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CAPCOON7

青祓のネタ庫

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今晩で百二十一回目です


燐は脱衣所の扉を乱暴に開けると、洗面台の前で顔を勢いよく洗い出した。
コップがそばにあるというのに、水流を手で掬うと何度も何度も口を濯いでいる。
しばらくそれを繰り返すと、燐は鏡の前でうなだれた。
暗闇の中でも、自分の悪魔の瞳はしっかりと機能しているようだ。

酷い顔をしている自覚はある。

燐はもう一度水で顔を洗った。洗っても洗っても、まだ感触が残っているようで気持ち悪い。
廊下の方から物音が聞こえる。燐は急いで顔をタオルで拭った。
この寮には雪男と燐しかいない。きっと雪男が任務から帰ってきたのだろう。

自分の異変を弟に悟られたくはなかった。

燐は努めて明るい表情で、自分から廊下に出た。
そこにはちょうど、祓魔師のコートを手に持って脱衣所に入ろうとする雪男がいた。
任務の内容にもよるが、祓魔師のコートはとても汚れやすい。
悪魔の討伐に成功したとしても、硝煙の臭いや砂埃の汚れはどうしたって生じるものだ。
雪男は換えのコートも持っているので、できるだけ洗える時にコートを洗うようにしている。
寮の脱衣所には、洗濯機が設置されているので、いつものように先に洗おうと考えていたのだろう。
雪男は燐の顔を見るなり、帰ってたんだね。と声をかけた。

「兄さんも任務だったんだよね、
今回はバチカンからの依頼だって聞いてたから心配してたんだ。無事でよかった・・・」

雪男はそこまで言って、言葉を切った。何かに気づいたようだった。
燐は雪男の次の言葉を待たずに、その場から逃げ出そうとした。
今日は何食べたい、と誤魔化すような言葉と共に。

雪男は逃げようとする燐の腕を掴んだ。

祓魔塾を卒業して数年、燐も今や立派な祓魔師として働いている。
任務の際に傷を負ったり、時に同じ仲間であるはずの祓魔師から中傷を受けたりすることも少なくない。

燐は今、傷ついた表情を雪男に悟られまいと隠そうとした。

一体何年一緒にいたと思っているのだ。それを見逃したり、許したりする雪男ではない。
燐もそれに気づいているからこそ、逃げだそうとしたのだろう。
雪男は掴んだ燐の腕を引っ張ると、扉を閉めた。

脱衣所の中は静かだ。暗闇の中では雪男の目は働かない。
手探りで電気をつけて、腕の中に閉じこめた燐の姿を確認した。

燐は、高校の時から成長を止めてしまっている。
人として成長しつづける雪男とは明確な差ができてしまっていた。
それにも増して、兄が一回り小さくなってしまったような気がして。
雪男は優しく腕の中の兄に声をかけた。

「なにかあったの?僕でよければ聞くよ」

そういっておきながら、話すまで逃がす気はないのだけれど。
燐はしばらくそのまま顔を逸らしていた。
けれど、沈黙に耐えかねたのか離せよ、と口を開く。

「兄さんが話したら離す」
「お前が離したら話すから、離せ」

しばらくそうしていたけれど雪男は兄の態度に根負けして腕を離す。
どうやら、逃げる気はないようだ。
ここで逃げ出すようなら、ちょうど腰に獲物を下げているのでそれで兄の足を打ち抜くことも考えていた。

雪男は成長してから、燐の扱いがかなり雑になっていた。
もちろん、自分の腕を信じているしかすり傷だけですます自信もあってのことだ。
一回別の件で逃げだそうとした兄の足を容赦なく撃った時の顔が忘れられない。

驚愕とどん引きの狭間で揺れ動く兄の姿はたまらなかった。

現在の雪男は密かにサディストとしての一面も花開かせている。
燐はぼそぼそと小声ながら、事の詳細を話し始めた。

「バチカンの任務ってことで、アーサーが来てたんだ。
あいつ俺と仲悪いから、今回もかなり大変でさ」
「そうだったんだ、怪我させられたりしなかった?」
「別にそれは大丈夫だったんだけど・・・」
「何、嫌がらせでもされたの?」
「・・・うーん、そうとも言えるような」
「まだるっこしいなぁ、何があったのさ」

過去、悪魔の―――もちろん燐のことだが、
足や腕をばっさりと切っても再生するのか試そうとした前科があるエンジェルだ。
もし兄をプラナリアのように扱おうとするようならば、人権委員会に訴えてやるつもりだった。
なんなら、パワハラで裁判沙汰でも起こしてやろうかというくらいだ。
法外な慰謝料と共に聖騎士の座から追放してやる。
職を奪ってしまえばあの年齢の男だ。ホストかヒモくらいしか就職先はないだろう。
それくらいの心意気は常に雪男の中にある。

「あ、アーサーに・・・キスされたんだ」

燐は手のひらで何度も自分の唇を触っている。
いやな感触が残っているのかもしれない。

へぇ、キスか。これは裁判のネタとしてはもってこいかな。

セクハラも追加で雪男の頭の中にインプットされた。
雪男は証拠写真か何かないの、と極めて冷静に燐に返す。
燐は雪男の言葉を聞いて信じられないといった反応をした。

「俺が嘘ついてるっていうのかよ!」
「ごめん、そういうのじゃなくて。後々の卿を追放するための材料をだね・・・」
「追放なら、今して欲しいくらいだ!
あいつ、いけしゃあしゃあと、おおお俺の、ファーストキスを!!!」
「え、兄さん初めてだったの嘘だろ」

今度は雪男が驚愕した。
高校を卒業して結構年数が経っている、にも関わらず兄には浮いた話のひとつもなかった。
けれど、キスもまだだったとか驚きだ。

男に唇を奪われたことも驚くが、そっちの方にも驚きが隠せない。
流石に魔神の落胤が次世代を残す行為である性行為をしようものなら全力で雪男も騎士団も止めるけど。
妊娠しないのならばキスくらいいくらしようが構わないだろうに。

雪男に経験のことでも馬鹿にされたと思ったのか、傷ついた燐は更に雪男の言葉に傷ついた。
言葉の暴力はすさまじい。ドメスティックバイオレンスにも匹敵するだろう。

とうとう燐は目に涙を浮かべて、今にもこぼれ落ちそうになっている。
あと少し地雷を踏めば確実に泣くだろう。
雪男もこれにはぎょっとした。兄が泣くかもしれない。
それはそれでいいけど、今はよくない。

しまった、これは色々と対処を間違えてしまったかもしれない。
燐は本当に、滅多なことでは泣いたりしない。雪男の前では尚更だ。
雪男は滅多に見ない兄の姿におろおろとしながら、フォローに回る。

「兄さん、海外の人は挨拶でキスしたりすることもあるんだ。
そう深く考えることじゃないから、ね?あの人はきっと頭が兄さんみたく空っぽだから、
考えなしにそういうことをしたんだよきっと」
「だ、だって、あいつ俺のこと面倒だからいっそ使い魔にしたいとか何とかいって。
それで参謀のライトニングって奴がおもしろ半分に、
悪魔を従わせるにはディープなキスが一番だとか言い出して。
あいつそれを真に受けて、一瞬で俺の腰を引き寄せて・・・」

決め台詞は、喜べお前は物みたく扱ってやろう、だったらしい。

物扱いされて喜ぶ輩がいったいどこにいるというのだろうか。
ちなみにキス自体は、海外仕様のかなり激しいものだったらしい。
流石は黙っていればイケメンのアーサーだ。
過去の女性遍歴は華々しいものだったろう。

ライトニングは冗談を間に受けて本気で燐に口づけたアーサーを見て爆笑し、
そのまま呼吸困難に陥って任務遂行が不可能になったそうだ。
現在も人工呼吸器をつけている状態らしいので、正に腹筋が崩壊したといっても過言ではない。

雪男は慰謝料は億はもらえるなと踏んでから、傷つく燐にそっと手を差し伸べた。

「辛かったんだね兄さん、酷いこと言ってごめんよ」

内心では雪男も笑いそうになっていたが、黙っていた。
男からのキスと聞くと、実兄でありながらも
事実当事者ではない雪男にとっては罰ゲームにしか聞こえない。
そしてなぜ雪男がここまで冷静かというと、理由があった。


(兄さんのファーストキスって、実は五歳の頃に僕が奪っちゃってるんだけどね・・・)


もちろんキスとは何かを全てわかった上で五歳の雪男はやっていた。
それに直近でいうと昨日寝ている燐の体にのし掛かって三回くらいしている。
それ以上のことも寝ている燐に幾度となく行っていた。
これまでバレるような隙も痕跡も一切見せていないので、
燐は本気でファーストキスを奪われたと思いこんでいるのだ。


なんだろう、この気持ち。
処女みたいな反応されると、逆に動揺する。


雪男は兄に対して好意を抱いていながらその実、やっている行為は外道そのものであった。

燐は雪男に背中をさすられて、一応の落ち着きを取り戻しつつある。
大丈夫だって、事故だと思って忘れるといいよ。
もしくは罰ゲームくらいの軽い気持ちでいる方がいいさ。
男とキスした人なんていくらだっているって。

そんな言葉を適当に並べた。事実燐の目の前にいる雪男だって燐という男にキスしているし。
僕は兄さんの知らない兄さんの姿をたくさん知ってるから。


「処女ぶらなくても大丈夫だよ」
「は?」


おっとこれは失言だ。雪男は鍵だって気がついたら無くすものだし。あ、でも鍵だと鍵穴に挿し込むね。
だめだね、と意味のわからない言葉を並べて誤魔化した。
燐を誤魔化すには、頭をパンクさせるのが一番であると雪男は知っていた。

燐は先ほどから何度も唇を触っている。
やはり違和感が拭えないらしい。

「口濯いでも気持ち悪さがぬけねぇ。どうしたらいいかな」

つき合っているもの同士ならば、じゃあ僕が消毒してあげるよとか言ってワンラウンド持っていくのだけれど。
あいにくやることやっているが雪男と燐はつき合ってなどいない。そうなれば。


「イソジンいる?」


手っとり早い、消毒である。
雪男は今晩の算段を立てながら答えた。たぶん、まだばれない。

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亡国のプリズム12


雪男は王宮にあるプライベートガーデンの片隅に来ていた。
そこには色とりどりの草花が茂っており、中には薬に使う貴重な植物もある。
雪男以外にはガーデンの世話をしにきている幼なじみの召使いくらいしか、ここを訪れる者はいない。
そこに雪男はひっそりと小さな墓石を作っていた。
兄の名前は刻んでいない。ただ、その石の前に花を手向けて話しかけた。

「僕は、いつだって置いてけぼりだね」

兄に守られて、小さな僕は生き抜いた。そして、今回も。
こんなにも近くにいたのに、守ることができなかった。
雪男の手のひらから、いつだって兄はすり抜けて遠くへいってしまう。

この国を良くしようと思ったのだって、生きていこうと思ったのだって。王になることを受け入れたのだって。
全ては兄が戻ってきたときに、帰る場所を作ってあげたかったからだったのに。

雪男の夢は崩れていった。
目の前で燐が残した最期の言葉と一緒に砕けて散ったのだ。

騎士団長の死は、名誉の死として国を挙げて国葬が行われた。
代々騎士団長が亡くなった際に刻まれる墓石に、名前が増えただけのことだ。その下に遺体はない。
こうしてひっそりと作った墓石も、雪男が自身のことを戒める為に作っただけのより所。

ここに、燐はいないのだ。

思い出すのは、別れた夜のことだった。
兄の作る料理が明日も食べられますように。
そう願いを込めて、スープを作って欲しいと強請った。
美味しい物を食べさせてやると笑ったあの笑顔が忘れられない。
あの約束は守られることはなくなった。

兄さん、どうしてここにいないのさ。

涙が溢れ出しそうだ。けれども、流れ出すことはない。
自分に泣く資格など有りはしないのだ。
雪男は背後に向かって声をかけた。

「覗き見ですか、フェレス卿」

雪男の背後にはメフィスト=フェレスが立っていた。
音も立てずに舞い降りたその姿にニヤついた笑顔、やはり彼は悪魔そのものだった。

「嘆きの王の様子はどのようなものかと、興味がございまして」
「悪趣味な」
「今更なコメントですね」

メフィストはやれやれとため息をついた。
いつもの王ならば百倍くらいに嫌味を込めて返してくるようなものを。
兄を目の前で亡くしたことがそんなにもショックだったのか。
ならば、好都合だ。
メフィストはそのことを知った上で、王に甘言を囁いた。

「王よ、私は貴方のお兄さんとある契約を結んでいました」

この国は、悪魔に攻められているんだろ。
雪男が生きているこの国に、手出しなんかさせねぇ。
俺が魔神を倒して、雪男が安心して暮らせる世界を作るんだ。

そう言って、彼は弟の盾となり散っていった。

弟に会いたいその一心で彼は上へ上へと上り詰めた。
人を殺した夜の日。自分の不手際で部下を死なせてしまったこと。
任務に失敗し瀕死の重傷を負った時。
助けた村の者から化け物と罵られたこともある。
それらすべてを身の内に抱えたまま、もだえ苦しみながら前へ前へ進んでいった。
彼は、王の弟であることを周囲に決して告げられない立場にいた。
それはつまり、周囲にいる人間すべてに嘘をついているということになる。
誰にも頼ることができない中で、
唯一自分の全てを知っている弟の存在は彼にとっての救いとなった。

弟に会いたいと叫ぶ心が、悲鳴が。
メフィスト=フェレスを呼び出した対価となり、
甘い蜜をメフィストへと齎していた。

「召喚者が死ねばその契約は破棄されるはずなのですが、
いやはや、どうして今も私と彼の契約は切られていないのでしょう。
不思議です。そうは思いませんか、王よ」
「なん、だって・・・?」

貴方のお兄さんの心は、今も貴方に会いたいと泣いているのですよ。
そう告げられて雪男の心臓は早鐘を打った。
まさか、まさか。兄さんが生きている。
生きて、敵国に捕らわれているのだとしたら。

雪男は墓石を見た。そこに名前はない。
刻まれるとするならば、そう兄が死んだと思い込んでいた
不甲斐ない自分の名前が刻まれるのが相応しい。
雪男はプライベートガーデンに背を向けた。
もう、ここに戻ってくるつもりはなかった。

「フェレス卿、国中の兵力を集めてください。そして武器の状況も。
そして、次代の騎士団長はいりません」
「おや、それはどうしてですか」
「王自らが出向くからです。今回の戦で国境線は守られました。
こちらにもダメージはありますが、それは向こうにとっても同じこと。
もう今までのような小競り合いはなしだ。正真正銘の戦争を、始めます」

用意を。と告げた雪男の瞳に、もう涙の色はない。
そこには冷酷な王としての判断があった。
欲しいものは力づくで手に入れる。
王は貪欲でなければならない。それが例え国を滅ぼすことになったとしても。

「承知いたしました、強欲なる王よ。
私は人の側に着いた悪魔。人と悪魔の戦争の行く末を見守らせて頂きます」

アインス・ツヴァイ・ドライ、とメフィストのスリーカウントが国に響く。
それは、滅亡へのカウントダウンのようにも聞こえた。


***


遠い記憶の中に、眼鏡をかけた男の子がいた。
その子供は俺の姿を見るなり泣きやんで、俺に向かってこう言った。
兄さん。俺は首を傾げる。俺は末っ子のはずだ。
だから俺に弟なんているはずないのに。
不思議なことに、俺はその子供の名前を夢の中で呼んでいる。

「目が覚めましたか、燐」

声をかけられて目を開ける。そこには長兄であるルシフェルがいた。
燐はそのルシフェルの隣で寝ていた形だ。
ルシフェルは起きあがって燐の顔をのぞき込むようにしている。

まるで愛しい者を見るかのような視線に、燐は戸惑いを隠せない。
それに、どうしてルシフェルの隣で寝ているのだろう。
兄とそういう関係を結ばされたのは別に最近のことではない。昔からのことだ。
その解釈で間違いはないはず。
けれど、この現実は一体いつから始まっているのだろう。

燐は目の前の不可解な事実に目眩を覚えた。
ルシフェルは不安そうな燐の頭をそっと撫でる。
安心させようとしているのだろう。

「怖い夢でも見たのですか」

戸惑う燐の頭に乗せられたルシフェルの手のひらからは光が溢れていた。
その光は燐の頭の中に入り込み、大切な記憶をがらがらと音も無く壊していく。
そのことに燐は気づかない。
むしろ、ルシフェルに頭を撫でられていると
自分を悩ませていたことから解き放たれるような気がしていた。
しばらくすると、燐は怖い夢のことなどすっかりと忘れてしまっている。

「夢見が悪かったみたいだ、もう大丈夫」
「それはよかった」
「ルシフェルは体の方は大丈夫なのか?」
「ええ、人の体だった時の状態を引きずってはいますが、
今はもうその体もありません。程なく、回復することでしょう」
「人ってしぶといな。ルシフェルに体を捨てさせることができる奴がいるなんて、俺信じられないよ」
「まさか敵国の騎士団長があそこまで成長しているとは私も思っていなかったのでね。
燐も気をつけなさい。人だからといって決して相手を侮ってはいけませんよ」
「わかってる」

ルシフェルは愛おしそうに燐の体に触れた。
燐は魔神の炎を継いでいながら人としての肉体を持つ唯一の存在だ。

燐は敵国の攻撃を受けて、一時意識不明に陥っていたのだが
最近になってようやく動けるようになった。というのが召使いたちから聞いた自分の状況だった。

燐を庇ったのはルシフェルだと聞いているので、この長兄には頭が上がらない。
ルシフェルは気にするなと言ってくれるが、
せめて未だ動けない長兄の代わりにできることはしようと燐は思っていた。

「さ、目が覚めたのなら父上にご挨拶に行ってきなさい。
貴方の目覚めをずっと待っていたのですからね」
「俺、あいつのこと嫌い」
「そう言わずに。上手にできたら・・・そうですね、今晩はごほうびをあげましょうか」

ルシフェルは夜のにおいを漂わせて燐の首元に唇を寄せた。
燐は真っ赤になってルシフェルから離れる。
いらねぇよ!と叫んでから燐は扉の外に出ていった。
いつまでたっても初な様子の燐にルシフェルは仕方のない子だと微笑んだ。
燐の足音は遠く離れていく。きっと言いつけを守って父上に会いにいったのだろう。
いい子だ。本当に。体を捨ててまで浚ってきたかいがあるというものだ。

「ここにいることが、貴方自身の為でもあるのですよ。
存分に力を振るい、悪魔を従わせ、そして今まで貴方が守ってきた人の世界を貴方自身が壊すのです」

悪魔の世界の若君が人から下民扱いを受けているなど耐えられるものではない。
燐自身がなんとも思っていなくとも、悪魔はそれを許さない。
これは、あなた自身が行う、人の世界への復讐の序曲。

「貴方は、きっといい声で泣いてくれるでしょう」

今夜も、そしてきっと世界が終わるその時も。


***


そこは辺り一面何もない砂漠だった。
かつて、ここには国があったらしい。
たき火を囲っている一人の男性に、男が一人近寄った。
砂漠の夜は寒い。通りがかった行きずりの仲だが、一人で過ごすより暖は取れるだろう。
二人はたき火を囲って、少しの間話をした。

「ここは悪魔が治める国と人が治める国が争った跡だ、もう何も残っていない」
「彼らを統治する国が滅びたので悪魔も人も世界中に散ったと聞いています」
「そうなると、今の世界の始まりの場所かもしれないな」
「いい意味でも悪い意味でも、ですかね?」
「違いない」
「どちらが負けた、とかは聞いたことがありますか?」
「さぁ、どうだったかな。滅びたのならばどちらが勝ったとかもないんじゃないか」
「人は結構な数が生き残ったと聞いたのですが、悪魔はどうだったんでしょうね」
「悪魔も余り見なくなったからな。生き残ったって基準で考えるなら人の勝ちか?」
「どうでしょう、僕も詳しくはわかりません。
でも生き残った人の話では、敵対するはずの青い炎のおかげで生き残ったのだと。
それは悪魔達の内側から沸き起こってきたそうです」
「・・・悪魔の中に裏切り者でもいたのかね」
「人にとっては味方と言えますよ。―――真実は今や砂の中ですけどね」

二人はそのまま黙って火を囲んでいたが、
しばらくして男の一人が鍋を火にかけ始めた。
暗闇でよく見えないが、恐らくはスープだろう。
煮えてくると、辺りにいいにおいが漂ってくる。

男は二つ椀を取り出すと、片方をもう一人の男に手渡した。
ありがたく男が受け取ると、温かいスープがその椀に注がれる。
寒い夜には温かいスープが一番だ。
男はごくりとスープを飲んだ。
何の変哲もない、具材も何もあったものじゃない粗末なものだった。
けれど、そこには全ての答えが詰まっていた。

男は、顔の見えない男に声をかけた。


「こんなところにいたんだね」


国が滅びた砂漠の上で、夜空の星がきらきらと輝いていた。

亡国のプリズム11

光の刃が迫っている。けれど避けるような動作はしない。
それよりもただ、ただ。目の前にいる敵を斬る。
その為の動きをしなければならない。

悪魔としての力を解放し、全てを持ってこいつを殺す。

燐は抜刀した。
青い炎に自分の体が包まれるのがわかる。
心臓がなかった時には感じなかった鼓動も聞こえる。
どくん、どくん。燐は生きていると思った。
幼い頃に心臓を奪われて、燐の力は常に制御された状態になっていた。
使える青い炎の量も少ないものだった。

それがどうだろう。手にした力は燐の全身に血の様に行きわたり、感覚全てが研ぎ澄まされる。
その感覚を持ってしても、この千の刃を避けることは不可能だと断じている。
この千の刃は己を一瞬の内に貫き殺すことができる。

ならば、共に死ぬのもいいだろう。
それで燐の大切なものが守られるというのならばそれでいいだろう。

光の刃が螺旋を描く。
燐はその刃の中心できらめくただ一つの青い刃だ。
速く速く速く。
青い光の線となって、燐の刃がルシフェルの首元に届こうとしていた。

けれどそれよりも早く光の刃が燐の元に。
足が斬れ、腕が斬れ、腹が斬られる。
致命傷になるまで深く抉られる前に。前へ出ろ。
頭で命じても体が前に動かない。

あと一歩なのに。

傷のせいで燐の刃の矛先が首元ではなく、ルシフェルの仮面に向かってしまう。
ルシフェルの顔は固い仮面でおおわれている。

一秒よりも短い時間の中の攻防ではその刃の遅れは命取りだ。
仮面の奥で暗い瞳が笑っている。
自身の勝ちを見た者の笑みだ。
ここで燐がルシフェルを討たなければ、誰が彼を止めるのだろう。
あと少し。
あと一歩が、足りない。

燐の刃が止まるかと思われた時。

ルシフェルの仮面が割れた。
額から綺麗に、二つに崩れ落ちていく仮面。
見れば、そこには一発の銃弾が撃ち込まれていた。
千の光の刃を潜り抜けて、彼の仮面を壊すためだけに届いた一発の銃弾。
そのイレギュラーは、戦場の中で命取りとなる。

燐は笑った。
燐の祖国の王は、機械の様に精密な射撃を得意としていると風の噂で聞いたことがある。
きっと、彼だ。
最後の一歩は、彼が押してくれた。

燐は刃に貫かれながら、一歩を踏み出した。
足には幾重にも折り重なるようにルシフェルの光の刃が刺さっている。
踏み込めば血があふれ、筋が斬れる。
踏み留まれるような状態でも、動けるような状態でもない。

それでも燐は、一歩を踏み出した。


「地を這って生きてきた、虫けらの痛みを思い知れ!」


彼の実験のせいで、大勢の人が死んだ。
国の外れて細々と生きていた人たちは、皆実験に使われ屍人に襲われ名もなき村は滅びた。
大切な人を亡くしていった。悪魔は人を喰っていた。
弄んでいた。嘲っていた。悪魔はずっと嗤っていた。

馬鹿にしやがって。燐はいつだって叫びたかった。
傲慢だ。力ある者が他者を蹂躙していいなんて誰が決めたと言ってやりたかった。

燐は人に全てを奪われて、悪魔に人であることを奪われて。
地べたを這いつくばるように生きるしかなった。
それでも、一度たりとも自分は悪魔のように生きたいとは思わなかった。
俺は人だ。悪魔だけど、人間なんだ。
燐は悪魔としての力を用いて、人として目の前の悪魔を殺す。

光り輝き、天に居座る者を打ち落とすように。
燐はルシフェルの首を搔き切った。

同時に、燐の体も光に打ち抜かれていた。
痛みはない。痛みなどという種類の物からはかけ離れている。
取り戻した感覚が、全て消失していく。
あんなにも熱かった鼓動が、時を止める。
青い炎は、ルシフェルの体へ宿り、燐の代わりに彼を焼き尽くしている。
燐の体に炎の灯はない。

ああ、終わった。

脳裏に浮かんだのは、弟の姿だった。
燐は息を吐いた。口からは大量の血が溢れ出している。
ルシフェルと視線が合った。
彼は自分が焼かれているというのに、笑っていた。
彼は嬉しいのだろう。思い通りにならない燐がいることが面白くてしょうがないのだろう。
燐が抵抗すればするだけ彼は楽しく思うのだ。
最悪だな。燐はルシフェルを睨み付けた。
それが、最後に二人が交わした視線だった。

燐の視界が、身体が、電池が切れたかのように真っ黒に染まっていく。
それは光を殺そうとした者への代償だったのかもしれない。


***


雪男は戦場の上を飛んでいた。出雲の使役する使い魔の背に乗せてもらっているのだ。
前には神木出雲がいる。宮殿に使える侍女である彼女がまさか手騎士としての才能を
秘めていたなんて考えたこともなかった。
雪男は持っていた銃を降ろした。銃口からは一筋の煙が出ている。

「私は、燐に頼まれていたんです。
王の傍に仕えて、何かがあった時は自分の代わりに王を守って欲しいと」

燐に救われた姉妹は、そうすることで燐への恩返しをしようと考えたのだ。
それに王宮に仕えていれば食べることに困ることもないし、
何よりあの研究所の輩も敵国の王宮に仕える者に手出しはしにくい。
本当なら、燐との約束があるので雪男をここに連れてきたくはなかった。
メフィストが余計なことを言うからいけないのだ。

『戦場にはきっと、燐くんを攫うために敵国の第二王位継承者であるルシフェルが来ていることでしょう。
燐くんは皮肉なことに、この国の王位継承権を持っていながら、敵国の第一王位継承権を持つと言う
複雑な立場です。父上を心酔している兄上が、彼に何かをしないはずはない』

やっと見つけた兄を奪われるような事態を、雪男が放っておくはずはない。
あれは絶対にわざとだ。しかもルシフェルは出雲のことも雪男にばらした。
せっかく今まで秘密にしてきたことが全て台無しである。
けれど、動くなら今しかないということも出雲は理解していた。

「王、僭越ながら申し上げます。私にできるのは貴方を安全な場所に運ぶことだけです。
危険を冒すようなことはできません。それは燐との約束に反することだからです」
「かまわない、僕を連れて行ってくれ」

雪男の様子を見ていた出雲は思わず腕をさすってしまった。
銃口から上る煙が、雪男が発砲したことを物語っている。
鳥肌が立っている。それは雪男が放った殺気のせいだった。
雪男は戦場の上に着くや否や、ライフルを構えた。
王が銃を使うことは知っていたが、戯れで狩りをするときにしか使っていないのだろうというのが
大よその使用人たちの見解だった。
けれど、ライフルの構え方から標的を狙う姿勢まで全てが戦う者として完成されていた。
王は王で、きっとこれまでの間に何人もの人を殺してこざるをえなかったのだろう。

私や、燐と同じだ。出雲は思った。
手を汚していない者などこの世界にはいないのではないだろうか。
そう思ってしまうくらい、この世界は荒廃している。

青い光と白い光が交差する戦場の中へと、雪男は迷わず引き金を引いた。
螺旋を描くように青い炎と白い光が折り重なって、やがて戦場に青い光だけが残る。

美しい光景だった。

青い光は水面のように戦場に広がり、赤い炎と屍人で覆い尽くされていた戦場を鎮めていく。
悪魔は燃え、人は残る。
ほどなくして、青い炎はまるで雪が散るかのように消えていった。

雪男は戦場を見下ろして、自軍の状況を確認した。
前線の兵は、三割ほど失ってしまったようだった。けれどこの状況で三割で済んだことが奇跡だろう。
今までと同じように、騎士団長が倶梨伽羅を使用してこの場を収めたかのように思える。
けれど、今回の倶梨伽羅の使用者は本来の持ち主である燐だ。
今までのようにはいかないはずだ。
雪男は祈るような気持ちで、出雲に戦場に降りるように言った。
出雲はまだ敵がいるかもしれないからそれはできないと雪男に告げる。
けれど雪男は確信を持っているようだった。


「あそこに、兄さんがいるんだ。迎えにいかないといけない、お願いだ」


出雲には何も感じなかった。雪男は最後に光の刃が消えた辺りを指差している。
おそらく、燐は。出雲は唇を噛み締める。
弟に会いたいと願っていた。それを叶えてやりたいと思うのは自然なことだった。
出雲はもしもの時は王の盾になる覚悟を決め、戦場に降り立った。

雪男は迷わずに進んでいく。屍人の気配もないので、本当に全て青い炎で殲滅したのだろう。
草も、木もない。白い地面の中に佇む人がいた。
別れた時と同じだ。雪男はそう思った。
土埃で汚れてしまった服を纏って、ずっと会いたいと願っていた人がそこにいる。

「兄さん」

雪男が声をかけた。彼は振り返る。
雪男と同じ青い瞳に赤い虹彩。彼らが双子である証だ。
燐は笑っていた。少し悲しそうに。

「大きくなったなぁ」

燐の頭の中では、雪男は小さなころのままなのだろう。
雪男は言い返した。

「兄さんは小さくなったね」
「お前がでかくなったんだろ。生意気だ」
「いいじゃない。僕はもう兄さんに守られているだけの存在じゃないんだ」
「・・・こんなところで、会っちまうなんてな」
「場所なんてどこでもいいよ。僕は会いたかった。ずっとずっと、兄さんに会いたかった。
ようやく夢が叶ったよ」
「お前が幸せに暮らしてるってわかったら、それでいいって最初は思ってたんだけど。
駄目だな、やっぱりどんどん欲張りになっていった。俺もずっとお前に会いたかった」
「じゃあなんで言ってくれなかったの」
「言えるような立場じゃないだろ」

何処から来たのかもわからないような孤児が、どうして王に会えるだろうか。
王の兄だと言って誰が信じるというのだろう。
不敬だと消されるのが普通だろう。それでも。

「遠くから見るだけで満足なんて、自己満足もいいとこだ。僕に失礼だよ」
「・・・今まで黙っててごめんな」
「いいよ。僕はずっと謝りたかった。兄さんは僕を守るために自分の全てを犠牲にしたってわかってる。
ずっとずっと謝りたかったんだ。兄さんの置かれている境遇を僕が代わることができたらってずっと思ってたんだ」
「そんなの俺が嫌だよ、俺はこれでよかったって思ってるんだから」
「聞いてよ」

雪男は言った。


「僕と生きて」


雪男は手を差し伸べた。
燐がその手を取ることはなかった。
ただ、悲しそうに首を横に振るだけだった。

雪男は呼ばれた。燐からではない。背後に控えていた出雲からだった。
王よ、一体誰と話しているのですか。
出雲の目には雪男の姿しか映らない。この場にいるのは雪男と出雲の二人だけ。
それが、この世界の現実だった。
雪男の目に映る燐の体にはヒビが入っていく。夢が終わる。
その度にきらきらと光の粒子が飛び散った。
まるでプリズムが砕けていくように。彼は散る。


「お前がいてくれるなら、壊れたってよかったんだ」


ぱきん、と目の前で兄が砕け散った。
雪男はその欠片に手を伸ばしたけれど、掴むことはできなかった。

亡国のプリズム10


「もう一度言います、私と共に来なさい」

ルシフェルが燐に向かって高圧的にそう言った。
燐は乱暴な言い方でルシフェルの誘いを断った。

「誰がお前のところなんかに。死んでもごめんだッ」

ごほりと燐の口から血が溢れる。
燃え盛る地面の中、ただ前に前に進んでいく屍人と、降り注ぐ光の刃。

地獄が、歩きだしている。

燐の守ろうとしている部下達に、町に、人に。
そして王である雪男にこの地獄を見せてはいけない。
燐は倶利伽羅を抜こうと手を伸ばすが、できない。
燐の体は今、地面に縫いつけられている。
文字通り、光の刃で貫かれた手足は動くたびに筋が切れ、血が吹き出している。
腰に下げたままの倶利伽羅を取ろうにも、身動きが取れない。
その間にも、燐の悪魔の聴覚は人の悲鳴を聞き取っていた。
うわあ、屍人だ。恐れるな立ち向かうんだ。助けて。イヤだ、死にたくない。
恐れ、怯え、悲鳴、怒号。部下達がこんなにも近い場所で死んでいく、恐怖。
燐は叫んだ。

「ちく、しょう。はな、せッ、やめろおおお!!」

動けたのなら、飛んでいきたい。動く屍人を殺しつくす力を持っているのに。それができない。
倒れている部下を助け起こすことも、身を挺して庇うこともできない。
ただ、見ているだけを強要されるなんて。
ルシフェルは燐が一番嫌がることを知っていて、やっている。
悪魔め、燐は泣きたくなった。
けれど目に涙を浮かべながらも、決して泣いたりはしない。
目の前にいるルシフェルに負けるものかとにらみつけるが、
それもルシフェルの気分を高めるだけの行為だとは燐は気づかない。
その証拠に、燐の体に触れるルシフェルの手は熱かった。

「いい悲鳴だ、まるで貴方との初めての夜を思い出しますね燐」

周囲は地獄のような光景なのに、ルシフェルはまるで寝所で睦言を囁いているようだ。
燐は鳥肌が立った。あの日、ルシフェルの元から逃げ出してから、
忘れよう忘れようと努めていたことを思い出してしまう。

どんなに叫んでも、泣いても、いいように弄ばれてそこに燐の意志などなかった。

違う、違う、違う。
あのころとは違うんだ。燐は体に炎を宿す。
青い炎は燐の体に触れていたルシフェルの手を焼いた。
肉の焼けるにおいは酷いにおいだったが、もう辺りは火の海だ。
死体も、生き物も焼けている。今更だろう。
ルシフェルは焼ける自身の手を見て、にやりと笑った。

「ひどい子だ」

燐の体から、光の刃が消えていく。
急激に消えたせいで、傷口からは更にひどく血が吹き出していった。
燐の血はルシフェルの仮面をも汚し、仮面を伝った血はルシフェルの唇にまでこぼれ落ちる。
その血を丁寧に舌で舐め取ると、甘い味が口の中に広まっていく。

ああ、これだからこの子はたまらない。

血の海に沈む燐の腰に、手を伸ばす。
そこには燐の心臓を封印した、倶利伽羅があった。
倶利伽羅は幾度となく、戦争で使われた。
使用者は青い炎に耐えきれず消滅し、悪魔を焼き付くした後には何も残らない。
その倶利伽羅は悪魔に回収される前に全て人に回収されていた。

今日この日、倶利伽羅も燐も悪魔の手に堕ちる。

「この倶利伽羅で貴方を貫けば、貴方は真の悪魔として生きられる。
父上の跡を継げるのは、青い炎を継いだ貴方だけです。
貴方は、あの国の者でも、ましてや貴方のものでもない。
貴方は父上のものなのです。我らが父上の元に帰り、人の世界を壊しなさい。
貴方が守ってきた世界を貴方の手で壊すのです。
それが貴方のこれからの、生きる道だ」

ルシフェルが指を鳴らすと、壊された燐の甲冑すらも剥がれおちていった。
燐が纏うものは、薄いアンダーと薄汚れたズボンのみ。
そのどちらも血で汚れているし、横たわった体の隙間から悪魔の証である黒い尾が見えている。
そこに騎士団長としての姿はない。
ルシフェルが出会った頃のような、燐の姿があるだけだ。
倶利伽羅を鞘の状態のまま、燐の心臓部分へ向ける。
心臓を元の場所に戻すだけのこと。
けれども、燐の体を刺し貫く行為ということにルシフェルの胸は知らず熱くなってしまう。

「私と生きなさい、燐」

何の役にも立たない人間の弟のことなど、忘れてしまいなさい。

ルシフェルは倶利伽羅で燐を貫こうとした。
けれど、その動作は強い力で止められてしまう。
燐が血塗れの手で倶利伽羅を掴んでいた。鞘からはまだ刀身は抜かれていない。
まだ抵抗するのか。ルシフェルは燐の手を振り払おうとした。
けれど、その手は決して離れない。
燐は口を動かした。かすかな声だったけれど、それは地の底から響くような声だった。

「忘れる、もんか」

俺が生きていたいと思ったのは、雪男がいたからだ。
雪男が王として生きるなら、その盾でありたいと思った。

騎士団に入ってから、全てが順風満帆だったというわけではない。
汚い仕事も、たくさんしてきた。雪男には決して言えないこともしている。
こんなことを俺がしていると知ったら、雪男はきっと俺のことを嫌いになるだろう。

もう俺は、雪男の知っている俺じゃない。

幼い頃に別れた時のまま美しい思い出のままで俺のことを覚えていて欲しいと思う。
けれど、そうじゃないとも思ってしまう。

俺のことを知っていて欲しい。
今の、俺を。
悪魔になった俺のことも、知っていて欲しい。

雪男、俺はここにいるんだ。

俺はお前のことを見上げるだけで、地べたを這い蹲って生きているだけで。
王になったお前に会うこともできない、ちっぽけな存在で。
お前と同じ人間じゃなくなっても、それでも生きてきた。

会いたい。会いたい。会いたい。
お前に会って、伝えたい。
お前に会いたかったって、だから頑張ってこれたんだって。


「俺は雪男のこと、忘れたりなんかしない!!」


俺とは違う、人間の弟。
あいつに一目会うまでは、俺は死なない。
忘れたりなんかしない。
絶対に生きて、お前に刃向かって。
全てを持って悪魔を殺す。
俺は負けない。

燐の体から青い炎が吹き出してきた。
その炎は倶利伽羅に伝わり、どくんどくんと心臓の音が響きわたってきた。
血塗れの体でなお、立ち上がりルシフェルに向かおうとする姿に、感銘を受けた。


「素晴らしい、ならば私の全てを持って貴方を打ち砕いて差し上げましょう」


今の貴方を殺せるのは、私くらいのものでしょうから。

光の刃が、出現した。千の刃だ。
その全てが燐に向かっている。
燐は悪魔だから、滅多なことでは死なないけれど。
この全てを見に受ければ間違いなく死ぬだろう。
全て覚悟の上だ。
こいつと敵対する覚悟を決めてから、いつかは訪れると思っていた瞬間。

燐は倶利伽羅をルシフェルの手から奪う。
それが合図だった。

倶利伽羅が抜かれ、青い炎と光の刃が交差する。
戦場に、まばゆい光が舞い降りた。


亡国のプリズム9


俺たちを助けてくれ。
ただ一つの願いを、悲鳴を聞いて私はここへ降り立った。
そう、私の敵である兄の手の中にそれはいた。

目の前にうずくまる小さな青い瞳の子供の姿を見て、メフィストは笑い出しそうになった。
聞いたことがある。父である魔神が気まぐれに人間の女を孕ませて、
子供が産まれた。その子供は青い炎を使うのだと。
あくまで、悪魔同士の噂でしかないと思っていた。
父の力を受け継いだ者は、メフィストを含め兄弟の中でさえ誰一人いなかった。
生粋の悪魔であるメフィスト達でさえ神なる父の炎は継げなかったのだ。

それがどうだろう。

目の前にいる子供を見て、メフィストはにやりと笑う。
悪魔としてはまだ子供も子供だが、内に秘める力は父に匹敵するものがある。
内を見ると、ルシフェルに手をつけられているようだったが、そ
のことすらも今は不快に思う前にむしろ喜ばしい。
この子供はここから、ルシフェルの手から逃げ出したいと思っている。
そしてメフィストはこの子供を浚いたいと思っている。

今日はとてもいい日だ。

メフィストは指を鳴らして、その場の時を止めた。
動かなくなった外道院と屍人。出雲の姿を見て、燐は動揺する。
出雲は間一髪で助かった。けれど、燐と目の前にいる男以外は動かない世界。

「出雲と月雲に何をした!」
「落ち着いてください。時間を止めただけです。彼女たちに危害は何も加えていません」
「時間を・・・?」

燐が周囲を注意深く見ると、飛んでいた埃や敵である外道院も動きを止めている。
ぴくりとも動かない。こんなことをできる奴がいるのか。
燐はメフィストの姿を改めて見た、ピエロの格好をした胡散臭い男がそこにいる。

「申し遅れました。私メフィスト=フェレスと申します。
貴方の望みに答え、城で執務中であるにも関わらず参上したまでです」
「じゃあお前、俺が呼んだ・・・悪魔、でいいんだよな」
「ええ、並大抵の者では私は呼び出せはしないのですが、
呼びかけに応じた分、貴方の願いを叶えましょう―――その代わり、対価は頂きますけど」

悪魔と取引するには、相応の対価が必要になる。
相手が上級になるだけ求められるものは上がっていく。
燐は迷わず答えた。

「俺たちを助けてくれ」

自分だけじゃない。
出雲も月雲も。ここから連れ出してくれ。
メフィストは笑う。
ああ、兄であるルシフェルはメフィストが現れたことに気づいているだろう。
それでも、あのいけ好かない兄の目の前でこの子を浚う気分は最高だ。
それこそ、対価などいらないくらいに楽しい気分だった。

「承知しました、小さな若君」

メフィストが燐の体を抱き、時の止まった出雲と月雲を腕に寄せる。
子供三人を抱いてもまだ余りあるほどにメフィストの体はとても大きく感じられた。
スリーカウントを鳴らして、四人の姿はピンク色の煙とともに消えていった。
時が始まり、気がついた外道院の目の前には誰もいなくなっていた。

***

暗闇と冷たい床しか知らなかった体に暖かい太陽が差し込んだ。
目を開くと、地面には緑と土が満ちており、遠く続く地平線まで青い空が広がっていた。

世界が、広い。

燐は目を瞬かせた。
今まで燐が知っていたのは、狭い村と暗い森。そして、あの冷たい研究室だけだった。
こんな世界があるだなんて、夢にも思わなかった。
地面に足をつけると、生きていると実感できた。

「どうです、久しぶりの外の空気は。
あそこは息がつまるほどに死と欺瞞に満ちた場所だ。
子供の情操教育にはとてもよろしくないですからね」

その証拠に屍人の障気に当てられた出雲や月雲はまだ目覚めずに
メフィストの腕の中で気を失っている。
悪魔である燐と人である出雲達では明確に違いがあるのだ。

「すげぇ、空がきれいだ」
「それはよかった。では、あちらの風景はどうです」

メフィストが指さした方向には、国があった。
小高い山の上に大きな城が構えられておりその麓には城下町が広がっている。
遠目からでも、多くの人が町を動かす為に働いている光景が見えた。
あれだけの人がいるなんて、信じられない。
燐の見たこともない触れたことのない世界がある。
燐の胸はいっぱいになった。
けれど、一抹の不安が脳裏によぎる。
そうだ雪男はどうなったのだろう。
王族だということで連れていかれてしまった、弟は無事なのだろうか。

「なあ、お前は悪魔なんだろう。悪魔って何でも知ってるのか」
「なんでも、という訳ではありませんね。
少なくとも私はあの国で貴族に成りすまして暮らしていますから
人よりは知っている、くらいですけれど」
「人より知ってるならいい。
俺の弟、雪男っていうんだ。どこにいるか知らないか」
「それは貴方の願いですか」
「うん、無事に暮らしていることが知りたい。知ってたら教えてくれ」

呼び出された主人の願いならば従わざるをえない。
メフィストはじっと燐の姿を見た。
弟、というと弟の方も魔神の血を引いているということだ。
そうすると、瞳に赤い光彩が出るという特徴もある。
そうだ、いつだったか城で噂になっていた。王族の子が見つかったと。
使用人の内の誰かがそれの瞳は、珍しい青い瞳と赤い光彩だと言っていなかっただろうか。
導き出された結論に、メフィストは笑いだした。

「貴方は魔神の子でありながら、敵国の王族の子でもあるのですか!
いやあ全く、だからこそ人はおもしろい!」

メフィストは呆然とする燐に全てを話した。
燐の正体が人類の敵である魔神の落胤であること、
そして弟は王として目の前に広がる国に祭り上げられていること。
悪魔の国と、人の国。この二つは長きに渡り戦争を繰り返していることも。

「人と悪魔は相入れない。貴方は弟さんに一生会うことはないでしょう。
だって貴方は悪魔ですからね」

敵を内に入れる者などいない。
メフィストはそう切り捨てた。
話を全て聞き終わった燐はメフィストの顔面に向かって思い切り蹴りを食らわせた。
突然のことに体勢を崩したメフィストだが、
腕に抱えていた出雲達は離さなかっただけ根性はある。

「俺は悪魔じゃない!!」
「ではこの耳と尻尾はどう説明します。
人は人と違うものを迫害し、蔑みます。
貴方がどう望もうとも、貴方は人間である弟とは違う。悪魔です」
「なら、悪魔のまま人として生きる」
「愚かなことを」
「そんで、魔神をぶっとばす」
「は?」
「この国は、悪魔に攻められているんだろ。
雪男が生きているこの国に、手出しなんかさせねぇ。
俺が魔神を倒して、雪男が安心して暮らせる世界を作るんだ!」

あいつが王として生きなきゃならないなら、俺はあいつの盾として生きてやる。
王座に興味などなかった。ただ、家族が安心して暮らせる世界が欲しい。
燐の動機はごくごく単純なものだった。
その計画は壮大だ。けれど、その身に眠る青い炎を使えば不可能ではない気がした。
メフィストはひとしきり大笑いをすると、よろしいと指を鳴らした。

「おもしろい、その願いを叶える為に私も人肌脱ぎましょう。
貴方をあの国の騎士団の団員として迎え入れます。
見習いから這い上がり、騎士団長まで上り詰めてごらんなさい。
そうすれば多少なりとも王族や貴族達への謁見も叶いましょう。
貴方はあの国の、王の武器となるのです」

王の兄という事実を隠して、泥をすするような汚い仕事も侵しながらそれでも前に進んでみせろ。
弟は王としての身分から、兄のことを見る機会もそばにいると思うことすらないだろう。
それでも、ただ一目会いたいという思いだけでどれだけやれるのか、それを私に見せて見ろ。

「貴方の弟に会いたいと叫ぶ心が、悲鳴が。私を呼び出した対価です」
「・・・わかった、なんとしてでもやってやる」

人と悪魔。王族と下民。
同じ母から生まれたはずなのに、二人の運命は大きく分かれてしまっていた。
燐の決意は確かだ。けれど、同時に不安も抱いていた。
雪男と別れた時、燐はまだ人間だった。
けれど、ルシフェルに無理矢理目覚めさせられてせいで燐は悪魔として覚醒してしまった。

雪男は、俺が生きてたらどう思うだろう。
悪魔としての俺を、一体どういう目で見るんだろう。

燐の先を見つめる瞳はまっすぐた。けれど。
王様になったお前は、俺のこといらないって思うかもしれないな。
不安を抱きながらも、燐は弟がいる国で生きていくことを決めた。


「しかし燐くんに兄上のにおいが染み着いていて結構なレベルで不快ですね。
これから秘密を共有していくにあたり、今晩あたり私とどうですか」


誘ったメフィストは出雲達を避けた上で青い炎で盛大に燃やされた。

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