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CAPCOON7

青祓のネタ庫

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十二月二十七日の十一時



なんという理不尽だろうか。

雪男は落ち込みながら、寒い道をとぼとぼと歩いていた。
本当なら、今日は祓魔師の仕事はなかったはずなのだ。
祓魔師は人手不足とはいえ、休日や有給が認められていないわけではない。
立派な職業のひとつであるわけなので、休日がなければ労働基準法に引っかかってしまう。
ただ、労基局に駆け込んだとしても「悪魔の退治に追われて休日が取れません」という祓魔師の
切実な願いが届くかどうかはわからないが。
労基局の人間にも祓魔師のOBを入れるべきだという意見が多少あるのも仕方ないのかもしれない。
普通の人に悪魔は見えないのだから。
ああ悔しい。雪男はため息をついた。

今日は雪男と燐の誕生日だった。
塾が終わった後に、塾生たちとささやかなパーティをすることはできた。
そして寮に戻れば兄の手料理が待っていたはずだったのだ。
雪男の好物と燐の好物が入り交じり、燐が前日から一生懸命に作ってくれたケーキもあった。

寮に戻る前に、雪男のケータイに悪魔から連絡が入った。

「奥村先生☆仕事ができました☆」

それはもう必死に断った。今日くらい休みたかった。
クリスマスも働かされて、年末年始も残業三昧。やっととれた休みを死守したかった。
でも、雪男の称号は医工騎士である。人命が掛かっていると言われてしまえばそれまでだ。
恐る恐る燐に問えば、燐は笑って送り出してくれた。

おう、いいぞ行って来いよ。待ってるからな。
うん、早く帰るからね。

兄弟が交わす会話ではないのだが、燐は雪男の胃袋を握っているので仕方ない。
雪男は急いで仕事場に向かった。
すると、そこには夫婦喧嘩の修羅場があった。
夫の仕事中に、悪魔に取り憑かれた間男が妻を誘惑したらしい。
妻は揺れる心を抑えながらも、クリスマスにも年末にも毎年帰ってこない夫に寂しさを覚えていた。

奥さん、いいじゃないですか。どうぜ旦那は今日も帰ってきませんぜ。
ああ、駄目です水道屋さん。私はそんな不義理は果たせません。
今ここにいない旦那さんよりも、私は貴女に甘い言葉もやさしい誘惑もかけて
あげることができますよ。さぁ。私の元に堕ちて来て下さい。
ああ、だめです!

どこのAVだ。と志摩がいたなら言っただろう。
そして、志摩が医工騎士の資格を持っていたなら意気揚揚として行っただろう。
世の中には適材適所という言葉がある。
間違いなく、今回は雪男に向いていないタイプの仕事だった。
雪男は夫と妻と悪魔の間に立って狂乱を阻止するという
十五歳にはきつい仕事をこなしてきたのだ。これ、そもそも高校生に振っていい仕事じゃない。
旦那が呟いていた言葉が、耳に残る。
寂しい想いをさせているって、気づかなかった僕も悪かったのかもしれない。
その言葉を聞いた雪男は、どきりと心臓がはねた。
脳裏に浮かんだのは、クロと二人で寮の一室でぽつんと待っている燐の姿。
その背後に忍び寄る、ピンク色の悪魔。

「今日奥村先生は帰ってきませんよ、さみしいでしょう。
さあ私の屋敷で楽しく過ごしませんか奥村君。メインデッシュは君だ」
「メインデッシュ?俺は食べられねーぞ」
「悪魔には色々な楽しみ方があるのですよ、フフフ」

想像してぞっとする。
メフィストならやりかねないのがまた怖い。
自然と早足になって、最後の方は全力疾走だった。
寮の前について、上を見上げる。今にも雪が降りそうな空だ。
部屋の明かりはついていた。
そして、食堂の方にも。雪男はほっとして、扉を開けた。
ガラスが割れる音が響く。誰かが争う音が聞こえてきた。
食堂に近づくにつれて、音は大きくなっていった。

メフィストッ!やめろって言ってんだろ!

燐の声が聞こえてきて、雪男は確信した。
誕生日の日に、間男が紛れ込んでいる。悪魔なので、魔男と言ってもいいかもしれない。
いや、悪魔だから悪魔男か。とにかく大変である。
疲れた頭を抱えて、雪男は食堂に飛び込んだ。そこには。

「やー!!いぬがおれのごはんたべたああ!」
「うるさい猫又ですね!いいじゃないですかちょっとくらい!」
「また作ってやるから喧嘩はやめろよ!」

そこには、エプロン姿の燐の下でわんわん、にゃんにゃん言い争う動物の姿があった。
燐は雪男の姿に気づいて、ぱっと明るい顔になる。

「よう、おかえり!」
「ただいま、何事?」
「メフィストが来てさー、雪男いないなら一緒に屋敷行こうって言われたんだけど。
俺断ってたんだ。そしたらメフィストが用意してたごはん摘み食いして・・・」

言われた言葉にぞっとした。あと一歩帰るのが遅かったら雪男の想像が現実のものに
なっていたかもしれない。間男の退治には、寂しさを紛らわすペットがいいのかもしれない。
クロには後でマタタビ酒を献上しなければならない。

「クロ、よくやった・・・」
「ほら。皆席に着け―!喧嘩は終わりー」

雪男と燐は席に着いた。
雪男の膝の上には、クロが。燐の膝の上にはメフィストが座った。
何故当然のようにメフィストがいるのかがわからない。

「後見人が、子供の誕生日を祝ってはいけない決まりはありませんよ」
「ごはん食べたいだけじゃないんですか」
「そうとも言います」

燐は笑って、まぁいいじゃん。と言っているので雪男はもう何も言わないことにした。
兄の姿がとても、嬉しそうだったからだ。やはり寂しい想いはさせていたのだろう。
その主悪の根源はメフィストなのだから、後でとびきりの嫌がらせはさせてもらおうと思う。

「ぎりぎりになったけど、雪男誕生日おめでとう!」
「兄さんも、誕生日おめでとう」

ジュースで乾杯をして、家族で遅い誕生日会を開いた十二月二十七日の十一時。
外には、細かい雪が降り始めていた。

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荊の死

※若干小説版のネタバレ有り。注意です。


兄さんは大丈夫だよ。
雪男は燐に話しかける。
燐は少し笑って答えた。
お前が言うなら大丈夫だよな。

僕は、嘘をついている。

燐の体に巻き付く茨は、メフィストの処置のおかげか当初のような成長はみせなかった。
だが、収まったわけではない。日々確実に成長している。
根本的な問題は何一つ解決していなかった。
雪男は桶とタオルを持って部屋の扉を開けた。燐はベッドの脇に座っている。
足には茨が巻き付いていた。茨が足の甲にまで及ぶころには、燐は歩けなくなっていた。

最初は動かなくなった片足を引きずって動いていたのだが、
雪男が出かけている時に階段で足を踏み外してしまったらしい。
廊下で倒れている燐を見つけた時、雪男は心臓が止まるかと思った。
それ以来、燐は雪男に介助してもらうようにしている。
燐は怪我をしてもすぐに治るので大丈夫だったのだが、
燐が怪我をした時の雪男の表情を見ていられなかったのだ。
燐の足にあるいびつな茨を、雪男はタオルで拭いて消していった。

「勝呂はうまいのにな」
「言わないでよ、僕だってわかってる」

軽口をたたきながら、燐の足に巻き付いている茨を雪男は筆でなぞった。
メフィストから渡された、青いインクで茨をなぞる。これは、茨を押さえるための処置の一つだった。

「次、背中みせて」
「うん」

燐は背を向けた。雪男は燐の肩にかかっている着物の羽織を下に落とす。
肩から、白い背中が見える。タオルを桶に浸して、背中を拭いて。
そして青いインクを燐の背中に乗せる。筆が動く度に、燐の体がぴくりと動いた。

「くすぐってぇ」
「我慢して」

燐の腰を押さえて、筆を滑らせる手を止めない。背中にも、茨は遠慮なく巻き付いている。
白い背中に青いインクで描かれた茨が浮いている。
腰まで落とされた青い着物、そして白い皺の入ったシーツ。
どこか情緒的な光景だった。雪男は燐の体をベッドへ転がした。
片方の足を上げさせる。それは燐が嫌がる体勢だった。

「あだだ!体痛ぇ!」
「兄さんストレッチくらいしたら」

燐の内太股にある茨にも筆を滑らせる。
付け根の方にまで渡るので、ぎりぎりのラインを描かなければならない。
燐は恥ずかしそうにしている。当たり前だろう。

「勝呂君にやってもらう?」

雪男は軽口を叩いた。燐は足を動かして雪男の頭をぱしっと叩く。

「恥ずかしいだろうが」
「だよね」

許されているのは、雪男が身内だからだろう。
友達に世話して貰うのははやり気恥ずかしいものがあるようだ。
燐が倒れてから、燐は学校に行っていない。
メフィストの計らいで休養中ということになっている。
雪男は最低限出席に引っかからない程度に学校に行っているが、
基本的には燐の介護を中心に生活していた。

茨はいつか、兄を殺す。

それを放っておいて、自分だけが日常を過ごすことに雪男は耐えられなかった。
当初燐は大丈夫だから学校に行けと雪男を説得したが、
廊下で倒れていたことが引き金になったようだ。

兄弟は、今二人だけで閉鎖した日常を過ごしている。

朝、雪男は燐を起こす。燐の眠りは深くなってきており、自分では起きられなくなってきているから。
起こす前に雪男が燐の呼吸を確認していることを、燐は知らない。
雪男は燐を起こすと、下の食堂に連れて行く。
雪男の作った味噌汁や刻んだ野菜を最終的に燐が仕上げるためだ。
雪男は自分で作ったものをあまり食べようとしなかった。
燐のおいしい料理に舌が慣れているせいか、自分の作る料理に納得がいかないらしい。
燐は自分が作ると言ったが、包丁を力の入らない手で持つことは危ない。
二人が相談してできた妥協がこれだった。

「おい、野菜はもうちょっと同じ大きさに切れよ」
「そうなるとにんじんの下の方に合わせて切るの?あれ小指の関節くらいしかないじゃないか」
「お前融通きかねぇなぁ」

燐はあきらめた。野菜を切ってくれているだけでありがたい。
味付けと煮込みを終わらせて、スープを作った。
それを雪男が取り分けて、二人で食堂で食事をする。
あたたかいスープは、二人の不安を溶かすようだった。
食事が終わると、雪男は燐を部屋に連れていく。
途中トイレに行きたければ、トイレの個室まで燐を連れていった。
お風呂もそうだ。燐を湯船に浸すのも、体を洗うのも、全て雪男がしていた。
雪男の視界に燐が入らない日はない。
二人だけで完結している世界。
ベッドに下ろされた燐は、言った。

「お前、窮屈じゃないのか?」

雪男は答える。

「大丈夫だよ」

雪男は自分の心に潜んでいた欲望を自覚していた。でも口には出さない。
燐はそうか、と返すだけだった。

雪男は今度は、前の方を見せてと燐に言ってきた。
燐は羽織をはだけさせて、上半身をさらけ出す。弟は燐の体を指でなぞると、また青いインクでなぞった。
上半身にも茨は巻き付いている。
でも、不思議と心臓の方には茨はいっていなかった。

「フェレス卿のおかげだね」

メフィストの処置が効いているのだろう、と雪男は言う。
燐はその言葉を聞いて、なぜだか眠くなってきた。
燐がうとうとしていることに気づいたのか、雪男は眠るように促した。

「寝なよ」
「さっき起きたのに・・・」
「気にしないで」

燐は目を閉じる。雪男は笑っていた。眠りに落ちる燐は雪男に言えなかった。
お前、嘘つくの下手だな、と。

***

それからの燐の記憶は曖昧だった。
起きて雪男と話して、また寝る。そうして繰り返す内に幾日過ぎたのかもわからなくなったしまった。
雪男は笑って燐に大丈夫だと言う。インクでなぞられた茨は燐の心臓まで届いていない。
でも眠りは確実に燐を蝕んでいた。

ある夜、燐は目が覚めた。自分で目覚めるのは珍しい。
自分の心臓に手を当てる。とくん、とくん、と鼓動が聞こえた。
メフィストの言葉を思い出した。

『心臓と尻尾は、悪魔の急所です。奪われれば確実な死が訪れる』

燐は薄々気がついていた。
自分の心臓の音を確かめる。
燐が起きていることに気づいたのか、向かいで寝ていた雪男も起きた。

「兄さん、どうしたの」

燐は着物を肌蹴させて笑った。

「なぁ、月を見に行こうぜ」

雪男は燐を抱えて屋上への階段を上がった。
燐が自主的に起きたことで雪男は何か勘付いたらしい、眠そうに眼をこすりながらも嫌とは言わなかった。
毛布を一枚だけ持ってきている。それにくるんでいるので、燐は寒くないだろう。
屋上への扉を開けた。夜の静かな、それでいて刺すような冷たい風が二人を包んだ。
雪男は燐を屋上へと下した。燐は雪男の腕を掴んで支えて貰いながら、ぺたぺたと歩いている。
マントのように羽織っていた毛布を、雪男にもかける。
二人で毛布にくるまった。

「あったかいだろ?」
「そうだね」

二人でぬくもりのある毛布を分け合う。空には青い月が上っていた。
燐の身に宿る、青い焔のような光だった。

燐は、荊に取り憑かれていると分かった時、何度か焔を身に纏ったことがあった。
寄生型の悪魔に取り憑かれた時に、燃やすことができたからだった。
でも、その選択は間違いだった。
焔を使った瞬間に、燐の体にはすさまじい勢いで荊が巻き付いた。
寄生型は、宿主の力を吸い取って成長している。焔を糧にして、荊は燐の体を蝕んだ。
雪男は燐を必死に止めた。

やめて、お願いだ。焔を使わないで。

弟の必死な様子に、燐も焔を使うことをやめた。
焔が使えなければ、燐は祓魔の授業に出ることもできない。
実質、燐は日常生活を送ることも、祓魔の世界で生きることも止めさせられてしまっていた。
そして、燐は気づいた。
二人でくるまっていた毛布から一人出て、青い月を背にして雪男の前に立つ。
羽織を肌蹴させた。

「わかってんだろ、雪男」

燐の胸、心臓の方には荊は描かれていない。悪魔である燐には荊の姿を見ることができない。
見えるのは、人間である雪男だけだ。
だから、弟が描いた青いインクだけが自分の体に何が起こっているかを理解するための鍵だった。
でも、そうじゃなかった。
その証拠に雪男は泣きそうな顔をしている。

「荊は、もう俺の心臓まで届いてる」

燐には見えない鼓動が聞こえた。自分とは違う何かがそこにいる感覚。
雪男には見えている。燐の心臓の上に咲こうとしている、青い蕾があることを。
それは大輪の薔薇を咲かせるであろうことは予測できた。

もう、全部手遅れだったのだ。

「ごめん、兄さんに嘘をついた」

雪男は燐に話しかける。大丈夫だよ、とついた嘘。
そうであって欲しかった。
雪男が呟いた嘘は、そのまま雪男の願望でもあったのだ。
燐は少し笑って答えた。

「俺は死なねーよ」

雪男は俯いた。薔薇は、青い光に包まれている。
もう咲こうとしている。

「嘘つかないでよ」
「俺お前に嘘ついたことなんかねーよ」
「昔、僕におじや食べさせてくれた時、神父さんが作ったって嘘ついたじゃないか」
「う、あれは・・・」
「うん、やさしい嘘だったね。僕とは大違いだ」

雪男は今にも泣きそうだった。雪男の目元には大きな隈ができている。
きっと燐を助けようとして、調べ物をして、試して、探して、失敗して。
努力してくれていたのだ。
燐はその間眠っていたが、起きる度に変わる雪男の様子には気づいていた。

「ごめん、兄さん」
「謝るなよ」

燐はもう一度、強い声で言った。

「俺は、死なねーよ」

燐は青い焔に包まれた。雪男が駆け寄った。
燐がその場に倒れこむ。眠りに落ちていくような様子だった。
青い焔は徐々に収束していく。
雪男は腕の中に眠る燐を見つめた。穏やかな寝顔だった。

その胸には、青く光る薔薇が咲いていた。
触れればそっと温かく、青薔薇はそこに生きていた。

「嘘、つかないでよ」

雪男の目元から涙がこぼれて、薔薇に落ちる。

兄さんは、息をしていなかった。

メフィストの屈辱


さぁ撫でろ、と言わんばかりに毛玉が膝の上にいる。

いつもは猫又のクロの居場所なのだが、クロはお散歩に出かけている為、ここにはいない。
それを幸いとばかりにメフィストは我が物顔で燐の膝を占領していた。
もちろん、ピンクのテリアの姿である。
これがもし人型だったのなら、間違いなく蹴りとばしているのだが。
動物の形をしているものに暴力を振るう気にはなれない。
燐は基本的に優しい性格をしているのだ。
メフィストはそこにつけ込んでいる。

(邪魔だなぁ・・・)

さすがに口には出さなかったが、膝を占領されると身動きがとれない。
燐は考えた、今は休日とはいえやることはたくさんある。
平日にできなかった家事を自分がやらなければ、一体誰がやるというのだろう。
俺もお母さん欲しいわ。雪男と交代で家事をやっているとはいえ、メインで動いているのは燐だ。
雪男は働いているので帰宅時間も遅い。そうなれば燐がやるしかないのだ。
ここで時間を無駄にするわけにはいかない。燐は最終手段に出た。

メフィストの背中をそう、と撫でる。ピンクの背中がぞわぞわ、と動いた。
燐はその動きを見逃さなかった。よし、いける。燐の指が巧みに動いた。
背中をごしごし撫でてから、頭からしっぽの付け根まで揉みほぐすように手を動かす。
そのまましっぽの先まで指で擽ると、次は肉球だ。
足の指、爪の先まで広げてから肉球をぷにぷにと刺激する。
案の定、メフィストは膝の上で溶けていた。

「あああ~」

すさまじいマッサージ効果だ。メフィストは溶けきっている。
恍惚の表情である。燐は気を良くして、手の動きを続けた。

ここか、ここがええんか

志摩がエロ系のゲームをやっていた時によく呟いていた言葉を思い出す。
確か、指でこするとゲームの女の子の服がなくなっていくとかいうゲームだった。
志摩の恍惚とした表情を思い出して、なんともいえない気分だ。
いや、これは単に撫でているだけだから、変な意味はない。
でもメフィストはぺしょんと潰れているし、心なしか呼吸が荒い。
燐はイヤな予感がしていた。なにか、自分はやりすぎてしまったような気がする。

「っく、いつこんな手管を身につけたのですッ」
「てくだ?いや、いつもクロが撫でろって言ってくるから自然と・・・・」
「なんですって!?」

メフィストの首が、燐の方へ回る。燐はきょとんとした顔をしているが、それを許すメフィストではない。
おのれ猫又め。こんな喜び、いや楽しみを見いだしていたとは。
しかし今回気持ちよく撫でてもらったとはいえ、クロの二番煎じのような気分で屈辱的だ。
メフィストの頭の中では、クロと燐のスキンシップが性行為にまでレベルアップしていた。

事実は只のマッサージなのに、思いこみとは恐ろしく激しいものである。
膝の上の不穏な空気を感じ取ったのか、燐はもう終わりだ。とメフィストの尻を叩いた。
クロにもやっているので、癖のようなものだった。
クロとの間ではこれが終わりの合図なのだ。しかし、メフィストはそんなこと知らない。
いきなり尻を叩かれて、ごろりと膝の上から転げ落ちてしまう。
痛みで変身が解けてしまうくらい驚いた。

「ぎゃ!」

床の上に転がるおっさんに、燐はテリアに向ける視線ではなく冷たい視線を向けた。
ああ、自分はこんな奴撫でてたのか、ちょっとイヤだな。

「俺家事やるからさっさと帰れよ」
「人の尻叩いておいてひどい言い草ですね!」
「変な言い方やめろよ!」

メフィストはなぜあんなに燐に触れられると気持ちがいいのか考えた。
もしかして、青い炎が原因ではないだろうか。青い炎は全ての悪魔の根源に通じるものだ。
いわば、悪魔にとっての命であり、悪魔にとっての力そのもの。
その青い炎がじんわり燐の手から伝わってきているのだと考えると。
気持ちがいいに決まっている。これは由々しき自体だ。
そんな高貴なものをほいほい使っているとは、燐はわかっているのだろうか。
いやわかっていない。そんなのあの猫又なんかに使わないで欲しい。
自分だけで独占したい。
メフィストのクロへの許せない気持ちが、不幸なことに燐へと向かってしまった。

「人の尻を叩くわ、炎を安く使うわ!貴方は少し反省すべきですね!」
「え?」

メフィストは人差し指を燐へと向けて。いつものスリーカウントを唱えた。

「アインス・ツヴァイ・ドライ!」

ぼふん、と燐が煙に包まれる。どんな変な格好になっているのか。
燐は恐る恐る自分の姿を確認した。しかし、別に何かが変わった訳ではないようだ。
燐は目の前に立ってニヤニヤ笑っているメフィストに向かって殴りかかった。

「なにすんだよ!」

殴りかかった燐の手が、メフィストによって止められる。
メフィストの手のひらに吸い込まれた拳は。ぱし、という乾いた音を部屋に響かせた。
そこで燐はいつもと違う感触に気づく。あれ、おかしくないか。
燐は違和感を感じながらも、もう片方の手で殴りかかった。
その手もメフィストに捕まれてしまう。両手をぐい、と頭上にあげられて足が浮く。
ばたばたと足を振るが、抵抗ができない。

おかしい。いつもならもう少しくらい抵抗できるのに。
自分に起こった変化についていけない燐に、メフィストが答えを呟いた。

「ふふふ、力が出ないでしょう?貴方の悪魔としての力を封じました。
今日一日、貴方は只の人間です」
「はぁ?なんでそんなこと」

きっかけはクロに嫉妬したからです。
とは言えないのでもっともらしいことをメフィストは口にする。

「貴方は悪魔としての力に頼りすぎですし、炎を垂れ流し過ぎです。
一日くらい力に頼らず生きてみなさい!」
「俺はそんなことしてねぇよ!」
「自覚は大事ですよ奥村君」

ぽい、とメフィストに軽々と投げられ、ベッドに転がされた。
メフィストにのし掛かられて、燐は身を竦ませる。
炎を出そうとしても、出せなかったからだ。
いつもなら力でどうにでも退かせるのに、今はできない。
メフィストは燐の首筋を舌でなぞった。

「わかりました?人間が脆弱な力しか持ち合わせていないことが」
「うる・・・せぇ!!」

腹を蹴りとばす。メフィストは燐のささやかな抵抗をものともせずにそこにいる。
まるで飼っているペットとじゃれあっている、くらいのレベルにしか見ていないのだ。
燐は、少しの恐怖を覚えた。瞳に怯えが写る。
それをメフィストは愛おしそうに見つめていた。
燐に思い知らせることができたと思ったのだろう、メフィストは燐の上から退いた。

「では、良い一日を」

メフィストは煙のように消えていった。
燐は急いで起きあがると、メフィストに舐められたところを拭き取った。

今日一日、燐はただの人間であるらしい。
さわって確認すると、しっぽもなくなっていた。耳も尖っていない。
完全に人間であった時のようになっている。
一応、十四歳までは人間として過ごしてきたのだから、別段変化はないだろう。
燐は単純に考えていた。

「気を取り直して・・・家事するか!」

たまっている家事を消化すべく、燐は腕をまくった。
あんな変な悪魔のことなど忘れてしまおう。今日一日くらいなんとかなるさ。

***

「くっ・・・腕がいてぇ」

燐は大量の洗濯物を持って屋上に上がろうとして、挫折していた。
なんだこれ、いつもなら軽々階段上がれるのに。
洗濯籠二個を一階から屋上にまで持ってあがるのに、こんなに疲れるものなのか?

燐は階段の踊り場でぜいぜい息を切らしている。
普通の人間なら当たり前のことなのだが、体力宇宙の悪魔体質であった燐にそれがわかるはずもない。
今の燐の体は、平均的な男子高校生の体でしかないのだ。
不自由な体を抱えながら、燐はなんとか洗濯物を片づけた。
その後も、料理をしようとして鉄鍋が重くてふらふらになったり、買い物袋を倒しそうになったりした。

屈辱だ。燐は絶望感を抱えながら、部屋に引きこもっていた。
今日部屋から出なければ、問題は起きないだろうと思ってのことだった。
しかし、無情にも部屋に携帯の着信音が響く。

「え?任務・・・?」

志摩からの連絡に燐は一瞬行きたくない。と言いそうになった。
いや、だがここで逃げたらメフィストに言われた通り、
悪魔としての力に頼りすぎていたことを認めてしまうではないか。
ならば行くしかない。燐は倶利伽羅を持って立ち上がり、部屋を出た。

部屋の隅に、黒い陰が沸いていることには気づかなかった。

***

「奥村君、今人間ってほんま?」
「うん、マジっぽい」

待ち合わせ場所にいた志摩はまじまじと燐の姿を見た。
確かに耳も尖ってないし、しっぽもなくなっている。
出会った時には悪魔だったので、志摩にとっては新鮮な姿だった。
志摩は、思いついたように提案をした。

「奥村君、腕相撲しよう!」
「えー、いくら人間になったからってお前には負けねぇわ」
「ええから、ええから」

近くのベンチに腕を乗せて、勝負した。
結果、燐が負けた。

「うはははは!勝った!初めて奥村君に力で勝ったった!!」
「嘘だッ!」

もう一回やって、やっぱり負けた。燐は呆然としていた。
呆然としたまま、任務に取りかかると案の定失敗した。
現在、植物型の悪魔に宙ぶらりんに吊されている。
倶利伽羅も取られてしまったので抵抗の仕様もない。

「おーろーせー!!」

ばたばた動いていると、頬を銃弾がかすめた。ぴたりと動きを止める。
志摩が呼んだのだろう、雪男がライフルを構えているのが見えた。

おお弟よ、兄を撃つことなかれ。
兄ちゃんは今人間なので、撃たれたら死んでしまいます。

しかし、そこは雪男なので抜かりはなかった。
銃弾は悪魔の急所をずれることなく打ち抜いた。打ち抜いたことで悪魔は消える。
燐は落下した。このまま落ちれば骨折くらいはしそうだ。
身をすくませていると、暖かく自分を包む何かがあった。

「兄さん、大丈夫?」

落ちた燐は、雪男に抱き止められて難を逃れたようだった。
よかった、助かった。と思っていると雪男はそのまま歩きだしている。

「降ろせよ」
「志摩君から聞いたよ、兄さん今人間なんだってね」
「う・・・うん」
「じゃあ、僕の方が今力が上なのかなぁってね」
「なん・・・だとッ!?」

燐は雪男の腕から逃れようとしたが、できなかった。
そのまま笑いながら抱えられて抵抗の仕様もなかった。
雪男は体格が良く、燐よりも身長が高い。普通に考えれば燐よりは力は上のはずだ。
それが逆転したのはひとえに燐が悪魔としての力を持っていたからだった。

「兄さんは大人しくしてるといいよ、今日はずっと部屋にいてもいいからね」

雪男は生まれてから今までで一番いい笑顔をしていた。充実している。という顔だ。
今まで兄を守ろうとがんばってきたのに、それがうまくいかなかった。

その夢が叶っている。実にいい日だ。

雪男はそのまま笑いながら燐を六○二号室に監禁し、実にいい笑顔でまた仕事に向かっていった。
兄よりも勝り、兄を監禁したかった夢も叶い、雪男は最高の気分だったようだ。
もちろん、雪男の名誉のために言っておくと、監禁したのは燐の身の安全の為である。


燐は怒濤のような一日を体操座りで振り返った。


「俺、やっぱり悪魔として生きてたんだなぁ」


燐は優しい詠唱の仕方。という教科書を読みながら遠い目をしていた。
無くなってみると、いかにその力に頼っていたかがわかる。
それが普通になっていたからわからなかっただけなんだろう。
メフィストの言うとおりだったのかな。
落ち込んでいると、床に差している影が動いた。
窓の外の夕日が落ちている。今日が終わりそうだった。
床の影に視線を落とすと、影が不自然な動きをしていた。

「ん・・・?」

影から、手が出てきた。顔が覗いている。視線が合った。

「ワカ、ギミ・・・おいたわしい・・・お姿に・・・」
「ぎゃああああ!出た―――!!!」

アスタロトが腕を伸ばして、燐を影の中に引きずりこもうとする。
昼間に部屋の隅に沸いていた陰はアスタロトだった。
気づかれぬようにそっと潜り込んでいたのだ。
いつもなら、青い炎で撃退できる。
しかし、今は人間の姿。青い炎には頼れない。このままでは虚無界行きだ。

どうする。どうする。

雪男はこんな時どうしてた。勝呂はこんな時どうしていた。
神父―――ジジイはこんな時。
燐はあることを思い出した。
手元にあった教科書を引っ張って、ページをめくる。

「そ、そのこころにはあくがある」

燐は影に引きずりこまれながら、必死に詠唱を口にした。
悪魔であった頃なら考えられなかったことだ。
アスタロトの様子が変わり、ぐいぐいと燐を引っ張る力が強まる。
しかし。負ける訳にはいかない。

「主は、私の助け、私の盾であるッ」

アスタロトが苦しんでいるのがわかる。燐の口を塞ごうと影を延ばす。
させるか。燐は最後の言葉を口にして、十字を切る。

「汝、途に滅びん!!」

ギャアアアアア!!
アスタロトの依代だった魍魎の集合体が消えていった。
本体だったら、燐の拙い詠唱では効果はなかっただろう。でも、なんとかなった。

燐は自分の力で悪魔を退けることができたのだ。

部屋の中は、気づけば暗い。日が落ちたようだ。
体が変わっていくことがわかる。力が満ち、熱い炎が体の内側から沸いてくる。

「ようやく、元通りか・・・」

悪魔になりたかったわけではないが、
この世界で生きていくには悪魔としての力が必要なのだろう。
なくなって初めてわかることもあるものだ。

「でも、人間だからできることもあるんだよな」

詠唱で倒すことも、聖水で倒すことも、悪魔としての力がないからこそできることもある。
そうやって人は悪魔に対抗してきたのだ。
燐は聖水を持ち、十字架をポケットに入れた。
その身に宿る青い炎を纏わせて、行く先はメフィストの屋敷だ。

「悪魔祓いには、色々な手段が必要だってわかったわ」

それを今から証明しに行こう。
燐は倶利伽羅を抜く。途中で悪魔にとって毒である薬草も取っていこう。
青い炎だけではない。ありとあらゆる手段で、メフィストに思い知らせてやろうではないか。


「あいつは、俺をおもちゃにしたことを反省すべきだ!!」


志摩に負け、雪男はいい笑顔だった。燐の男としてのプライドはズタズタだ。
メフィスト邸に乗り込んだ燐は、メフィストにある屈辱を与えた。

聖水、十字架、薬草を使って弱らせた後、
青い炎でこんがりと焼き上げて抵抗を封じ、テリアに変身させる。
四十度の熱湯に放り込み、熱い温風をかけた後、
ブラシでときほぐして、青い炎を灯した手で撫でまわした。
そして、二人で一緒の布団に入って。
でも顔を見られたくなくて、背中を向けて口にする。

「人間になってわかったこともあった・・・いいたくねーけど、ありがとな」
「燐君・・・貴方可愛すぎますよ」

襲いかかろうとしたメフィストに、燐は指一本触れさせなかった。


メフィスト、夜の屈辱の出来事だった。

荊の不安


違う、僕のだ。

雪男の心に宿ったものは、雪男自身が意図していない言葉だった。
今、僕は何を言いそうになった?思わず口にしそうになったが、ぐっと堪えて口を噤む。
目の前にいる藤堂に向き直る。悪魔の甘言に乗るな。
悪魔は人を惑わし、陥れる。祓魔師の心得だ。悪魔の言葉に騙されてはいけない。
先ほどの光景を思い出す。燐にのし掛かり、腹に何かをしていた。燐の体に起きた異変。
巻き付く蔦。寄生する悪魔の植物を植え付けたのは、この男なんだ。
雪男は銃を藤堂へ向けた。藤堂は連結扉の前に立ったままだ。
三両列車の丁度真ん中で、二人は対峙している。

「お兄さんへの執着心を認めないのかい?」
「残された家族を守るのは、当たり前だ。それを執着とは呼ばないだろう」
「それは君のお父さんに言われたからじゃないのかい?君はお兄さんに執着している。
良い意味でも。悪い意味でも。いて欲しいと思いながら、消えて欲しいとも思っている。
人間は矛盾しているよね」
「何が言いたい」
「素直になればいい、と言っているのさ」
「素直・・・?」
「お兄さん、力を奪われて弱っているね。だからずっと君の傍にいるよ」

欲しいのだろう。お兄さんが。それを他の人間も思っている。君のお兄さんは、とても貴重な力を持っている。
そのためにあらゆる存在から狙われている。君がいくらがんばっても、本人に自覚がないのなら、
いつまでも変わりはしないよ。藤堂は雪男に話しかける。
兄が弱っていることが、嬉しいのだろう。
そんなことはない。そんなはずはない。雪男は努めて冷静に藤堂に問いかけた。

「お前の目的は、一体何だ」
「一言で言えば、自由を求めているんだ」

藤堂はカルラの炎を呼び起こした。それは藤堂の周囲をうねって燃え盛る。
あれに飲まれれば、ひとたまりもないだろう。ナイアスを呼び出せば、少しは抵抗できるだろうが。
雪男の額に冷や汗が伝う。
藤堂と雪男には、決定的な力の差がある。

「僕は力が欲しかった。だからカルラを手に入れた。目的を成し遂げる為には、力が必要だ。
力があれば、人は自由になれる。君は騎士團に疑問を持ったことはないのかい?
騎士團に従うことで、本当にお兄さんを守れると思っているのかい?」

それは雪男が常に感じていた疑問だった。
兄を守るために、祓魔師になった。でも騎士團は保留になったとはいえ兄を拘束し、処刑しようとした。
もし、その決定が裏返ったらどうだろう。ずっと守りたいと思っていた兄が奪われてしまうのだ。
目の前から消えてしまうのだ。そんなことは許せない。

だから、目の前にいる男のことも雪男は許せない。
銃を撃った。男の頬をかすった。致命傷にはならない。

「兄さんに、寄生型の悪魔を取り憑かせたのは僕への当てつけかッ」

兄を守ることなどお前にはできないと言われているようで、腸が煮えくり返りそうだ。

「あはは、君の執着の証みたいだろう?体中に巻き付く荊だなんてさ」
「人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」

激昂する雪男に向かって、藤堂は火の球を放った。当たれば火傷では済まない。
銃を天井に向かって撃つ。召還の言葉を唱えれば、雪男と藤堂の前に水の壁ができた。
火の球は水の壁に吸収されて消えてしまう。やるね。と藤堂はつぶやいた。
ナイアスを使った、防御の陣だ。雪男はここで死ぬわけにはいかない。
藤堂の言葉に惑わされてはいけない。

「あの悪魔は、お前が創ったものなのか」
「鋭いね、調べたのかい?」
「騎士團への忠誠心が厚い、古くからの家柄なんてそう多くはない」
「創るのにはお金も時間もかかるんだよ。僕が家にいた頃には失敗だらけだった。
成功したのは、騎士團を出てからだよ」
「なんだと・・・?」

家を出てから、という言葉に雪男は引っかかった。一人でできるほど悪魔の配合は簡単ではない。
それなりの施設と資金がなければ不可能だ。だからこそ、資産のある家柄が行うようになったのだろう。
藤堂の背後には、なにかがあるのか。雪男は警戒を強めた。
藤堂以外にも、兄を狙っている者がいるのかもしれない。
藤堂は蔦ではなく、荊だと答えた。藤堂はあの悪魔の配合も正体も知っている。
必ず答えを知っているはずだ。

「答えろ!あの茨を排除する方法を!」

雪男は防御に使っていたナイアスの水を使って藤堂に襲いかかった。
藤堂の体が水に飲まれる。しかし藤堂は水の檻をいとも簡単に破った。
炎の威力が増す。それは兄のあたたかい炎とは違う。
殺戮と血にまみれた、赤い憎悪の炎だった。

「ないよ」

藤堂は残酷な真実を告げた。
雪男は藤堂に向かって銃を撃つ。弾は弾かれて電車の壁に当たったようだ。
壁から何度も音が聞こえてきた。やがて銃声が止んだ。
静かになった車内。電車が揺れる音だけが聞こえてくる。信じたくはなかった。
あの茨はもう根を張っているのだと。そうなる前に、取り除かなければならなかったのに。
手遅れ。という言葉が頭をよぎった。
宿り木もそうだ。寄生型の悪魔は、取り憑いたが最後宿主を喰い殺すまで成長を止めはしない。

「茨は成長し、葉を付けて蔦を伸ばす。芽吹いた蕾はやがて一つの花を付ける、ここにね」

藤堂は自分の心臓の部分を叩いた。
蔦は、腹の部分から成長していった。今肋骨の下の辺りまで成長していたはずだ。
雪男の心臓が早鐘を打つ。
あの蔦が、心臓までいってしまえば。想像することはたやすい。
宿主の悪魔の力を糧にして、蔦は成長を続け。
やがて心臓を喰い破って花を付ける。


「お兄さんの胸に咲く青薔薇はさぞや美しいものになるだろう」


藤堂は腕を広げた。崇高な儀式でもしているかのようだ。
生け贄は、燐の命。悪魔は雪男の大切な者を奪おうとしている。
そんなことは許さない。絶対に。
雪男は持っていた聖水を振るった。
聖なる力を使うのに、雪男の瞳には確かな憎悪が宿っていた。藤堂は告げた。

「良い瞳だね、悪魔みたいだ」
「黙れ!」

雪男の声で、電車の壁が青く光った。先ほど撃った銃弾は魔法弾だったのだ。
雪男の声で呼び出された巨大な水流が藤堂を電車の壁に押し付ける。
藤堂は炎の球を電車の壁にぶつけて穴を空けた。
水流が空いた穴へ吸い込まれる。藤堂もそうだった。
藤堂は外の暗闇に飲まれながら、雪男に告げた。

「君には、助けられないよ」

どうあがこうともね。
藤堂はそのまま電車から投げ出され、やがて見えなくなっていった。
これを狙っていたのだろう。まんまと逃げられてしまった。
雪男はそれでも電車に空いた穴を見続けていた。
そこには底知れない暗闇が広がっている。
兄さんは、助からない。
求めていた結果と違うことは、この世界ではよくあることだ。
その結果を認めたくないから、人はあがく。人は力を求める。結末を変えるために。
悪魔に堕ちた藤堂は、力を手に入れた。
雪男にはその力はない。雪男は人間だからだ。

「・・・兄さん」

無性に、兄に会いたくなった。


***


寮に戻ると、そこには勝呂と燐がいた。
しかし、格好がおかしい。勝呂が燐を抱えているし、燐はその勝呂からなんとか逃げようとしていた。
燐は雪男の姿を見つけると、雪男の元に駆け寄ってきた。
普段は暖かい燐の手が、今は冷たい。そんな違いに雪男の心はひどく揺さぶられた。

「お前、熱あんねんから大人しくせえ!」
「うるせー!トイレくらい一人で行けるっての!」

どうやら、熱で足下がおぼつかない燐の世話をしようとしたらしい。
燐自身は熱など出したこともないし、人の手を借りることが恥ずかしいのだろう。
別に勝呂はトイレの介助までしようとしたわけではないのだが。
勝呂が燐に手を伸ばそうとするが、雪男はやんわりとその手を拒んだ。
背後にいる燐の手をもう片方の手でそっと支える。

「すみません勝呂君、夜遅くに兄さんの世話を任せてしまって」
「それは別にええんです」

お互いに視線を交わす。勝呂は何かを悟ったようだった。

「先生が帰ってきたことやし、俺はもう帰るわ」
「ありがとうございました勝呂君」
「ありがとな勝呂!」
「お大事にな」

勝呂は部屋を出ていった。雪男は燐の体をひょいと簡単に持ち上げて歩き出す。

「え、何してんの?」
「トイレ行きたいんでしょ」
「歩いて行けるっての!」

燐は勝呂の時と同じく抵抗するが、雪男は燐に対して容赦がない。
そのままいいように運ばれてしまった。
燐はふてくされた顔をしながら、すごすごとトイレの中に消えていった。
扉を閉めると、雪男はトイレの近くにある階段の踊り場を確認した。
そこには帰ったはずの勝呂がいた。二人は壁に背を預けて、小声で話し始める。

「原因は、藤堂だったようです」
「俺も奥村に確認しました。奥村は電車内で襲われた言うてました」
「よく兄さんが話しましたね」
「俺が無理矢理聞いたんです、すみません」
「責めてはいないんです。ただ、僕には言ってくれなかっただろうと思って」

自分も兄に隠し事をしているくせに、兄に隠し事をされると複雑な気分になってしまう。
兄弟なのに、うまくいかない関係がもどかしかった。

「奥村に先生には言わんでくれって頼まれました。
でも、あいつの状態を見る限りそんな状況じゃなさそうだって思って」
「・・・やはりそうですか」

蔦が心臓にたどり着けば最後だ。なんとかして助ける方法を見つけなければならない。
雪男の表情を見て理解したのだろう。勝呂が渋い顔をして質問する。

「先生、藤堂に会ったんですか?」
「ええ」
「そうなると、奥村は・・・」
「状況は、芳しくありません。今はそれしか」
「・・・そうですか」

その言葉だけで十分だった。勝呂は壁から離れて、階段に向かう。
もう、自分にできることはないと悟ったのだろう。それでも。

「俺にできることあったら言うてください。藤堂ぶん殴るくらいはできます。力になりたいんです」
「ありがとうございます」

勝呂が去って一人残された踊り場で、雪男の表情は重かった。
このままじゃ兄さんが死んでしまう。なんとかしなければならない。
でも、どうやって。一度巣くった寄生型悪魔は剥がれない。
だから燐の腕に悪魔が取り憑いた時は無理矢理引き剥がしたのだ。あの時は処置が早かった。
もっと早く気づいていればと、後悔が止まない。

音が聞こえてきた。トイレの水を流す音だろう。
終わったのか。ひょこっと燐がトイレから出てきた。

「雪男、なんでそんな所いんだよ」
「・・・なんでもないよ」

雪男は燐のそばに駆け寄って燐の体を支えながら部屋への道を歩き出す。
兄の体はこんなにも軽かっただろうか。
燐の体がよろける。雪男の視線は自然と燐の足へ向かった。

そこには、蔦が絡み憑いていた。

勝呂の言葉を思い出す。そんな状況じゃない。と呟いた言葉。
もはや一刻の猶予も残されてはいないのだ。
保健室で見た時には、なかったのに。雪男の背筋に冷たいものが流れた。
思わず燐を引き寄せて抱きしめてしまった。

「どうしたんだよ?」

突然のことに燐は驚いているが、雪男は黙ったままだった。
燐は自分より背の高い弟の頭をそっと撫でてやる。
昔に戻ったようだった。
このぬくもりがなくなったらどうしよう。
雪男はそんな不安を押し込めて、燐に笑って答えた。

「なんでもないんだ」

燐はそうか。と答えた。
雪男が何かを隠していることを、燐は気づいていた。
手のひらが自然と腹に向かう。
藤堂に植え付けられた種は、兄弟の間に確かな不安を芽吹かせていた。


荊の思惑


兄さん、僕がわかる。

目が覚めた時、雪男が心配そうな顔で見ていた。
どうしたんだよ、そんな顔して。俺は大丈夫だって。
だからそんな顔すんなよ。
燐の瞳は閉じていった、起きていたいのに眠っていく。
燐の意志とは関係なく。早く起きないといけない。そう思いながら眠りに落ちた。

「あれ・・・?」

目が覚めると、見慣れた天井だった。ここは旧男子寮だ。
どうしてここにいるのだろう。体育の授業に出ようと思って、着替えていたはずなのに。
どうして。燐は起きあがった。体がだるい。なんだろう、こんなこと初めてだ。

「雪男ー?」

弟の名前を呼んだ。ここに住んでいるのは雪男と燐だけだ。
しかし、開いた扉から入ってきたのはここにいるはずのない人物で。燐は目が点になった。

「勝呂!?」
「悪かったな、先生やなくて」

勝呂は桶とタオルを持って部屋に入ってきていた。燐は急いで起きあがる。
ぐらりと意識が揺れる。なんだろう。これ。こんな状態初めてだ。
起きあがったはいいものの、立ち歩く気力はなかった。
燐は自分の着ている服が制服ではないことに気づいた。
青い着物を羽織っている。着物といっても生地が着物よりも薄いので浴衣のようだ。
汗をかいているが、脱げばそのまま下着である。でも、脱ぐのもだるい。

勝呂はベッドの脇に座って、桶を置いた。桶にタオルを浸けて、絞っていた。
湯気が出ているので入れてあるのは湯だろう。勝呂は燐の着ていた着物をはだけさせた。

「もうちょいで終わるから大人しくしとき」
「え?ちょ・・・」

座っている燐の腹を出させてタオルで拭いていく。あたたかくて気持ちがいい。
いや、違うだろ。燐は勝呂の手を掴んだ。

「なんでお前ここいんだよ?」
「先生から連絡もらって、お前の世話してほしい言われてんねん。
戻るまでここにおるから。ええから転がれ」

ころんと布団の上に転がされてしまう。いつもなら勝呂の腕も振り払えるのに、できない。
自分の体は一体どうしてしまったのだろうか。
燐は不安そうな表情で勝呂の行為を見つめていた。
腹を拭いて、着物をはだけさせられて体を拭かれてしまった。
気持ちいいけど、恥ずかしい。友達にしてもらう行為ではない気がする。
少なくとも燐の記憶の中にはない初めてのことだった。
勝呂はタオルを桶に入れると、燐の額に手を当てた。

「熱があるな、何か飲むか?」
「熱・・・?」

熱。と言われて思い出したのは雪男が風邪を引いて苦しそうにしている様子だった。
雪男の時とは違って咳も喉の痛みもない。
燐は未だかつて病気というものをしたことがない。つまり、これは初めての熱ということだ。
燐は熱があるせいか、テンションがおかしくなっていた。

「すげぇ!俺熱出すとか初めてだ!」
「落ち着け、熱上がるやろ」

勝呂が燐をまた転がした。首に手を当てる。やはり少し高い。
勝呂は脇に置いておいたスポーツドリンクと水を混ぜて燐に渡した。
それを一口で飲み干してしまう。汗をかいて、喉が乾いていたのだろう。
燐は寝転がったまま勝呂に声をかけた。

「ありがとな、勝呂。ここまでしてもらって。あとは大丈夫だから
もう帰った方がいいぞ。お前に風邪移しちゃ悪いし」
「俺に移るようなもんちゃうから、ええんや」

勝呂はじっと燐を見た。燐は今まで風邪を引いたことも熱を出したこともない。
その燐が熱を出しているのだ。
その事実がどれだけまずいことか、燐は理解していないのだろう。
勝呂は燐の腹を見た。そこにまたタオルを乗せて、ふき取る。
タオルには黒いインクがついていた。雪男が燐の腹に描いた絵の残骸だ。
今は燐の腹には何も描かれていない。しかし、勝呂には見えている。

燐の腹を取り囲むように巻き付いている植物が。
燐が弱っていくたびに成長していく蠢く蔦があることを。

これは寄生型悪魔だ。悪魔に取り憑き、その悪魔の力を吸い取っていく。
寄生されているのに、大丈夫だ。と言う燐が勝呂は許せなかった。

「お前、これが本当に見えへんのか?」
「何が?」

やはり、燐には見えていないらしい。雪男から連絡はあったが、確信した。
勝呂はペンを取りだした。燐の着物をはだけさせる。
燐は勝呂のただならぬ様子に気がついたようだった。
勝呂の腕を掴んで、止めさせようとする。だが勝呂の覚悟はもう決まっている。

自覚がないのなら、させるまでや。

勝呂の手が燐の体に触れた。燐はぞくりとした感覚が沸いたことがわかった。鳥肌だ。
警戒している。俺が勝呂に?なぜだろう。今から行われることに怯えているようだ。
燐はなぜ自分がそう思うのか理解できなかった。
思えば、雪男に触れられることも拒否していたことがあった。
勝呂は無遠慮に燐の体に触れてくる。嫌だ。怖い。
燐は払いのけようとするが、燐の体は熱で力が出ない。

「勝呂!やめろって!」
「・・・自覚は大事やで奥村。ちょっと我慢せぇ」

燐の腰に巻き付いていた帯を引き抜くと、そのまま腕に巻き付けた。
帯の端はベッドサイドに巻き付ける。着物ははだけているし、腕は帯で拘束。
志摩が見れば興奮しそうだし、雪男が見れば誤解されそうだ。
勝呂はまだ先生が帰ってきませんように。と祈った。
燐は腕を引っ張って帯を外そうとするが、巻き方が独特で外せそうもなかった。

「結い方にもコツがあんねん、諦めろ」
「いっ・・・」

ペンが、燐の肌を滑っていく。気持ち悪い。気持ち悪い。
くすぐったい感触しかしないはずなのに、気持ちが拒絶する。
それは燐の思うところとは別の場所から沸いているような感覚だった。
足を動かそうとするが、勝呂はそれも予測していたようだった。
片腕で簡単に押さえ込まれてしまう。
体をよじらせるが、その都度転がされて元の位置に戻される。
そのうち、体力がなくなって抵抗もできなくなった。勝呂の手が、ようやく止まった。

燐は恨みがましい視線を向けた。
好き勝手に体をいじられるなんて不快以外の何物でもない。

「なにすんだよッ」
「これ見てまだそんなこと言えるんか?!」

勝呂は燐に自分の体を見るように言った。
腹に視線を向ければ、そこにはおびただしい量の蔦が描かれていた。
燐はそこで初めて異常なことが起きていることを理解した。
人生で初めての熱。体のだるさ。そして勝呂が訴える異常。

「よく見ろや!」
「勝呂、やめッ」

勝呂は動揺する燐の体を持ち上げると、鏡の前に連れていった。
そうすれば、もっとその蔦の範囲がわかった。
燐を拘束するように、巻き付いている。まるで呪いのようだった。
自分が倒れたのは、これが原因か。

いつからだったんだろう。燐は記憶を辿った。そして、電車での出来事を思い出した。
どうして今まで言えなかったのかはわからない。
もしかしたら、この蔦のせいだったのだろうか。
青い顔をしている燐をベッドに座らせると、勝呂は床に座って燐の顔を見た。

「先生に言われた、お前を見てて欲しいて。奥村、話せるだけでええ。心当たりないか?」
「心当たり・・・」

藤堂に会った、あの時のこと。言えなかった出来事。
燐は重い口を開けた。


***


雪男は駅員への聞き取り調査を終えると、終電の電車を待つ為にホームに入った。
駅員に燐の写真を見せると、確かに覚えていると言われた。
学生が学園の外に出る終電に乗ることは珍しい為、記憶していたのだ。
足跡を辿ると、別に怪しいところはなかった。
そうなると、電車の中で何かあったと考えられる。
終電の電車がホームに入ってきた。駅員は、燐以外に乗客はいなかったと言っている。

しかし、同乗者が悪魔だったならば話は別だ。
目くらましを使って忍び込めば、人目にはつかないだろう。
電車の扉が閉まって、発進する。がたんと揺れる車内で雪男はぐるりと中を見た。
車内には誰もいなかった。今雪男がいる場所は電車の最高尾だ。
電車は三両編成。どこに座っていたのだろう。

雪男は慎重に兄が取りそうな行動を考える。急いで飛び乗った。
それならば、この最高尾だろうか。いや、たぶん違うな。
双子ならではの感覚を全開にして、たどり着いた先は真ん中の車両だった。
おそらくここだ。祓魔師は勘を大事にしろと神父にも教わっている。
雪男は銃弾を装填した。

だが、どこかまでは流石にわからない。雪男は銃弾を天井に向ける。
時の砂、と言っていた。
どんな効果があるかはわからない。天井ならば作りは頑丈だ。
それになにかあっても車両走行上問題になる重要な機関は置いていない。
雪男は引き金を引いた。

しゃあああん、という音が響いて車内に光が響く。
天井から降ってきたのは細かい砂だった。
雪男の手にも落ちてきて、一握りの砂が残される。落ちた砂は収束してひとつの形を象った。

「兄さん?」

砂でできた燐が、座席に座っている。
時の砂はその時なにが起こっていたのかを蜃気楼のように見ることができます。
とメフィストは言っていた。
だが声は聞こえないようだ。砂だけでできているので、音までは出ないらしい。

座席に座っている燐は、視線を外して別の場所を見ていた。
そこには何もなかった。雪男は首を傾げて、しばらく燐が座っているのを見ていた。
眠いのだろう。船を漕いでいる。
このまま、何事もなければ。
雪男はそう思った。でももう起きてしまったことだ。
燐の様子がおかしくなった。お腹を押さえて座席に倒れ込む。

「兄さんッ!?」

雪男はその光景を見ていることしかできない。
燐がもがいて、のしかかる誰かをどかそうとしている。
誰だ。砂はその相手の姿を見せない。砂が足りないのだろうか。
雪男は先ほど降ってきた砂を一握り持っていた。
それを座席に向かって振りかける。信じたくなかった。そこには。

「藤堂・・・!」

京都での事件以来、潜んでいた男がそこにいた。男は笑っていた。
笑って燐のことを嬲っている。怒りで目の前が真っ赤に染まった。
兄さんに手を出したのか。許せない。
座席から砂が流れ落ちている。これは、燐の腹から流れ出た血だ。
夥しい量の血が流れ出ている。
藤堂の腕が、燐の腹を探っていた。
抵抗しようとしたのだろうが、どうすることもできなかったようだ。
燐は藤堂に容赦なく殴られた。燐は気を失って倒れてしまっている。
藤堂の口が動いていた。
音がなくても、口元の動きで言葉を読むことができる。


『プレゼントだよ、ここでしっかりと育てるといい。奥村燐君』


雪男は思わず、砂の藤堂を殴りとばした。でも、砂なので腕はすり抜けて壁に当たるだけだった。
許せない。絶対に。兄さんと同じ目にあわせてやりたい。

藤堂は笑いながら兄を嬲っていた。目的はわからない。
もしも雪男の精神を攻撃する為の手段だとしたら、これ以上のものはないだろう。
悪魔に寄生する悪魔。燐の体を蝕んでいく男の狂気。

「藤堂、僕はお前を許さない」

雪男の言葉に、返す声が聞こえてくる。
男は目の前で見た蜃気楼の光景のように笑っていた。


「お兄さんは君のものではないだろう、奥村雪男君」


車両の連結扉の前に、藤堂が立っていた。

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