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CAPCOON7

青祓のネタ庫

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毒と薬



薬を扱うものとしての心得。
薬剤への知識はもちろんの事。手元が狂わない正確さ。
失敗した時にその全てを捨てる潔さ。
満足がいかない場合は何度でもやり直す我慢強さ。
そのどれも大事な要素である。

薬は飲んだもののその後を左右する重要なもの。
強ければ、それは毒にもなって服用者を蝕むのだ。
細心の注意を払い、薬剤の調合を行わなければならない。
雪男は若いながらも悪魔薬学の天才として周囲から高い評価を受けていた。
正確な処置と、薬の製作技術は群を抜いている。
だから、祓魔師として個人に与えられている部屋で薬の調合ができるようになっているのも、
当然であったし、必要なことではあった。

「あ、間違えた」

しかし時として人は間違う。
雪男は地道に十時間近く作っていた薬の最終段階で、手順を誤ってしまった。
いくら天才と言えども人は人である。人は間違える生き物だ。
本来ならば青く美しい色合いになるはずの液体は、何故か真っ白に染まっている。
色合いがまるで違うし、匂いも何故だか甘ったるい。
雪男は首を傾げた。天才は失敗からも学ぶと言う。

雪男はその意味では紛れもない天才であった。

間違えた手順も覚えていたので、正規の手順から枝分かれするようにメモにその方法を記していく。
どんな効能があるかは試してみないとわからないが、
薬を作る手順というのは記憶でどうこうできるものではない。
確実に記録に残していく必要があった。

雪男はメモを書き終えると、薬の入った試験管を手に取る。
初めてできた薬なので、臨床試験を行わなければならない。
ちらりと棚を見ればそこには魍魎の瓶詰があった。
雪男はその瓶の中に向けて何の躊躇いもなく薬を注いで蓋を閉める。
さて、反応はどうだろうか。
雪男はわくわくとした表情で瓶の中の変化を確認する。
実験を楽しむ子供のような残酷さは、先駆者としては時として必要なことだろう。
瓶の中に閉じ込められている魍魎にとってはたまったものではないが。

「あれ・・・?」

様子を伺っていると、消滅するでもなく。増殖するでもない。
予想外の反応がそこにはあった。

***

雪男が祓魔師として活動し始めてから、燐との距離は開く一方だった。
それは時間的な意味もあったし兄弟としての関係もそうだ。
大きくなってからは小さなころのように寄り添うこともない。
お互いに何を考えているのかわからない。
特に兄は家に帰ってくることを段々嫌がっているようにも思えた。
雪男が任務を終えて帰ってくると、神父が雪男を玄関で迎えてくれた。
修道士達はもう寝てしまっているらしく修道院中はとても静かだ。

「ただいま神父さん」
「おかえり雪男、お疲れさん」

大きな掌で頭を撫でてくれる。子ども扱いしないでほしい気持ちと、くすぐったい気持ちが
ないまぜになってなんともいえない気分だ。
靴を脱ごうと足元を見て気づいた。靴が一足足りない。
他の人のものは皆あるのに、一番あって欲しい人のものがない。
不安げな顔で雪男が顔を上げると、神父は大丈夫だ、と雪男を慰めるように声をかける。

「心配させてくれるよな、これ以上遅くなるようだったら探しに行こうと思ってたんだ」
「なら僕も行く」
「大丈夫だって、お前は寝てろ」
「でも」
「そのうちふらっと帰ってくるかもしれないだろ」

心に引っ掛かりを覚えながらも、雪男は疲れた体を休ませるために
ベッドに入った。
本来なら同じ部屋にあるはずのぬくもりはまだ感じられない。
雪男は眠れなかった。
兄はまだ自分が魔神の落胤であることを知らない。
悪魔に狙われていたらどうしよう。
虚無界に浚われていたらどうしよう。
そんな不安で胸がいっぱいになっていた所で、玄関が開く音が聞こえた。
廊下で神父と兄が言い争う声が聞こえる。
ああ、帰ってきてくれたんだな。心が落ち着いた。
程なくして、兄が部屋の中に入ってきた。
かすかに香る血と埃の匂い。また、喧嘩をしてきたのか。
ベッドに入った音を聞いてから、声をかける。

「おかえり」

聞こえると思っていなかった声が聞こえたからか、驚いた声が部屋に響く。

「起きてたのか」
「心配で」
「いいよそんなの」
「怪我したの」
「気にするなよ」
「気にするよ」
「お前は、俺の心配なんてしなくていいんだよ・・・皆も」

雪男が起き上がると、代わりに燐の寝息が聞こえてきた。
あれは、燐の本心だったのだろうか。

俺のことなんてどうでもいいんだ。

そう言っているようで、とても腹立たしい。
僕が、僕たちがどれだけ心配しているか知りもしないで。
どうしてそんな自暴自棄になるの。
どうしてわからないんだ。
僕は、兄さんの事が。

それは誕生日にほど近い、クリスマスが終わる夜の話だった。


朝目が覚めると、兄はまだ寝ていた。
雪男は今日は任務はないが、神父と修道士達は朝から向かうはずだ。
遠方だと聞いているので、帰りは遅いだろう。
今日は兄と二人っきりだ。普段はできない家事でもして、少しでも家の役に立たなければならない。
燐がいてくれれば料理のことは大丈夫だ。洗濯や掃除でもしていよう。

雪男は鞄の中に入っていたタオルを取り出した。
先日使ったものなのでついでなのでこれも洗ってしまおう。
鞄の中には、あるものがある。
雪男はそれを見なかったことにして、鞄の奥底にしまい込んだ。
タオルを洗濯機の中に放り込むと、その足で部屋に向かう。
寝ている燐を起こす一番の言葉を雪男は持っている。

「兄さん、起きて。僕お腹すいたんだ」

目を閉じたまま燐はゆっくりと起き上がった。
まるで自動人形のようにふらふらと台所へと向かう。
雪男がこうして声をかけていれば燐は自分の傍にいてくれるだろう。
なんだかんだで面倒見のいい兄のことだ。
雪男が頼めばしょうがねぇな。と苦笑してやってくれる。

逆を言えば、雪男が引き止めなければ燐はここにはいてくれない。
安全な家の中にいてはくれないのだ。
兄は目を離せばすぐに何処かへ行ってしまう。
それが、雪男には許せない。
台所には燐が立っている。その背後に向けて雪男は声をかける。

「飲み物は僕が用意するよ」

目玉焼きは半熟がいいな、といえば燐は唸りながらも答えてくれた。
まだ寝ぼけている兄の姿を雪男は笑って見守っていた。


「・・・あれ?」


燐が目を覚ますと、朝だった。
何時の間に寝てしまったのだろう。確か朝雪男にご飯を作っていたはずだ。
そのまま二人で家事をこなすと、午後三時には二人とも暇になった。
電話がかかってきたのは丁度その時だ。
雪男は何か急ぎの要件があったらしくて、すぐに出なければいけないと言っていた。
だから、燐も家に一人でいては暇なので出かけようと思っていたのだ。
雪男は家にいてよ、と言っていたが燐の耳にはあまり入ってこなかった。
男兄弟に自分の行動を制限されるいわれもない。
それから――――自分はどうしたのだろう。
こうやってベッドで寝ている辺り、雪男と喧嘩してふて寝でもしたのだろうか。
若しくは三時頃だったので昼寝でもしたのか。
その記憶はすっぽりと抜けていた。
ベッドから起きあがると、部屋の中に雪男が入ってきた。

「おはよう兄さん、誕生日おめでとう」

なんてことない普通のあいさつの様に雪男は言った。誕生日、そういえばそうだったか。
不可思議に思いながらもカレンダーを見ると、日付は自分たちの誕生日を差している。
自分の記憶に不可解な点を抱えながらも、燐も雪男に同じ言葉を投げ返す。
燐は自分の寝つきの良さは知っていたから、きっとただ眠気が来たんだろう。
それくらいにしか思ってはいない。
けれどこの時から、燐の睡眠時間はゆっくりとだが確実に増えていった。


***


兄さんは睡眠時間が長い。
それは体質の問題だからしょうがないのだけれど、ある一点に置いてはそれは間違いだと言えるだろう。
雪男はポケットから小瓶を取り出した。
中の液体は人に対してなら何の影響力も持たない。

ただ、使う相手が悪魔ならば話は別だ。

雪男はこの薬をありとあらゆる属性の悪魔に試してみたがある一定の効果が得られることは実証済みだ。
使うときに躊躇をしなかったかと言えば嘘になる。
けれど最終的に雪男はその薬を使った。
その証拠に、目の前にはぐっすりと眠る兄の姿があった。
あの頃偶然発見したこの薬は、悪魔への睡眠導入剤として役に立った。
雪男はベッドに眠る兄の頬をそっと撫でる。
そのまま首元に指を滑らせても、身をよじるだけで起きる気配はない。

「兄さん、起きてよ」

囁いても兄は起きなかった。当然だ、雪男がそうさせたのだから。
神父が死に、周囲の環境が変わっても時間は変わらず経っていく。
もうあと数分で誕生日が終わる。
今回は任務もあって、誕生日を祝うのが夜になってしまったけれど。
それでも、よかった。
今日この日に兄がこの手の中にいてくれるのなら、
雪男はどんな手段でも使うだろう。
顔をそっと近づけて、燐の呼吸に乱れがないかを確認する。

そのまま、唇をそっと近づけて―――奪った。

何度も何度も口づけても、燐は目覚める気配はない。
雪男は安心して燐の呼吸を奪い続ける。
来年、燐がここにいてくれるかはわからない。
いつだって世界は雪男から大切なものを奪っていくからだ。

誕生日の日に行う、雪男の祈りのような儀式。
起きていたら絶対に言えないことも、してはいけないことも、
全ては眠りが奪ってくれる。
今日一日、二人の誕生日の日にだけ行われる密やかな行い。
雪男は唇をそっと燐から離した。


「誕生日おめでとう、兄さん」


まるで毒にも似た薬の味は、とても甘いものだった。

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逆様鏡10


兄と二人の空間の中雪男が感じていたのは幸福だった。
ずっと会っていなかった彼は頬が少しこけていて、大人びた風貌に変化している。
悪魔になって年をとらなくはなったけれど、年月による変化は確かにあるようだ。
その間、兄と共にいることが叶わなくてとても残念だ。
雪男は確かにそう思っていた。自分がその原因であることも、
兄を今日に至るまで追いつめていたことも全て理解した上で
雪男はただ兄に会えたこの瞬間が愛おしいと思っている。

僕は、本当に最悪の人間だ。
だから兄さん、早く僕から逃げるべきだよ。
もう一度手元に帰ってきたら僕は今度こそ兄さんを離さない。
それこそ使い魔の契約だって交わしてまで僕との繋がりを強要しそうだ。
雪男はポケットからあるものを取り出して、そっと掌に握った。
兄の幸せを思ってこそ、自身の心を偽り続ける。

「兄さんを不自由させない為の環境を整えた。
少しずつだけど騎士團の方には僕の息のかかった人を潜り込ませているから、
前のようにはいかないよ。監視はまたつくだろうけど騎士團の上層部は僕が言いくるめておくよ。
僕が下したあの日の判断は・・・兄さんにとっては納得のいくものではなかったと思う。
僕は必死だった。けれど許されないことをしたこともわかってる。
その上で、兄さんにもう一度聞きたい。帰って来てくれない、かな」

ここまで言えば、いくら燐でも怒るだろう。
雪男に都合のいい話ばかりを業としているので、
いくら鈍感な兄でも自身を馬鹿にされたと感じるはずだ。
喧嘩をして、これまで以上に僕を遠ざけてくれるはず。
雪男は頭を下げた。

あの時謝れなかったことを雪男は悔いているけれど、
こんな謝罪の仕方は正直ないなと心の中で苦笑した。
年代もののカウンターテーブルがその目に入る。

この店を持つためにどれほどの苦労をしてきたのだろうか。
身よりのない人間が店を持つこと。
それこそ保証人だって人よりもずっと苦労して探したはずだ。

雪男にはそんな相談できなかっただろうし、離れている間に知り合った者の中でいい人がいたのだろう。
雪男の知らない人と燐が一緒に笑ってこの店を作っている姿を想像して、
腸が煮えくり返るかと思った。

僕は嫉妬の塊だ。兄さんを追いつめてもなお独占したいと思っている。
けれどそのせいで、そのおかげで。
兄は今日まで警戒心をもって生きていてくれただろう。
誰でも信じて傷つくより、警戒心を持って人を遠ざけて懐に入れれる人のみを信じたはずだ。
兄さんは人を信じすぎる。
だから人に対しての不信を持たせるには家族である僕が裏切ることが一番のことのように思う。

ばしゃん。

雪男の頭に水が降りかかった。ぽたりぽたりと落ちる液体はテーブルの上に貯まっていく。
視線をあげれば、今にも人を。雪男を殺しそうな視線で見つめている。

「帰って来て欲しい?じゃあ、お前の手にあるそれはなんだ」

燐が雪男の手の中にある物を指摘した。雪男はテーブルの上に置いていた手を開く。
そこには透明な石が握られていた。先程ポケットから取り出したものだ。
雪男はばれていたか、といたずらが見つかったような子供のような、苦笑を浮かべた。

「使い魔契約の石、よく知ってたね」
「気配でわかる」
「すっかり悪魔らしくなって残念だよ」

そして憎らしい。本当は、悪魔になんかならないで欲しかった。
そうすれば兄さんは誰にも見つからず、誰にも傷つけられずに、
ずっと僕が守っていられたはずなのに。
雪男の心に黒いものが浮かんでは消えていく。

「例えばね、これを悪魔に飲み込ませたとしようか。
するとこの石は悪魔の意志に関係なく体内に根を張り、悪魔を縛る。
使役者の命令を遂行しなければ石が悪魔を体内から苛むわけだ」
「とんだ外道だな」
「騎士團ではよく使われているんだ、高位の悪魔は人の言うことを聞かないからね」
「遠まわしに俺のこと言ってんのか」
「遠まわしも何も、兄さんのことを言っているよ」

これを飲み込ませたら、言うことを聞いてくれるのかな。
僕が帰ってきてと言ったら、帰ってきてくれるような。
僕が逃げてと言ったら、逃げてくれるような。
兄の幸せを思ってこそ、自身の心を偽り続ける。
兄を思う心は裏返せば全て自分の望む方向へと向かわせる為の意志。
これを偽善と呼ばずして何と言うのだろう。

「今のお前の言うことだけは、死んでも聞きたくねぇな」

燐は雪男の考えをバッサリと切り捨てた。
燐も雪男ももう交わることはできはしないのだと、思い知らされた。

燐はカウンターから出ると、扉にかけてあったOPENの札をひっくり返した。
一般の客はこれで入ってはこないだろう。店の中には二人だけ。
これから起こる出来事を知っているのも二人だけだ。
燐はかけていたエプロンを外して、近くにあった椅子に置く。
格好はラフだった。Tシャツにジーンズ姿。昔はよくジーンズの隙間から尻尾を出していたが
しまうようにしているようだ。
あれだけ言っても隠さなかった尻尾を隠す。
それは一般人の生きる世界で生きていくために必要だったからだ。

腕の筋肉も、重い鍋や荷物を運ぶことでつく筋肉がついている。
こうして見ればただの一般人だ。
だが、祓魔師として生きている雪男から見ればその体つきには一般人とは異なる
決定的な違いがあった。

その体からは、戦う者特有の生きるために必要な肉がついている。
例えば敵の攻撃を避けるために。例えば敵の身を打ち砕くために。
日常的に戦闘を行っているものでなければつかない均整のとれた体。
とても一般人が見にまとうものではない。
全く、何時まで経っても言うことを聞かない兄には心底腹が立つ。

「普通に、生きようとは思わなかったの」
「俺は普通に生きてる」
「店の店主が悪魔を殺すことが普通だと思うの」
「それが俺にとっての日常だ、お前にとってもそうだろう」
「祓魔師の資格を剥奪されたのに、どうして活動を続けているのさ。違法だよ」
「悪魔に困ってる人がいたから助けてるだけだろ、騎士團がやってることと何も違わない。
違法だってんなら剥奪した資格を俺の所に送って来るくらいしたらどうだ。
俺は過去に一回正式な手段で取っているしな。そこらの奴よりよっぽど使えるぜ?」

にやりと笑った燐の瞳からすう、と一筋の青い炎が宿った。
神の炎を操るその能力は健在のようだ。
やはり、手放すべきではなかった。
雪男は立ち上がった。
燐もそれに合わせて歩き出す。
向かうのは店の裏口だ。
店の正面は大通りに面しているが、裏口は人通りも少ない裏通りへと続いている。
二人で店から出て、肌寒い路地へと出た。
人はいない。周囲には魍魎が浮かんでは消えている。
肌を刺すような静寂。お互いに向かい合ってお互いだけを見つめていた。
その瞳はとても冷たい。
静寂を初めに破ったのは、燐だった。

「聖騎士の奥村雪男、俺の夢の続きはどんな気分だ」

燐の夢だった聖騎士。その夢を奪い、追放した雪男。
その雪男の、医師になる夢を奪った燐。

「少なくとも、医者になるよりは自分の目的を達成できていて何よりかな」
「ぬかせ、今からでもなったらどうだ」
「年だしね、年々集中力が落ちてるよ」
「集中力が無い奴は今俺の眉間を狙ったりはしないね」
「よくわかるね」
「悪魔だからな」
「なって欲しくなかったよ」
「俺だって人間のままのがよかったけど、
元々悪魔なんだからきっといつかこうなっていただろ」
「ねぇ、悪魔なら祓魔師の真似事なんてやめてよ」
「やめねぇよ」
「じゃあ帰ってきてよ」
「嫌だね」

俺はお前に守られるつもりなんて、更々ないね。

その一言が合図だった。雪男が銃を取り出した。

「どうして兄さんは、いつもいつも僕の言うことを聞かないんだよッ!!」

守らせて欲しかっただけなんだ。
それなのに、兄さんはいつもいつも僕の手の届く範囲から飛び出していく。
もう嫌なんだよ。何もかもが嫌だ。傷ついて欲しくなんかなかった。
でも兄さんを徹底的に傷つけたのは僕なんだ。
せめて普通の世界で生きていて欲しかったのに。物事は全てうまくいかない。
僕は、この世界が嫌いだ。僕も嫌いだ。何もかも、全部大嫌いだ。

燐は青い炎を纏う。叫んだ。


「てめぇが、俺の言うこと聞かねぇからだ!!!!」


青い炎と銃弾が暗い路地裏に舞っている。

逆様鏡9


僕の話をしよう。

僕の名前は奥村雪男。
悪魔薬学の天才だとか、最年少で祓魔師になったとか、
そういった肩書みたいなものはあるけれどそれは僕にとっては重要ではない。
重要なのは、奥村燐の。魔神の落胤と血縁であるというその一点だ。

その一点で僕は随分と苦労をしたと思う。
普通に生きていれば負わない魔障を生まれた時から負っていたし、
兄さんがいなければ祓魔師になる必要にも迫られなかっただろう。
魔神の落胤、奥村燐の弟。
その肩書きが、恐らく僕にとって一番重くて一番手放すことのできないもの。
兄だけではない。僕だって騎士團からの監視の対象なのだ。

けれど僕の立場はあくまで人間だった。幸か不幸か、兄と同じ悪魔にはならなかった。
人が悪魔になる機会は多くあれど、悪魔が人になったケースはあまりない。
兄さんはもう人間には戻れない。悪魔として生きていくしかない。

僕は兄さんを守りたかった。だから祓魔師になった。

人としての立場から、兄さんを守ろうとした。
けれど、僕はある時間違えた。それも最悪の方法で。
僕は兄さんの行く先を、夢を、その全てを奪うことで兄さんを守った。

守ったといえるのか、と言われれば反論をしよう。
僕は間違えたけれど、兄さんを守ったという一点だけは本当だ。

あの時兄さんを追放していなければ、騎士團は兄さんを殺しただろう。
兄さんは悪魔を殺し、騎士團に貢献し、あれだけの人を守ったというのに
人は兄さんが魔神の落胤だからという理由だけで殺そうとしたのだ。
それならば、僕も一緒に殺せばいいという話にならないのが不思議な話。
僕だって魔神の落胤だし、奥村燐の血縁者は僕しかいない。

僕が殺されなかった理由は簡単だ。
人にとって、祓魔師にとって。重要な犯してはならないラインというものがある。
悪魔を殺せば祓魔師だけど、人を殺せば人殺し。
僕も祓魔師になった時に神父さんに言われた言葉だった。

祓魔師は一人では戦えない。
それは悪魔に立ち向かっていく時にチームワークが必要だという理由もあるけれど、
裏の意味ではお互いに一線を越えないように監視しているという側面もあるのだ。
敵対する者が人なのか、悪魔なのか。区別は容易にはできない。
さっきまで人間だった、同僚だったものが悪魔に堕ち、自分たちを殺そうとすることだってある。
悪魔に堕ちた人は、悪魔とみなされる。
悪魔とみなされれば、祓魔の対象だ。殺しても文句は言われない。
もし、その人の家族に説明を迫られたときは悪魔に殺されたとでもいえばいいのだ。

人の世界は、悪魔を利用することでとても都合がいいように作られる。
人は悪魔を排除し、駆逐しようとしているけれど、悪魔が一匹もいない世界を作ってしまえば
困るのは人間だと僕は思う。

悪魔は確かに悪いことをするし、人の生活を命を脅かす。
けれど人が起こした悪事を悪魔のせいにして生きているのもまた人間だ。
僕は小さなころから騎士團の容赦の無さ、大人の世界の汚さを目の当たりにしてきた。
兄さんは人のことが好きだ。けれど僕は嫌いだ。
こんなにも汚く、醜いものにどうして兄さんが憧れるのかがわからない。
そして人間に対しての醜い思いはそのまま僕の心に返ってくる。

僕は僕が嫌いで、人も嫌いだった。
だからこそ今日まで生きてこれたんだと思うけれど。
僕は人だったからこそ、間違えたのだ。

人の恐怖は伝染し、ある時一方的な暴力を生み出した。
あの裁判とも呼べない代物は、人の正常な思考を排除していた。

奥村燐を処刑しろ。

群衆心理とも呼べるだろうそれは、気づかぬうちに僕の心にも影響を与えていた。
あの時、ああしなければ兄さんは処刑されていたのだという強い洗脳。
他の選択肢だって、きっとあったはずだ。

けれど僕はあの時それを選ばなかった。
選択の果ては結果がある。

結果として処刑は免れたが、僕は二度と兄さんに会えなくなった。
兄さんは生きているけれど、もう一緒に暮らすことはできない。
どんなに会いたいと望んでも、どんなに謝罪をしたいと思っても。
それはもう許されないことなのだ。

僕は兄さんを追いかけた。あらゆる手を尽くして追いかけた。
今でも考えるのだけれど、もしあの時。
僕が去っていく兄さんを呼び止めることができたなら、
未来は変わっていたのだろうか。考えてもしょうがないことだけれど。

僕は今兄さんを追いつめて、追いかけている。
志摩君が知っていた兄さんの携帯番号。
腐の王、アスタロトが匿っていた兄さんの暮らしていた部屋。
そこに入って、僕は周囲を見回した。

なんてことはない、男の一人暮らしの部屋と呼べる光景があった。
けれど、兄と暮らした僕だからこそわかった。
部屋の中には、兄が使いやすいように動かしたであろう家具の位置。
後からつけ足されたであろう食器。そして寝具。
綺麗に整頓された台所。ここに、兄がいたという痕跡が僕には手に取るようにわかる。
沸き上がるのは寂しさと嫉妬だ。
兄さんの傍にいたのは僕じゃない。もう僕は必要じゃない。
兄さんは僕から離れて、この世界のどこかで生きている。


「・・・けど、それが一番いいんだ」


兄がいたであろうソファをそっと撫でた。
ぬくもりも何もない。ここを離れてどこに行ったのだろう。
ここじゃないどこか。僕がいない何処かへ逃げればいい。
僕はそれをただ、ずっとずっと追いかける。

騎士團の上層部は言った。
やはり悪魔を野放しにはできぬ。
奴は魔神の落胤。騎士團にいつ牙を剥くか。
追放した後に兄を追跡するように命令を出すこの矛盾。
魔神の落胤が騎士團から離れたことで騎士團の安全は確保された。
だが追放された悪魔がどうなったのかを確認するまで、野放しにはしておけないということだ。
兄を追いかけたかった僕は二つ返事でその命令を受けた。

僕が追いかけて、兄さんが逃げる。

最初は僕以外にも兄を追いかける部隊があったのだが、今では僕しか残っていない。
兄を見つけることができたのが僕しかいなかったという理由もあるが、
僕が僕以外の者に兄を追うことを許さなかったからだ。
志摩君も僕の言うことを聞いていれば怪我をすることもなかっただろうに。
けれど、あれで思い知っただろう。

兄さんは今では僕だけが追いかけている。

それは、僕以外の輩が決して兄を害さないという事実以外の何物でもない。
僕が追いかければ兄はどこまでも逃げるだろう。

悪魔と人。人が好きな兄と人が嫌いな僕。
騎士團にいたかった兄、騎士團から追放した僕。
祓魔の世界を離れて普通に生きて欲しかった。
けれど兄は祓魔の世界から離れることはできなかった。
僕の望みと兄さんの望みは違う。僕たちは決して交わることはない。

だからこそ、僕は兄さんを守ることができるのだ。


「僕たちはね、逆様なんだよ兄さん」


悪魔なのに、人の心を持った奥村燐。
人間なのに、悪魔のような奥村雪男。
例えば兄が人間だったらよかったのかもしれない。
例えば僕が悪魔だったらよかったのかもしれない。
そうすれば、僕たちはこんなにも歪な形にならなくて済んだかもしれない。
鏡の向こう側にいるように、僕たちは永遠に触れることはできない。

僕が望むことは、ただひとつ。兄に帰ってきてほしい、それだけだ。
僕たちは逆様だから、僕がそれを本気で望んでいる限り
兄さんは決して僕の元には帰ってこないだろう。
それでいいんだ。
兄さんは僕から逃げ続けることで、その身を騎士團からも僕からも守ることができる。


僕が兄さんを追いかけることができなくなれば、僕は迷わず兄さんを見つけ出して引き金を引くだろう。
その身に銃弾を撃ち込んで死なないのならば、倶梨伽羅を狙って銃を撃とう。
倶梨伽羅は兄さんの心臓だ。至近距離で刀身に銃を打ち込めば、砕け散るだろう。

確実な方法で、僕は兄さんを殺すよ。
誰かに殺されるくらいなら、悪魔にも人にもやらないよ。
僕がこの手で殺してやる。

そして、砕かれた倶梨伽羅で僕は喉を掻き切って死ぬよ。
鏡の向こう側に銃を撃ち込んだのなら、その破片で僕が死ぬのは当然だ。


いつか来るその日が来たら、僕は兄さんに会えるのだ。
その日まで、ねぇ僕から逃げて。
誰にも見つからないように生きて、生きて、生き抜いてくれ。
僕が殺すその日まで。

僕は見つけた兄に向って微笑みながらこう告げる。

「帰ってきてよ兄さん」


それは確かに本心のはずなのに、それら全ては逆様だ。


逆様鏡8


燐は携帯電話を見て、志摩の番号を確認した。
志摩はおそらく自分の番号は消してくれているだろう。
でも、やっとできたつながりだ。
残しておいても、いいだろう。燐は携帯を閉じる。
いつの間にか慣れてしまった帰り道。いつもと同じ道を歩く。
たった数ヶ月のことだけれど、燐にとっては貴重な時間だった。
この時があったから燐はまた前を向いて歩いていこうと思えたのだから。
鍵を開けて部屋に入ると、アスタロトがパソコンに向かっている姿が見えた。
燐はそのまま洗面所へ行き手を洗う。

リビングに戻るとアスタロトは難しそうな顔をして、キーボードを叩いている。
どうしたのだろう。いつもなら燐が帰ってきたら飛びつく勢いで声をかけてくるというのに。
燐はアスタロトの背後から画面をのぞき込む。何かのゲームかと思った。
ステージは町、黒い悪魔が敵と抗戦を繰り広げており一進一退を繰り返している。
燐はそのステージを見て不思議に思った。このステージは、この町と全く同じ作りをしている。
まさか。燐はアスタロトの肩を掴んだ。
アスタロトは振り返らずに燐の手を握った。

「申し訳ありません、突破されました」

見れば敵が町に進入していた。
黒い防護膜の用に広がっていた物が、集中的に敵の前に立ちふさがっている。
進路の先は、二人が住まうこのマンションだ。

「まさか・・・」
「ええ、祓魔師に見つかりました。私の眷属を向かわせてはいますが、それもいつまで持つか」

アスタロトが本気を出せば、この町一帯を腐らせ祓魔師を殺害することはたやすい。
けれどそうすれば町の人間は全員死ぬだろう。燐はそれを望まない。
だからアスタロトはこんなにも手間がかかる手段で攻撃を防ごうとしているのだ。

燐の脳裏に、志摩の顔が浮かんだ。
裏切られたのか。一瞬その考えが浮かんだけれどそのはずはない。
あのときの志摩の表情や答えから考えると、燐を裏切るとは考えにくい。
志摩と遭遇してから、侵攻が始まった。
ならば志摩自身が知らない内に、監視されていたのかもしれない。
別れてからかなり時間が経っている。彼は無事だろうか。
携帯電話を確認しようとするが、アスタロトに止められた。

「敵に連絡を取ってはなりません。
若君、今すぐここから逃げてください。それもできるだけ遠くへ」
「お前はどうするんだよ!?」
「私は少しでも時間を稼ぎます。ここまでと思い、私を切り捨ててください」
「死ぬつもりか」
「私は悪魔です。死にはしません。
虚無界へ帰るだけです・・・けれど貴方を置いていくことになる。
最後までお供できず申し訳ありません」

俺はまた一人になるのか。
行く宛もなく、町から町へ放浪する毎日。
誰も自分のことを知らない。誰も頼れない。あの日々へ。
燐はアスタロトの手をそっと握った。

「俺も戦う」
「ならば、虚無界へ。悪魔側として生きることに納得されたということですか?」
「それは・・・」
「できないでしょう。それでいいのです。私は若君を人間の手に渡したくない。
それだけです。私のエゴですから、若君が気にされることはないのですよ」

行ってください。と言ってアスタロトは通帳を渡した。燐の名義で新たに作ったものだった。
その中には今まで貯めたお金がかなりの額入っている。一人でも生きていけるくらいに。
燐は通帳を握って考えた。俺が捕まれば、事は丸く収まるんじゃないだろうか。
けれどそれをしてしまえば燐の夢は永遠に叶わない。
夢を追いかけて、逃げ続けなければならない。その業を背負って生きていかなければならない。
燐は覚悟を決めた。

「いつか、またどこかで。お前を呼ぶよ」
「お待ちしております」

燐は荷物を手早く纏めると、部屋を後にした。
遠くで銃声が聞こえる。覚えのある気配がした。
きっと雪男が来ているのだ。だからアスタロトは逃げろと言ったのだろう。
雪男と会えば燐はどうなるかわからない。捕まれば、今度こそ燐の夢は潰えてしまう。

一度だけ、燐はアスタロトと暮らしたマンションを振り返った。
あそこにいたのは数ヶ月だった。けれど、その間にどれだけ救われたことか。
アスタロトのしぶとさは知っている。きっと雪男の足止めは成功するだろう。
そして、きっと殺せるはずの雪男に祓われて彼は虚無界へと帰るのだ。それは、燐が望んだことだから。
燐は雪男のことを許せないけれど、死んでほしいわけではない。アスタロトは燐の願いを叶えようと動いてくれている。
雪男とは違い、燐の思いを汲んでくれている。
燐は涙を堪えて、駆けだした。今日まで過ごした町を、今日捨てることになるとは思いたくなかった。
次に彼に会ったとしても、アスタロトが取り憑いていた彼は燐のことを何も知らない瞳で見るだろう。
燐はまた一人になる。

「・・・なんでだよッ」

雪男。
お前はいつだってそうだ。
俺の思いはお前にとって関係ないのか。
俺が祓魔師になることにお前は反対していた。
青い炎を使うことにも反対していた。
聖騎士になることも、俺には無理だと止めようとする。
挙げ句の果てに、俺の一番の夢を目標をお前は奪う。
俺がお前にしたことだ。だからお前は俺を追うのだろうか。

お前は俺を従わせないと、気が済まないのか。
お前にとって、俺は都合よく扱いたいだけの道具なのかよ。
なら、お前は最低だ。

そして、一番最低なのは周りを巻き込んでそれでもなお、夢を捨てられない。この俺だ。
俺たちは、永遠に交われない。
俺たちはお互いに最低だ。だからこそ許せない。
お前も自分も俺はきっと一生許さない。

燐の行く先には、雨が降っていた。


***


アスタロトは魍魎からの報告で無事に燐が町を抜けたことを知った。それでいい。
彼が生きていくにはこの世界は優しくはないけれど。
思うとおりに生きようとする彼の生き方は、まさしく悪魔そのものだ。

「いつか虚無界へ来られる日を私は待ち望んでおります、若君」

我が君のために戦うこの時、ああなんと甘美なことか。
気が高ぶって思わず殺してしまいそうになりそうだ。
けれどそれは決してしてはいけないこと。
しかし、しかし。半殺しならどうだろう。生きてさえばいればいいのではないか。
瀕死ならば生きていることになるのではないだろうか。

ああ、この殺人衝動が若君に知られなくてよかった。
悪魔とはこんなものです。私が従うのは貴方だけ。
他の物など、ゴミと同じなのですよ。

アスタロトは携帯を持って、道路を歩いていた。
昼間のはずなのに人がいない。きっと祓魔師達が避難させたのだろう。
大方、上級悪魔が突如出現したとかいう理由だ。馬鹿らしい。
もうかなりの日数アスタロトはここにいたというのに、今更すぎて笑いが止まらない。
アスタロトは携帯に電話をかけた。燐が最後に連絡を取った相手に。
数コールの後に、彼が出る。

「もしもし」
『兄さんがお世話になったようだね。ひとまずお礼でも言おうか?』
「結構だ。若君に仕えるものとして当然のことをしたまで。
人にとやかく言われる筋合いはない・・・この電話の持ち主はどうした」

魍魎はそれこそ空気中のどこにでも存在する。
燐の行動をアスタロトが把握していたとしても、なんら不思議なことではない。

『ああ、知っているんだね。彼は謹慎処分だよ。
しばらく入院するけど命に別状はないんじゃないかな。
携帯を壊そうとするから、ちょっと痛い目にあってもらっただけさ』
「表向き悪魔に襲われたということにしてか。いつの時代も人間の取る行動は同じだな」

アスタロトはそっと周囲にいた魍魎に命令して、燐の元に伝言を頼む。
下手に志摩と連絡を取ろうとしてその身を危険に晒させるくらいなら、情報はすぐに渡した方がいい。
どうせ、アスタロトと燐はもう連絡を取ることもできなくなるのだから。

『全く、少し目を離すとすぐ味方面した悪魔が周囲を彷徨くんだから。
やっぱり一刻も早く見つけないといけないね』
「味方面か。その言葉そっくりそのまま返してやろう。
あの方はもう騎士團などという組織に捕らわれるべきではない」
『騎士團に渡すわけないだろう』

僕の元に帰ってきて欲しいだけさ。
雪男の言葉を聞いてアスタロトはある考えが浮かんだ。
その意志に関係なく屈服させようとするその意識。
きっと間違ってはいないはずだ。
吐き捨てるように、アスタロトは呟いた。

「・・・若君を、使い魔にする気か。何という侮辱!」
『悪魔に誘惑されるより、騎士團に捕らわれるより。
よっぽど兄さんにとっては安全だと思うんだけどな。わかってもらえないね』

アスタロトは携帯を叩き壊した。
上級悪魔にとって使い魔の契約は侮辱でしかない。
人よりも優位である悪魔が人に頭を垂れる契約は決して受け入れられる物ではない。
魔神の落胤を従わせようなどと、悪魔すべてに対する侮辱だ。
許せない殺してやりたい。しかしそれは止められている。
そうだ。殺すことが許されないのなら、自ら死にたくなるような目に遭わせてやればいいのではないだろうか。
指先から腐っていく恐怖を抱いて、頭を銃で打ち抜いて死ね。
そうすればアスタロトが殺したことにはならない。
悪魔は、そういう考えの持ち主だ。
視線の先には、黒い祓魔師のコートを着た男が立っている。

「ここから先は通さぬ」

アスタロトは魍魎を身に纏う。
雪男は笑っていた。
欲しいものは決して逃さない。まるで、悪魔のような笑みだった。


逆様鏡7

「これからは、人間殺す覚悟がないと勝てへんで」

そう彼に言っても彼は相変わらず優しいままだった。
いくら自分が忠告しても、きっとその信念は曲げないのだろう。
彼は悪魔だけれどそこらにいるどんな人間よりもずっと人間らしかった。
おそらく、大半の者が憧れるであろう「人」という存在にきっと誰よりも近い存在だった。
悪魔という強い力の持ち主だから、彼は人に優しくできたのだろうか。
力を持つからこそ優しくなれるとするならば、それは力持つ者の傲慢だ。
弱者を助けるという体裁をとりながら、その実周囲を見下しているのと同じではないか。

彼のことをすごいと思う自分がいたことも真実だけど。
彼のことをとても憎らしいと思う自分がいたことも本当だ。
俺はあんな熱くなれへん。
なんであんなにがんばるんや。
俺には全くわからへん。

家族は自分に重石を乗せて、仲間は自分に正しさを求めた。
そんなもの、クソくらえ。俺は皆とはちがうんや。
志摩の心には影があった。そしてその影に呼応するかのような使い魔、夜魔徳もいた。
夜魔徳は自身の主の心を見抜いていた。
だからこそ、自分は彼らと敵対したのだろう。
イルミナティに入って、出雲を浚って、仲間とも思えないようなことをしたというのに。
あれからいくらか時間が過ぎてこうして会えるようになるなんて、当時は思ってもみなかった。
それなのに、どうして彼が消えてしまうことになってしまったのだろうか。
世の中とは理不尽だ。そう志摩は思っていた。

「・・・うーん」

少しの肌寒さを感じて志摩は目を覚ました。目の前には木の天井。部屋の中ではない。
外だ。道理で肌寒いはずである。自分は神社の境内で倒れていたようだ。
そして思う。どうして自分はこんなところで倒れていたのだろうか、と。体がどっと疲れている。
以前に比べて格段に召還の負担は減ったとはいえ、力あるものの召還には体力を消耗する。
まるで夜魔徳を召還した後のような疲労感。記憶が繋がっていく。
脳裏に青い炎の姿を思い出す。急いで飛び起きて、周囲を確認するが
そこには志摩以外誰もいない。彼は去ってしまったのか。

「あー、りんちゃんのパンツみれんかったか」

残念、と冗談めかしてつぶやいて、がしがしと乱暴に頭をかいた。
軽口をたたいてはいるが、内心穏やかではない。
ようやく出会えたというのにみすみす逃がしたと彼らに知られれば、
どんな目に遭わされるかわかったものではない。
彼ではない可能性にも賭けてはみたけれど、
夜魔徳を退ける為に呼び出した青い炎は本来ならこの世に存在するはずのない力だ。
特定するのには十分だろう。
志摩は境内に背を預けて、ため息をついた。

燐がいなくなってからというもの、勝呂は怒るわ子猫丸は動揺するわ。
出雲は寂しそうな表情をするわ、しえみは泣き出すわ。志摩はその収束に追われたり、
八つ当たりを受けたり散々な目にあった。
しかしその中でも雪男の動揺は、志摩の目から見ても異常とも呼べるようなものだった。
なんとしても見つけださなければならない。それは皆同じ気持ちだ。
けれど、追放の命令を出したのも雪男で、追うのも雪男なのだ。

そこにどんなすれ違いがあったのかは、当人たちでないとわからないだろう。
でも雪男と燐は確実に道を違えてしまっている。このままでいいはずもない。
一度、話し合うことはできないのだろうか。会うことはできないのだろうか。
昔から知る双子が今絶縁とも呼べる状況になっていることは、やはりとても心が落ち着かない。

「おせっかいは、坊たちの仕事やというのに・・・めんどくさ」

志摩は腕と足を回して体の状態を確かめてから立ち上がった。足下はふらつくけれどなんとかいけるだろう。
今日の出来事をどのように報告するべきか。志摩が悩んでいると、神社の階段をあがってくる姿が見えた。
その人物は志摩が出会った彼と同じ服装をしている。唯一違うといえば、
手にコンビニの袋を持っていることくらいだろうか。志摩は思わず境内の影に隠れた。
彼は境内に近づいて来ている。志摩がいなくなっていることにはまだ気づいていないようだ。
射程範囲内に彼が足を踏み入れた。今だ。志摩は全力で飛び出した。

「貰ったぁあああああああああ!!!」
「うおおおお!!?」

背後からの強襲だったせいか、全力で二人で境内の、それこそ社の中まで転がり込んでしまう。
志摩は自分よりいくらか細い体に全身でまとわりついた。
そのままマウントポジションを取ると、勝ち誇ったように彼のフードを奪い取る。

「観念しいや奥村君!」

頭の両側に手をおいて、視線をそらせないようにする。
志摩の目の前には十五歳の姿のままの燐がいた。特徴的な青い瞳と赤い虹彩がこちらを見ている。
自分と同じ年のはずなのに、この若作りは犯罪やな。と志摩は冗談めかしてつぶやいた。
燐は観念したかのように志摩に向かってゆっくり手を挙げた。

「・・・ひさしぶり」
「うん、おひさしぶり」

二人はこうして再会を果たした。

***

「まさかあのサイトで悪魔じゃなくて志摩が釣れるとは思ってもみなかった」
「俺も如何わしいサイトかと思ってアプローチかけて奥村く・・・りんちゃんが釣れるとは思ってもみんかったわ」
「おいなんで言い直したんだよ」
「サイトにりんちゃんってあったやん。詐欺やパンツ見れるかと思ったのに。蓋を開けたら男子高校生かいな」
「高校生じゃねーぞ、それに如何わしい依頼は受けてねぇって」
「見た目の問題やろ。AVでもよくあるやん、明らかに高校生じゃないやつ。
あ、それでいうと奥村君って合法?」
「・・・やめろよ、気持ち悪ぃ。口がまずくなる」

燐が持っていたのはコンビニの袋だった。
中にはいくつかの飲み物が入っている。
その内の一つを志摩に投げて寄越した。
戻ってきて志摩の目が覚めなかったら、これだけ置いて帰るつもりだったと聞いて、志摩はほっとする。
早めに目が覚めた自分をとても誉めてやりたい気分だ。

「お前さ、監視の悪魔が憑いてねぇけどどうしたんだよ」

燐が志摩に疑問をつげた。騎士團から燐が同期に接触しないようにと、監視の悪魔が付けられていたはずだ。
燐が近づいたり、話そうとすればすぐに監視者に対して危害を加えるというとても危険な代物である。
志摩はそれならな、と呟いて指先に黒い炎を灯した。

「俺の場合、夜魔徳君がおったから誤魔化せてるってだけやな。他の人の場合はまた別やと思う」
「どういうことだよ」
「黒い炎は物質界のものに干渉できない代わりに、悪魔に対して効果を発揮する。
物に取り憑いた悪魔は、器は傷つけずに中身だけ燃やす、みたいなもんや。
今回のはそれの応用。騎士團から憑けられとった悪魔の「中身」だけ燃やして「外見」はそのまんまにしとるんよ。
召還者との縁は切れずに中身は夜魔徳君のままっていうちょっと特殊な状態にして放置しとるからね。
間違っても「俺を襲え」なんていう命令は聞かへんよ」

騎士團も悪いことするからな。これくらいはやりかえされて当然やで。
志摩は悪い顔で笑う。燐は思い出した。志摩は笑顔で自分たちを裏切ったのだと。
彼は呼吸をするように嘘をつく。それが今は役に立っているといえばそうなのだけれど。

「他の奴にはまだ憑いてるのか」
「うん、確実におるね。俺の場合は使い魔が特殊やったからよかったけど。
皆の場合正攻法で悪魔を祓っても、また騎士團からの監視の悪魔が増えるだけになるから現状維持しかできへんやろな。
俺も、そんな遠方に夜魔徳君飛ばせるわけちゃうから、せいぜいできて自分の周囲が精一杯やわ」
「・・・そうか」
「今のところ会えるとしたら、俺くらいでごめんな」
「別に残念ってわけじゃねーぞ。お前に会えたってだけでうれしいし」

志摩はさびしそうな燐に向けて言った。

「奥村君・・・結婚しよ」
「しねーよ、誰がするか」
「じゃあ同棲しよ」
「居候の身だから却下」
「付き合おう」
「そのつもりはない」
「ひどいわ」
「その気もねーくせに言うな」
「俺は本気やで」
「お前の本気は信用できない」

久しぶりに軽口をたたき会って、お互いに笑う。
やっと少し笑ったな。そう思って志摩は話を切り出した。

「奥村君、奥村先生のこと・・・どう思っとるん?」

燐から表情が消えた。当然だ。自分を永久追放する判断を下した、唯一の家族。
どうしてだという気持ちと、納得のいかない思い。

志摩は燐が騎士團から去ったと聞いたとき、同時に雪男も去ったのだと思っていた。
彼は兄である燐を守ることを人生の目標にしていたし、実際にそう生きてきていた。
だから、雪男が燐を追放したというのも理由があるのだと思っていたのだけれど。
それでも、彼がした永久追放という処分が燐を傷つけたのは本当だ。
志摩は雪男の味方でもなければ、燐の味方というわけでもない。
ただ、二人がお互いを嫌いになったのだとしても、どこかで手は打てないのだろうかと思っている。
少し話をするだけでもいい。会えないのなら、電話だけでもいいだろう。
どこかで繋がりを持っていて欲しかった。
高校時代に、家族も友達も。全ての縁を切ろうとしていた自分だからこそ言いたい。

奥村君それはあかんって言って俺を止めてくれたやん。
諦めないでいてくれたのは他でもない君なんやで。

燐は戸惑いながらも気持ちを口に出した。

「正直に言うと、俺はあいつのこと許せない。
俺の目標も夢も全部。あいつの一言で無くなっちまったって言ってもいいからな」
「・・・うん」
「でもさ、それって俺にもそのまま。俺の言葉がそのまま俺に返ってくるんだ。
アイツの小さなころの夢は医者になることだった。でも、銃を持たせて悪魔を殺すようになったのは
他でもない。俺が悪魔だったからなんだ。だから、俺のせいであいつの目標も夢も全部無くなっちまったって
考えたら・・・俺は」

もう会えないし、会いたくない。
会えばきっと許せない思いが爆発してしまう。
でもその思いはそのまま燐を傷つける。

「だから、さっきから先生のこと一回も名前で呼ばへんの」

志摩の言葉に燐は思わず口を抑えた。無意識だったのか、それとも。
燐の様子を見て、志摩はため息をついた。
これは修復、というよりは再建。といった方がいいかもしれない。
自分が雪男に燐を見つけたと連絡を取ろうかと思っていたけれど、言わない方がいいだろう。
もう一度会えば、兄弟の仲は完全に壊れてしまう。
少なくとも志摩にはそう思えた。
あれだけ家族のことを大事にしていた燐が弟の名前を呼ばないなんて重症だ。
それに、先程燐は居候をしていると言っていた。
弟以外の者に、家族以外によりどころを見つけたのなら新たな関係を築いていった方がいい。
時が解決する問題だってあるだろう。それに。

「祓魔の世界から足を洗おうとは、思わんかったんやね」
「うん、俺が役に立てるっていったらやっぱりこれかと思ってな。
俺を生かしたことが正しかったってことを、どんな形でもいいから証明してやりたい。騎士團に居られなくなっても。
方法はまだいくらでもあると思ったから」
「それでええと思うよ」

祓魔の世界で繋がっているなら、いつか会える日も来るだろう。
今はまだその時ではない。
志摩は立ち上がった。そろそろ戻らなければならない。
空は白んできており、朝日が昇ろうとしていた。
二人の別れの時間だ。

「携帯番号は・・・たぶんバレるからやめとこか」
「そうだな、お前に迷惑かけたくねぇし」
「俺はええんやけどな。うまいこと逃げるんやで奥村君。皆には俺からうまいこと言っとくわ」
「そうしてもらえると助かる」

志摩は燐に手を振った。燐も志摩に手を振った。
元気で。お互いにそう言って、後は別々の道に進んだ。
燐はアスタロトが待つ家に帰っていく。
志摩は燐の後を追うこともなく、そのまま道を歩いて行った。
携帯が着信を告げる。そういえば依頼を受けるやりとりの上で「悪魔高校生探偵りん」の番号はこの携帯に入っているはずだ。
この電話が終わったら消去しなければ。

「もしもし」
『ああ志摩君ですか、急で悪いんですけど任務をお願いできませんか』

声の主は、奥村雪男だった。燐を追っている男からの電話。
志摩は何事もなかったかのように雪男に話しかける。
志摩は嘘がつける男だったから。

「ええですけど俺今まで女の子と遊んどって、朝帰りなんですよね。きっついわ~」
『簡単なことなんですけど』
「ならいいですよ」
『それはよかった―――その持っている携帯を、僕に渡して貰えばいいだけですから』

志摩の呼吸が一瞬止まった。心臓が早鐘を打つ。まさか。
電話口の向こうで雪男が笑った。

『一度組織を裏切った者に対して、監視をつけないわけがありませんよね。
そう、悪魔だけじゃない。例えば盗聴器、とかね』

志摩は携帯を叩き壊そうとしたが、遠方から足元に向けて弾丸が飛んできたせいでそれもできない。
そういえば、彼は遠距離射撃が得意だっただろうか。腕や足の一つくらいは打ち抜かれそうである。
志摩は迫りくる者に対して、せめてもの抵抗の意志を見せつけた。

「夜魔徳君立て続けで悪いけど。せめて携帯壊すくらいの時間、稼いでくれる?」

志摩は今にも倒れそうな体力の中、夜魔徳を呼び出した。

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