出すものは、燐の記憶にないものだ。
眠っている夢の中で、燐は何度もメフィストと関係を持っている。
けれどそれは夢のはずで、目覚めれば何事もなかったように朝を迎えている。
今まではそうだった。
でも、ある時目を覚ますとこうなっていた。
まるで思い知れとでもいうかのように、燐の体の奥にはメフィストの残滓が残されていた。
当然、それを初めて知った時は吐いてしまい、トイレから一日中出ることができなかった。
眠ることに恐怖を覚えた。この恐怖をどう表現していいのかもわからず、誰にもいうことはできない。

眠らないで朝を迎える日もあったけれど、何日も眠らないわけにはいかなかった。
意識を失った日には、当然のように同じ夢を見た。
むしろ、無駄な抵抗だというようにもっと乱暴なことをされる夢だった。
起きているときにメフィストに問いかけても、きっとはぐらかされるだけだろう。

冷たい水が湯に変わる頃、燐は体を洗い始めた。
メフィストの痕跡を消すように。燐の体は水で冷え切って冷たい。
燐は覚えている。
この冷たさは、メフィストの手のようだ。
死人のように冷たくて、燐の体を無理やりに熱くさせたあの手のようだ。

「アイツ、絶対許さねぇ」

死者をもう一度殺す方法を、燐は知っている。


亡国のプリズム4


男はずかずかと家の中に入ってくると、ベッドの脇にいた燐を突き飛ばした。
大人の容赦のない力を受けて、燐は壁まで吹っ飛んだ。息ができない。
咳をして、なんとか空気を肺に取り込んだ。
苦しい。雪男の前に立った男は雪男の状態を見ていた。
燐は雪男に暴力を振るわれてはいけないと必死に男の足にすがりついた。
男はまるでゴミでも払うかのように足で燐を払いのける。

「問おう、お前は人間か悪魔か。どちらだ」

男は燐のことを値踏みするかのような目で見ている。
燐は考えた。村の人は自分のことを悪魔だと言った。
自分が他の人からどう見られているのかはイヤと言うほどわかっている。
けれど、心までは悪魔になんかならない。
病気の母を遠ざけて、自分たちにこんな仕打ちをする。
村の大人の方がよほど悪魔のようだ。
燐は立ち上がって言った。

「俺は、俺だ」

悪魔のようだと言われても、悪魔にはならない。
燐の目を見て、騎士団の男はあざ笑うかのように言った。

「ではこの弟の方が悪魔か?」
「雪男は人間だ!」
「だろうな、疫病にかかるのは人間だけだ。
魔女裁判のようにはなるが悪魔は人の病気にはならない」

つまり、お前自身の答えに関わらずお前は悪魔ということだ。

「村人から、お前が青い炎を使うと聞いている。本当か」

尋問されている。答えを間違えればどうなるのかわかっているな。
そんな言葉が聞こえてくるようだった。

俺はこの力を人のために使いたかった。
人を害するためじゃない。
家族を幸せにできるような。
優しいことのために使いたかった。


母さんが言っていたのはこういうことだったんだな。
燐は死んだ母の言葉の意味を噛みしめる。
ここで男の言葉を否定しても、無意味だろう。

「・・・そうだ」
「弟もそうか」
「雪男は関係ない、俺だけだ」
「炎をみせろ、言うことを聞かないとどうなるか・・・わかるな」
「やめろっ!雪男に手を出すな!!」

燐は雪男に向けられた剣を青い炎で燃やした。
青い光がぼろぼろになった家の中を照らし、周囲の騎士団の者達も恐れおののく。
燐は雪男の前に立って、必死に背後に隠す。
燐にとっては唯一残された家族。なんとしても守りたかった。
けれど、人は燐をただの悪魔としてしか見ない。
やはり悪魔だ。悪魔の子だ。口々に騎士団のものはそう叫んだ。

「青い炎は魔神の証。ユリ・エギンの子であることを証明する唯一のものだ。
この兄弟は間違いなく、王族の血筋に連なるものだ」

けれど双子の王など災いを招くだけ。男は部下に命じて紫色の布に包まれたものを持ってきた。
中から青く美しい刀が取り出される。王家に伝わる魔剣、倶利伽羅だ。
その切っ先を男は燐へ向ける。

「選べ、お前が死ねば弟は生かしてやる。
逆にお前が生きたいと望めば弟は殺す。さぁどうする」

燐には意味が分からなかった。母の子であることがなぜ王家に連なることになるのだろう。
自分たちの知らないところで、何かが動いていると感じた。

今、燐と雪男は生きるか死ぬかの瀬戸際に立っている。

男たちは笑っていた。この男たちの望みはわかっている。
それは雪男を生かすという自分の望みと重なるものだった。
けれど、自分がいなくなった後、雪男はどうなるのだろう。
母も亡く、自分もいなくなった後雪男は。

「ひとつ聞きたい、雪男をどうするつもりだ」
「・・・王の血筋である者だ。病を治し都へお連れする」
「約束しろ、雪男の害になるようなことはしないって」

約束してやる、と別の男が笑いながら答えると男の手が青い炎で燃えた。
燐はすぐさま取り押さえられるが、抑えられた者達もまた青い炎にのまれる。

「雪男になにかしてみろ、絶対に許さない」

俺の炎を忘れるな。
幼いながらも悪魔としての殺気を放つことで、周囲の男たちは距離を取る。

「では、弟を生かし兄を殺す。異論はないな」

騎士団と燐の間で、取引は確かに成立した。
あとは、燐が死ねば全てが終わる。

男の一人は雪男の治療をすると言い、薬の用意を始める。
燐も雪男に対して変なことをされないように目を光らせていた。

村で流行っていた疫病は、都では治療薬が発見されており薬で治るものになっているらしい。
けれど感染力が強く、かかればひどい熱に苦しむことになり体力のない女性や子供が多く亡くなっている。
薬も一部の金持ちや貴族ならば購入できるが、まだ一般的なものではない。
この男も雪男が王族の子だからこそ治療をしたのだろう。
現に村で苦しんでいる人に対して何かをしようとは思ってはいないようだ。

同じ村で死ぬ者もいれば、生きる者もいる。
理不尽な世界の現実を燐はその目で見つめていた。

「これで弟は大丈夫だ。次はお前が約束を守る番だ」

熱で苦しんでいた雪男も薬のおかげで体調が安定したようだ。寝息が落ち着いてきている。
燐は一晩だけ時間をくれないかと騎士団の男に頼んだ。

「無理を言っているのはわかってる。
けど、これで最期だから。弟にちゃんと別れを言いたい」

必ず約束は守る、と燐は告げた。
男たちは兄弟が逃げないように家の出入り口を塞ぐことを条件に一晩だけ燐に時間を与えた。
逃げようとすれば、わかっているな。と含ませておくことも忘れなかった。
男達は外に出ていく。
次にこの家の扉を出るときは、燐が死ぬときだ。


燐は雪男の為に家にあるものを使ってスープを作った。
都では捨てる動物の骨から出汁を取り、草の葉と根が入っただけのスープだ。
燐は雪男をそっと揺り動かして起こした。
このまま寝かせてやりたいけれど、少しでも雪男の心に残るようなことがしたかった。

「雪男、スープ作ったんだ。一緒に飲もう」

雪男はまだ熱はあるようだったけれど、薬のおかげか苦しさはひいているようだ。
燐の言葉に誘われて自分でなんとか起きれるくらいにはなっているらしい。
雪男は燐からスープを受け取ると、少しだけ口に含んだ。
兄が作る料理はいつも優しい味がする。

「おいしい、ありがとう兄さん」

燐はだろ、と笑う。雪男にはいつもの兄の姿だった。
この晩、一つだけ違ったのは燐が一緒に寝ようと言ってきたことだった。
雪男は自分のことが心配でそうしているのだろうと思って、
申し訳ない気持ちになったけれど兄と一緒に寝ることは子供心にとてもうれしかった。
もう自分達にはお互いしか残っていない。

雪男は燐の側に寄り添った。
熱のある体は、いくら布をかけても寒気が起こる。
粗末な布団とも呼べない、布しかないこの家では隙間風も身にしみる。
燐は震える雪男の体を抱きしめて、自分の体温を分け与えた。
なぜだろう、雪男は母が死んだときのことを思い出している。
家族を亡くす恐怖を思い出して、雪男は燐に告げた。

「明日もまたスープ作ってね、兄さん」

雪男は燐の手を握って言った。
兄は約束を破ったりはしないから、きっと大丈夫だ。
燐は答える。


「ああ、うんと美味しい物食べさせてやるからな」


おやすみ雪男。
きっと次に目覚めたお前の世界は、ここよりもずっと綺麗な世界だ。

燐の心からの言葉は眠りに落ちた雪男の耳に届いただろうか。




次に雪男が目を覚ますと、空になったスープの器が残されていた。
どうしてだろう。
がらんとした家の中、イヤな胸騒ぎを感じていた。。

「兄さん・・・どこ?」

雪男はベッドから抜け出して、家の扉を開けた。
村は、跡形もなくなっていた。

亡国のプリズム3


燐その力を使ったりしないで。
その力は悪いものを呼び寄せるの。
絶対に、何があっても使ってはだめよ。

母は、燐の手を握って繰り返しそうつぶやいた。
あの夜を境に燐は一度も炎を使っていない。
母は、この力をよくないものだと思っているらしい。
燐は二人の役に立てるのではないかと思っていたのに。

どうして、そんなことを言うんだよ。
この炎があれば夜の寒さに肩をふるわせることもないじゃないか。

燐は体が丈夫だが、母や雪男は体が弱い。
二人が寒さに怯えずに過ごせるのなら俺はこの力を使いたい。
なんで使っちゃだめなんだよ。
燐は母にそう訴えた。
ユリはそっと燐の頭を撫でる。

「燐はとっても優しいのね。
ありがとう、でも燐の力を使おうと悪い人たちが寄ってくるかもしれないの。
母さんはそれが心配なのよ」
「平気だよ、俺力強いから追い返してやる」

燐はベッドに横たわる母にそう語った。
ユリはもう起きあがることもできなかった。

あれからすぐに村に疫病が流行り、体の弱いものは次々に倒れていった。
ユリもその疫病と見られる症状が出ており、家には人が寄りつかなくなった。

それに森で狩りをする幼い燐の姿を、よく思わないものがいるのも事実だ。
子供の姿をしているのに、大人顔負けの力を使いこなし獣を殺す。
すべては家族を生かすためにやていることだけれど、他者にとっては恐怖しか与えなかった。
血塗れの獣を平然と抱える姿から、燐を悪魔だと噂するものも少なくはない。
疫病患者に、悪魔のようなこどもがいる家に、情けをかけるものはいなかった。
治療できるような医者もいない地方では、病気にかかったものはただ死を待つしかない状態だ。

「母さん、森で鳥を捕ってきたんだ。食べよう」

燐はユリにスープにしたんだよ、と話しかけた。
森に入ってはいけないと言われていたが、食べて行くには獣を捕らなければいけない。
まだ働けない兄弟にはそれしかできなかった。
母を生かさなければならない。

燐は必死だった。同じく、雪男も必死だった。
雪男は頭が良かったので医術にまつわる本を読んで、薬草を採ってきては母に飲ませていた。
けれどそれは根本的な治療にはなっていない。
せいぜい、滋養をつけさせる程度の効果しか見込めなかった。

薬を持ってきた雪男も、燐の隣に座る。
雪男は薬を、燐はスープを母に差し出した。
ユリはそれを黙って受け取った。
薬を口に含み、スープを飲み込む。

「おいしいわ、薬も効いてきたみたい。ありがとう二人とも」
「ねぇお母さん、今日一緒に寝てもいい?」

雪男がそう言うとユリは病気がうつってしまうからだめよ、と言う。
子供に自分の病気をうつしたくないという気持ちと、
母親として一緒に添い寝もできないのかという思いでユリは辛そうに微笑んだ。
雪男も母の心配は痛いほどわかった。

もう時間がないことはこの場にいるだれもがよくわかっている。

雪男の背中を押すように燐が俺も一緒に寝たいと言い出した。
二人は止める母の言葉を聞かず、布団の中に潜り込んだ。
あたたかい体温に囲まれて、ユリは微笑んだ。

自分の手がもう折れそうなほどに細くなってしまったことをユリは知っている。
その手で二人の頭を撫でた。
彼らの大きくなった姿が見られないことをとても残念に思う。

「苦労をかけて、ごめんなさい」
「苦労なんかしてない」
「そうだよ」

兄弟は母の言葉を否定した。ユリは両脇に兄弟を抱えて、幸せそうに微笑んだ。
どうか幸せに。それだけを心の底から願う。

ありがとう大好きよ。

ユリはそう言い残して、そっと目を閉じた。

その夜、兄弟は眠ることはできなかった。
母の体温がどんどんなくなっていくのを、必死で暖めようとしたけれど無意味だった。
翌朝泣きはらした目で兄弟は母の名前を呼んだ。
けれどユリが、目覚めることは二度となかった。


疫病で亡くなったものは、速やかに火葬しなければならない。
そういう取り決めになっている。土葬すれば、そこからまた病原菌が沸くこともある。
けれど、村での死者は増え続け火葬する時も何体もの遺体をまとめて焼くようになってしまっている。
燐も雪男もそれがイヤだった。
母が、誰かも知らない村人とともに焼かれることがイヤだった。

自分達の母は自分達の手で送り出してやりたい。

けれど、遺体を焼くほどの火力となるとかなりのものになる。
薪もいるし火の周りが早いようにある程度の火種も入れなければならない。
自分達だけでやるには難しいだろう。
母の横たわるベッドを見て、雪男は燐にお願いをした。

「兄さん、母さんを兄さんの炎で送るのは。だめかな」
「雪男・・・」

燐は隣にいる雪男を見た。顔は涙で濡れている。
母には決して使うなと言われた力だ。燐は一瞬躊躇した。
大切な母親を送り出すために、この力を使っていいのだろうか。
悩む燐に雪男が話しかける。

「兄さんの炎ってきれいだから、それでおくってもらえたらいいかなって思ったんだ」

アクセサリーも何もない、胸に兄弟が摘んできた花だけを置いた母へのせめてもの手向けに。

燐は雪男の言葉にうなずいて、そっと手を母の前に差し出した。
もう片方の手は、雪男が握る。

「さようなら母さん」

二人で泣きながら、母親にお別れを告げた。
優しい青い炎に包まれた母の最期は、とてもとても美しいものだった。

炎が収まると、ベッドの上には何も残ってはいなかった。

「兄さん、ずっと一緒にいてね」

雪男は泣きながら燐の手を握った。
この家にはもう兄弟しかいない、頼れるものはいなくなってしまった。

「約束するよ」

二人は離れないようにただ手を握っていた。


***


「悪魔の血を引くこどもなど汚らわしい!」

消えたユリの遺体についていつまでも秘密を抱えておくことは狭い村社会の中では無理な話だった。
雪男と燐は石を投げられ、村人に糾弾されていた。
ユリが死に、その遺体が消えた。
疫病患者の遺体は火葬しなければならない。それは村の掟であり、また国の命令だ。
当初は遺体を森に隠しているのだろうと疑われた。
二人は必死に村人に抵抗したが、雪男に向けて暴力が振るわれそうになったとき。
燐は、使ってはならないと言われた力を使ってしまう。

「雪男に手出すんじゃねぇ!」

青い炎で、村人の手を焼いてしまう。
村人は痛みで転げ回り、周囲で見ていた者は化け物を見るかのような目で燐を見つめた。

悪魔だ、この村に悪魔がいる。
汚らわしい。この疫病も、この悪魔のせいなんだ。

逃げていく村人。村の有力者は、騎士団の方を招くと言い残し、去っていった。
あとには、ぼろぼろになった家と、雪男。血を流す燐が残された。

雪男は燐にすがりついて、ごめんなさいと涙を流した。
あのとき、僕が母さんを燃やそうと言わなければこんなことには。
燐は雪男を抱きしめて、そんなことはないと言って慰めた。
悪魔だと言われて、燐は自分が人間ではなかったことにショックではあったが反面妙に納得していた。
母は力を使ってはいけないと言っていたし、やはり自分の持つ力は他とは違うものだったのだと気づいた。

一番近くにいる雪男とも違う。
人間の中に混じった異端の悪魔。

弟である雪男は間違いなく人間だ。
せめて雪男だけでも人の中で暮らしていけるようにしてやりたい。
俺はここにいては、雪男の邪魔になってしまうかもしれない。
村人の暴力は人である雪男にまで向いてしまった。
俺のせいた。だから雪男、お前が謝ることじゃないんだよ。

「雪男、ごめんな」
「どうして兄さんが謝るの。兄さんは何も悪いことしてないよ」

母を亡くしてすぐに人から悪意ある目で見られることは、
どれほど幼い心に負担になっただろうか。
雪男は燐にしがみついて離れようとしなかった。
燐はそこで雪男の変化に気づく。体が熱い。

まさか。

燐は手の平を雪男の額に乗せた。
額はかなりの熱さになっている。高熱だ。体にも力が入っていない。
雪男、燐は震える声で雪男に問いかけたが雪男が答えることはなかった。

「雪男!いやだ、うそだろ!!」

この症状は、母さんの時と同じだ。
燐は急いでぼろぼろになった家の中に入り、ベッドの上に雪男を横たわらせた。
雪男まで病気になってしまうなんて。
母さんの病気が移ってしまったのだろうか。

ならなぜ自分だけ無事なんだ。もしかして俺が悪魔だから無事なんだろうか。
雪男は人間だから、病気になったのか。

燐には雪男のように薬草に関する知識はない。
燐は熱でうなされる雪男の額に水で冷やしたぼろぼろのタオルを何度も乗せた。
けれどそれで熱が下がることはない。
ここには解熱剤もなければ、疫病に効く薬もありはしない。
燐にできることはせいぜい、森で捕ってきた獣を与えることしかできない。
燐は恐怖を感じた。母も亡くし、弟も奪われるのではないかという心の底からの恐怖。
俺が二人の代わりになれればよかったのに。
そんなことを思ってしまうくらい、燐の心は絶望に満ちていた。

「誰か・・・ッ」

助けてくれ。雪男を助けてくれるなら、俺なんでもするよ。
燐は一晩中願った。雪男の体温はどんどん暑くなり、もはや一刻の猶予も許されない状態だ。
雪男はこどもなので、病気の進行も早いのだろう。

誰か、助けて。雪男を助けて。


「その願い、叶えてやろうか」


燐が振り返ると、そこには見知らぬ男達が立っていた。
胸元に光るマークは、この国の直轄機関正十字騎士団であることを示している。

亡国のプリズム2


悪魔の血を引く子供など汚らわしい。

それが、母が死んでから人から最初にかけられた言葉だった。


正十字国のはずれには小さな町があった。
町と言うよりも、村に近い小規模な集落だ。
ただ、国境からは遙かに遠く内陸に位置していたため村は貧乏な暮らしの者は多いけれど平和に暮らしていた。
町の片隅には少し変わったある親子が暮らしている。
母の名はユリ。子供は兄を燐、弟を雪男といった。
兄弟は二卵性の双子で、弟の雪男は未熟児で体が弱くよく倒れては
母や兄に心配をかけるような子供だった。

双子の母親ユリは美しい女性であった。
町の者は皆、行き倒れるようにしてこの町にやってきた母の姿を覚えていた。
身重の体でも、粗末な食べ物を前にしても人に感謝を忘れない。
まるでどこかの貴族の女性のような振る舞いがユリからは感じられた。
どんな時でも、美しく気高さを忘れないような女性であったと。

ただし、料理が苦手だったことは兄弟の中でも特に印象に残っている。
目の前の皿には、紫色の液体が浮かんでおり、
兄弟はお互いに顔を見合わせて母親に声をかける。

「母さん、これなに?」
「何ってスープよ」
「何の?」
「さぁ・・・なにかしら」

母はおっとりと笑うだけだった。
なにかしらって作ったのにわからないの。材料を聞きたいけれど聞けなかった。
この家が貧乏なことはよくわかっている。
救いとして口に入れて倒れるようなものではないが、
進んで食べたいものでもないのが問題だ。

燐はちらりと隣にいる弟の雪男の様子を確かめた。
雪男も我慢をして食べているのが目に見えてわかる。
雪男はついこの間も風邪で寝込んだばかりだなので、ご飯を食べて栄養をつけなければならない。
母は子供のためを想って行動しているのだが、苦手なことばかりはどうしようもない。
なんでも料理をあまりしたことがないらしいので勝手がわからないそうだ。

母も子供に食べ物を与えることをなにより優先しているので、
体の線も日に日に細くなっていく。このままではいけない。

燐は家族のために立ち上がることを決意する。



ある日、燐は家から持ち出した果物ナイフを持って森に来ていた。
森の中には木イチゴやブルーベリーがなっているので村の者たちもよく立ち入ることがあった。
けれど、それはあくまで森のごく浅い部分での話だ。
森の奥には獣が多く潜んでおり、仕留めれば肉には困らない。
けれど、それも仕留められればの話。
野ウサギや鳥がいるということはそれを狙う狼も潜んでいる。
特に、子供だけで森に入ることは村でも禁止されていた。

燐は木イチゴを摘んで腰に下げた袋に集める。
母や雪男へのお土産だけど、お腹が空いたらつまむのもありだろう。
燐の目的は、この森の奥だ。燐は辺りの様子を伺いながら藪の中を進んでいった。
時折立ち止まっては身を潜めるのは、獣の気配を察知しているからだ。

普通の人間では気づかないような足音や、葉のこすれる音。

燐の五感は研ぎすまされていた。燐の瞳は青く光り、暗闇に潜むものを見つける。
燐は穴から飛び出したものに向かって潜ませていたナイフを投げる。
子供の力とは思えない勢いで飛んでいった刃は、獲物を一撃で絶命させた。
草むらに血を流して倒れ込んだものを、燐は毛皮を掴んで持ち上げる。
野ウサギだ。それも大きい。
これならおいしいし栄養になるだろう。
濁っていくウサギの瞳に向けて、一言ごめんな、と呟いた。
食べていくためとはいえ、燐は初めて生き物を殺した。
その事実に、恐怖がないといえば嘘になる。
けれどもそれ以上に胸が躍っていた。

「母さんたち、よろこんでくれるかな」

燐の手はウサギの流した血で真っ赤だった。
その血に向かって陰から何か虫のようなものが近寄ってくる。
魍魎だった。死と血のにおいに引き寄せられたのだろう。
燐は魍魎の正体はわからないが、イヤなものであることは察知したらしい。
魍魎に向かって、にらみをきかせた。

「寄るな」

途端に、魍魎はぼうっと青い炎に包まれて消えていった。
燐は驚いた。
魍魎が消えたことはもちろんだが、自分の体から一瞬だけ同じ炎が出たのが見えたからだ。
燐は近くにあった葉に向けて同じようなことをしてみた。
するとどうだろう、青い炎が葉を跡形もなく消していった。
次に燐は手のひらに炎を宿すイメージを持ってみる。
そうするとほんのりと暖かい炎が、自分の手のひらに宿った。
なぜ自分がこんな力を持っているのかはよくわからなかったが、
子供心から単純に便利だと思った。
この炎があれば、寒い夜には暖まることができるし、
料理に使う薪だってあまり使わずに済むかもしれない。
俺は、家族の役に立つことができるかもしれない。
燐は獲物を持って、駆けていった。
早く、早く。
二人の元に戻って見せてあげよう。
きっと喜ぶだろう。

「でも他の人も、できたりすんのかな」

もしかしたら雪男ならできるかもしれない。
自分たちは双子だから、自分だけができるなんてことはないだろう。
燐はそう思っていた。
死んだウサギは自身の体重を自分で支えなくなるのでどんどん重くなっていく、
普通の子供なら持って走ることが難しいことを燐は知らない。
そして、獲物を横取りする存在がいることも。

燐の持つ獲物の血の臭いに惹かれて、狼が目の前に飛び出して来た。


***


「兄さんどこに行っちゃったんだろう」

雪男は兄の姿が見えないことを心配して、家の周囲を散策していた。
母も今朝から姿を見ていないらしい。
この村は平和だけれど、人さらいだってこのご時世珍しい話ではないのだ。

兄は元気が良すぎてすぐに雪男の足では届かない遠くへ行ってしまう。

雪男はそれが歯がゆかった。
この前も森に入ってせめて薪くらいは取ってこようと思ったのに
母に見つかって止められてしまった。
二人には心配をかけてばかりだ。
どうして自分と兄はこんなにも違うのだろう。
もっと僕が体が強かったらこんなに心配をかけることもないし、
役に立つことだってできるのに。

雪男が兄さんと再度呼ぶと、遠くの方から声が聞こえてきた。
森の方からだった。よかった、日が暮れる前に戻ってこれたのだ。
雪男は手をふって、燐に呼びかける。

「兄さん、母さんが心配して―――」

言おうとした言葉は途中で途切れてしまった。
燐は、体中血にまみれていた。手にはウサギを、背中には狼を担いでいる。
毛皮は血で染まっており、そのどちらも事切れていた。
燐は平然とした顔をしている。
兄さんが、殺したの。
雪男は恐怖にかられながらも、燐に駆け寄って声をかける。

「いったい何があったのッ!?」
「こいつが襲ってきたから、倒した。毛皮って売れるのかな」
「そんなことより怪我してない?みせて!」

燐の腕をみれば、布が巻いた跡があった。
その布をどけて確認をするけれど、怪我は大したことはなさそうだった。
聞けば、狼に噛まれたらしい。
それでも燐は笑っている。

「痛くないから大丈夫だって」
「でも・・・」

こんなにすぐ怪我が治るなんて。
兄さんは僕とは違って元気だからそうなのかな。
雪男の疑問は浮かんでは消えていく。
燐が獲物を捕ってきたことは家計を助けるけれども、
燐が危険な目に遭うことは容認できない。
こんなに心配かけさせておいて、大丈夫ってなんだよ。
雪男が燐に向かって怒る前に、背後から怒鳴り声が聞こえてきた。

「燐!!!森の中でいったいなにやってたの!!!」

振り返れば、ユリがものすごい勢いで怒っている姿が見えた。
燐は思わず背負っていた狼をぼとりと落とした。
足が震えている。襲ってくる狼は怖くないけれど、母の怒りは死ぬほど怖い。
結局燐は、獲物を捕って帰ってきたことは二人に大変ほめられたが、その倍以上こっぴどく叱られた。

「だって、母さんたちよろこぶと思ったんだもん」
「食べ物を取ってきてくれたことはとってもうれしいわよ、
でもね燐がその為に怪我したら悲しいわ。
私たちのために自分を傷つけたりしないで。それをわかって燐」
「そうだよ兄さん」
「・・・うん」
「これからはせめて、森に入るときは私に言わなきゃだめよ。
それも、奥まではいかないこと。戻ってこられなくなったらどうするの」
「俺、道くらいわかるもん」

燐の五感がどれだけ優れているかは、普通の人間である母や弟には理解できないだろう。
燐が当然だと思ってやっていることは人にとってはとても難しいことなのだ。
ユリは燐の頬をつねって引っ張りあげた。おお伸びる伸びる。
餅のように伸びる兄の頬に、雪男は感心した。
ユリは聞き分けのない息子に屁理屈を言わない、とびしりと言い放つ。

雪男はその様子を苦笑しながら見守っていた。
この家には、あたたかい家族があった。
貧乏かもしれないけれど幸せの形が確かにできている。

取ってきたウサギは、新鮮なこともありそのまま焼いて食べることにした。
ユリが薪の準備をしようとしたところで、燐が暖炉に向かって手をかざした。

「そうだ!こうすれば簡単だよ、母さん」

暖炉に残っていたわずかな薪を頼りに、青い炎が灯る。
雪男はその光景を、とてもきれいだと思った。
兄は本に出てくる魔法使いみたいだとも思った。
けれど、母は違ったらしい。

「嘘でしょう・・・」

集めていた薪を床に落とす音が、家の中に響いた。
青い炎に照らされた母の顔は真っ青だったことをよく覚えている。

母さんが亡くなったのは、それからすぐのことだった。

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