青祓のネタ庫
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その日、僕は色々なことに疲れていたのだと思う。
中学の勉強に、受験。そして、祓魔師としての任務。
今の学力だと受験は心配ないが、連日の祓魔師としての任務に堪えていた。
今日は人型の屍を殺した。人型を殺したのは、今日が初めてだった。
それまでの悪魔は醜悪な姿をしていたので、祓うことに対しての躊躇はあまりなかった。
人型を祓った後に辛いのは遺体が残ることだ。
死んだ人の顔を見たのは、それが初めてだった。
そして、身体が損傷し腐敗した姿を見たのも初めてだった。
雪男はその場で吐いた。立ち込める死のにおい。
自らの手でその体に銃弾を撃ち込んだのだという罪の意識。
とても十代の少年が抱え込めるようなものではなかった。
吐いていると、背中をやさしく撫でる手があった。声が聞こえる。
「雪男、大丈夫か」
優しい声。やさしい温度。神父の手だった。その手が雪男の背中をさすっている。
生きている手が雪男を支えてくれる。そのことに雪男は無性に泣きたくなった。
辛かったら泣いていいんだぞ。神父は雪男にそう言った。
雪男は辛かった。でも、不思議と涙は出なかった。
泣いたら、泣き虫だった昔の自分に戻ってしまいそうな気がしたからだ。
事後処理を神父に任せて、雪男はそのままふらつく足で修道院へと帰っていった。
鍵を使えば一瞬だ。修道院で雪男や神父の正体を知らないのは兄である燐だけだ。
何食わぬ顔で玄関に足を踏み入れる。
先程まで血と硝煙に塗れていたとは思えない、日常のにおいがした。
ただいま、と声をかける。時刻は夜の十一時だった。燐はもう寝ているだろう。
先にシャワーを浴びて非日常のにおいを消す。脳裏に浮かんでくるのは血に塗れた遺体。
雪男は嘔吐感を抑えて風呂場から上がった。
髪を乾かせば、一息ついて脳裏に浮かぶ残像も収まる。早く忘れた方が賢明だろう。
雪男は疲れた体を引きずって、部屋に入った。あとは寝るだけだ。
見れば、二段ベッドの下には燐が寝ていた。寝相は悪く、腹を出して寝ている。
安らかな寝顔だった。何も知らない顔で寝ている。
普段なら落ち着けるその顔が、今では無性に腹が立った。
雪男は苛立ちを隠せない。自分が殺してきた悪魔の数。今日その手にかけた人型の屍。
兄さんが悪魔なんかじゃなければ、僕はこんなことしてなかったはずなのに。
言葉は、ふいに口から出た。
「兄さんなんか、いなければよかったのに」
そうすれば、きっと僕はこんな思いを抱えずに済んだのに。
人として当たり前の感情だった。でも、やはり気分のいいものではない。
雪男はこめかみを抑えて、自制した。疲れているのだろう。
ゆっくりと休むために、また明日頑張るために。ベッドに入った。
聞こえてくるのは、兄の寝息だけだった。それを聞いていると自然と瞼が落ちてくる。
悪夢を見なければいいな。そう思って眠りに落ちる。
***
夢を見ていた。真っ白の空間の中に祓魔師のコートを着た僕が佇んでいる。
気が付くとそこにいた。夢の中なので意味なんてないのかもしれない。
しばらくぼんやりとしていると、まばたきをした。
すると、目の前には兄が立っていた。
どきりと心臓が脈打つ。兄は黙ったこちらを見ていた。
雪男は何も答えなかった。代わりに心臓がしゃべっているみたいに早く動く。
いつの頃からかわからないが、雪男は燐に対してある感情を抱いていた。
好きと同じくらい嫌いで。でも好きで嫌いになんかなれなくて。
堂々巡りなその感情は雪男の心を苛んだ。
雪男はその感情に対してどうしても素直に認めることができない。
それは思春期の心がそうさせたのかもしれない。
雪男は燐と喧嘩ができたらよかったのかもしれない。
そうして溜まっている感情を吐き出すことができたら、もっと心は軽くなっただろう。
でも祓魔師をしていることも、燐が悪魔であることも言うことができない。
雪男は不機嫌そうな顔で燐を見つめる。
寝る前の嫌な気持ちが浮かび上がってきた。
雪男は目の前にいる燐の顔を見る。そして驚いた。
目を開ければ目覚まし時計が鳴っていた。
普段ならこんなに寝込むことなんてないのに。珍しい。
瞼を擦ろうとすると、頬を伝う液体があった。
「・・・あれ?」
雪男は泣いていた。なんで泣いているんだろう。別に泣くような夢を見た覚えはなかったのに。
中学生にもなって、夢で泣くなんてどうかしてる。雪男は頬を擦って涙の痕を消した。
この時間だと兄は寝ているだろうが、兄に見られればからかわれるに決まっているからだ。
枕の脇に置いていた眼鏡をかける。視界がクリアになった。
朝日がまぶしくていい朝だった。そして普段とは違って、なぜだか視界が見えやすい。
雪男は首を傾げる。昨日と何が違うのだろうか。
思いながらも支度をするために、二段ベッドを降りた。
下のベッドを確かめるとこれまた珍しく兄の姿がなかった。
自分より早起きするとは。雪男は今日の朝ごはん当番は燐だっただろうかと思い出す。
今日は違う、確か長友さんが当番だったはず。
そうなると、朝。もしくは雪男が寝た夜に抜け出したのだろうか。
雪男はため息をついた。夜に出歩くのはやめて欲しい。
不良に絡まれて喧嘩するのも良くないし、もし悪魔に遭遇でもしていたらと気が気でないからだ。
燐が怪我をして帰ってきたら手当をするのは雪男の役目だった。
その時は少しだけ昔のように触れ合うことができる。
怪我をして欲しくはないけれどその時間だけは好きだった。
雪男はパジャマから着替えて、リビングに来た。
そこにはお世辞にも余り美味しそうではない朝食が用意されていた。
「おはようございます」
「おはよう雪男」
やはり修道院の中で一番料理の腕がいいのは燐だ。
燐の作る料理の匂いをかげば皆が自然と起きてきてしまう。
今ここにいるのは雪男だけだった。つまりはそういうことである。
ただ、長友の腕は決して悪いというわけではない。男の料理とは大概そういうものである。
「自分で作ると思うけど燐の奴料理の腕だけはすごいよな」
「唯一まともな特技ですよね」
「その燐に是非とも今作ってる味噌汁の味を見てもらいたいもんだ。燐は寝てるのか?」
「朝早くに出ていったみたいで、ベッドにはいませんでした」
雪男は部屋の状況を思い出した。
せめて誰かに一言言ってくれればいいのに。とつい小言が出てしまう。
長友は首を傾げた。今日は朝食当番だから修道院の中で一番早起きしたはずだ。
起きた時に、玄関の扉の開閉音は聞いていない。
燐は一日十時間以上寝るから、途中で起きることもない。
長友は味噌汁の火を止めると、雪男と燐の部屋に向かった。
すると、雪男を呼ぶ声が聞こえた。雪男は答えて部屋に入る。
「なんだよ、燐まだ寝てるじゃないか」
長友はベッドを指差した。そこには空っぽの布団しかない。
雪男は何を言っているんですか。と長友に反論する。
「だから、いないじゃないですか」
雪男の態度に異変を感じ取った長友は、雪男の手を取った。
そして空っぽの布団の上にそっとその手を触らせる。
雪男は驚いた。温かい何かがそこにはあった。
心臓が嫌な鼓動を打っている。雪男は目を擦った。眼鏡も外す。
そこにはぼやけた、空のベッドがあるだけ。
急いで眼鏡をかけ直す。
「ここに兄さんがいるんです・・・か?」
「お前、もしかして見えないのか。本当に燐が見えないのか」
長友も焦った声を出した。小声で話す様子からして、まだ燐は寝ているのだろう。
雪男はそれを確かめる術を持たない。そして気が付いた。
朝目が覚めてから、魍魎を一匹も見かけていない。
「長友さん、修道院に聖水撒いたり結界の強度を変えるなりしましたか?」
「いやそんなことはしていない」
「じゃあ、魍魎は今もこの部屋にいますか?」
雪男はこの状況が嘘であればいいと思った。
見えなくなった兄。視界に入らなくなった魍魎。
長友が答える。
「何言ってるんだ、いっぱいいるじゃないか」
指で何かを潰す仕草を取った。それは見えるものだけができる行為だ。
つまり。
「悪魔が見えなくなってる」
魔障は一度かかると二度と消えることはない。雪男は生まれた時から悪魔の姿が見えていた。
それは母親の胎内で兄である燐から魔障を受けたからだ。
燐は悪魔だ。しかしまだ覚醒していない。今は人間のはずなのに。
雪男の目は悪魔である燐の姿も映さなくなってしまった。
長友は急いで雪男を部屋から連れ出した。
扉を閉めて燐が起きないようにと努めて小声で話しかける。
それでも動揺しているのは明らかだった。
「俺は藤本神父を連れてくる、お前はリビングにいるんだ」
「・・・はい」
呆然とする雪男を置いて、長友は廊下を走った。
ふらふらとした足取りで雪男はリビングに向かう。
兄さんが見えなくなるなんて、考えたこともなかった。
もしもずっとこのままの状態なら、僕はどうしたら。
リビングに入ると、冷めた朝食が置いてあった。見回しても、魍魎はいない。
悪魔のいない視界は雪男にとって初めてだった。
昔は見えなくなるならなんでもするのにと願ったこともあったのに。
今ではまったく落ち着かなかった。見えない敵ほど恐ろしいものはない。
悪魔の存在を知らなければそれでもよかっただろう。
でも、今では悪魔がいることを知っている。それこそ嫌というほどに。
雪男は気を紛らわせようと何気なく、リビングに置かれた写真立てを見た。
それは神父と小さなころの自分たち兄弟が映っている写真だった。
そのはずだ。雪男は急いで写真を手に取った。
横にいるはずの、燐の姿はどこにもなかった。
神父と自分と、ぽっかりと空いた空白の写真。
視界に映らないだけじゃない。写真に映った姿も見えないなんて。
雪男はその場に座り込んだ。
「嘘だ・・・」
今朝見た夢を思い出す。
兄さんなんか、いなければよかったのに。
つぶやいた言葉があった。夢の中の兄はその言葉を聞いて悲しそうな顔で笑った。
そして目の前にいたはずの兄は雪男の言葉通りに。
まるで幽霊のように透明になって消えていったのだ。
夢から覚めて飛び起きれば、世界では現実になっている。
「兄さんを消したのは、僕なのか」
雪男の脳裏には、最後に見た悲しそうな兄の顔がいつまでもこびり付いていた。
燐が夕飯の買い物を終えて帰宅していると、誰かにつけられている感覚を覚えた。燐は後ろを振り返る。
すると、電柱の隙間から長い影が伸びていた。今は夕暮れだ。隠れようとしたのだろうが、丸見えである。
燐はため息をついて、電柱に近づいた。燐は魔神の落胤た。
だから誰かに狙われたり、暗殺されかけたりは日常茶飯事である。
雪男には言ったことはないけれど、今回が初めてというわけではない。バレたら怒られるだろう。
でも燐は只でさえ心配性の弟にこれ以上心配をかけたくなかったのだ。
燐は電柱に向かって叫んだ。
「おい、いるのはわかってんだぞ!出てこい!」
燐が呼びかけると、相手は素直に電柱の影から顔を出した。
***
燐は祓魔塾が終わった後、寮に帰ろうとしていた志摩に話しかけた。
相談があるんだけど、いいか。と。燐の声を聞いた志摩はきょとんとした顔をする。
相談事とは珍しい。深刻な問題なら、自分よりも勝呂や子猫丸にするだろう。
となると、今回のお悩みは自分にしか言えないこと。
つまり。
「エロ関係やんな、よしきた任しとき」
「間違ってないけどよくわかるな」
「こういう時の嗅覚は鋭いで」
志摩は廊下を歩いていた勝呂と子猫丸に先に帰ってくれと声をかける。
二人は訝しげな視線を向けたが、燐がいたことである程度の内容が掴めたのか、
門限は守れよ。とだけ声をかけて去っていった。よく心得ている二人である。
志摩と燐は人気の無くなった塾の教室内に入り、教卓に一番近い席に向かい合わせで座った。
志摩が前から燐をのぞき込む体勢だ。燐は鞄の中から携帯電話を取り出して、操作をする。
程なくして、メールの画面が表示された。
「えーっと、
『俳優募集の用件について。今回スカウトされた奥村様には、弊社の映像作品に参加して頂きたく存じます。
いきなりのことで警戒されているでしょう。ですが、弊社は参加を無理強いするつもりは毛頭ございません。
奥村様の警戒心を取るため、また弊社の映像作品に興味を持っていただくためにも、
弊社の者よりお話がありました映像作品のタイトルを送信させていただきます。
なお、こちらはあくまで仮のタイトルとなります。もしも気に入らない場合、または奥村様の方で良いタイトル案が
ありましたらご連絡をお願いいたします。折り返しこちらよりご連絡の方を―――』って何コレ?」
「なんか、俺のこと使いたいんだってさ」
「映像で?スカウトされたん?」
「うん、スーパーからの帰り道に。変なおっさんにすんごい口説かれた」
「ええええええ」
志摩はもう一度メールを見た。会社名についても記載されているし、担当者の名前も入っている。
そして、この会社名。どこかで見たことがあるぞ。と志摩は考えた。
しばらく考えて、ハッと閃いた。これは、まさか。
志摩は恐る恐る燐に問いかけた。
「もしかして、出演考えとるとか相手に言うたりしてへんよね?」
「ううん、実は明確に断ってもいない」
「うわあ、だからやわ。奥村君、この会社な。俺がいつもお世話になっとるところやわ」
「志摩知ってんの?」
「うん、だってAV作っとる会社やろここ」
二人の間に沈黙が走る。燐は手で顔を覆う。そして答えた。
「俺も知ってる会社だなぁって思ってたわ。そうか、あそこか」
「俺らの欲求を満たすための会社から、まさかお声がかかるとか思わんよなぁ」
燐はメールをスクロールしていった。そこにはあられもないタイトルが記載されている。
「禁じられた●五歳~やめてなんて言わせない~」
「出てくる言葉はあ行だけ。あぁ、イイ!、うん、えぇ!?おかしくなっちゃう六十分」
「やめて、は●●っての合い言葉」
「追突禁止、前だけを見て、はじめては」
「未性年の日常~衝撃の現役生デビュー~」
二人はしばらくそのタイトルを見つめた。そして、おもむろに口から言葉が漏れた。
「こんなタイトルじゃ・・・あかんよなぁ」
「うん、それは俺も思った」
もっとこう、性欲をかき立てるような題名にしてくれないと。
これではおもしろ映像特集やハプニング映像ではないか。いや、そういう分野がまずいと言っているのではない。
でも、こちらとら未経験の高校生である。即物的なのは何よりだが、もっと夢も見ていたいお年頃。
情緒が欲しかった。二人は頭をひねった。
「その倶利伽羅でブチ抜いて、とか?」
「センスの欠片もない。却下」
そして一般人は倶利伽羅というものが何かをまずわかっていない。
ギャグにしても、大衆がわかるものでなければ意味はないのである。
「初めては汚い倉庫」
「おい、無理矢理かよ」
「抱かれて寝間の上」
「古くさい」
「学園ダークファンタジー、青の寝取師」
「どこに学園要素が!?」
二人の会話はエスカレートしていった。
ヒートアップしすぎて、志摩も燐もまずは断りの電話なりメールを入れることを完全に忘れてしまっている。
二人はああでもない、こうでもないと議論を交わして気がつけば夜の七時を過ぎていた。
完全に門限をぶち抜いているが、そこで止まる思春期ではない。
議論の末に、一つのタイトルを導き出した。二人は意気揚々とメールを飛ばした。
そして、ほどなくして先方の会社から連絡がきた。
「こちらのタイトルでいきましょう、だってさ!やったな!」
「やっぱり現役の意見を取り入れな意味ないわな!わははは!」
二人は勝ち誇っていた。どうだ、男子高校生だって動けば一企業を動かす力を持っているのである。
そんな二人に追い打ちをかけるように、連絡が入る。
燐がメールを開くと、そこには次の日曜日に撮影がある旨と、時間と場所が書かれていた。
もちろん、キャストの名前には「奥村燐」とばっちりのっている。本名である。
「ん?おかしくね?」
「どうしたん」
志摩が燐に送られてきたメールを確認する。
キャストには、自分がお世話になったこともある映像作品に乗った男優の名前が載っている。
奥村燐、その後ろに男優の名前。
これは一体どういうことだろう。
燐が首を傾げていると、志摩がその場から逃げだそうとした。
志摩の運動能力と悪魔である燐の運動能力を比較してはならない。
志摩は教室から出る前に捕まってしまった。
燐に凄まれてしまっては、志摩は大人しくするしかない。
「忘れとったわ。その会社、両方やっとんねん」
「両方ってどんな意味だよ」
「えーと、つまり。男女ものと。男男もの、といえばいいか・・・」
「つまり?」
「つまり奥村君は今度の日曜日に男に体を売りにいかなければなりません」
燐に衝撃が走った。あのスカウトマンは君の初めてを捨ててみない。と誘ってきていた。
燐はてっきり男としての経験のことだと思っていた。
お相手はもちろん、想像の中でお世話になっている美人の女優さんだった。
蓋を開けてみれば、その女優さんの相手をしている男優さんを相手にする。
つまり、自分はその女優さんのようなことをされてしまうのか。
あんなことやそんなことを?
絶対に無理である。
志摩も動揺し過ぎて標準語になってしまっていた。
何故二人がこんなにも焦っているかというと、
メールの最後に『来ない場合違約金百万円支払え』と書いてあったからだ。
これは業者がよくやる常套手段である上に、詐欺行為にも等しい。
別に払う必要もないお金なのだが、社会人経験のない普通の十五歳が気づくはずもない。
今奥村燐は窮地に立たされていた。
借金百万円を背負うか。
今度の日曜日に映像と男としての尊厳をとられてしまうか。
どちらかである。究極の選択だ。
「うおおおお!騙されたあああああ!!!」
「奥村君、終わったら俺看病しに行ったげようか」
「いらねーよ馬鹿!なんで行く、行かないの選択肢の中で行く一択なんだよざけんな!」
燐の激怒で目の前の机が割れた。
そもそも、世の男の人がお金を払ってまでしたいと考えていることを、男子高校生にタダでさせるわけもないのだ。
世の中の世知辛さを思い知った。
でも、現状どうしようもない状況である。もはや二人の頭では解決できるような問題ではなかった。
「そもそも、奥村君って尻尾とかあるやんな。バレたらそれこそやばいやんな」
「だから何で俺が脱ぐ一択で考えてんだよ!そういう事いうのやめろ!」
「脱ぐってなんでですか」
「そりゃお前今度の日曜日に撮影があるからだろ!」
「撮影って何の」
「俺主演のAV・・・って」
二人は背後から聞こえてきた第三者の声に戦慄した。
そしてその声の主は今一番バレてはいけない相手である。
志摩も燐も逃げようとしたが、相手の手には既に銃が握られている。
走った瞬間に足を打ち抜くくらいはしそうである。それも驚くほど正確に。
「ゆ、雪男、これには事情が」
「言い訳なんて聞きたくないね。洗いざらい吐いてもらうよ」
固まる燐を前にして、志摩がせめてと現状を説明した。
燐がスカウトされて、撮影に来なければ違約金を払えと言われていること。そのすべてを。
いつまでも帰ってこない兄を心配して探しに来てみれば、何故いつも騒動に巻き込まれているのだろうか。
雪男は現状を正しく認識すると、燐の携帯を取り上げて先方の会社へと電話をかけた。
「すみません、奥村燐の担任をしている者です。責任者を出してください」
雪男は燐と同じ年だが、祓魔塾の担任をしていることは合っているので間違いではない。
そのまま保留音が途切れると雪男は弾丸のようなしゃべりで相手を攻めた。
そもそも、こんな違約金を払う必要もないですよね。払えというのならこちらだって考えがありますよ。
貴方達は正式な契約書を作り、本人の同意を得たのですか。日付と直筆の名前と、印鑑です。
それもないのに契約したなどと言えますか。言えませんよね。
あげくの果てには彼は未成年です。
営利目的で声をかけたのでしょう、これは立派な犯罪ですよ。
出るとこ出たっていいんですよ。このまま警察行ったっていいんですよ。
こちらには証拠となるメールも残っていますしね?
そのまま相手側から通話は切れた。雪男は急いで着信拒否とメール拒否の設定をする。
これで相手は引き下がるだろう。
もし違約金の百万の請求が来たとしても、払わなければいいだけの話である。
雪男が燐の携帯を閉じると、燐は安心したように肩の力を抜いた。
そして雪男に謝った。
「雪男!ごめん変なことさせちまって!」
「いいよ別に・・・っていうか常日頃から馬鹿だと思ってたけど本当に馬鹿だね兄さん」
「うう、今回のことは否定できねぇ」
「志摩君も、これに懲りたら面白がって変なことに首をつっこまないように」
「わかりました、すんません」
二人を立たせると、雪男は志摩に新男子寮に繋がる鍵を使って部屋に帰るようにと言った。
軽いお説教で済んでよかった。志摩は鍵を教室の扉に差すと、最後にもう一度振り返って謝ろうと思った。
するとどうだろう。
雪男が銃をこちらに向けて構えているではないか。
「大丈夫、ゴム弾ですよ」
言うやいなや、志摩の足と背中にゴム弾がぶち込まれた。
いくらゴムとは言っても痛いものは痛い。ぎゃああああ、という悲鳴を残して、扉は閉まっていった。
ぱたん。と閉まった扉。最後に見た志摩は部屋の中に倒れ込んでいる姿だった。
燐は止めることができなかった。なぜならもう片方の銃で狙われていたからである。
両利きの恐ろしさを思い知った。
雪男は志摩を見送ると、燐の尻尾をぎゅむ。と踏みつけた。
燐は痛いと悲鳴を上げる。雪男はいい笑顔で言った。
「反省するには、体で覚えるのが一番だよね?」
一回体を売ろうとしたくらいだもの、中途半端じゃ許さないよ。
雪男の声が響く。逃げたいけれど、尻尾を掴まれてしまった。もう逃げることなどできはしない。
「い、いたいいたい!やめろ、雪男!やめてくれ!」
「兄さんは思い知るべきだよ」
雪男は尻尾を掴んだまま燐を引きずって、旧男子寮への鍵を差した。
二人はそのまま扉の向こうへと消えていく。
その日、旧男子寮からは一晩中悲痛な悲鳴が響き渡っていたという。
***
メフィストは、録画のボタンを切った。
映像を再生すると、燐と志摩が祓魔塾の教室で会話をしているところから始まっていた。
「いやぁ、いつものように学生たちの悲喜交々を覗き見していたら。
とんだハプニング映像が取れました☆」
メフィストは映像を意気揚々とブルーレイディスクに焼き付けると、そこに日付を記入した。
これは永久保存版となるだろう。
末の弟がAVに出演しかけるハプニングなど、こんなにおもしろいことはない。
メフィストは笑いながらディスクの表面に題名を書き入れた。
燐は一日十時間以上寝るロングスリーパーだ。
人間は個人差はあるものの、長時間寝るタイプと短時間の睡眠で事足りるタイプの二種類がある。
小さな頃から燐はよく寝ていた。中学の時はさぼっていたので他にすることがなかったから寝ていた。
とにかく寝ていた。その寝汚さを雪男に咎められることが多々あったが、
それでも寝る時間だけは個人の自由だ。
睡眠時間が短ければ日中の活動にも支障が出てしまう。
だから燐は任務で遅い雪男を待つことなく寝るようにしている。
もちろん、食事の用意だけはして寝ているあたりは弟の仕事を気遣っているのだろう。
雪男は燐とは正反対で、ショートスリーパーだ。
四時間の睡眠で事足りるということは燐よりも六時間も多く動くことができるということ。
雪男が優秀と呼ばれるのも、その時間を勉強や努力に当てることができるからかもしれない。
双子でも個人差があるものだけはどうしても埋めようがない。
それでも燐にとっては納得がいかないことがひとつある。
「寝る子は育つって言うのにな・・・」
今日学園で身体測定があった。燐の身長は中学の時と変わらず、体重も変化はない。
燐は落胆した。一年近くたっているならもう少し伸びてくれてもよかっただろうに。
周囲を見れば、他の男子は一センチ伸びただの、
五センチも変わっただの自身の成長を喜ぶ声が聞こえてきた。
うらやましい。別に自分の身長が平均以下だとは思ってもいないが、
雪男より身長が低いという事実が許せない。
クラスは別だが、身体測定は同学年の生徒は同じ時に行われる。
少し見渡せば、すぐに見つかった。周囲の生徒よりも頭が一つ分飛び出ている。
むかつく。雪男を見て燐は瞬時にそう思った。見つけやすいけれど、
自分より大きい弟の存在は燐のコンプレックスを刺激する。
燐は雪男の背後にそうっと忍び寄って、持っていた測定表を奪い取った。
雪男が咎める前に、その身長と体重を確かめる。
「ちょっと兄さん何やってんだよ」
「いいじゃん減るもんじゃないし・・・ってお前なんだこれ!!
去年より伸びてるじゃん!!なんでだよ!」
「なんでって、成長期だから?」
「俺も成長期なのに!ちくしょー!」
燐の言葉に雪男は一瞬だけ表情を変えた。
しかしすぐに取り繕って首を傾げる動作をする。
「兄さん変わってなかったの?」
「うん、伸びてなかった」
「体重は?」
「変わってねぇけど」
「そう、まぁ健康ではあるんだし心配することないんじゃない?」
「そうじゃねぇ!お前が成長していることがむかつくんだ!その伸びた身長俺によこせ!」
「できるわけないだろ、馬鹿言わないでよ」
騒ぐ二人に周囲がまた兄弟喧嘩が始まった、と生暖かい視線を向けてきたことに雪男は気づいた。
雪男は騒ぐ兄を連れて、人気のない場所へと誘導する。
小声で問いかける。
「一応、兄さんは個別での測定って聞いてたけど。そうなってた?」
「うん。みんなとは別で受けたけど」
燐には人には見せれない悪魔の尻尾がついている。
普通の血液検査をしたとしても、燐は人間ではないので異常があってもわからないだろう。
メフィストの息がかかった者に検査を受けることになっていた。
雪男は後で僕も兄さんの検査結果見るからね。と燐に告げた。
「え、なんで?」
「だって兄さんは前例がない体質でしょ。少しの変化が何に影響するかわからないじゃないか」
「大丈夫だって、心配性だなぁ。禿げるぞ」
「誰のせいだと思ってるんだよ・・・」
雪男はため息をついて、燐の測定表を取り上げた。
後は検査員に渡すだけなので構わないが、伸びてない身長の数字を見られるのはなんとなく嫌だった。
「プライバシーの侵害だ!」
「兄さんも僕の見ただろ。それに兄さんのヘモグロビンの数値も尿酸値も
全部知ってるから身体測定の結果なんて今更すぎるよ」
「なんかお前に丸裸にされてるみたいですんごい寒気がしたんだけど」
「僕が兄さんの監視役だってこと忘れてるでしょ」
監視役はその対象物に関しての情報を頭に入れておかなければならないだろうが、それにしたってあんまりだ。
雪男は燐の頭を撫でると、代わりに出しとくよ。と測定表を持っていった。
燐は撫でられた頭を触って叫ぶ。
「頭撫でんじゃねー!兄ちゃんだぞ!」
「僕より身長低いけどね」
燐は弟の雪男に子供扱いされたことにかなり腹が立った。
だから、雪男が真剣な表情で燐の測定表を見ていたことには気づかなかった。
***
夜。というか明け方。だろうか。燐は一度寝ると滅多なことでは起きない。
それでも目が覚めそうな瞬間というのは何度かある。
薄暗い部屋の中で、うつらうつらしている状態で、燐は何かの気配を感じた。
クロは夜に遊びに出かけてからまだ帰ってきていない。
もしかしたら燐のベッドに進入してきたのかもしれないと考えていた。
気配は寝ている燐のそばで感じる。何かの体温が体を触っていることがわかった。
腹から徐々に上がってきているなにか。燐はそれでも寝ていた。
起きるのが面倒だったし、なによりも夢かもしれないと思っていたからだ。
何かは燐の胸に触れる。そのまま燐の胸を触っていた。その体温が退くことはない。
身じろぎしようとすると、唇の方に暖かいものが触れた。なんだろう。
目を覚まそうとしても、眠気の方が強い。そのまま体を触られる夢を見たのだと思っていた。
声が聞こえた。何と言っているのかは聞き取れなかった。
そのまま燐の意識は闇に落ちていった。
「なぁ、志摩って男兄弟の胸触ったことある?」
隣でうどんを食べていた志摩が鼻から麺を吹き出した。
そのまま噎せて呼吸が落ち着くまではしばらくかかりそうだった。
燐は志摩の背中をさすりながら、落ち着くまで待っていた。
志摩は顔を赤くして燐に問いかける。
「なんで俺が金兄達の胸触らなアカンの」
「いや、そういうことってあるのかなぁと」
「うーん、女兄弟にやったらありえなくもないけど」
「え、お前姉ちゃんにおっぱい触らせてとか言ったことあんの」
「・・・」
「おい、そこは否定するところじゃないのかよ!」
「思春期の好奇心と甘えの延長やと思ってもらえたらありがたいけど、
まぁ触った瞬間に半殺しにされたわ。懐かしいわぁ」
「やわらかかった?」
「まぁ女兄弟の胸で興奮することは万が一にもありえんかったけど、
胸という名の部位はやわらかかったなぁ」
「そうか・・・」
燐は女性の胸というものを触ったことがない。母親は既に亡くなっているし、育ての親も男である。
女性という者に対してのあこがれは昔から持っていた。
やわらかい女性という存在に抱かれた経験がないからかもしれない。
だからか知らないが、燐は巨乳が好きである。大好きである。
いつかは女の子の体に触ってその感触を確かめてみたいという願望は常に持っていた。
「奥村君は女の子の胸触ったことある?」
「ねぇよ」
「霧隠先生のは?前挟まれてたやん!!」
「いや、あれは別だろ。ノーカンだ!」
「そんなもん?俺やったら霧隠先生の胸に挟まれたら天国やけどなぁ。
奥村先生なんかはモテはるから女の子の胸くらい触ってそうな気するけど、どうなんかな?」
「・・・だよなぁ」
燐が悩んでいたのはズバリそこであった。
あの晩に、寝ている燐の胸を触っていたのは雪男だ。最初は夢かと思ったけれど、聞こえてきた声で確信した。
寝ている自分を、雪男が触っている。わからないのは、その動機である。
雪男くらいモテていれば女の子の胸くらい触る機会はありそうだ。
どうして男である自分の胸を夜中に触っているのだろう。
あまりにも不可解な弟の行動に燐は理由が思い当たらなくていっそ恐怖を抱いていた。
弟が間違った道に走っていたらどうしよう。燐は頭をかかえる。
でも弟のことを考えるとあの夜のことを誰かに相談することもはばかられた。
だからこうして志摩に探りを入れていたというわけだ。
燐はいったん落ち着こうとお茶を口に入れた。
「そういえば、男のおっぱいって雄っぱいって言うねんて。知ってた?」
今度は燐がお茶を鼻から吹き出した。
***
雄っぱい。というフレーズが頭から離れなくて、その夜燐はなかなか寝付けなかった。
弟が雄っぱいに目覚めていたらどうしよう。
しえみのダンスパーティの誘いも断ったという話しも聞いた。
ああ、なんということでしょう。弟は道を踏み外そうとしているのかもしれないのです。
燐はぐるぐると悩みながらも、体は睡眠を欲していたのか浅い眠りを繰り返していた。
部屋の扉が開く音が遠くで聞こえてきた。雪男が任務から帰ってきたのだろう。
起きようかとも思ったけれど、浅い眠りの波は居心地が良くて動く気になれない。
そのまま寝ていると、やはり気配が近づいてきた。ベッドの脇に座ったことがわかる。
しばらく、雪男は動かなかった。燐が寝ていることを確かめているのかもしれない。
雪男はそのまま、燐の体にかかっている薄い布団をそっとはだけさせた。
そして、燐の腹の方に手を入れる。
「・・・ん」
腹の方を触られて思わず声が出た。それでも寝言だと思ったのか、雪男は手を止めなかった。
腹の方から手をシャツの下に進入させる。そのまま上に入れられて、手は胸の上で止まった。
雪男の手が、燐の胸の上にある。人の体温が胸にあるということは、思った以上にくすぐったかった。
寝返りを打とうと思った。その前に、唇の上にまた体温がかかる。手の体温と同じあたたかさだ。
雪男は燐の胸と、唇に手を当てている。そして、つぶやいた。
「よかった。息、してる」
あの夜に聞き取れなかった言葉を聞いた。
燐は思わず目を開けそうになった。だって、そんな。
心臓の鼓動が動揺で乱れそうだ。それでも我慢して燐は寝ていた。
雪男は燐の寝ている様子に安心したのか、部屋を出ていった。
お風呂にでも行ったのかもしれない。
燐は薄く目を開けた。目に映るのは見慣れた木の天井だ。
雪男は、毎晩燐が生きていることを確かめていたのだ。
呼吸に変化はないだろうか。心臓はちゃんと動いているだろうか。
悪魔である燐は人と違うルールで生きている。
そして青い炎を宿した者は魔神以外に存在したことはない。
どんなイレギュラーが起きて、何が燐の体に悪いのか、いいのかも全てわかっているわけではないのだ。
雪男はその不安を感じていたのかもしれない。
燐の伸びなかった身長や、体重のことも気にしていた。
たぶん、自分よりもずっとずっと心配していたのだ。
燐は雪男よりも六時間も多く睡眠を取っている。
六時間分、寝ている燐を見ているのだ。昔から起きない燐を見て雪男は小言を言っていた。
寝ている燐を、起きない燐を見て、何を考えていたのか。それがわからない燐ではなかった。
このまま起きなかったらどうしよう。弟の不安を兄は感じた。
だから、安心させてやらないといけない。
時間を見れば、まだ起きるまで余裕があった。
「仕方ねぇな。今日から、早起きしてやるよ」
雪男のように四時間の睡眠で満足できる体ではないので、それは勘弁してもらうとして。
それでも早起きしてやろう。そして、起きている自分を見せてやるのだ。
生きているという姿を見せて安心させてやる。
雪男が風呂から戻ってきたようだ。足音がして、部屋の扉が開いた。
燐は今起きた、という風に雪男に話しかける。
「戻ったのか」
「うん、起こしてごめんね」
「いいよ・・・それより、明日。っていうか今日だな。どっか行こうぜ」
「珍しいね。休みだし予定もないけど。兄さん、出かけるなら早起きになるけどいいの?」
「うん、いいんだ」
「起きれる?」
「起きるよ」
起きるよ。燐の言葉に雪男は安心したようにつぶやいた。
「そっか、じゃあまた朝に」
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
朝に起きる約束をして。
二人の鼓動を包み込み、夜は更けていく。
町中を歩いていると、色とりどりの花で埋め尽くされていることがわかった。
今日は何かイベント事でもあっただろうか。思い返してみるが、特に浮かばなかった。
そのまま近くにある路地裏の扉に向かって、祓魔屋に向かう為の鍵を差し込む。
扉を開ければ次の瞬間には祓魔屋だ。
今日は悪魔薬学の授業で使う薬草を仕入れに来ている。
しえみが学校に通うようになって、店番については主におかみがやるようになった。
しえみは休日に手伝いをしているようだが、今日はいるだろうか。
考えながら、祓魔屋の扉を開けた。中からはふわりと薬草のにおいが香ってくる。
雪男はこの香りが好きだった。
初めてここに来た時もそう思ったことを思い出す。落ち着くいい匂いだ。
一呼吸おいて、声をかける。
「ごめんください」
カウンターの方にはしえみがいた。しえみは雪男の姿を確認すると、慌てて身なりを整えている。
そう動揺しなくても大丈夫だと思うのだが、しえみはいつまでたっても慌ててしまうらしい。
その様子に少しだけ笑って雪男はカウンターに近寄った。
しえみはどうやらグリーンマンに何かを指示していたところだったようだ。
「こんにちは、おじゃましてすみません」
「ううん大丈夫!ごめんね、変なとこ見られちゃって」
グリーンマンは手を上に上げて何かを出そうとしているところだったようだ。
しえみはごめんねニーちゃんと、使い魔に声をかけていた。
何を呼び出そうとしたのだろうか。雪男は質問した。
見れば周囲にはいくつかの花が散らばっている。何回か試している様子が伺えた。
「今日は母の日だから、お母さんにブーケをあげようと思って。ニーちゃんに出して貰ってたの」
しえみは照れくさそうに話した。町の中に花があふれていた様子を思い出す。
そうか。今日は母の日だったのか。
雪男には母親と過ごした思い出はない。
自分達が生まれてすぐに亡くなってしまったらしいので、詳しくは知らない。
神父も自分達の母の話は進んではしてくれなかった。
神父が亡くなった今、過去の話を知る人物はメフィストくらいしかしないだろう。
しかし、メフィスト程信用できない男はいない。
今も燐を使って何かの計画を立てているだろう悪魔は、自分の邪魔をする者に対して容赦がない。
自分が利用しようと思っている間は燐を守るだろう。だがその後は。
もしも利用価値がないと判断された場合、燐は真っ先に処分されてしまうかもしれない。
それを下すのが騎士團か。メフィストかの違いだけ。
だから雪男は燐を守るためにもっと状況を知らなければならない。
今何が起きているのか。それを把握してその裏をかかなければ。
雪男自身のことも燐自身のことも守れない。
「雪ちゃん・・・?」
しえみに話しかけられて、雪男は自分の世界に入り込んでいたことを悟った。
以前二人で勉強をしていた時もしてしまっていた。しえみは不安そうな顔で雪男のことを伺っている。
こんなことでは駄目だ。なんでもないようにしていないといけない。
人に、不穏な気配を悟られるわけにはいかないのだ。
「すみません、考え事をしていました。
母の日って、他にどんなものあげているのかな。と」
雪男は場を誤魔化すために適当な嘘を述べた。こうして人は嘘を重ねていくのかもしれない。
例えそれが他愛のないものだったとしても。
雪男の言葉でしえみの表情が一変する。
普通はカーネーションなんだけど、お母さんにはカスミソウを使ったお花をあげようと思って。
しえみは花のことを雪男に説明していく。雪男はしえみの様子にほっとした。
そしてしえみは思いついたように手を叩いた。
「雪ちゃんは何をあげるの」
雪男はしえみの提案に首をかしげた。おかしい。雪男には母親がいないことは説明してあるはずである。
しえみは生き生きとした顔で雪男に告げた。
「燐になにかあげるんでしょう?」
「え、なんで兄さんにあげるんですか」
「雪ちゃんは燐のお兄さんみたいだけど、燐は雪ちゃんのお母さんみたいだから」
「えええええ!?」
なんであの兄が僕の母親役なのだ。
雪男はすぐさま否定したい気分だったが、しえみの次の言葉で押し黙るしかなかった。
「燐言ってたよ。雪ちゃんは燐のごはん食べて大きくなったって」
「それは・・・否定しませんけど」
そうだ。修道院時代、燐がごはん当番だった時はいつも雪男の求めるものを丁度良い時間に出してくれた。
いつもそうだった。雪男が夜勉強をしているとそっと机の傍におにぎりを置いてくれていた。
おにぎりの中身は雪男の好きな魚を使った具材で。朝にはお腹にやさしいお味噌汁を作ってくれていた。
寮ではお昼にとお弁当を持たせてくれるし、仕事で任務から帰った晩には夜食にラップがかけて置いてある。
そして、朝には綺麗に洗濯してアイロンがかけられた祓魔師のコートがかけられている。
そこまで思って、ふと思った。
そうだ。以前兄に問われたことがある。
遅くなるなら連絡くらいしろよ。こっちはご飯いるのかとか色々あるんだから。
そう質問されて。自分は何と答えただろうか。
すみません、お母さん。
そう、そう答えたはず。
兄には俺だってお母さん欲しいわ。と言い返された。なんということだろう。
無意識のうちに兄をお母さん扱いしていた。だと。
自分の口から出た言葉のはずなのに信じられない。
さも当然のように兄のご飯を食べてきたけれど。他の兄弟は違うらしい。
志摩君が言っていた。俺もこんな美味しいごはん作れるお兄ちゃん欲しい。と。
以上のことから考えると、兄である奥村燐は弟である奥村雪男のお母さん役までしていることになる。
「だから、母の日にプレゼント・・・いやいやいや」
「いいと思うよ。燐きっと喜ぶよ」
しえみは奥村兄弟の不仲を心配していた。
ここで距離を縮めておけばきっと安心なはずだ。しえみはあと一息と雪男の背中を押した。
「私の作ってたブーケあげるから」
「でもそれはしえみさんがおかみさんに」
「いいの。私はニーちゃんに出してもらえばまた作れるんだから。ね?」
強引に雪男にブーケを渡すと雪男は半笑の顔になった。
たぶん断る言葉を探しているのだろうが、そうはさせない。
しえみはぐいぐいと雪男の背中を押して店の外に出した。
持って帰って貰えばこっちのものである。雪男も諦めたようで少しだけ会釈した。
「ありがとうございます、しえみさん」
「それは、帰ってから燐に言ってあげてね」
しえみは手を振って扉を閉めた。見れば、外はもう夕暮れだ。下に見える民家から夕餉の支度だろうか。
白い煙が上がってきている。家に帰れば温かいご飯が待っている。
雪男はブーケを見た。いいにおいがする。やさしい色合いの花達。兄はきっと気に入ってくれるだろう。
雪男が寮へ続くカギを扉に差そうとしたところで、携帯が着信を告げた。
それは騎士團からの緊急の呼び出しだった。急いで出て詳細を聞けば、
腐属性の悪魔が押し寄せてまずい事態になっているようだった。
雪男は急いで向かいます。と叫んで鍵を扉に差してドアを開けた。
扉を開けた瞬間に出てきたのは紫色の瘴気だった。
雪男はすぐに簡易マスクをつけて対応する。その時にふと気づいた。自分の手に持っていたもの。
それは瘴気でぐずぐずに腐って、腐臭を放っていた。しまった。と思っても後の祭りである。
あれだけ綺麗だった花束をこんな短時間で腐らせてしまうとは。
雪男は自分の行動を悔いた。燐にプレゼントをあげる気は最初はなかった雪男だが、
いざあげようとしたところでそれが無くなってしまうとはそれはそれで大変ショックである。
しえみからは後日燐の様子はどうだったかなど聞かれるだろう。
ぐるぐると思い悩んで、雪男は瘴気の満ちた空間に足を踏み入れた。
扉は閉める。そして足元にそっと腐った花束を置いた。しえみには後日謝ることにしよう。
それよりも今はプレゼントを台無しにされた代償を悪魔に払わせなければ。
雪男は銃を構えた。弾は十分。撃って撃って撃ちまくれ。
「一匹残らず、駆逐してやる!!」
雪男は駆けだした。目にはある種の狂気が宿っていた。
***
やっとのことで任務を終わらせたが、それは夜になってからのことだ。
辺りは暗く、開いている店ももうほとんどない。
花屋やプレゼントを扱うギフトショップも店じまいをしてしまっている。
雪男は夜の町をかけた。なんとかあの花束の代わりになるものはないだろうか。
行けども行けども、夜の町はしいんと静まり返っている。
雪男は立ち止って、考えて。いい案もなくて、とぼとぼと歩きだす。
「・・・何やってんだろ、僕」
せっかく背中を押されてプレゼントあげようと思ったのに。台無しにされて。
代わりの物を用意しようと思っても、店は全部閉まっている。
俯いて歩いていると、小さな商店が店じまいをしているところだった。
そのカウンターの上に置いてあるものを見て、雪男は思わず声をかけた。
***
扉を開ける音がして、燐は振り返った。今日ばかりは一言言ってやらなければ気が済まない。
遅い弟の帰りに声を大にして言ってやった。
「遅くなるときは連絡くらいしろ!!」
雪男は何も言わずに、扉を閉めた。一瞬の静寂が部屋を占める。
何も言わない雪男が変だ。と燐は思った。いつもならハイハイとかの適当な返事はあるのに。
訝しげに見ていると、雪男が手に持っていた物を燐に差し出した。
「はい」
「はい・・・ってこれなに?」
見ればラッピングされたお茶のセットだった。かわいらしい包みである。
モテる雪男のことだから、どこかの女の子に貰ったのだろうか。
首を傾げていると、顔を真っ赤にした雪男に言われた。
「母の日、だから。いつも・・・あ、ありがとう。ごはん、とか」
ものすごい小声で言われたけれど、燐の耳はちゃんと聞き取っていた。
この時ばかりは悪魔の聴力に感謝した。
あの、仏頂面の弟が感謝の言葉を口にするなんて。
この先の人生にあるかわからない奇跡的な一言である。
兄である自分に母の日にプレゼントという意味のわからなさはこの際無視である。
弟が感謝の言葉を口にしてくれただけで兄はうれしかった。
雪男はプレゼントが簡単なものでごめんねと謝った。
燐にしてみたら、プレゼントなどどんなものでもよかったのだ。
「ありがとな!」
兄の笑顔を見て、雪男は久しぶりに笑ったような気がした。
そして、二人で買ってきたお茶を飲もうということになった。
二人だけのゆっくりとした時間は最近取れていなかったように思う。
こんな日くらいはいいだろう。目の前には兄が入れてくれた二人分のお茶がある。
しえみの家に入った時に感じるようないいにおいがした。
雪男は何気なくお茶の種類は何だろう、と袋を手に取った。
そして青ざめた次の瞬間。
燐は血を吐いてその場に倒れ込んだ。
「に、兄さ――――ん!!!」
部屋の中は殺人事件が起こったかのような惨劇である。
雪男は倒れた兄に駆け寄った。ぜいぜいと苦しそうに息をしている。
雪男は急いで近くにあった水で何度も燐の口を漱いだ。
唇は血で赤く染まり、まるで紅を引いたかのように真っ赤である。
自分は口紅をプレゼントしたつもりはない、なんてブラックジョークだろうか。
気が付かなかった。お茶は、ハーブティーだったのだ。
母の日にちなんで売られていたようだが、まさかこんなことになるなんて。
ハーブは配合によっては悪魔を祓う力を持つ強力な薬草だ。
だからこそ悪魔薬学でも取り扱うし、しえみの家祓魔屋でも売られているのに。
自分の迂闊さを呪いながら、燐の背中をさすって必死に吐き出させようとした。
「兄さん!吐いて!今すぐ吐くんだ!!」
プレゼントを渡した張本人が言う言葉ではないが、一刻を争う。
それでも燐はぶんぶんと首を横に振った。手で口を塞いで抵抗している。
「おまえがくれたもの、だろ・・・しんでも、はかない」
ここは健気さを出すところではない。兄の様子にぐっと涙が出そうになるのを堪えて、
雪男は医工騎士としての顔で叫んだ。
「いいから吐けえええええええ!!!!」
母の日に、兄を駆逐し、血を吐かす
雪男はたくさんの後悔を抱えながら、指を思いっきり燐の口の中に突っ込んだ。
ワンコールの電話音の後に受話器を取る。
「はぁいこちら正十字騎士團お悩み相談室ですぅ☆」
声を聞いた途端に受話器の向こう側から電話を切られた。
聞こえてくるのは機械音だけ。メフィストはチッと舌打ちをして受話器を置く。
今日だけで何回目だろうか。メフィストはため息をつく。
騎士團の方から、一般人や学園の生徒が感じている不和を調べるようにとのお達しがあった。
虚無界の門が開きかけている今、一般の人々が感じている異変こそが
この世界に訪れている異常を教えてくれる。
確かに大事なことである。
そこでお悩み相談という形で騎士團の方も一般人に窓口を開いているというわけだ。
些細なことから重い悩みまで内容を問わない相談を受け付けている。
普通なら部下である祓魔師に振っているのだが、悪魔であるメフィストにとって人の悩みは蜜の味。
どんな美味しい相談があるのかと意気揚々と電話に出てみたものの、メフィストの第一声が信用できないのか
電話を切られてしまう始末。おもしろくない。とメフィストは舌打ちをする。
電話口でも警戒すべき相手をわかっている辺り人間は侮れない。
それならばとメフィストは電話機を操作した。一般回線から、学生向けの相談室へと回線を移動させる。
いたいけな少年少女ならば、世間を知って警戒心を持っている大人よりも素直に悩みを相談してくれるだろう。
そう、少年少女の悩み程いじりがいのあるおもしろいものはない。
彼らの世代についた傷はその後の人間の人格形成に深く関わってくる。
深く傷つけるのもよし。放置するのもよし。
膿んだ状態にして一生消えない傷を残すのもよし。
ああ胸が高鳴るじゃないか。
メフィストはうきうきしながら電話が鳴るのを待った。
そのまま待っていると、程なくして着信を告げる音が鳴る。メフィストは電話を取った。
「はい、こちら正十字学園お悩み相談室です」
声色を変化させて努めて優しそうな声で出る。それだけで学生は安心して話し出すだろう。
ここでは匿名の相談を受け付けているので、名前を問いただす必要もない。
電話口の相手は少し躊躇してから、ぼそぼそと話し始めた。
『友達のことで・・・相談が』
「ええ、どんなことでもいいですよ。おっしゃってください」
『俺、友達のハンカチを。その。返しそびれてもうて』
話を聞いていると友達の落としたハンカチを教室で拾ったらしい。
返そうと思ったけれどタイミングを逃して返しそびれてしまったそうだ。
後で返そうとしているうちに、ハンカチを無くしたという話を相手の友達から聞いた。
そのハンカチはプレゼントでもらった大事なものだったらしい。
『そこで返せばよかったのに・・・返せなかったんですわ』
「なるほどなるほど」
つまり、この相談者は友達と呼ばれる子に少なからず想いを向けていたわけだ。
そこで別の男からもらったというハンカチを、大事なプレゼントだったと知って返したくなくなったと。
かわいらしい嫉妬心ではないか。メフィストはにやりと笑った。
「貴方はどうしたいと思っていますか」
『返そう、って思います。でも言いだしにくくて』
「本当に?本当に貴方はそう思っているのですか?」
メフィストは察していた。この電話口の相手は本気でそう思ってはいないと。
相手の本心を突く質問に、電話口の相手は口ごもる。メフィストは追い打ちをかけた。
「想い人の持ち物を手に入れて、貴方は何も感じなかったと言えますか。
大丈夫ここには守秘義務がありますから誰にもバレることはありませんよ」
悪魔の言葉をささやいて、相手の言葉を待った。
しばらくしてから、相手は口を開いた。
『興奮したんです』
少なからず想っている相手の持ち物が手に入って、この年頃の男が何もしないと言えるだろうか。
大事な人からもらったというプレゼント。自分以外の男から貰った持ち物。
想い人はそのハンカチを日常生活で使っている。
トイレに行って手を洗った後に。食後に口元を拭うために。汗をかいたらその汗を拭ったりもするだろう。
そうだ。その布には想い人の使用した形跡がある。自分の知らないところで使われているハンカチ。
それを手に入れたこの相談者は、ハンカチを汚す行為に至るまでそう時間はかからなかったはずだ。
想い人が使った痕跡を想像して、興奮した。することは一つだろう。
「なるほど、貴方はそれで罪悪感を感じたと?」
『どうしようもないくらいに』
想い人を思っているのに、自分がした行為は即物的かつ想い人を汚す行為だ。
やってはいけないことである。そこで相談室に駆け込んでしまったというわけか。
メフィストは笑った。そして再度問いかける。
「本当にそう思っているのですか?」
興奮した末に感じた罪悪感。罪悪感を感じたのは本当だ。でも、その罪悪感の先に感じたものがあったはず。
それを否定するのかとメフィストは問うている。
普通の人間ならば否定するそれを、メフィストは否定しない。
心の扉を開けるのだ。そうすれば人はもっと自由になれる。
電話口の相手が息を飲むのがわかる。しばらく無言の後、相手は答えた。
『あの子を汚して、あかん悦びに目覚めました』
メフィストは拳を握りしめた。
これだ。この若者の次の扉を開くこと。ああ教育者としての喜びにメフィストは浸る。
世間一般的には好きな子のハンカチ盗んで自慰に耽った行為は褒められるべきではない。
だがメフィストだけは褒めよう。なぜなら彼は悪魔だから。
人としての足を踏み外した生徒を褒めないわけにはいかない。
「すばらしい!貴方の今後に期待します!」
『なんか、あかんことしたのに褒められるのって不思議ですわ』
「いいんですよ。思春期にはよくあることです。気にしないことです」
電話口の相手は悩みが解消されたようで晴れやかな声だった。
方法としては完全に間違っているが、一人の悩める青少年を救ったのは事実である。
あとは彼が人としての道を完全に踏み外さないことを祈るばかりであるが、こればっかりは誰にもわからない。
メフィストに一言のお礼を言うと相手は電話を切った。
きっと彼はハンカチを返すことはしないだろう。
それどころか電話を切った今この瞬間にもハンカチを手にとって。
想像するだけで胸が高鳴るじゃないか。
メフィストはテンションが上がったまま、次の電話に出た。
『祓魔塾で、ゆ・・・弟に貰ったハンカチ無くしたんです。
大事にしてたのに。一体どこに行ったのか』
メフィストはしばしの無言の後、紛失物相談窓口の電話番号を伝えた。
そして、きっとそのハンカチは必要な人の元に行ったんですよ。と一応のフォローを入れておいた。
電話を切って、メフィストは自身の末の弟の行く末を案じた。
彼を脅して手に入れた自分が言うのもなんだが。
弟である雪男に邪魔されたあげくに別れ話を持ちかけられた時は非常に焦ったものだ。
その後話をうやむやにして以降、燐と関係を持つことは中断しているが諦めてはいない。
燐はそういう関係にはなれないとメフィストに詰め寄ったが、燐の意志などそもそも関係ないのである。
自分の欲をぶつけることになんの躊躇もない悪魔にとって、燐の抵抗など愛玩動物の甘噛みのようなもの。
次は旧男子寮にでも進入して、燐のベッドにだけ結界を張ろう。
どんなに暴れても外に音が漏れることはないし、声が聞こえることもない。
狭いベッドの中で押さえつけ、寝ている弟の目の前で思い知らせるのもいいかもしれない。
うきうきしていると、次の電話が鳴った。
時計を見ればそろそろ相談窓口も終わりの時間。これで最後だろう。
終わったら早速今夜の進入計画でも立てるとしよう。
今度の相手は高校生という年頃にしては珍しい極めて落ち着いた声色だった。
『家族に渡したプレゼントのハンカチがあったんですけど、
大事にしていたのに無くしたって言われて探してたんです』
メフィストは諦めて、代わりのものでも贈ったらどうですか。と相手に勧めた。
そのハンカチは間違いなく帰ってこない。そう策略を巡らせたのはメフィストだったからだ。
相談者は少しの間無言になって、言葉を発した。
『見つかったんですけど、他の人が持ってたものをもう一回渡すのもあれかなって思ったんで。
処分しちゃったんですよね』
メフィストはその声色にぞっとした。とても冷静だ。怖いくらいに。
そして先ほどの相談者の安否が気になった。
まさか殺してはないだろうが、陰惨な目には遭っているだろう。
自分のした行為の責任は取らないといけないが、彼は一時の思春期の性衝動に従っただけである。
それを断罪するなどあってはならないことだ。
処分。恐ろしい言葉だ。ハンカチではなく、持ってた者を処分したのではないのか。
メフィストは落ち着いて相談者に対応した。
「では新しいものをあげるつもりなのでしょう。それでいいじゃないですか」
『ええ、どんなプレゼントがいいかなと思いまして』
「欲しい物をあげればいいのではないですか。きっと喜びますよ」
『そうですね、それがいい』
相談の決着はつきそうだった。今日は早々に退散することにしよう。
そう決めたところで、電話にノイズが走り始めた。電波が悪いのだろうか。
相手は固定の電話機ではなく携帯からかけているらしい。周囲の雑踏の音もよく聞こえてくる。
『プレゼントをあげた家族なんですけど、最近よく眠れないらしんです』
どうしてですか。とはメフィストは聞かなかった。理由はよくわかった。
その家族は男と関係を持ったことで脳裏にフラッシュバックが起きるのだろう。
夢でうなされているのだ。自分の体を暴かれた行為を何度も何度も思い知る。
そうメフィストがし向けたからだ。
電話の雑音が急になくなった。
『だから、安心して眠れる夜をあげたいって思うんですよね』
メフィストは電話から聞こえて来た声で席を立った。
「今、どこにいるんですか」
わかりきったことだが、それでも聞いた。
「貴方の、後ろに」
電話口の声がそのまま背後から二重音声で聞こえてくる。
メフィストの指が鳴るのと、銃弾が発射される瞬間は同時だった。
相談窓口の終了のチャイムが鳴り響く。
戦いの火蓋は切って落とされた。