青祓のネタ庫
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燐の首筋には一本の刃が向けられていた。
それは魔剣カリバーンと呼ばれるものであり、
アーサー=オーギュスト=エンジェルという
祓魔師として最高位に位置する聖騎士が所持する剣である。
ここは正十字学園だ。祓魔塾を擁する学園に彼がいること。
またその剣があることにはなんの違和感も無いだろう。
だが、ここで問題なのは昼間の学園内でしかも一般生徒が行き交う階段の踊り場で
アーサーと燐が対峙していることだ。
幸い今は授業中だから、廊下に人はいない。
だが、あと30分もすれば授業が終了する時刻だ。
30分でこの事態が収集するとは思えなかった。
階段の踊り場で首を絞められながら剣を向けられることになろうとは、燐は全く考えていなかった。
そして、思わず言った。
「TPOを考えろ・・・!」
「それは貴様だ、何故ここにいる」
「ここは学校で、俺は高校生だからだよ!」
「そうではない、この時刻にいるということはサボりだろう。
よって魔神の胤裔は誅滅する!」
「理屈がわからん!」
「風紀を乱した!罪だ!」
「お前は風紀委員にでもなったつもりか!」
燐は炎を出して抵抗しようにも、どこに生徒の目があるかわからない以上出すことはできない。
燐は周囲に視線を配るが、誰もいなかった。
廊下の方から英語のリスニングに使うCDの音声だけが響いている。
燐は、別にサボろうとしたわけではない。
ただ単に、トイレに行きたかったから先生の許可を貰ってトイレに行った。
トイレから教室に帰ろうとした帰り道を、アーサーに襲撃されたのだ。
燐に落ち度は全く無い。あるとすれば時間と場所と場合も構わずに襲い掛かってきたアーサーだ。
「一般人に見つかったらどう責任とるんだよ!」
「今は授業中だ、大丈夫だ問題ない」
「あるだろ!授業終わったら階段の踊り場で生徒が死んでるんだぞ!
完全に警察沙汰の上に正十字学園七不思議とかにカウントされるに決まってる!
俺は嫌だぞ!」
「階段の踊り場の怪談か」
「ふざけんなコラ」
「魔神の仔の最期には相応しいな」
「そんなアホな死に方嫌だ!」
燐はアーサーの腕に手をかけるが、それよりも先に剣が首筋に刺さった。
紅い筋が皮膚を伝って落ちる。
これはいよいよヤバイ。
アーサーは本気で白昼堂々燐を惨殺しようとしている。
トイレに行って、逝くなんて嫌だ。
誰か、誰か助けてくれ。雪男、シュラ。
俺、このままだと何時までたってもトイレから戻ってこない奥村君
なんていう称号を得ちまう。
クラスでそんな目で見られたら俺は一体どうしたら。
燐も相当切羽詰まっているため、考え方がおかしくなり始めた頃。
アーサーは教室から漏れる音を聞いてふと剣を刺す腕を止めた。
「意外と懐かしくなるものだな。高校の授業というものは」
「え、お前高校生だった時あるのか?」
「当たり前だろう。とはいっても、俺が通っていたのは海外だがな」
「じゃあなんで、今ここでこんなことしてるんだ?」
「どういうことだ?」
「いや、高校行ってるのに。なんでそんな常識がないのかと・・・」
「何を言う、俺は飛び級で大学も早くに卒業したエリートだぞ。どこに常識が無い」
「高校で俺を殺そうとするところが」
「大丈夫だ、証拠隠滅は抜かりなく行なう」
「髪の毛そこに落ちてるぞ。鑑識に見つかるだろ」
「後で拾っておくことにしよう」
それじゃあ指紋が着くだろう。
どこが抜かりないんだよ・・・と燐は自分が死んだ後のことがすごく気になりだした。
どこかで劇的に死ぬんじゃなくて、こんなアホに殺されるなんて。
燐の死後、燐をトイレに送り出した教師はテレビのインタビューにこう答えるだろう。
『私が奥村君をトイレに行かせなかったらこんなことには・・・』
クラスの女子はこう答える。
『奥村君、トイレに行くって言ってから戻ってこなかったの』
『結構長い時間行ってたから、お腹でも壊しているのかなって言ってたんだけど。
まさか、階段でお腹(内臓的な意味で)を出して死んでるなんて・・・』
ダメだ。やはり俺はここでは死ねない。
俺は教室に帰って、トイレに関わったことで死んだのではないと証明しない限り死にたくない。
いや、初めから死にたくなんかないけど。
燐は覚悟を決めた。そうして、アーサーに最期の質問をした。
「これだけは答えろ」
「なんだ?」
「お前、頭いいんだよな?」
「ああ」
「いちたすいちは?」
「たんぼの田」
ダメだ、こいつ頭はいいけど知恵が無い典型的な例だ。
何を言っても無駄だと悟った燐は、一気に炎を出して抵抗をはじめた。
今まで大人しかった者が急に抵抗を始めたことで、アーサーも一瞬怯む。
その隙に、燐は叫んだ。
「雪男―――!助けてく・・・むぐぅ!!!」
口元を押さえられ、踊り場に押し倒される。
青い炎は二人を包むが、燐は倒された衝撃で一瞬意識が飛んだ。
炎は収束してしまう。
次に燐が目を開くと、もう口から言葉が出なかった。
「やってくれるな奥村燐」
「むー!!むーーー!うう!!」
口を手の平で押さえられて、何も言えなかった。
燐の目が恐怖で染まる。
嫌だ、誰か。父さん、雪男。俺は・・・
「兄さん!!」
雪男が発砲した。銃弾はサイレンサーつきで、音はあまり出なかった。
その音も、授業終了のチャイムの音にかき消される。
銃でけん制されたアーサーは燐から飛びのく。
ガシャンとアーサーの背後の窓ガラスが銃弾で割れた。
音を聞きつけたのか、ばたばたと廊下を走る教師の足音が迫る。
「よく駆けつけたな奥村雪男。授業はどうした」
「移動教室だったもので。その帰りです」
雪男は燐の手を引っ張って、自分の背後に隠した。
「今日のところはここまでだな。次はないと思え」
そういって、アーサーは割れた窓ガラスから、外に降りていった。
ここは5階だが、アーサーのことだ。死にはしないだろう。
しかし、窓の外から悲鳴が数回聞こえてきた。
雪男は背後から聞こえてくる足音の近さに気づき、銃を素早く隠す。
駆けつけてきた教師は雪男に問うた。
「奥村君・・・!今の全裸の男は一体!?」
「どうやら変質者が紛れ込んだようですね。兄はその変質者と最初に遭遇したようです」
「何、大丈夫かね?」
「・・・なんとか」
「先生、兄は動揺しているようです。保健室に行っても?」
「あ、ああかまわない。警察を呼ぶべきだな」
「はい。それと理事長にもお伝えした方がよろしいかと」
雪男は燐の手を引っ張って、階段を下りていった。後処理は教師がやってくれる。
階段の窓から外を見ると、遠くの方に金色の光が見えた。きっとアーサーだろう。
「全裸で颯爽と駆けるとか、アイツにしかできねぇよなぁ・・・」
「兄さん、大方炎を出して、服だけ燃やしたんだろ・・・」
「全裸で伸し掛かられるとか恐怖以外の何者でもないな」
「パンツまで燃やさなくてもよかったんじゃない?」
「いや、俺は燃やしてない。つまり、あいつ履いてないんだ」
雪男はなんともいえない顔をした。
燐もなんともいえない顔をした。
「・・・とりあえず、助かったぜ雪男」
「移動途中に兄さんの悲鳴が聞こえたからびっくりしたよ、間に合ってよかった」
「流石俺の弟だ」
「まぁ、全裸の男に伸し掛かられる兄という恐怖映像を見たけど」
雪男の眼鏡がきらりと光った。
その後、雪男の策略によりアーサーの名は学園に語り継がれることになる。
アーサーが落下したシーンを目撃した生徒が多数いたため、信憑性も増した。
正十字学園七不思議の一つに、落下する全裸男という怪談話が追加されたことを、アーサーは知る由もなかった。
雷の音が鳴っている。少し目を閉じて、数を数えた。
いち、にい、さん・・・十数える前にまた音が鳴る。
近いな、と思えば、窓の外で閃光が走った。
嵐だ。それもこの山を直撃のコース。
雨脚が強まって、風が薄い小屋の壁を叩く。
ここに山小屋があってよかったと心底思う。
燐は濡れた上着を乱暴に脱いで、床に投げ捨てた。
電気も通っていない古い小屋のせいか、中央には囲炉裏しかない。
雨で濡れた体が暖を求めていた。燐が、火を灯そうと囲炉裏に近づこうとすると。
ドンドンドン!
背後のドアから音がした。
燐は倶利伽羅を構える。悪魔がここまで追ってきたのか?
この山には集団で人を襲うゴブリンが出現する。
候補生の任務で塾生と山にきたのはいいが、探索を開始し初めて山が荒れだした。
万が一の為に雪男に集合場所を聞いてはいたのだが、この天候だ。
視界も悪い中、集合場所に向かおうと走っていると、木の根に足を取られた。
しかも、運悪く足首を痛めるという最悪な事態。
ずきずきと痛む足は、触ると熱を持っていた。
燐の治癒能力は高い。だが、痛めた足を引きずってまで歩けそうにもなかった。
仕方なく、近くにあったこの小屋に逃げ込んだ。
そのときには、悪魔の気配はなかったはずだ。
(・・・どうする?ここでやりあうべきか?)
燐は考えるが、ドアの向こうの相手は蹴破る勢いで叩いてくる。
ここでドアが壊れれば、この暴風雨を防ぐ手段がなくなる。
そうなればかなり都合が悪い。仕方が無い。
ドアノブに手を廻して、いつでも踏み込める姿勢をとった。
足首に鋭い痛みが走る。燐は眉をしかめながら、意を決してドアを開けた。
瞬間、猛烈な雨風が小屋の中に吹き荒れた。
外にいたものが勢い良く飛び込んでくる。
燐は炎を出した。
相手は、その炎を見ても怯むことなく燐に飛び掛る。
構えた剣を抜こうとした。
が、それを本能的に止める。
そして、飛び込んできたものとともに、もろとも床の上に倒れこんだ。
相手の足が、燐の足を踏みつけた。激痛と、背中に冷や汗を感じた。
鋭い痛みが、足から頭まで駆け抜ける。
炎は痛みに反応して勢いを増した。
「いってえええ!!」
燐を押し倒す形で飛び込んだ人物は、その声にぎょっとする。
「うわ、奥村君ごめんな!堪忍!」
燐の上に跨るのは、同じく塾生の志摩だった。
足を押さえて蹲る燐と、背後の開けっ放しのドアから吹き荒れる暴雨。
志摩は一先ず、急いでドアを閉めた。
風で揺れるドアを押さえるために、鍵も掛ける。
小屋の中に、静寂が訪れた。志摩は燐にかけよって顔を覗きこんだ。
「ごめん、奥村君。俺集合場所に着けんくてここ来たんやけど。
てっきりゴブリンが中におるもんやと・・・」
「いや・・・俺も・・おんなじこと、思ってたからいいよ」
燐は痛みに顔を歪めながら体を起こした。
痛みに反応して、体からぼうっと青い炎が灯る。
その炎が囲炉裏の中にあった墨にじんわりと熱を灯した。
囲炉裏から、煙が上がる。燻った炎も上がり出す。
青い火に照らされて、燐の足の怪我も志摩の目に映った。
赤く腫れた部分が痛々しい。
「ごめん、俺のせいで・・・」
「いや、これ俺がこけてなったんだよ。大丈夫だ」
「あ、そうなん?」
「・・・そこを踏んだのはお前だけどな!」
「ごーめーん!俺のせいやーん!」
志摩は、燐の足に自分の脱いだ上着を畳んで乗せた。
湿った感触が患部の熱を冷やして気持ちがいい。
「折れてはないみたいやから、応急処置や。帰ったら先生に見てもらおうな」
志摩は囲炉裏の状態を確認して、床に投げ捨ててあった新聞紙を拾って放り込む。
きっと以前の使用者が残していったものだろう。
床には他にも新聞やチラシなど燃えやすいものが落ちていた。
それらを次々に炎の中に放り込む。
勢いを増した青い炎が、小屋を暖めるために燃えていく。
「へっくしゅ」
燐がくしゃみをして、志摩もつられてくしゃみをした。
足を怪我して動きにくそうな燐を囲炉裏の前まで引きずって持ってくる。
燐の体からは、ぼうっとした炎がいくつか灯っていた。
触れれば温かい、青い炎。
こういうとき、炎があると便利だなぁと志摩は感じた。
雨と風、それに山の低い気温で寒くて仕方が無かった。
志摩は、足の間に燐を挟んで座った。燐は志摩に背を預ける姿勢だ。
「ちょ、なんでこの態勢?」
「だって奥村君の身体、炎であったかいんやもん」
「えー、俺ホッカイロかよ」
「そうそう、山で体は冷やしたらあかんからな。動けんようやし我慢して」
「なんかおまえ機嫌よくねぇ?」
「ソンナコトナイヨー」
囲炉裏の前で、青い炎を囲んで二人は座っている。
志摩は、濡れている服を脱いでいく。
燐もそれにならって、服を脱ごうとした。
しかし、濡れた服はなかなかに脱ぎにくい。
志摩の手が、後ろから燐の服のボタンにかかる。
「悪いな」
「ええよ、役得役得」
「え」
「冗談やて」
「・・・なぁ、他のやつらって大丈夫なのか?」
「ああ、坊も子猫さんも大丈夫やで。
杜山さん達と一足先に集合場所についたってメール着てたし」
「じゃあ俺達だけかよ。取り残されたの」
「まぁ電波が悪くなる前に連絡だけはとったから置いていかれはせんと思うよ?」
「・・・いや、なんか帰ったら雪男に怒られそうな状態だなぁと」
「あ、そうか。俺そん時奥村君と合流してへんかったし。
先生達にしてみれば奥村君は行方不明状態なんちゃう?」
「え、ちょ。それたぶんまずいよな!」
燐は急いで携帯電話を取り出すが、圏外としか表示されない。
嵐になれば、山の電波状況は最悪だ。
つまり、燐の無事は雪男たちのもとに届いてはいない。
雪男の怒りの表情が頭をよぎる。これは、絶対に。叱られる。
燐は、背後の志摩を振り返った。
志摩の携帯も圏外を表示していた。
「うあああ、嫌だな。雪男、俺は無事だ!なんとかこの電波を受信してくれ!」
「いや、無理やろ。連絡はこまめにしときいや奥村君」
「ゴブリン倒すのに夢中だったんです」
「それ、先生に言うたら余計起こられるで」
自分と、燐の上着をあらかた脱がし終えると、志摩は服を囲炉裏の傍に並べた。
少しでも乾いてくれたら、この状況も早く終わるだろう。
そう、志摩と燐は半裸だった。ズボンだけは履いているが、上は裸だ。
しかも、背後からくっつきあっているので、なんだかとてもいかがわしい。
「・・・なぁなんかこの格好はおかしい気が」
「だって寒いやん」
「いや寒いけど」
「温かくなりたいやん」
「そうだけどさぁ」
「あ、そうだ。ほんなら奥村君、炎出してくれへん?」
「え、なんで」
「その炎出してる奥村君に俺が抱きつけば、二人して温かいやん」
がしっと、志摩の腕が燐の首にかかる。
動こうにも、足は痛めてるからうまく逃げれない。
燐は、炎を出そうとして。
やめた。
「なんでやめるん?」
「・・・いや、いいのかよお前」
燐は、少しだけ躊躇した。
炎を出して、そんな俺に抱きつくのか?
そんなことしてお前はいいのか?
燐の考えに気づいた志摩は、笑いながら言った。
「ええよ。奥村君は俺を燃やしたりなんかせんよ。大丈夫やって」
炎が宿った。
青い炎は、二人を温かく包み込む。
小屋の中は青い光に照らされて、火の粉が宙に舞っては消えていく。
綺麗だな、と純粋に思った。
そして。
「はあああ、温かいわぁ。気持ちいいわぁ」
「ちょ、こら、耳元でしゃべるな」
「あ、感じた?」
「馬鹿いってんじゃねーぞ志摩」
「奥村君、これでマッサージ屋とかやっても生きていける気がする」
「炎マッサージ?新しいな」
「やろ」
またぎゅっと燐を抱きしめた。
お互いの鼓動が心地よかった。
伸ばした足で燐の足をつついた。
「痛い?」
「いてぇよ馬鹿」
そして、その足が出ている部分に気づいて志摩はぎょっとした。
「ちょ、俺のズボンがない。パンツだけや」
「あ、ごめん。俺炎のコントロールまだ十分じゃなくてさ。
パンツしか残らねーんだわ」
「なにその破廉恥な能力!!?」
「だ、だから『いいのかよお前』って聞いたじゃん!!」
「そこ!?その言葉は服を燃やされることにかかっとったん?予想外!」
「だからごめんって!」
「しかしうらやましいわああああ!俺もその力欲しいいいいい!!」
「・・・」
こうして二人で騒いでいるうちに、嵐は去っていった。
「あ、雪ちゃん!燐と志摩君が帰ってきたよ!」
しえみが指差した方向を見れば、志摩に背負われた燐が。
二人で山道を下っているところだった。
雪男は急いで駆けつける。
「よかった!心配したんで・・・すよ」
「ごめんな雪男、携帯圏外で連絡できなくてよ」
「奥村先生、奥村君怪我してはるんで診たげてください」
雪男は改めて、二人の格好を見た。
志摩に背負われた燐。
燐はズボンを履いていなかった。そして、足には怪我の痕。
よくよく見れば、志摩の履いているズボンは、燐のズボンではないか。
「どういうことか説明して」
「いやあ、俺は嫌だったんだけど・・・志摩がどうしてもって言うし」
「ちょ、奥村君その言い方はまずい!」
燐が言っているのは山を降りるときに自分で歩けるといったのだが、
心配した志摩に背負われたということ。
そして、その際に山を歩くにはズボンなしではいけないだろうと、
志摩が燐のズボンを履いた。
それだけのことだが、説明なしに聞けば雪男のように誤解を招く言い方だ。
「山小屋で、ズボンなし、半裸で、しかも怪我をして。無理矢理・・・だと?」
しかも、歩けない。なるほど、腰にダメージでも負ったのか。
雪男の頭の中の出来事が志摩には手に取るようにわかった。
てっきり、連絡をしていない燐が怒られるのだと志摩は思っていた。
しかし、現実には誤解が誤解を呼び、目の前には青筋を浮かべる雪男の姿だ。
「こ、この山にはほんまもんの悪魔がおるわ・・・」
ゴブリンなんか目じゃないくらいの。
ちんちーんというベルの音がして
電車のドアが閉まりそうになる。
「乗ります!ちょっと待った!!」
ドアに手をついて間一髪で滑り込む。
プシューと空気を排出して、ドアは燐の背後で今度こそ閉まった。
焦って乗ったので、荒い息をひとまず整える。
任務の待ち合わせ場所にはこの電車でしか間に合わない。
時計を確認して、ほっと一息ついた。
これなら遅刻だと雪男に怒られないだろう。
本来なら一本前の電車に乗るはずだった。
焦りたくなければ、余裕をもって電停にいるべき。
しかし、いかなければならない気持ちより睡眠欲が勝ってしまって
こんなギリギリの時間になった。
流石に、寮から全力で走っただけあって疲れた。
できればイスに座って休みたい。
ドアに背を預けて周囲を見るが、車内は完全にすしずめ状態だった。
今も、目の前にいる白い服の男と体が密着するくらい近い。
そして気づいた。
「あ」
「・・・ん?」
目の前の男が振り向いた。
金髪長髪に真っ白い祓魔師のコート。
流石に車内に魔剣は持ち込んでなかったが、
正真正銘アーサー=オーギュスト=エンジェルその人だった。
燐は反射的に後ろを向いた。
なんでここでこいつに出くわすのか。
と、いうかなんで電車に乗ってんだ。
寝坊した自分を呪いたかった。
ばれてない、と思いたかったがドアのガラスに写ったアーサーと目があった。
「貴様、奥村燐か」
ぐるりと体の向きを反転させられる。
向かい合わせになって、目が合って。
回転させられた勢いのまま平手打ちされた。
ぱしーんという乾いた音が車内に響く。
「いてぇ!」
「なんだ、夢じゃないんだな。とてつもなく不快だ」
平手打ちした手をアーサーは聖水とかかれたスプレーをかけて消毒していた。
頬を押さえて燐は抗議をしようとするが、同時にがたんと電車が止まる。
車内が揺れた。人の圧力に押されて、燐の目の前に白い制服が迫る。
「うぎゅ」
アーサーの胸に思いっきり潰された。喉から変な声が出る。
しかも身長差があるものだから上から包まれるように、完全に潰れた。
燐に触れたことが不快なのか、アーサーもその場から逃れようともがく。
しかし、すしずめの車内はびくともしなかった。
一時停止した車内にアナウンスが響く。
この先車両トラブルを起こした電車があるため、停止します。
お客様にはご迷惑をおかけしますがもうしばらくお待ち下さい。
そのコメントは燐に絶望をもたらした。待ってられない現状がある。
遅刻してもいい。今すぐここから出してくれ。
「くそ、こんなことなら電車を使わなければよかったな」
アーサーも燐と同じことを思ったらしい。眉間に皺が寄っている。
ただでさえ離れたい相手がいるのに、電車はいつ動くともわからない。
不快にならない方が無理だ。なんとか顔だけ出して、燐も反論する。
「そりゃこっちのセリフだ。セレブの癖に電車乗るな!」
「全くだ。庶民感覚を理解しようと任務ついでに試しに乗ってみたのだが、
二度と乗りたくはないな」
ぎろりと鋭い目で見下される。
アーサーの長い髪のせいで、燐の周囲は金色で覆われている。
身長差と、髪のカーテンと、人ごみ。
乗客も、アーサーの前に人がいるとは気づかないくらいに燐は隠れてしまっていた。
つまり、アーサーは周囲の人間からしたら独り言を言っている変人だった。
「おい、離れろ奥村燐」
「俺に言うセリフかよ・・・お前が動け!」
「では試しに」
「だああ!足を踏むな!」
「ハハハ、貴様こそ俺の腰についている手をどかせ!」
「そんなとこ触ってねーよ!」
「嘘をつくな。ここに一般人がいなければすぐにでも消してやりたい所だ!」
アーサーの手が燐の背後のドアにつく。
その手が少し動けば、燐の首くらい簡単に刎ねるだろう。
そんな位置だ。燐は、緊張からごくりとつばを飲む。
アーサーという檻の中に閉じ込められたような感覚だ。
やらなければやられる。燐はぐっと拳を握った。
突然、アーサーは不快そうに眉を寄せた。
「ところで奥村燐」
「・・・なんだよ」
「貴様、いい加減その手をどかせ」
「は?」
燐の手は背後のドアについている。
アーサーは何を言っているのだろう。
首を傾げる前に、また平手打ちされた。
「ちょ、イテェな!!お前さっきから何言ってんだよ!俺の手はここにあるだろ!」
両頬がひりひりして痛い。なんとかもがいて、両手で頬を押さえた。
その手を見て、アーサーは驚く。
「貴様、腕が4本あるのか」
「・・・お前マジでいってんの?」
「そうとしか説明できないだろう。でなければ何故。誰が今俺の尻を触っている」
沈黙。
燐は咄嗟に声が出せなかった。
そもそも何故自分がアーサーの尻を触るのか。
アーサーの尻を触る理由は無い。
では、現状一体誰がアーサーの尻を触っているのか。
燐が嫌な汗をかいているのにも気づかず、アーサーの言葉はエスカレートしていった。
「・・・大胆だな、コートの中に手を入れるとは」
「え・・・その・・・」
「くっ・・・だが、残念だったな奥村燐」
「何が」
「今、俺のパンツに手を入れようともがいているだろう?」
「・・・」
痴漢の実況中継にマジ泣きしそうだった。
しかも、成人男性の尻を揉むアブノーマルプレイ。
15歳の燐にはいささかハードルが高すぎる。
「だがお前の思惑通りにはいかない!」
「思惑って何だよ」
「さっきから写真とろうとしているだろう。レンズが当たる。そうか、貴様の狙いは俺の下着か!」
「何!?どういうことだよ!?意味わかんねーよ!」
下着の写真でも撮って弱みでも握ろうとか思われているのだろうか。
心外だった。
「下着狙いというのなら。この勝負俺の勝ちだな奥村燐」
アーサーは痴漢されているのに何故こんな態度なのだろう。
意味がわからない。何も聞きたくない。耳を塞ぎたい。
しかし、燐が耳を塞ごうとする前に爆弾が投下された。
「なぜなら俺は穿いていないからな!!」
そう、今は夏で、暑いからだ!と言った。
コートの下は穿いていない。
この純白の祓魔師の制服を脱げば、そこには全裸が?
嘘だろう。
こいつ白昼堂々すしずめの車内でノーパン宣言をしやがった。
車内の空気が明らかに変わった。
そして、先ほども言ったが燐は現在アーサーに潰されていて
周囲の乗客には見えていない。
つまり、アーサーは痴漢の実況中継をしたあげくに、
下着つけてません宣言を全て独り言で語ったという風に見られている。
完全に周囲はドン引きだ。
本人は、全く気づいていないが。
手が、前のほうにまわってきたな・・・大胆だ。
というアーサーの声で、燐は我慢の限界を超えた。
馬鹿力を発揮して、アーサーに潰された身体の隙間から両腕を抜く。
そしてアーサーのコート内に入っていた手と、アーサーの腕を同時に掴んで言った。
「この人達痴漢です!!」
車内からの視線が痛い。
頭上に上げた痴漢の犯人の腕には腕時計があった。
時刻を見て、もう完全に遅刻であろうことを悟る。
雪男には怒られるだろうが、事情を話せば今回はわかってくれると思う。
アーサーはきょとんとした顔を燐に向ける。
「私もか?」
言って、アーサーは何を思ったのか。掴まれていない手で、また燐の頬をビンタする。
「いてぇ!」
「残念、現実だ!!」
涙目になりながら、燐はアーサーに訴えた。
未成年に猥談囁くのだって立派な痴漢だ!
「クロとうわきもの」リンクミスしてましたね!
ご報告ありがとうございます!修正しました!