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CAPCOON7

青祓のネタ庫

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トイレの神様6


目を開けた。
見えたのはいつも使っている家のトイレの天井だった。
服もきちんと着ているので明け方だけれど寒さはさほど感じなかった。寝ていたのか。どうして。
ぼんやりとそのまま座っていると、寝ぼけていた頭が徐々にはっきりとしていく。
そうだ、俺は。
燐は体を起こした。トイレの便座に座っている状態だったので、体はすぐに起きあがる。
けれど体の奥底から痛みが走ったことで、眉をしかめた。

まただ。俺はまた、あの男に。

燐は体を震わせる。昨晩あの男に何度も何度も犯された。
回数なんてわからないくらいに。
あれは人の交わりではない、それこそ獣や。言ってしまえば悪魔の狂宴のようなものだ。
意識が飛んでも何度でも引き戻された。
燐の体も心も、もうあの男から逃れることができないくらいに染められてしまっている。
その証拠に、奥底からはまたあの男の残滓が流れ出している。

燐は屈辱に唇を噛みしめた。
幸いなことに、まだ明け方であるせいか耳を澄ましてみても家族が起きる気配はない。
ここで処理をして、急いで風呂場に行けばばれることもないだろう。
意を決して、手をそっと自身の後ろに忍ばせた。
あの公園で処理をした時に比べれば、できるはずだ。

けれどこんなことを何度も経験することになるとは思っていなかった。
燐が手を後ろにやったことで、気づいたものがある。
腰のあたりに、変な感触がある。燐は視線を後ろに向けた。
驚いたことに自分の腰の下のあたりから、獣のような尻尾が生えていた。
驚きすぎて声も出なかった。

そして思い起こされるのは昨晩の出来事だ。
青い炎を吹き出した燐の体を、男は弄んだ。
男は後ろから燐を苛む時に、燐の黒い尾を何度も何度も引っ張って。
刺激を与えられる度に、燐は頭の中が真っ白になった。
痛いような気持ちいいような感覚の中、男に中を犯され続けていた。
そうだ、男は言っていた。

「悪魔の・・・尻尾は、弱点で。
人に見せるなって・・・俺、俺は・・・人じゃなかったんだ」

お前は俺の子だ。
そう言ってくれた父の言葉を裏切るように、
燐の体は男によって悪魔としての目覚めを迎えた。
人じゃなくなった俺は、ここにいてもいいのだろうか。
燐が考えていると、脳裏に男の声が響いてきた。
昨晩言われた言葉だった。


貴方が人ではないことを、打ち明ける人が必要です。
戻ったら、まず始めに家族に打ち明けなさい。
もし逃げたりすれば―――わかりますね?


最後に中に注がれた時のことだ。
意識が混濁している中に言われた言葉だけれど、妙にはっきりと覚えている。
この尻尾や、炎のことを家族に言えというのか。
無理だと思った。現に燐は自分の体のことなのに、わけがわからなくて怖いと思っている。
自分ですらそうなのに、家族がそう思わないわけがない。
尻尾を引っ張ってとれないかやってみたけれど、痛みがひどいだけでどうしようもなかった。
燐はひとまず処理だけを手早く済ませることにする。
悩んでいたら、時間だけが過ぎていく。
絶対に、男に犯され続けたことだけは知られたくない。

「ん・・・うぅ」

漏れる声は、服を噛むことでやり過ごす。
指を自身の中に入れて、男の影を何度も掻きだした。
手は男のもので汚れきってしまったが、何度でも残滓を水で洗い流していく。
太股から流れ出るその感触が気持ち悪くてしょうがない。

燐は自分の頬から何かが伝い落ちていることに気づいた。
そっと頬に触れれば、赤い血が付いていた。
鏡で確認してみると、頬に鋭い刃物で切られたような傷がある。
これはあの男につけられた傷だった。
頬の傷は目立つけれど、この程度ならば喧嘩でついたと言えば誤魔化せるだろう。

泣いてなんかない、泣くものか。

昨晩散々泣いた。けれど男はやめるどころか喜々として燐の体を貪った。
燐は頭を振って男との記憶を忘れるように、流れ落ちた残滓を拭う。
しばらくそれを繰り返すことで、ようやく一息つくことができた。
あとは、体を綺麗に洗いたかった。
べたつきはなく綺麗にはされているが、男の舌や指が余すところなく触れた体だ。
燐自身が、汚れていると思えばそれは綺麗にしなければならない。

燐がそっとドアを開ければ、周囲はしんと静まり返っていた。
廊下を歩いて、風呂場に向かう。
まだ、誰も起きていないんだ。安心して燐は脱衣所への扉を開けた。
そこには、藤本が立っていた。

「よう、燐。早いな」
「え・・・」


予想外だった。なんで起きてるんだ。動揺して言葉が出ない。
思えば脱衣所の中にある洗濯機を回しているようだ。
洗濯の当番で、早めに起きていたのかもしれない。
燐は急いで廊下に出ようとした、けれど藤本の方が早かった。
逃げるように去ろうとした燐の腕を掴んで、
身長差を利用するようにあっと言う間に自分の腕の中に閉じこめる。

燐は突然抱きしめられて訳が分からなかった。
けれどこの腕から一刻も早く抜け出したかった。
こんな汚い俺に触らないでくれ。
暴れる燐の頭を藤本は優しく撫でる。

「お前が、俺たちから逃げたがっていることは知ってるよ」

静かな声が響いた。
叱るような声色ではない、諭すような落ち着いた声だった。

「なぁそんなに俺たちは信用できないのか。
お前、何日もどこに行っているのかわからなくなって。
帰ってきたと思ったらまたいなくなって。
何かあったんじゃないかって心配するだろ・・・燐」

洗濯の当番なんて、建前だったのだろう。
戻らない燐を藤本は待っていた。ずっとずっと心配していたのだ。
この腕を抜け出さないといけないのに。
燐は動くことができなかった。
違うよ父さん、俺が人の中にいることが間違っているんだ。
言いたいのに、涙がこみ上げてきた。
男の声が頭の中に響く。

家族に打ち明けなさい。

言ったら信じてくれるだろうか。
言っても、俺のことを追い出さないでくれるだろうか。
このあたたかい腕を無くさないで、済むのだろうか。

燐は男の声に押されるように、言った。


「おれ、俺・・・人間じゃなかった・・・
父さんとも、雪男とも、違ったんだッ・・・」


ぽろぽろと泣き出す息子の姿に、藤本が動揺した。
泣く子の姿は久しく見ていない。
藤本はどうした、なにがあったと燐の目を見て質問する。
その目は真剣そのものだった。
力が強すぎて父の肋骨を折ってしまったときも、喧嘩した相手の親に謝りにいったときも。
燐が公園でひとりぼっちでいたときに、迎えに着てくれたあのときも。

父は何度でも燐に手を差し伸べてくれた。
諦めるなと、言ってくれた。
燐は、父のこの目を信じようと決めた。


「青い、炎が体から出て、尻尾も、あって。
俺、どうしたらいいかわかんねぇよぉ・・・」


泣きながら訴えた。
人間じゃない俺はどうすればいいのかと。

燐の必死の訴えに、藤本は悟った。
燐が気づいてしまったことに。
己の宿命に目覚めてしまったことに。
魔神の落胤として、燐はこれからあらゆる者に存在をねらわれる立場になるだろう。
燐は人ではない。悪魔として、これからを生きていくことになる。

けれど、それがなんだ。
魔神の落胤なんか関係ない。
不安で、燐が泣いている。
泣きながら、自分の秘密を打ち明けてくれた。
今ここにこうして途方に暮れている子供を守らない親がいるだろうか。

藤本は燐を強い力で抱きしめた。
今まで自分が嘘をついてきたことで、燐が傷ついていたことを悟った。

ごめんな、不甲斐ない父ちゃんで。
ごめんな燐。

「大丈夫だ、燐。お前はどんな姿になったって。お前は俺の息子だよ」

泣かないでくれ。
そういえば、燐はますます泣いた。
今まで我慢してきた不安が決壊したのだろう。
子供の姿のままで泣く燐を藤本はいつまでも抱きしめていた。


***


しばらくした後、二人は皆を起こして今後のことを話し合うことにした。

やはり修道院の皆も燐の正体を知っていたらしい。
弟の雪男も知っていたというのには驚いた。
そこで、何で教えてくれなかったのかという喧嘩にもなったけれど。
藤本が諫めて、燐に黙っていたことを代表して謝ってくれた。
謝って欲しかったわけじゃなく、
嘘をつかれていたことに傷ついたのだと告げれば、藤本も雪男も少しだけ泣いた。

燐の心にかかっていた暗い霧が、ようやく明けた気がした。

「燐、これの姿が見えるか?」

藤本が空中に漂う虫のようなものを指さした。
頷けば、これは悪魔で魍魎という名前だと教えてもらった。
そしてこれからはもっと学ぶ必要があると言われた。

「悪魔に傷を付けられると、悪魔が見えるようになるんだ。
もしかして、その頬の傷が原因か?」

本当は違う。
頬の傷じゃなくて、本当はこの体の奥底につけられたあの傷のせいだ。
男はこういう質問が来ることをあらかじめ予想していたかのように、
燐の頬に傷を残したのだろうか。
燐は少しだけ考えた、けれど答えは決まっている。


『うん、この傷のせいだと思う』


家族に嘘をつかれたことで傷ついていたのに。
俺は嘘をつかないといけない。
矛盾は燐の胸に暗い滴のように広がっていく。
それでも決して言うことはできない。
俺と神様の二人だけの秘密。


「トイレの神様に、つけられたんだ」


一つ、嘘をつくことがうまくなった。



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トイレの神様3

ゆらりゆらりと揺れる意識。
燐はうっすらと瞼を開けた。地面が遠い。
同時に揺れる体。誰かに背負われているのだとわかった。
燐は慌てて体を起こした。
まさか、あの男にどこかへ連れて行かれているのではないか。
そんな恐怖が襲ってくる。
けれど燐を背負う背中は動いた燐を支えるようにして足を止めた。

「兄さん、起きた?」

雪男だ。どうしてここにいるんだ。燐は顔を青ざめさせた。
まさかばれてしまっただろうか。あの夜の事が。体が強ばって震える。
おとなしくなった燐を抱え直すと雪男はまた歩き始めた。

「神父さんから連絡来たときはびっくりしたんだからね」
「とうさん・・・?きてたのか?」
「うん、兄さんを先に警察に迎えに行ったのは神父さんだよ。
けど、背負って帰ろうとしたら、腰がね。だから慌てて僕が来たってわけ」
「そっか・・・悪い」
「いいよ。兄さんを逃がさない為なら軽いくらいさ」

言葉の調子から、雪男が何も知らないことが察せられて、燐はあからさまにほっとした。
修道院に帰らなかった燐を藤本も雪男もずっと探していたらしい。
燐はうまく二人から逃げ続けていたわけだ。

けれど逃げ続けたせいで。まさかあんなことになるなんて思ってもみなかった。
雪男に言われた言葉の通り、燐は傷つけられた。
あの男に、心も体もずたずたに傷つけられたのだ。
けれど今ここで泣くわけにはいかない。
決してあの時のことは二人に知られたくない。知れば、嫌われてしまう。
燐が男と関係を持っただなんて、汚いと思われてしまうに決まっている。

「帰ったら覚悟してよね。
腰が心配だから神父さんには先に帰ってもらったけど、かんかんに怒ってたよ」
「うえぇ」
「もちろん僕もだからね兄さん」

雪男の表情は見えないが、ぞっとするような声色だった。
燐は焦って背中から降りようとするが、雪男が降ろしてくれない。
下手に暴れれば、自分が怪我をするだけだろう。
燐は諦めて雪男の背中にもたれ掛かった。
帰ったら家からは出してもらえないだろうし、説教も何時間されるかわからないだろう。
けれど、あの時の。あの場所から離れた、安全な場所へ帰れるのだと思えば。
ざわついた心は静まってくる。

「ごめんな、お前忙しいのに」
「そう思ってるのなら、ちゃんと帰ってきてね」

燐は雪男の言葉には応えずに目を閉じた。
帰りたくない理由はあった。燐は悪魔だと近所の人からは噂されている。
燐が二人から離れることで、二人はわずらわしいことから。
燐のことから解放されるのだと思っていた。

二人に迷惑をかけたくなくて家を出たくて。
でも、うまくいかなくて。燐の心はめちゃくちゃだ。
けれど泣けば心配をかけるから泣きたくないから目を閉じる。

雪男は静かになった燐を黙って背負って歩いた。
昔いじめられた自分を背負って帰ってくれた兄を、
今自分が背負っていることに兄は気づいてくれているだろうか。

僕はもう、兄さんの後ろで守られているだけの存在じゃないんだよ。
ねぇ、僕じゃ頼りないの。僕じゃだめなら神父さんに頼ったっていいじゃないか。
兄さんはどうしてそう一人で抱え込むのさ。

何かがあったことを雪男も藤本も気づいている。
けれど、燐が言わないと決めたのなら二人に言うことはないだろう。
燐は昔から頑固だったから。
でも心配している方の身にもなってほしい。
放っておけなくて、気が気じゃなくて。
心配をかけたくないと思うのなら頼ってくれ。
そう思う心は燐には届かないのだ。


「兄さん、何があったのさ」


燐は眠ったまま、雪男の問いかけに答えることはない。

しばらく歩いていたが、燐はぐっすりと眠っているようで
こうなれば滅多なことでは起きないことを雪男は知っている。
雪男はこっそりとポケットから携帯電話を取り出した。
押す番号は、短縮に登録済の番号だ。
騎士團の直接的な連絡先も登録してある、いわば仕事用の携帯電話だった。
かければ、数コールの後につながった。
雪男は相手に少しの状況説明をして、こう言った。


「そういうわけで、何があったのかまでは掴めていません」
「わかりました。喧嘩か何かでしょうか。
それに悪魔が絡んでいたような痕跡などはありましたか?」
「いえ、保護された現場を見ましたが痕跡はなく・・・」
「余程うまく痕跡を消す悪魔となれば限られるでしょうから、悪魔と遭遇した可能性は除外しておきましょう。
けれど、今後何が起きるかまでは誰にもわからない。引き続き、よく監視しておくようにお願いしておきます。
騎士團に、貴方たちの今の生活を壊されたくなければ、ね」
「承知しております、フェレス卿」


悪魔の声が電話ごしに雪男の耳に響く。
この男のことを雪男は好きになれなかった。
神父の親友だというこの男は兄のことを監視し、隙あらばかすめ取ろうとしているようにしか思えなかった。
そんなことはさせない。いくら神父が言おうとも、雪男はメフィスト=フェレスを信用しない。
彼も、きっと雪男がそう思っていることを知っている。

「何があったかを無理に聞き出すことはしないのですか?」
「兄が傷つくことならば、しません。
それに経験上、黙り込んだ兄は絶対に口には出しませんからね。
自分の中で終わってからようやく話してくれるくらいです」
「難儀ですねぇ」
「ええ、ですが貴方の出る幕はありませんよ」
「わかっていますよ。ただ、貴方のお兄さんはとても可哀想だなと思っています」
「本当にそうお思いで?」

雪男は問いかけた。悪魔は笑っている。それも心の底から面白いという風に。
人の不幸は蜜の味だというが、悪魔は本当に人の不幸を食べて生きているのかもしれない。
全く、最悪な生き方をしている。
その証拠に彼は淡々と特にそうは思ってはいません、社交辞令ですかねと答えた。
雪男はこれ以上この悪魔と話していても不毛だと判断した。

「では兄が起きてしまいそうですので、これで」
「彼にお伝えください。良い夢を、と」

最後まで言わせずに、雪男は電話を切った。
背後の燐が起きる気配はない。ぐっすりと眠っているようだ。
雪男の背中が、神父とまではいかないまでも兄の安らぎの場所になっていればいいと願った。


繋がりの切れた携帯電話をメフィストはそっと閉じた。
彼らは今、家に向かっているらしい。
弟に背負われて帰っているということなので、余程あの時の出来事が堪えたのだろう。
彼は魔神の血を引いているので、怪我の治りは人よりも何倍も速いはず。
けれど引き裂かれた心まではすぐに治るはずもない。

貴方のお兄さんはね、昨晩私の腕の中で啼いていたんですよ。

そう言えば、弟はどんな反応をしただろうか。
メフィストに向けて銃口を向けるだろうか。そうなればとても面白いことだ。
けれどそうはしない。黙っていた方が、もっともっと愉快なことになる。
昨晩の燐の痴態を思い出し、下半身に熱が篭ってくる。
何度も何度も銜え込ませたことで、はしたなく彼の中からは残滓が溢れ出していた。
彼はもう男を知っている身体になってしまった。

この世の何よりも美味な、私の可愛い末の弟。
メフィストは燐を手放す気など毛頭なかった。


「燐、貴方には一生消えない贈り物を差し上げますよ」


***


燐はベッドから起き上がると、廊下へと続く扉を見た。
修道院に帰ってからこってりと絞られて、それからやはり一週間の外出禁止を言い渡された。

明日から修道院の家事に追われることになるだろう。だがそれもいいだろうか。
そっとベッドから降りると、同じ部屋に寝ている雪男がきちんと眠っているかを確認した。
寝息も落ち着いているし、ぐっすりと眠っているようだ。
自分を背負って帰ったのでやはり疲れたのだろう。
ごめんな、と呟いてから部屋を出る。

こんな夜中に起きたのには理由があった。
燐はもじもじと足を擦り合わせた。所謂生理現象だ。
トイレに行きたくて夜中に起きた。
誰しも経験したことがあることだろう。
廊下はしんと静まり返っており、燐が歩く音だけが聞こえている。
皆寝静まっているようだ。つまり、ここで物音を立てているのは燐だけになる。
燐はトイレの前に立った。ぱちりと電気をつける。
それから、扉を開くまでに一体どれくらい時間がかかっただろうか。


いない、ここにあいつはいない。
だから大丈夫だ。


燐はそう自分に言い聞かせて、ゆっくりと扉を開けた。
灯りのついたトイレの中は、見慣れた作りをしている。
中に入って急いで用を足した。よかった。何もなかった。
実は我慢の限界だったのだ。

あんなことがあった場所だから、やはり怖いと思う心があった。
けれど行かないで済む場所ではないので戸惑いと我慢の間で燐は揺れた。
流石にこの年で漏らすことだけはしたくない。
なにより、バレた時の恥ずかしさが尋常ではない。

燐は顔を青くしたり、赤くしたりしながら水を流して、手を洗った。
鏡に映った自分は酷い顔をしている。
早くあの時のことを忘れなくてはならない。
あんなこと、なかったことにしてしまえば。
そう考えれば考える程男の手を思い出して、燐は自分の体を抱きしめた。

ここにあいつはいない。だから大丈夫だ。

燐はトイレの中から出ようとした。
すると、トイレの中の灯りがチカチカと点滅していることに気づいた。
電球が切れそうになっているのだろうか。
明日にでも取り替えようか。そう思っていると、点滅していた灯りが消えた。
視界が、一瞬で真っ暗になる。
その途端燐の腕が後方へと引っ張られた。
燐はよろめいて、その腕の伸びている方向へと倒れ込んでしまう。
覚えのある、においがした。
それは、あの夜のにおいだった。


「グーテン アーベント、奥村燐君」


灯りが着いた。
そこには、いるはずのない男が立っている。

トイレの神様


「いい、これから兄さんの上司に当たる人に会いに行くんだからね
決して失礼のないようにするんだよ」

雪男はこんこんと燐に言い聞かせた。それも昨晩からずっと同じセリフだ。
流石の燐でも耳にタコができそうである。

燐ははいはいと適当に雪男の言葉を流した。
ちょっと聞いてるの、というセリフも聞き飽きた。

祓魔師を目指して早数年。弟の雪男は一足飛びに免許を取得したが
弟程頭の出来がよくない燐は苦労して苦労してようやく祓魔師の免許を取得した。

養父の藤本と最年少免許取得者の雪男が二人揃って座学を教えてくれなければ
とてもじゃないが取れなかっただろう。
そうまでして取った免許を、
まさか上司との諍いで取り上げられるようなことがあってはならない。
燐だってそれは十分に分かっている。
それなのに雪男は何故こんなにもしつこく言ってくるのだろう。

「うっせーな、そんなに何回も言わなくてもわかってるよ」
「心配なんだよ。ただでさえ彼は面白ければなんでもいいって考えを持ってる。
兄さんなんか生まれつきのトラブルメーカーじゃないか。
目をつけられたらどんな目に遭わされるかわかったもんじゃない」
「死ななきゃ大丈夫だろ、それに俺には目的があるんだ。大抵のことなら我慢するさ」
「ああ、昔会ったっていう神様の事?諦めてないんだね」

雪男と燐は日本支部の支部長室前に来た。
燐は扉を開ける前に雪男に言った。


「そう、俺はトイレの神様を探しているんだ」



***


燐が家族と衝突をするようになったのは中学に入ってからの事だった。

学校に行きたくないといい、雪男とは通学途中に離れて家にも帰らない日が続く。
当然養父の藤本は心配して何度も燐を探して家に連れ戻した。
けれど、燐はそんな藤本の元から。
家から、何もかもから逃げ出したくてしょうがなかった。

悪魔みたいだと人から言われて、
そんな悪魔の傍にいるから周囲の人まで同じような目で見られるんだと罵られ、
燐には居場所がなかった。

藤本や雪男はそんなことはないと言ってくれるだろう。
けれど燐自身が彼らの傍にいる自分を許せない。
まるで甘えているかのような自分がやるせない。

「兄さん、せめて夜には帰ってきてよ。
一人でふらふら歩いていて、危ない目にあったらどうするのさ」

雪男はそう言って燐の行動を咎めた。
けれど燐には夜家にいれない理由があった。
雪男と燐は二人部屋だ。燐がいては雪男の勉強の邪魔になってしまう。
最近塾に行き始めたというから、なおさらだ。

「俺、喧嘩強いから大丈夫だろ」
「…喧嘩だけが。暴力だけが人を傷つけるとは限らないだろ」

雪男の言うことも最もだと燐は思う。

何故なら燐の心を深く傷つけたのは、
雪男のことを慕っている女子生徒からの言葉だったからだ。

彼女たちは直接燐に対して暴言を吐いたわけではない。
ただ、通りすがりに燐が聞いてしまった。それだけのことだった。
彼女たちも面と向かって言うことは憚られたのだろう。
けれど、それだけに本心からの言葉が刃の様に胸に刺さった。


あんなお兄さんがいるなんて奥村君可哀想だよね。


燐にとって自慢の弟の雪男。
けれど雪男の将来にとっては邪魔でしかない自分の存在。
燐はどうしたらいいのかわからなくなった。

いっそ自分が消えてしまえばいいのだろうか。

そう思って家にも帰らないようにしたのに、
中学生の身である自分ではどうしたって独り立ちはできないのだ。

泣きたいのに泣けない。
こんな不確かな自分はどうしてここにいるのだろう。
はやく大人になりたいと思った。

ここから逃げ出して、父さんや雪男に迷惑をかけないように遠い何処かへ消えてしまいたい。
思春期の逃避とはまた違う。
燐の優しさが、脆さが、ここじゃない場所を求めて彷徨っている。

暗い胸の内が、暗い暗いものを呼び寄せたのかもしれない。
燐の周りは次第に暴力を纏った人物が引き寄せられるように集まってきていた。
その彼らに悪魔が憑りついていたことを、当時の燐は知らなかった。


「うっせーな、近寄るな!」

燐は目の前にいる人物を殴り飛ばした。
人は面白いくらいに飛んで、公園の外にいる自動販売機まで飛んでいった。
ぼこん、という鈍い音がしたけれどうめき声をあげているだけなので生きているだろう。
燐はそのまま周囲にいた仲間を回し蹴りで吹き飛ばす。
彼らは茂みの辺りに放り込まれて、意識が戻る気配はなかった。

最初に燐にいちゃもんをつけてきたのは彼らだ。自業自得の輩に情けはいらない。
彼らはカツアゲをしようとしていたのだが、生憎燐はお金など持っていなかった。
持っているんだろ、持ってねぇよ。そこからはよくある不良のやり取りだ。

口論はエスカレートしていき、あっという間に暴力の応酬になった。
喧嘩になれば、燐は負け知らずだ。
夜は喧嘩に明け暮れて、もう何日修道院に戻っていないのだろう。

藤本や雪男は燐のことを探しているだろうけれど、二人は燐の行きそうな場所から探すはずだ。
今燐は隣町まで来ていた。
歩いて歩いて、行く当てもなくここまで来てしまったから、
二人は容易に燐を見つけることはできないだろう。

もしあと数日戻らなければ、警察に捜索願でも出されてしまうかもしれない。
それは嫌だな、と思った。
警察に補導されてしまえば、燐は藤本が迎えに来るまで交番でお世話になる。
せっかく逃げてきたというのに、意味がなくなってしまう。

「…俺、どうしたいんだろう」

逃げてきたのに、見つけて欲しいような。
二つの気持ちがないまぜになる。

もしこのまま燐が二人から逃げたら、いつか二人は燐の事を追ってくれなくなるのだろうか。
見捨てられるのだろうか。そう、なればいいのだろうか。

額から流れ出た血が頬を伝う。泣いてなんかいない。
不良の一人に木刀で殴られて、派手に出血してしまっている。
ふらふらと足取りはおぼつかないが、燐の傷はすぐに治ってしまう。
どうせすぐに血は止まるだろう。

燐は公園内にある公衆トイレを見た。
夜中だからか、薄ぼんやりとした灯りしかなくて不気味だった。

けれどこのまま血の付いた顔で街中をあるけば一発で補導されるのは目に見えている。
燐はまだしばらくは修道院に帰るつもりはない。
顔でも洗おうか。
そう思って、恐る恐る公衆トイレの中に入る。
お化けでも出そうな雰囲気だが、特に何かが、誰かがいるような気配もない。

燐は鏡で自分の顔を見てぎょっとした。顔中が血まみれでゾンビか何かかと思った。
悲鳴は上げなかったけれど、これはまずい。
燐は手洗い場の蛇口を捻り、自分の顔を洗った。
ついでに拳についていた返り血も一緒に洗い流す。

その間に、外で伸びていた不良たちが走り去っていく音が聞こえて来た。
よかった。流石にこれ以上刃向ってこられたら燐も手加減ができなくなりそうだ。

燐は不良だが、人殺しにはなりたくない。
それだけは、絶対になりたくなかった。


蛇口を閉めて、顔を上げる。
薄明りの中、血を洗い流したおかげで先程よりも随分と顔色も良くなった。
これから、どうしようか。ひとまずは今晩はこの公園で野宿でもしようか。
野宿の際に困るのが、トイレだ。
まさか外でするわけにもいかないのでここ数日コンビニのトイレを借りたりと苦労していた。
ここは公衆トイレがあるので行きたくなれば行けばいい。
その面では、今日ここに泊まるのはいいかもしれない。

燐は寝る場所を探す前に、要を足そうと思いトイレに足を踏み入れる。
薄暗い灯りの中、こんな時に限って学校の怪談などの怖い話を思い出す。
悪い子はいないかと子供を探してうろつくお化け、闇の中に潜む幽霊、
トイレは異界に通じており、夜の闇は異界から来た者と遭遇しやすい云々。
燐は頭を振って、怖い話を打ち消した。

「お、お化けなんていない、いない…」

それでも、そっとトイレの扉を開けた。
そこには便器があるだけで、他には何もない。
公衆トイレでもここにはトイレットペーパーが完備されているようだ。よかった。
正直、この着いては消える電気だけはなんとかして欲しいところだが、
贅沢は言ってられない。燐は家出をしている身である。

トイレの個室に入り、鍵をかける。
その場には、燐しかいない。
そのはずだった。


けれど要を足してトイレから出ようとした所で。
扉が、何かにぶつかった。

燐は扉の隙間から外を見た。そこには、人が立っていた。
燐は思わず、すみません。と声に出した。
声は男の声だった、いいえ。と彼は答える。
燐は動揺した。あれ、俺の後ろに誰かが待っていたのか。
でも、こんな深夜に人なんているのか。
動揺している頭では上手く考えがまとまらなかった。
少し空いた扉の隙間に手を差し入れられて、扉が開かれる。
燐は目を見開いた。

ピエロの格好をした男が、目の前に立っている。
男はニヤリと悪い顔をした。


「こんな夜更けに家に帰らないような悪い子には、お仕置きが必要ですよね?」


個室の中に、男が足を踏み入れる。
燐は男に押されて、トイレの個室の中に押し込められた。
無情にも施錠音が静かなトイレの中に響く。


その夜は、燐にとって一生忘れることができない夜になった。

奥村燐、ものになる。


本当ならこんなところ来たくなかったというのが燐の本音だ。
けれど任務、つまり仕事ならば仕方がないというもの。

燐は上からの命令に背いてしまえば即処刑とはいかないまでも、
面倒な監視や始末書を書かされてしまう立場だった。
それをよく自覚しているからこそ燐はおとなしく言うことを聞いているのだ。

けれど、その努力を無に帰そうとする男が燐の目の前にいる。
燐の頭をぐりぐりと押している男は、
顔だけは眩しいくらいのイケメン、アーサー=オーギュスト=エンジェルだった。

「全く、リーダー的存在である俺の言うことが聞けないとは躾のなっていない悪魔だ」
「誰だって悪魔の大群の中に突っ込めなんて命令聞けるわけねぇだろ!」
「同じ悪魔なのだから構わないのではないか?」
「何で俺の反応がおかしいみたいな反応してんだよ!
あんな腐った悪魔の中に入るのはいーやーだー!」
「お前、腐の眷属に好かれているだろう。不意を突いて燃やせば大丈夫だ」
「だから嫌だって言ってんだろ!」

若君若君と群がってくる腐の悪魔達を燐は怒りの一撃で燃やした。
けれどしつこい行為が売りの腐の眷属は
まるで突進する王蟲のように燐のいる場所に沸いて出てきた。

アーサーの言うことにも一理ある。
燐のいる所に悪魔が現れるのだから燐と一緒にいるアーサーの身が危険に陥るからだ。
だからといっていっそ突撃しろは作戦としては余りに単純である。

燐は青い炎を使って、目の前にいる悪魔を次から次へと燃やした。
青い炎を纏いながらも突進してくる悪魔はかなりのホラーだ。
燐が本気を出せばあれくらいの悪魔、一瞬で蒸発させられるだろうに。
手古摺る燐の姿を見て、アーサーは問いかけた。

「お前、体調でも悪いのか。何故腰を庇うような仕草をしている」
「俺だってわかんねぇよ。最近よく寝れてねぇのか。
朝起きたら全身が痛いんだ。これでもマシな方だっての」
「体調管理もできないのか。これだから悪魔は」
「悪魔は関係ねぇだろ、それに俺は至って健全な生活しかしてねぇ!」
「どうだかな」

アーサーは燐の背後でカリバーンを抜いた。
眩い光を纏い、アーサーは自身の髪にそっとカリバーンの刃を当てる。
格好も様になっている。これだからイケメンは、と燐は心の中で悪態をつく。
それでも、そのカッコよさは認めざるを得ない。

「カリバーン、我に力を」

アーサー、喜んで。貴方の体の一部はどんな場所でも私の舌を満足させる。
魔剣の歓喜の声と共に、刃が悪魔に降り注ぐ。
燐の青い炎とはまた違った美しさだった。
腐の眷属は全てアーサーの攻撃で焼き尽くされた。蒸発したと言ってもいい。
彼らを殺すにはそれくらいの容赦の無さが必要だ。

「これくらいのこともできないのか、屑め」
「うるせぇ!あれくらい俺もできる!」
「ならばしろ、そして体調が悪いのならそもそも任務など来るな。
必要なのは力であって、その力が発揮できない存在など邪魔だ。
今日は俺とお前だけだからよかったようなものの、他の祓魔師がいたのならばどうする。
人に迷惑をかけるな悪魔め」
「……ッ!」

アーサーの言うことはもっともだった。
言い方はきついし、燐への当たりも強いが間違ったことは言っていない。

例えば燐と一緒にいた仲間が、もしアーサーのように強くなければ。
手騎士や詠唱騎士のような、サポートが必要な仲間であれば。
燐は彼らを守るために、その身を擲ってでも盾にならなければならない。

アーサーの言うことを理解しているだけに燐も黙った。
どうしてだろう。最近燐の体はおかしい。
一時メフィストに相談したこともあったが改善の兆しは見られなかった。

朝起きたら体がだるく、熱っぽさが抜けない。
けれど熱があるわけでもないので、休むようなこともできない。
燐は思い通りにならない自分の体が歯がゆかった。
それにより、任務に支障が出ていることもまた許せなかった。
怒っているのは、アーサーに対してではない。思い通りにならない自分の体にだ。

アーサーは燐の頭をぎゅっぎゅっと押した。
最近、アーサーと一緒に任務に就くことが多いのだけれど必ずと言っていい程
アーサーは燐の頭を押してくる。

「なんだよ」
「いや、ただでさえ小さいお前の身長をもっと縮めてやろうと思っているだけだ」
「嫌がらせかよ!!」

燐はアーサーの腕を振り払った。こいつ、どこまでも俺を馬鹿にしやがって。
燐は怒ってアーサーを殴ろうとした。
けれどその拳をするりと避けて、アーサーは笑いながら去っていく。

まだアーサーに敵うまでの実力は燐にはない。
覚えてろ、と燐はまるで雑魚キャラのようなセリフを吐いた。
むかつく男だ。
気障だし、言うことはきついし、性格は最悪。
悪魔である燐に対して容赦はないし、顔を見ると自動的に殴りたくなる。
けれど、アーサーとのやり取りが燐は不思議と嫌いではなかった。
ずきりと体の奥底が痛む。
燐は眉をしかめると、腰を摩りながら帰路についた。
帰ったら事務作業が残っているがどうにも椅子に座って作業をやるには辛い体調だ。
そして、言いにくいけれどそういう場所が痛んでいるのも事実だった。
燐はこっそりと携帯で痔の病院でも探そうかと考えるくらいには、
燐の身体は軋んでいる。
当然、原因が弟の毎晩に渡る行為の結果だとは燐は夢にも思わない。
勿論上司であるアーサーにも想像がつかなかった。

「しかし、最近の奥村燐は妙だな」

燐と別れたアーサーは、次の任務の地に向かうために森を駆けていた。
燐には帰還命令が出ていたが、アーサーにはあともう一件狩らねばならない相手がいる。

聖騎士とは忙しい職業だ。
呼ばれれば世界各国何処にでも馳せ参じなければならない。

アーサーはこの仕事のことが好きだが、たまに疲れてしまうことも事実だ。
燐もアーサーに負けず劣らず、任務を割り当てられている。
広範囲の悪魔の除去などにあの青い炎は最適だからだ。
だからと言って、疲労が溜まるような任務のこなし方をしているわけではないようだ。

燐自身にもわからない、燐の不調。
アーサーは首を傾げた。目の前に標的の悪魔がいる。
アーサーはまた髪を一房カリバーンに捧げて、その力を引き出した。

一閃。
煌めく光が悪魔を切り裂く。

アーサーはその光の中に降り立った。祓魔師の制服が鮮やかに翻る。
見るものがいたのなら、彼をその名の通り天使と呼んだだろう。
アーサーはカリバーンの刀身を優しく白い布で拭った。
今日は彼女を酷使しすぎてしまっている。早く戻って手入れでもしてやろうか。
そう思っていると、カリバーンがアーサーに答えた。

『あの魔神様の子のことだけど、アーサーが気にすることじゃないと思うわん』

カリバーンはそっけなく言う。
彼女が愛しているのはアーサーだけなのでその他の事はあまり気にしない性質を持っていた。
悪魔とは得てしてそういう存在である。

「なんだ、何か知っているのかカリバーン?」
『そりゃ、あれだけ匂いを発していれば大抵の悪魔は気づいているんじゃないかしら』

カリバーンの告げた言葉に、アーサーは絶句した。


***


「貴様、毎夜毎夜弟と酒池肉林の性夜を繰り広げるとは何事だ!!!!」

アーサーは日本支部の燐のデスクに乗り込んだ。
カリバーンから告げられた真実は、清廉潔白に生きてきたアーサーにとって
まさに文字通り頭を殴られたような衝撃を受けた。


奥村燐は、弟である奥村雪男と性的な関係を持っている。


そう告げたのは魔剣カリバーンだった。悪魔の憑りついた剣。
悪魔の嗅覚は鋭い。燐の体から香る雪男の濃い匂いからしてまず間違いないと
カリバーンはアーサーに説明をした。

燐は突然のアーサーの登場に目が点になった。
任務のせいで、デスクワークが疎かになっていたので、
事務所に残って仕事をしていただけだった。腰が痛いので椅子には
ドーナツ型の座布団を敷いている。

当然、戻ってきたのは任務を終えた深夜なので同僚はとっくに帰っている。
アーサーの発言を他の人に聞かれなかったことは一種の救いだ。

「は?お前とうとう頭までおかしくなったのか?」
「言い逃れはできんぞ奥村燐!
カリバーンは俺に嘘などつかん!弟と禁断の関係を持つなど言語道断だ!
男同士で毎晩性行に耽れば、身体の調子がおかしくなって当然だろう。
それで任務に支障が出るなど、お前の頭が手遅れだ!」

『そうよそうよ!誤魔化そうったって無駄なんだからね!』

カリバーンもアーサーの援護に回った。
燐は徐々にアーサーとカリバーンの言っている意味がわかってきて怒りに身が震える。

燐にとって全く身に覚えのない話だ。
それに、雪男が絡んでいるなどどこの男と魔剣は言っている。

燐のことはいい。口さがない言葉で罵られようと我慢できる。
けれど、雪男のことを馬鹿にするような発言を許すわけにはいかない。
燐は青い炎を纏い、激昂した。


「俺が雪男とそんなことするわけあるか!!!
雪男のことまで馬鹿にするなんて絶対に許さねぇからな!!!」

『それだけ男の匂いを纏わせておきながらよく言うわよこの淫売悪魔!!
しらを切ると言うのなら言ってあげましょうか?
貴方昨日も一昨日もその前も弟とまぐわっていたでしょう!
身体にガタがくるのも当たり前よ!激しすぎてこっちが眩暈を起こしそうなプレイしておきながら!』

「だからしらねェって言ってんだろ、その刀身へし折るぞ!!」
「……おい、ちょっと待て。なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ」


激論を交わす燐とカリバーンを、アーサーは諌めた。

カリバーンが嘘を言わないことを、アーサーは契約上知っている。
彼女はそういう存在だ。
また、悪魔というのは人の弱みに付け込んで甘言を囁くため、
そういう負の行為、といったものに敏感である。

カリバーンの言うことは、恐らく事実だろう。

けれどその事実を突き付けても、燐は誤魔化すどころか逆に怒ってきた。
そういった行為は身に覚えがないとまで言っている。

普通、人は後ろめたいことがあると動揺し混乱し、なんとか隠そうとするはずだ。
怒る、という反応をしない者がいないとは言わないが。
それにしても、この反応はおかしい気がする。
カリバーンも燐の言葉が本心から言っているとわかり、動揺しているようだった。

『ちょっと、あの。貴方本当に何も知らないの?』
「だから何がだよ」
『え、だってその。部外者の私でも一目瞭然なのに…
実の弟に毎晩犯されているって、犯されてる本人がわかってないの…?』

燐は首を傾げるばかりだ。
彼は真実、嘘を言っていない。

アーサーは顔を青ざめさせた。
脳裏には利発そうな顔をした奥村雪男の顔が浮かんでくる。
彼はあんなに人のよさそうな顔をしておきながら、裏で何食わぬ顔で実の兄に手を出して。
込み出る嘔吐感を、アーサーは抑えた。
悪魔である燐も絡んでいるとばかり思っていたが、加害者は人間で被害者は悪魔の方だった。

「…おい、犯罪の匂いがしてきたぞカリバーン」
『ええ、アーサー。これ列記とした犯罪だわ。それも極悪非道な性犯罪だわ』

なに言ってんの。と燐はアーサーを問い詰めた。
アーサーは考える。
性犯罪の加害者と被害者は他の犯罪に比べて極めてデリケートな関係にある。
奥村燐は弟と共に暮らしていることで被害に合っているようだ。
ならば、まずは彼らを引き離すことが先決である。
上司の特権を乱用するべき場面であることは明白だ。

「よし、お前は今日から俺の使い魔にすることにしよう。今決めた」
「え?」
「というわけで、ヴァチカンに報告に行く。着いて来い」
「え?ええ?」
「行くぞ」

ひょいと燐を肩に担ぐと、アーサーは鍵を扉に差した。
動揺する燐には後で契約の首輪でも着けておこう。
訳のわかっていない燐は暴れてアーサーから逃れようとするが、
正義は我にありのアーサーは燐を逃す気などなかった。

程なくして日本支部に、燐の転籍が告げられる。
燐はヴァチカン所属になり、日本への帰還は当分なくなってしまった。
最初は抵抗していた燐も、アーサーとカリバーンの言うことを聞くうちに
雪男の行動に不審を持つようになった。
そして、二人の言った通り雪男と離れたことにより、
燐の体調がみるみる内に回復していったのは言うまでもなかった。


***


ヴァチカンのある一角に、犯罪者を尋問するための部屋がある。
その部屋は窓もなく、机が一つに椅子が二つあるだけだ。
椅子に座るのは今現在燐を保護するアーサー=オーギュスト=エンジェルと、
かつて燐を保護していた奥村雪男の二人だけ。

「兄さんを拉致するなんて、酷い人ですね」

雪男はさらりとそう言った。なんとも思ってなさそうだけれど気配でわかる。
雪男はアーサーを殺したくてしょうがないらしい。

「俺よりもお前の方が余程酷いことをしていると思うがな…」
「まあ自覚はしています。けれど改める気はないですね」

アーサーが雪男を問い詰めると、雪男はあっさり自白した。

ええ、兄さんのことを犯しているのは僕です。それがなにか。

ぞっとする言葉である。よくそこまで開き直れるものだ。
燐は現在体調が戻ったことを喜んでいるが、時折遠くを見ていることがある。
きっと弟のことを考えているのだろう。
雪男はちらりと壁の方を見た。そこに向かって微笑む。

「兄さんそこにいるんでしょう。こっち来なよ」
「よくわかるな」
「まぁ双子なもので」

言った通り、しばらくしてから扉が開いた。
壁はマジックミラーの様になっており、中の様子を覗くことができた。
雪男が呼びかけた壁の向こうには燐がいたのだ。
中に入って、燐はそっとアーサーの後ろに立った。
燐は動揺してがっちがちに固まっている。
まさか、自分が弟に犯されていたなんて夢にも思わなかっただろう。

「ゆゆゆ雪、男…お前本当に俺に…その」
「うん、手出してたよ。毎日毎晩365日欠かさずに」
「う、うそだあああああああああああ!!!!」

燐はわんわん泣き出した。当然だろう。
信じていた弟に裏切られ、その裏切りが嫌いだった上司に暴かれてしまうなんて。
アーサーは雪男に告げる。

「お前は自分の行動を改める気はないんだな」
「はい、欠片もありません。そして兄さんを逃がすつもりもありません」

雪男は仕込んでいた銃を、アーサーはカリバーンを構える。
お互いの獲物を構える二人に、燐は動揺した。

雪男のことは大切な弟だ。弟を傷つける輩を許すわけにはいかない。
けれどアーサーは燐の為を思ってこの場を設けてくれたのだ。
燐はどっちつかずな自分の気持ちに、どうすればいいのかわからなくなった。

「兄さん帰ろう、ここにいたら実験動物みたいに扱われる。
僕らの家に帰ろうよ」

雪男の言葉に燐は惹かれる。家族である弟の元に帰りたいと思う心もある。
けれど。そんな揺れる天秤のような燐の心に、アーサーが言葉を放つ。

「お前は俺の使い魔だ。
俺のものになるというのなら、お前は物みたく扱ってやろう」
「そんなことを言って、兄さんが喜ぶとでも?」
「わかっていないな…貴様らは親に、教師に習わなかったのか?
物は大切にしろという言葉を」


実の所燐のファーストキスはアーサーに奪われている。
その時にも言われた言葉だ。

アーサーは、不器用だけれど本当は優しい。
アーサーのものであるカリバーンは手入れもきちんと行き届き、
アーサーの一部が欲しいと強請ればきちんと与えられている。
彼は口は悪いが、今燐を助けようとしてくれていることがわかる。


「俺は、ものを大切にする男だ。お前のことも大切に扱ってやる」

だから俺と来い。
アーサーは言いきった。男前に言いきった。
燐の瞳から目を逸らさず、
きらりと光る王子のような微笑みで止めを刺される。。
彼はイケメンだ。性格は残念だけど顔だけは一級品と言ってもいい。
その顔が、燐だけに微笑んている。
心の天秤ががくんと傾いた。


「ごめん雪男、俺たちしばらく距離を置いた方がいいと思う」


告白よりも先に身体を手に入れた弟は
物事には順序というものがあることを理解した方がいいだろう。

残念そうな顔をする雪男の表情を見て、俺の弟ってイケメンだなと燐は思う。
ああ俺と離れて雪男が痩せたりしませんように。そう願って、燐は雪男と別れた。

別れ際に、いけないときは何時でも帰ってきてねと言われた。

俺の弟は、イケメンだけど下種だった。その事実に燐は打ちひしがれる。
ぽろりと流れ出る涙を、アーサーは見逃さない。


「泣くな、俺がいるだろう」


アーサーの言葉に、燐は落ちた。
例え武器に向ける言葉でもその言葉は優しく燐の心に積もる。
人は辛い時にやさしくされると見事に堕ちてしまうらしい。


天国のジジイ。ごめんなさい。奥村燐はいけない子です。
俺は、イケメンで優しい男のものになりました。


奥村燐の経験回数を答えてください


うーん、うーん。
旧男子寮のトイレからうなり声が聞こえてくる。
新寮の住人からはお化け屋敷と噂される建物なので、
幽霊が住んでいてもおかしくはないだろう。

けれど本当はこの建物に住んでいる青い悪魔のせいで、
下級の幽霊は怖がって近寄ることもできない。
その青い悪魔こと奥村燐はトイレの個室に入りながらうんうん唸っていた。
うなり声はしばらく続いたが、やがて個室のドアが開き
中からこの世の物とは思えない程憔悴しきった燐が出てきた。
燐は手洗い場で手を洗うと、そのままがっくりと肩を落とした。

「こんなこと・・・誰にも言えねぇよ」

この年で不能になってしまっただなんて。

手洗い場に設置された棚には、燐が部屋から持ってきたエロ本が置いてある。
先ほどから燐が唸っていた原因はこれである。

燐の分身は、全くといっていいほど立たなくなってしまったのだった。

過労や精神的な疾患からそういったことが起こることもあるが、
燐はそういったストレスはため込まない性質である。
もしや悪魔に覚醒したことが原因だろうかと思ったけれど、
そもそも悪魔は人を堕落させることを目的にしている生き物だ。
悪魔に覚醒したことで、息子が元気になることはあれど、元気を無くすことなどないだろう。

原因が全くわからない。
けれどこんな自身の尊厳に関わるようなことなど誰にも相談できるわけがない。
こんなことだから、雪男に女の子と手を繋いだこともないのかと馬鹿にされてしまうのだ。
燐は女の子と手を繋いだこともなければ、つき合ったことすらない。
肉体関係を一度も持たないまま息子は逝き絶えてしまった。
何がいけなかったのだろう。
ぐすん、と燐はこぼれ出た涙を自分の袖口で拭った。


燐は欠片も気づいていないが、
この現象は燐の分身が不能になったわけでも機能不全に陥ったわけでもない。
燐自身は何一つ悪くなどないが、原因に気づくこともまた不可能であった。

なぜなら燐の不調の元凶は連日連夜に渡る雪男による犯行の賜だったからだ。

燐は気づいていないが、分身である息子は雪男とともに連日ハッスルしていたのである。
雪男は知略に長けた犯人だったので、
燐が起きた時にそうと思わせるような痕跡は一切残していない。
シーツだって別の部屋にストックを残し、使用したものについては数回分を貯めた後、
裏口から取りに来てくれるクリーニング屋に頼んでいる。
もちろん、お届けはそっと裏口に置くだけという優れたサービスを兼ね備えている。
この業者ならば燐が大量のシーツを受け取ることもない。
万が一を考えて、祓魔に使う荷物を定期的に洗えるよう依頼していると言っているので
燐は不審な荷物があったとしても中身を見ずにそのまま放置している状態だ。

けれど弊害というのは付き物で。

燐が起きている際に事を起こそうと思ってもそれは無理な話である。
夜に起きている息子が昼間寝ていても責めることはできないだろう。
毎晩起きていれば疲れるのも当たり前だ。
むしろ元気な部類だというのに、燐は自身に不能というレッテルしか見いだせない。
燐は考えた。
どうすれば元気になるのだろうかと。
考えて、考えて。考えた末に。

メフィストに聞いてみることにした。


***


メフィストは末の弟からいきなりの不能宣言を受けて硬直していた。
元気が取り柄の末の弟はこの世の終わりのような顔をしている。
当然だろう。若くして男としての機能を失ったと考えれば思い詰めたとしてもしょうがない。
けれど、そんなことカミングアウトされた兄の気持ちも考えてみてほしい。

「えーと、じゃあまずは目の前で実践してみてください?」

証拠を見せろと言ってしまったメフィストの口を責めないで欲しい。
ただ純粋に本当にそうなのか確かめたかったのだ。

下心が一ミリもなかったとはいえないが、
言った瞬間メフィストの全身は青い炎でこんがりと焼かれてしまっていた。
もちろん悪魔なので平気だけれど、できねーから言ってんだろ!とブチギレられる側の気持ちも
ちょっとは考えて欲しい。私にどうしろというんですか。
メフィストが指を鳴らして全身を整える。
本来なら焼け焦げた服を弁償して欲しいくらいだが、
燐がこうなってしまった原因について、メフィストも思い当たる節がない。

とりあえず落ち着きなさいと燐をソファに座らせた。

指をもう一回鳴らして目の前に紅茶とお菓子を出現させると
燐もひとまず落ち着きを取り戻した。

「思い当たることはないんですか?」
「ストレスとかってことだろ?それない」
「ですよねぇ・・・ならあり得ないですけど貴方半分は人間ですし病気とか?」
「なるようなこともしてねーよ!」
「貴方自分で童貞発言とか言ってて虚しくなりません?」
「言うな、自覚してる」
「うーん、となれば。直接燐君の身体に聞いてみましょうか」
「え」

燐が後ずさる。まさか童貞の前に目の前の悪魔に処女を奪われてしまうのかと警戒した。
メフィストは心配しなくても取って食べたりしませんよ、と言って燐の隣に座った。

「貴方の記憶を遡って見るだけです、
自覚がないだけで他人が見たら一目瞭然ってこともあるんですよ」
「えーでもお前に記憶見られるとか嫌なんだけど」
「私は別に貴方が不能でも一向に構いませんけどね」

騎士團も魔神の息子が不能だと知れば、
子孫が残らないと喜ぶでしょうよと言えば燐は黙った。悩んでいるらしい。

燐にわかるようにメフィストはわざとらしく両手を上げる。
自分はあくまで燐の意志に基づいて手を貸すというだけであって、
嫌ならば手は出さない。というジェスチャーだった。

一歩引けば、一歩踏み出すのが人の性というもので。
燐はメフィストの提案を飲み込んだ。


「わかった、見てくれ」


メフィストは燐に目を閉じるように言う。
燐の額に人差し指を当てて、メフィストも目を閉じた。
これは言うならば悪魔同士のテレパシーみたいなものだ。
共感覚を利用して、相手の中を覗き見る。
本来なら誘惑や傀儡の対象である人相手に使うものだけど、
お互いの了承を得た悪魔同士ならば交信は可能だ。

また変なものでも拾い食いしたんでしょうかねぇ。
メフィストは特に何も思わず燐の記憶を覗き見た。


泣いた。
一瞬で泣いた。


燐は目を閉じているのでわからないだろうが、
メフィストの顔色はいつにも増して悪くなっている。
メフィストの瞼から滂沱のごとく流れる涙が二人の座るソファを濡らす。
燐の額に当てている指先も無意識だけど震えていた。


何これ怖い。

こんな性犯罪が私のお膝元で行われていたなんて。
赤の他人ならおもしろおかしく見るだけだったかもしれない。
けれど対象は大事に大事に自身の羽の下で育ててきた末の弟である。
歪んだ愛情も含まれるけど、悪魔なりに大切にしてきたつもりだったメフィストの弟は。

あろうことかその弟に既に頭からばりばりと食べられてしまっていただなんて。


「お・・・おぉう、おふ・・・」


言葉にならなかった。
燐の身体は玄人だけど、心はとんだ素人だ。

二次元の男性向けエロ同人みたいな子が実際にいるなんて。
メフィストの心は傷つきながらも熱く高鳴った。

記憶の中の燐は雪男の教育の賜物か、信じられないくらいエロかった。
数を数えて見たけど、信じられない回数だ。
経験人数は一人だが、経験回数が風俗嬢と肩を並べるレベルである。
どうしてこんな回数やられておきながら貴方気づかないんですか。
馬鹿だと思ってたんですけど、馬鹿以下だったんですか。

けしからん、実にけしからん。

メフィストはしばらくして、指をそっと離した。
燐は終わったのかと思って目を開く。
そこにはまじめな顔をしたメフィストがいた。
まさか、原因がわかったのだろうか。
燐はどうしたんだよ、とメフィストを問いただす。
燐君、とメフィストも真剣に返した。


「原因としては疲れですね、夜によく眠っていればじきによくなると思いますよ」


つまりメフィストは匙を投げたのであった。
記憶の中の燐は悪魔的でとても魅力的であった。
大切に育てた燐が穢されたショックは大きいが、止める筋合いもない。
つまるところ心境としてはいいぞ、もっとやれ。である。
メフィストは悪魔だ。
おもしろいことを放置してなにが悪い。

燐は疲れかー、といまいち納得していないようだったが、一抹の的確なアドバイスも忘れない。


「あんまり気になるようなら、奥村先生に聞いてみたらいいんじゃないですか」


メフィストがそう言うと、燐は顔を真っ赤にして誰が言うか、と怒りだした。
メフィストは雪男の性格の悪さにぞっとした。
燐は自分が弟にそんなことされてるだなんて欠片も思っていない。

被害者にバレる時は、まだ当分先のようである。恐ろしい。
けれど、その間とても美味しいものが見れるだろう。
脳裏に浮かんだアダルトな光景は私のおかずにふさわしい。

その晩からメフィストの偵察用の使い魔が
旧男子寮の前をぐるぐると旋回するようになったらしい。

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