青祓のネタ庫
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「はぁ!?奥村が藤堂に拉致された?」
知らせを聞いた勝呂は眉をしかめる。
志摩は、旧校舎で燐の制服を回収すると、いったん救護テント本部へと戻ってきた。
藤堂相手では一人では、戦えないと思ったからだ。
志摩自身が知りうることをすべて話せば、
勝呂は今回のコールタールの発生原因もうなずけるな、とつぶやいた。
「このこと、先生は知っとるんか!?」
「わかりません、先生に電話しても話し中やったんです」
「まずは、先生に連絡取らな始まらんな。それと、霧隠先生にも・・・」
「霧隠先生につながりました!坊に代わってほしいそうです!!」
携帯をいじっていた子猫丸が、声を張り上げた。
本部は、ほかの場所よりも早くコールタール祓魔作業を行ったので、前よりは
少しだけ電波が通じやすい。
勝呂は、今志摩から聞いたことを全てシュラに話した。
シュラは、最悪だな。と今の状況を的確に告げた。
『雪男はいないんだよな?』
「はい。まだ奥村を探しに行って戻ってきてません」
『・・・そうか、あいつが一番まずいかと思ったんだが』
「霧隠先生は本部にはおらんのですか?」
『ああ。さっき別の救護テントが襲われたんで、応援でそっちに来た所だ。
コールタールは雑魚だが、数が多すぎる。
上級の祓魔師もそれぞれのテントに散らばって対処しているような状況だ。
正直・・・私もここを離れられない』
シュラからの応援は難しい。
勝呂はなおさら、雪男と連絡がとれないことが歯がゆかった。
祓魔師は一人では戦えない。
以前の勝呂なら、飛んででも燐を探しに行っただろうが、京都でチームワークの大切さを学んでいる。
単独行動をするにしても、ほかの仲間と足並みを揃えなければ意味がない。
「志摩、奥村先生にもう一回連絡」
言おうとしたところで、眼鏡をかけた人物がこちらに向かってきている。
びしょ濡れになっているが、あれは間違いない。
「奥村先生!よかった。探しとったんですよ!」
『雪男と合流できたのか!?ちょっと代わってくれ!』
勝呂が霧隠先生です。と携帯を手渡す。
雪男は感情の読めない表情のまま、電話にでる。
「もしもし」
『雪男、今お前が掴んでいる情報を話せ』
「藤堂は、兄を誘拐しその血を使って学園内で儀式場を築いています。
数は不明ですが、おそらく複数でしょう。
そこからコールタールを呼び出して、瘴気をばらまいているようです」
『藤堂と会ったのか?』
「はい―――兄は、助けられませんでした」
話を聞いていた京都の三人組も、顔をしかめた。
雪男は血にまみれた兄を思い浮かべて、唇を噛む。
『儀式場はどんな風だった?中級以上は呼び出せそうな魔法陣だったのか?』
「いえ、かなり簡易な魔法陣でした。おそらくそれは難しいかと」
『そうか・・・よし。お前はこれから塾生と共に学園内の儀式場を潰せ』
シュラからの言葉、これは上司命令だろう。
兄を助けに行け。とはいわれないことはわかっていた。
だから、遭遇した時点で取り戻したかったのに。
手が届かなかった。これはいいわけでしかないが。
学園にいる人の数と兄一人の命。天秤にかければどちらが重いかなど明白だ。
「わかりました。これから塾生と共に魔法陣の除去にあたり・・・」
「先生、ちょおすんません」
勝呂は雪男から携帯を横取りして、シュラに問いかける。
普段の彼からはありえない行動に、雪男は目を白黒させた。
「奥村を捜索するな、とはいいませんよね?」
『ぶふふー、勝呂君は頭がまわるにゃー。お兄ちゃんのことが心配で思考停止してるビビリとは大違い』
「おい!てめぇ今なんつった」
「おわ、先生が素に戻った!」
雪男は声が届くように、携帯のスピーカーフォンをオンにする。
これで、ここにいる全員にシュラの声が届く。
『いいか、お前等は命令で生徒の救護にあたっている。この状況じゃあ動こうにも動けないだろう。
今回は、魔法陣を破壊するために校内に入るという一種の「言い訳」ができたわけだ。
聞くところによると、お前等でも破壊できそうな陣だしな。
おまえたちは陣を破壊しつつ、奥村燐の捜索にあたれ。
ただし、無茶はするな。藤堂と鉢合わせたら洒落にならない。
あくまで、捜索に徹しろ。居所が掴めたなら、私か雪男に連絡だ』
シュラはそう言うと、私は外の方をできる限り捜索する。と言った。
雪男はシュラに対して素直な感想を述べた。
「見捨てろとか言うかと思いました」
『おまえなー、仮にも弟子なんだぞ。弟子を見捨てる師匠にはならないと私は決めてんの』
なにやら養父に関して含みのある言い方をされた気がしたが。
雪男は黙っておいた。神父とシュラの関係は二人だけの物だ。
とやかく言う必要はないだろう。
「シュラさん」
『なんだよ、ストレスビビリ』
「変な言い方はやめていただきたい」
『ぷくくー、京都でも言っただろ。自分にだけは正直でいろって』
「そうですね、ありがとうございます」
うわ、ビビリにお礼言われた!という言葉が聞こえたが、かまわず切った。
雪男は周囲を見渡す。
そこには、自分たちを悪魔の―――魔神の息子と知ってもなお、見捨てずにいてくれる仲間がいた。
「では、危険な任務になりますが、よろしくおねがいします」
「あいつほっとく方が心臓に悪いわ。あ、子猫丸は杜山さんたちにもこのこと伝えてくれるか?」
「一応、一般人の救護が優先されますし、このまま残っても大丈夫です。とも伝えてください」
「わかりました。ほな僕も後から追います」
「俺もがんばりますー」
一人では、きっとできないこと。
今まで、自分が兄を助けなければと思っていた。
神父が死に、味方は兄弟しかいない状況だと思いこんでいた時もあった。
でも、ここにくれば、自分だけではないことを実感できる。
人は、人と関係を持つことで強くなれる。
京都で学んだことは、確実に自分たちを前に進めてくれているだろう。
兄さん、僕たちは一人じゃないよ。
雪男は前を向いた。
今度こそ、兄を取り戻す。仲間と一緒に。
「ところで志摩くん、今度は連絡事項はささいなことでもしましょうね。見落としは命を危険にさらしますよ?」
「おっわっわわ!坊、ばれてる!俺が奥村君とすれ違っちゃってたこと、先生にばれとるううう!」
「当たり前やろ、俺が言うた。仕方なかったとはいえ反省はせえ」
きらりと光る眼鏡に身震いが止まらない。
志摩は、気合いを入れて奥村燐の捜索に当たろうと心に決めた。
仲間は、燐に呼びかける。
絶対に助けるぞ。と。
声はがんがんと頭に響く。
暗闇の底から俺を呼ぶ声。
どこか移動したような感覚がして、地面が揺れる。
頬をはじかれて、衝撃で一瞬声が飛んだ。
目を開けば、藤堂がいた。
「まだ死んで貰っては困るよ奥村燐君」
「・・・う」
「ああでも相当弱ってるのは確かか」
藤堂は、そばに置いてあった倶利伽羅を取り出した。
燐を拉致してきたときに一緒に持ってきておいた。それを一気に引き抜いた。
暗闇の中が青い炎に照らされる。
燐を苦しめていた傷口が、徐々にふさがっていく。
悪魔特有の治癒力のおかげで、少しだけ息がしやすくなった。
「君のその力、きれいだよね」
藤堂は、意識もおぼろげな燐に話しかける。
「君が、その力を得るために犠牲にしてきたものはいったいなんだい?」
「犠・・・牲?」
「そう、代償ともいおうか。悪魔の力を得たなら、
相応のものを無くしたはずだろう?少なくとも、僕がそうだった」
藤堂には、家族がいた。
家に縛られる父と、優秀な兄。
藤堂は、いわば落ちこぼれだ。
家は兄が継ぐことが早くから決まっていたし、父はそんな家を継ぐ兄のことしかみていなかった。
藤堂は、自分が家族に愛されていたという記憶は薄い。
いつも、目の前には父の背中があり、兄の背中があった。
そう、家族は自分のことなどみてはいなかった。
いつも、いつも、いつも。
では、自分の価値はいったいなんだ。
兄のスペアのごとく扱われる日々。
そう思い悩んでいたところに、青い夜が来た。
父と兄は死に、家督は藤堂が継ぐことになった。
ふってわいた幸運。とも呼べるかもしれないが、
家督をついでそれがどんなにつまらないことだったかも
藤堂は同時に気づいてしまう。
僕は、こんなものに捕らわれて人生を終えるのか?
家という縛りにあこがれていた時代も、確かにあった。
しかし、今の自分はどうだろう。
この立ち位置は、自分で勝ち得、選んだものではない。
父が亡く、兄を失ったからこそ手に入れたもの。
そう、いつだって藤堂の前には父と兄の背中がある。
その背中を失ってもなお自分の前に立ちはだかるもの。
自分の力で手に入れたわけではないという思い。
しかし、越えたかった父と兄は既に亡く。
藤堂は一生越えられない、重荷を背負った。
死んでも、なお、父と兄と。そして家に縛られている自分。
今際の際。父は、青い炎に焼かれながら叫んだ最期の言葉がある。
「私の父はね。最期まで兄の。家のことしか頭にない奴だったよ」
悪魔の力を借りて捨てたものは。
父が。兄が。以前の藤堂が大切に思っていた「家」だ。
藤堂が悪魔堕ちしたことにより、藤堂家の名は地に堕ちた。
ざまあみろ。と思った。
これまで縛られていたしがらみを捨ててやった。
家も、地位も。称号も。仲間も。
なにもかもなくしてやった。
それが、藤堂が悪魔の力を得た時に捨てたもの。
藤堂は、燐の首に手をかけた。
炎が、藤堂の腕を焼こうと絡まるが、燐の血にまみれたそれを炎は浸食しなかった。
燐が目を見開いていると、血だよ。と藤堂が言う。
君の血に染まって、君の血を取り込んだ。
少しだけだけど、耐性はつくみたいだ。
顔が、とても近くにある。吐息が耳にかかって気持ち悪い。
「君は、弟の、奥村雪男君に対して思ったことはないかい?彼がうらやましいって」
はやくから神父に才能を認められ、祓魔師になった雪男。
任務の際に一緒に出かけることもあっただろう。
祓魔師の勉強を見て貰ったこともあっただろう。
二人は、秘密にしていた。
燐が、魔神の息子であることを。
燐がいつからか感じていた。疎外感。
その時期は、ちょうど雪男が祓魔師を目指すようになった頃と同じ時期だった。
優秀な弟。かたや、落ちこぼれの兄。
喧嘩のたびに、神父は近所に謝りに出かけた。
弟は、一度もそんなことはなかった。
うらやましかった。
そう燐が雪男に思ったことは一度ではない。
人間のようにいきられる雪男がうらやましかった。
「君が、悪魔の力に目覚めなければ、君達のおとうさんは死ななかったんじゃないかい?」
人が悪魔の力を得るには、同等の対価が必要だ。
君がおとうさんを殺したんだ。
悪魔の力を得る為の代償に。
弟君は、君に銃を向けた。
君に死んでほしかっただろうね。
おとうさんを君に殺される前に、君を殺しておけばよかったと思ったはずだよ。
弟君に残されたのは、悪魔である兄だけ。
「人間」の味方は残らなかった。
君は、おとうさんからも、弟からも奪ったんだ。
そうして、青い炎を手に入れたんだろう?
君は、とても、残酷だね。
この青い炎は、犠牲の光だ。
君が奪った人物の命で燃えている。
「そんな代償を払うくらいだったら、こんな力はいらなかっただろう?」
うつろな瞳をした燐はこくり、とうなずく。
藤堂は、しめた。と思った。
力を奪うのに一番手っとり早いのは、力の放棄を持つものに宣言させることだ。
もちろん力全てを奪えるわけではないが、放棄の意志の作用に反応して出たほんの少しの力で十分だ。
青い炎には、火の粉だけでも価値がある。
藤堂は、それを手に入れるために燐を言葉で責めた。
15歳の子供を追いつめることは、簡単にできる。
傷口を抉ってやればいいのだ。
炎が、弱々しくなっていった。
藤堂は、追い打ちをかける。
「じゃあ、この力、僕にくれるかい」
放棄すればいいんだ。
そうすれば、自由になれるよ。
君の心を苦しめるものから解放される。
燐の心に甘く響く声―――
燐は、藤堂に答えた。
「いやだ」
藤堂は、目を見開く。
燐は、搾り出すように言葉を吐き出した。
「なにも、知らねぇくせに・・・俺が、神父さんが、雪男が、大切に想っていたこと・・・勝手に語るな!
この力を投げ出して、神父さんが帰ってくるならなんでもするさ・・・
でも、そうじゃない。
ここで力を捨てたら、俺は自分から逃げたことになる・・・
神父さんは、そんな俺なんかみたくないはずだ。雪男だって。
あいつが俺のこと嫌いでもいい。俺は家族を嫌いにはなれねーけど・・・
みっともなくったって、嫌われていたって。それでも、俺は・・・生きて、
神父さんが正しかったことを証明するんだ・・・!!」
神父は、燐に人間として生きていてほしかった。
でも、それは悪魔である燐を否定することにはつながらない。
神父は、雪男は。奥村燐のことを大切に想ってくれていた。
魔神の息子であることも。青い炎をもつことも。
全てを受け入れてくれた家族が。そして、仲間がいる。
名前を呼んでくれるだけで、俺は救われる。
だから俺は、自分から逃げないで生きられる。
燐は、目に涙を浮かべながら、決してこぼさなかった。
炎は先ほどとは違い、勢いを増して藤堂の体を覆う。
焼き尽くされはしないが、このままここにいればまずいことになりそうだ。
藤堂は、燐の首を絞める。
明確な殺意をもって。
「・・・ぐっ」
「残念だね。少しでも痛みの少ない方法で奪おうと思ったんだけど。
君が望むならしょうがない」
奪うよ、君の力。
そうして、藤堂は燐の首に噛みついた。
痛い。痛い。焼けるような痛み。
炎が、熱が奪われる。
人体の急所の一つである頸動脈、悪魔の牙でそこを犯される。
牙が燐の体内に入り込み、溢れる熱い炎を、流れる血を。藤堂は喰らった。
「いや、だ・・・!離せ!!うあああ!!!」
ただでさえ、失血している体だ。
これ以上血を失えば死ぬかもしれない。
もう、藤堂にとってはどうでもいいことだが。
カルラの赤い炎と、燐の青い炎が相克するように火花を散らす。
視界が、赤と青の信号で埋め尽くされる。
どどん、という音が聞こえた。
学園に描いた魔法陣が消失する感覚を藤堂は感じる。
きっと、この子を取り戻すために「仲間」が陣を消しているのだろう。
この場所は人の目には留まりにくいように外側から術をかけている。
それが壊されない限り今の所、見つかる確立は少ない。
しかし、時間の問題かもしれない。
「いろいろな意味で、お迎えが近そうだね。
でも、あの陣の中には大量のコールタールがいる。
オトモダチが瘴気にやられてなければいいけどね?」
オトモダチが死んだら、きみのせいだ。
藤堂の声を意識の奥底で聞いた。
燐は、声を上げようとするが、のどを動かすのもだるい。
力が抜けていく。死を予感させる寒気の中。
声は、燐を起こすようにささやきを強めた。
お呼びください
声は言う。
私は、あなたの声に応えましょう
お呼びください 一言でいいのです
それが、私とあなたを繋ぐ縁となりましょう
お呼びください。
私の名は―――――
燐は、こぼれるようにささやいた。
「来い、アスタロト」
すべてが漆黒に包まれる。
おおせのままに、若君
声は、すぐ近くから聞こえた。
悪魔のささやきに、燐は答えた。
ごめん、兄さん。
僕がちゃんと気づいていればこんなことにはならなかっただろうに。
「兄はどこにいる。藤堂」
電話口から兄の声は聞こえてこない。
なにをされたのか、無事なのか。
自分がついていながら、なんて様だ。
「お兄さんのことが心配かい?奥村雪男君」
「・・・当たり前だ」
本当にそうかい?と藤堂は返す。
お兄さんのこと、大嫌いなくせに。
自分に素直になればいい。
そうすれば、俗世のしがらみから解放されて楽になれるよ。悪魔は囁く。
「僕は、お前とは違う」
「そうかなぁ、僕は自分の兄が死んだときは胸が軽くなったけどなぁ」
「どうかしている」
「君も、同じ状況になったらわかるんじゃないかな。試してみようか?」
なにかが裂ける音がした。
続けて聞こえてくる、悲鳴。
聞きなれた声だった。
「兄さん!!??藤堂、貴様いったい何を!!!」
「あははは、彼にはちょっと協力して貰ってるんだ。
死にはしないんじゃないかな。彼、悪魔だしね」
「くそ、今どこにいる!」
雪男は旧校舎に張られた立ち入り禁止のテープを飛び越えた。
瘴気を避けながら、階段を上がる。
渡り廊下に出た。ここは実験室など、特別教室がならぶ棟だ。
教室の前はふきざらしの廊下がある。
みれば、その廊下の奥から黒い固まりが渦を巻いて出てきている。
あれは、密集したコールタールだろう。
「げほっ、げほ・・・」
雪男はもう一度腕に瘴気の中和剤を打った。
あまり、長くここにいるのも人間である雪男には危険だろう。
コールタールの密集地を辿れば、大本にたどり着くはず。
雪男はそこに燐がいることを信じて駆けた。
今のところ、電話だけが唯一の情報源だ。
携帯を持ったまま、目の前のコールタールに聖水を散布した。
一瞬呼吸が楽になる。
瘴気が晴れたことを確認し、コールタールの発生源であろう教室のドアを見た。
『生物実験室』
そうかかれた表記にも胸くそ悪くなった。
学校特有のスライド式のドアを開ける。
中からは異様な空気が流れてきた。
不快な湿度、生ぬるい風。
そして、濃く香る血のにおい。
幸い、人はいなかった。
代わりに教室の中には教科書やペンが散乱していた。
この騒動が起こるまで、生徒がここで授業を受けていたことがわかる。
「関係のない一般人を巻き込むのがおまえのやり方か、藤堂」
「うーん僕も好き好んで巻き込んでるわけじゃないんだけどね」
「じゃあやり方を変えたらどうだ。これじゃあまるっきり、京都と同じような舞台じゃないか」
そうだ。最初からなにかおかしかった。
巻き込まれた一般人。
瘴気に包まれた学園。
テロにも等しいそのやり口を、一度知っていたのに。
京都事件をなぞるような出来事。
なぜそれに気がつかなかったのか。
「なにか勘違いしてないかい?
僕はね。なにも無差別テロが趣味なわけじゃない。病みつきにはなりそうだけど。
僕は、数ある選択肢の中で、一番代償が大きいと思ったものを選んでいるだけなんだ」
「代償―――?」
そうだよ。
という声が近くから聞こえた。
そこには、魔法陣に囲まれた藤堂がいた。
その足下は血にまみれている。
雪男はなにも言わず即座に撃った。
しかし、目の前にいた藤堂の姿は煙に包まれたかのように消えてしまう。
雪男の周囲が赤い炎で包まれた。
カルラの炎を使った幻影か。
雪男は再度、聖水を持った。
それを相手は予測していたのか、背後からはじかれる。
「くそっ・・・!」
雪男の手から離れたそれは。からん、と金属の音を響かせて床に転がった。
視線で辿ると、床には夥しい数の魔法陣を書いた紙が敷き詰められている。
床、壁、天井。窓にもドアにも。
そしてそのどれも、赤い血で染まっていた。
なにかを召還するための儀式場ができあがっている。
雪男は背後を振り返った。
見れば、藤堂が笑いながらこちらを見ている。
手には、赤い血の入った小瓶。
雪男は戸惑いなく藤堂を打ち抜いた。
姿はまた消失する。
藤堂が持っていた小瓶が床に落ち、割れて周囲に血が飛び散った。
赤い血に反応して魔法陣から、コールタールがふつふつと沸き上がってくる。
「・・・血を使って、コールタールを呼んでいるのか?」
そんなことをしていったい何を。
コールタールは悪魔の中でも最弱だ。数が一番多いだけ。
ここを潰せば、コールタールはこれ以上増えないだろう。
あとは、残ったコールタールを聖水で清めて祓えばいい。
かなり、広範囲な祓魔作業になるが。
雪男は気づいた。
「まさか・・・この魔法陣、他にも・・・」
「ははは、ここの結界は中級以上は入れないんだよね。
悪魔のレベルにだけこだわるから意外と気づかないものだよ」
姿を現した藤堂は、室内に設置されたドアの向こうにいた。
上に生物準備室。とかかれていたので、実験室と繋がった教員用の部屋だろう。
しかし、そのドアの隙間の向こう。
そこからのぞく光景は生物準備室とは似ても似つかない。
まるで、どこか別の部屋と繋がっているような。
「―――侵入経路は鍵か!」
藤堂自身は、騎士団に所属していた時代に持っていた鍵を使用して、学園に潜入する。
コールタール自身は、下級の為結界をすり抜けて学園外からでも中に侵入することができる。
あとは、儀式場を使って、内からも外からもコールタールを呼び寄せる。
雪男はドアと藤堂に向かって発砲した。
藤堂の腕に銃弾がめり込む。だが彼が腕を一振りすると傷は跡形もなく消えた。
雪男はそれでも、つづけて銃を撃とうとした。
「いいのかい?お兄さんに当たっちゃうよ?」
藤堂がよけた先。銃弾がかん、と金属にはじかれた音。
開け放たれたドアの向こうに横たわる人。
ストレッチャーからだらりとはみだした白い腕。
人工呼吸器のような機材をつけられて。
その全身が赤く染まっていた。
このむせ返るような血のにおい。
悪魔が好む血のにおい。
「まさか、この教室の・・・血は・・・」
「彼、血統書付きだからね。悪魔を惹きつけるにはいい材料だよね」
兄の血が抜かれて、それが藤堂の手によって学園中にばらまかれている。
魔法陣と血を依り代にコールタールは際限なく量産される。
きっと、ここ以外にも陣を張っているだろう。
藤堂は、鍵を使って移動するだけだ。
この学園のいたるところがコールタールの発生場所となり、
居所がつかめない敵は増殖を続け、瘴気をまき散らす。
京都と違う所は、不浄王といういわゆる『親玉』がいないところだ。
意志なき個。
個が集った腐の集団は、意図もなく人民を害す。
藤堂自身は悪魔なので、瘴気に害されることもない。
藤堂がお膳立てをすれば、後はコールタールの仕業。
藤堂がしたことといえば、お遊び程度にコールタールが人型になるように命じたそれだけだ。
以降は彼の意志は介在しない。
つまり彼を殺しても、コールタールや瘴気は収束しない。
「菌による無差別攻撃・・・これじゃあ、バイオテロと同じじゃないか」
気づいて腸が煮えくり返る。
それに、家族の血が使われたとなればなおさら許せない。
兄がこのことに気づけば、きっとすごく傷つくはずだ。
「兄さん!!」
力なく横たわる兄に、手をのばそうとした。
でも、それはカルラを取り込んだ男に阻まれる。
炎で壁を作られて、道をふさがれてしまった。
揺れる炎の向こうで、藤堂が扉に手をかけた。
からからと乾いた音を響かせて、生物準備室の扉が閉まっていく。
扉が閉まってしまえば、ここからむこうにはいけない。
わかっていても、どうしようもなかった。
炎で焼かれる熱で喉が焼ける。
瘴気も先ほどより増している。
「・・・げほ、げほ・・・・うっ」
雪男は人間だ。
だから、ここでは息ができない。
藤堂はそんな雪男をあざ笑うかのように、一言言った。
「兄思いの君に、これだけは返してあげよう」
血にまみれたカッターシャツを雪男に投げてよこした。
視界がシャツによってふさがれる。
新たに追加された血のにおいに興奮したのか、コールタールが雪男の周囲に集まってきた。
雪男は、それを払いのけながら、先ほど落とした聖水を拾った。威力、範囲ともに最大限。
ノズルをいじり、それを一気に教室中にばらまいた。
続けてもう一個、今度は投げて銃で打ち抜く。
教室中に雨のように聖水が降り注いだ。
カルラの炎が。
コールタールが。
魔法陣が。
いとも簡単に消えていく。
顔をあげた。
雪男は聖水と血で濡れた床を歩いて、生物準備室の扉を開けた。
「兄さん・・・」
そこには、ただの理科の機材があるだけだった。
兄も、藤堂もいない。手がかりは少ない。藤堂は学園に通じる鍵を持っている。
こちらから藤堂がいる場所など掴みようがなかった。
では、兄はこのまま死ぬ寸前まで血を抜かれるのだろうか。
藤堂に利用されて。
そんなこと許せない。
血塗れの、兄の着ていたカッターシャツ。
それを投げてよこしたのは、雪男を挑発する為だろう。
見れば、どこも刃物で傷つけられた痕と血がにじんでいる。
しかも、人体の太い血管を傷つける切り方をしていた。消えていく兄の姿。
すぐ近くまでいたのに。
「僕は、いつだって手が届かないのか・・・」
シャツを握りしめて、雪男はつぶやいた。
兄さん、どこ。
温かいコメント、励ましの言葉。
全て糧にさせていただきます。
本当にありがとうございました!
お客様がいるからここは成り立っています。
ありがたいことです。
いや、実質9日間くらいおいてたんですが、総勢154名の心優しい方々に
お答えいただきました!
( Д ) ゚ ゚ ポーン
面倒くさいアンケートにお答えいただき誠にありがとうございます。
リクエストは合計で87個いただきました!
( Д ) ゚ ゚ ポポポポーン
オウッフ・・・なんというか。
重複しているものが幾つかあったんで、それらはまとめさせていただこうと思います。
応えていけるように頑張りまっす。
どれを書こうかなーと考え中。
とりあえず、コメントで今の「悪魔への対価」の続きが気になる方が結構いらっしゃるみたいなんで、
連載進めたほうがええのでしょうかね??
当初はオフにでもするか??と考えてたブツなんですが、さてさて。
アーサーさんが意外と受け入れられていてびっくりしました。
リクエストはお待たせするかもしれませんが、応えていきたいと思います。
集計もどっかでしなきゃあああ。
あ、あと残念なお知らせ一つ。
パソコン開けない日が多いので、代わりにつかっていた・・・
ポメラたんの N のキーボードがクラッシャーされました。
・゚・(ノД`)・゚・。
まだ5ヶ月しか使ってないのに!コレ絶対「兄さん」って打ち込みすぎたんだよおおお。
修理に出せるか、それか新しく購入するかが悩み所。
掴んだ手が、ぐにゃりと歪んだ。
これは、人の手ではあり得ない感触だ。
志摩はとっさにその場から離れた。
廊下の壁を盾にしてしゃがみ込む。
爆発するように、『人』を象っていたものが崩れ落ち霧散していった。
コールタールが、人の形に化けていたのだ。
志摩のすぐ側を列をなして通り抜け、また空中で収束していく。
まるで授業で習った聖書の一説にある光景だ。
イナゴの群が現れて・・・と考えて。
それが、自分に向かおうとしている想像を巡らせた。
「ぎ、ぎゃあああああああああ!!!!」
志摩は耳を塞いで、首を横に振る。
違う、虫じゃない。虫じゃない。
虫じゃないから大丈夫。
近くに漂っていたコールタールを一匹つぶしてみた。
ぷちりといういい感触。
よし、大丈夫だ。虫じゃない。
錫杖を握って一呼吸おいた。
目の前に黒い何かが降ってきた。
人の姿をしたコールタールが羽織っていたものだろう。
正十字学園の制服の上着が、床にぱさりと落ちる。
志摩は、それを拾って確認した。
「・・・道理で・・・悪趣味や・・・」
なぜ自分があれを奥村燐と間違えたのか。
あれは制服の上着を着ていた。そして、彼特有の悪魔の尻尾まで形作っていた。
全て、奥村燐だと思わせる為のフェイクだ。
上着を羽織っていたので、コールタールであるとすぐには気がつかなかった。
コールタールは、集合体であるといってもそのひとつひとつは別の個体である。
つまり、意志があってないようなものなのだ。
この集団を操る、頭のような存在―――おそらく藤堂が、
コールタールを使ってこんなことをさせたのか。
志摩は、なにか手がかりがないかと思って上着を探った。
「・・・これ」
よく確かめなかったら、上着はこのままどこかに放り投げていただろう。
戦闘の時に荷物になるからだ。
しかし、制服の裏地にある刺繍に目が止まった。
入学時に支給されるそれには、制服の持ち主の名前が入っている。
志摩の場合は兄からのお下がりなので、自分の名前は入っていない。
しかし、名が示すこの制服の持ち主は一人しかいない。
「これ、奥村君の上着やん・・・」
この上着を捨てられなくなってしまった。
それより、もっとなにかないかと探してしまう。
生地が黒いせいでわかりにくいが、腕や腹の部分が切り裂かれている。
そして、香る血のにおい。
さっきコールタールが化けた人から香ったにおいはこの血のせいか。
彼が、この制服を着たまま怪我を負ったことがわかる証拠だ。
志摩は、唇を噛んだ。
ああ、くそ。あのとき、奥村君がトイレに入るのを呼びかけて止めていれば。
あのとき、廊下ですれ違ったときに止めていれば。
あのときか。
あのときか。
後悔はしてもし足りないくらいだ。
しかし、背後でまたコールタールが暴れる音がした。
どしん、と音を立てて植木を中庭に投げている。
こちらに植木が投げ込まれるのも時間の問題だ。
後悔している暇はない。
志摩は、燐の制服を腰に巻き付けた。
制服の上に制服という不思議な格好だが、これは持ち主に返さなければならない。
そして、持ち主も帰して貰わなければ。
そうでなきゃ、夢見が悪い。
同級生が浚われる瞬間にいながら、それを自分はみすみす見逃してしまったのだ。
「あーもー!めんどくさいことは嫌いや!考えるんは、坊や先生の仕事!!
さっさと奥村君返してもらうで!そうすればこんなもやもやともおさらばや!!」
このままではチャンスはものにする男、志摩廉造の名が廃る。
そして、彼の弟である雪男にこのことがばれたら、きっとただではすまされない。
なぜ気がついたときに自分に連絡しなかったのかと鬼の形相で詰め寄られるに違いない。
雪男が燐を見つけている可能性にも賭けたいが、おそらくそれも難しいだろう。
人に見つからないように目的の獲物を浚い、しかし自身の真の目的には触れさせない。
人を巻き込み、傷つけ、無関係の人間を平気で害す。
藤堂のえげつないやり口は、京都でイヤと言うほど身にしみた。
コールタールが投げた植木が、廊下の壁に当たる。
どどん、と大きな音がして壁にヒビが入った。
志摩は、覚悟を決めた。
「往生しいや!!!」
詠唱によって、コールタールが目の前ではじけた。
「・・・奥村君、ごめんな」
彼が帰ってきたら、謝ろう。無性にそう思った。
呼ぶ声がする。
この声は一体誰だろう。
兄さん
奥村君
燐
みんなが呼ぶような声とは違う気がする。
お前は一体誰だ。
それは、もう一度俺を呼んだ。
呼びかけるように、囁きかけるように。
俺を。求めるように。
薄暗い闇の中に一人で漂っているようだ。
暗い。目を開けているのか閉じているのかもわからない。
気絶する瞬間まで聞こえていた、学校ならではの喧騒も今はない。
静かな、凍り付くような静寂。
ここはどこだ。
みんな、無事なんだろうか―――
どうして俺はこんな所に。
起きあがろうとした所で、腹部に鋭い痛みが走った。
痛みがある。ということは夢じゃない。
どうやらここは現実だ。
燐は重い瞼をゆっくりと開けてあたりを見た。
起きているのかもわからない暗闇。
せまくて、じめじめしてて。暗いことしかわからない。
途端に、燐の口元に、何かが寄せられた。
誰だ。相手の顔も、目的もわからない。
好きにされてはたまらない。
相手は何かの意図を持って、燐の口元を何かで塞ごうとしているらしい。
身をよじって嫌がったが、そのたびに痛みが幾度となく燐を襲う。
ひるんだところで、口元がすっぽりと覆われた。
どうも、呼吸器のようなものだ。
しかし、そこから吐き出されるものは酸素ではなかった。
「聖水を霧状にしたものだよ。もう目が覚めてしまうなんて、流石と言おうか。
少しおとなしくしていてもらうよ」
自分の側に、人がいる。
誰だ。上半身しか見えない。
救急隊員の服装をしているが、人助けなんていう高尚な気配はこの人物からは伺えなかった。
マスクをしているから、眼鏡の部分しかわからない。
呼吸をするたびに、この聖水のせいで力が抜ける。
呼吸器を取ろうとするが、腕も、足も何かがはめられていて動けない。
「聖銀で固定してるから動きにくいだろう?
しかし、私なんかが聖銀に触るとこんなにも焼けただれるのに、
やっぱり魔神の血をひく純血種は庶民とは違うんだねぇ」
ほら、とそいつは自分の手を見せてきた。
なるほど、赤く焼けただれており悲惨だ。
対して燐の方はというと、聖銀と言われてもただ違和感というか動きにくい。という印象しかなかった。
ただし、聖水を注射された左腕だけは、まだ痺れていて動かしにくい。
相手は、よく見ろというように自身の手を燐の前に持ってきた。
相手の手から、ただれて壊死した部分から赤い炎が沸きだして、次々に細胞を修復していく。
暗闇だからこそよくわかる。
火の粉に包まれて燃え、再生と破壊を繰り返す手。
その光で、顔が見えた。
人物はいつの間にかマスクをはずしていた。
こいつは、以前会ったことがある。
北正十字の住宅街で、京都で、害悪をまき散らした人物。
「藤、堂・・・」
「そうだよ。いや、覚えていてくれたとはね」
忘れるわけがない。あの惨劇を招いた人物だ。
いや、正確にはもう人ですらない。
悪魔を喰らい、悪魔へと身を堕とした悪魔。
「君の弟さんにはお世話になったね?」
燐の神経を逆なでする発言だった。
藤堂は、言葉で相手の動揺を誘う。
そうしてできた隙間に入り込み、その人物の根幹を揺るがすのが手口だ。
「お前、京都で。雪男に怪我させやがって・・・ただで、すむと、思うなよ・・・」
「よく歯向かってこれるなぁ。今、君がどういう状況かわかってる?」
ドス、という音がして、燐の体に刃がつき立てられた。
じわりと滲む血。激痛。
「う、ああああ!!」
歯を食いしばった。痛い。
白いシャツの上に血が滲む。
そこで自分が、制服の上着を着ていないことに気づいた。
藤堂の手が、シャツのボタンにかかる。
ひとつひとつ外されていくボタンにぎょっとした。
「・・・やめ、ろ」
燐の意思は無視され、シャツが開かれた。
黒のアンダーが藤堂の前に晒される。
「やっぱり白いシャツのほうが目立っていいかな」
「なにがだ・・・」
「こっちの話。あ、君の血だけど。あっちに集めてるんだ。結構溜まっただろう?」
地面に滴り落ちた燐の血は、意思をもっているかのように奥の棚に置かれた小瓶の中に入っていった。
燐が寝かされているストレッチャーの置かれた床には魔方陣が描かれている。
この魔方陣は、血を一定の場所に誘導するように命令する陣だ。
他にもそこかしこに陣が張られている。
よくサバトなどを行なうときに使用されるものだが、それを燐が知るはずも無い。
血の入った小瓶の数は、ざっと見ても7つはあった。
それだけ多く、燐の血が抜かれているとわかる証拠だった。
「目的は、なんだ・・・俺の血を集めてなにがしたい」
「そうだね。少しでも君に近づく為。かな?」
藤堂は、小瓶を一つとって。それを一気に煽った。
燐は、自分の血が飲まれる瞬間を見て顔をしかめる。
気持ちいいものとはいえない。はっきり言って気持ち悪い。
ごくん。
と全てを飲み込むと、藤堂の体から紅い炎が湧き上がった。
「カルラの炎。まだ完全には慣れたとはいえないけど、
君の血のおかげで少しは安定してきたよ。君の血って悪魔にとってはすごくいいものみたいだ」
すごく馴染んできたよ。君の血。
僕の腹で蠢いている。
藤堂の手が、燐の首にかかる。
血が流れる頚動脈を慈しむ様な、そっと触れる感触が気持ち悪い。
頭がくらくらする。
貧血だろうか。あれだけ血を抜かれたのだ。
いくら悪魔の回復力があるとはいえ、すぐに造血はできない。
意識が朦朧としてきた。それでも燐は動かない体で抵抗をしようと試みる。
藤堂は、燐に囁く。
「京都で聞いたんだけど、奥村雪男君。君のことが大ッ嫌いなんだって」
その言葉は、燐の胸に響いた。
君が、いるから彼は追いつめられたんだ。
ここで、君が退場したほうが彼のためになるんじゃないかな。
「そんなこと・・・」
あるか。といいたかった。
でも、本当にそうか?と思う自分もいる。
死んでくれ。
という声が聞こえた。
思い出すのは家族の。雪男から言われた言葉。
『神父さんを殺したのは兄さんだ』
雪男は今でも俺を殺したいのだろうか。
「僕としては、君がいなくなるのが一番だと思うんだけどね。
兄を亡くして身軽になった僕が言うんだ。きっと少なからず弟君も思っているんじゃないのかい?」
その様子だと、君たちはまだ決定的にすれ違っているようだね。
兄弟だからこそ、ねじれるとやっかいなんだ。
けっこうそこに関しては僕は理解があるよ。
その言葉に、燐は怒りを覚えた。
雪男が俺のことを嫌いでも。殺したいと思っても。
それは雪男が思って決めることだ。
燐はそれを受け止めるだけだろう。
それこそ、他人から干渉されるいわれはない。
これは、兄弟の。家族の問題なのだ。
燐は、藤堂を睨みつけて言った。
「うっせーな・・・人様の家庭の事情に・・・口出しすん、な・・・!」
「確かに、それは一理あるな」
しゃべるたびに聖水を取り込んでつらい。
しかし、こいつは許せなかった。
京都の一件でも会ったらかならず一発殴ると決めていた。
だが、腕は重くろくに言うことを聞いてくれなかった。
「では、家庭の事情はひとまずおいといて、僕の目的を果たすことにしようか。
まぁ君も、弟君の為になることだと思ってあきらめてくれ」
藤堂は、小瓶をいくつか手に取った。
同時に、携帯電話が鳴る音が響く。
ディスプレイを確認した藤堂が、それに出る。
藤堂の笑い声が辺りに響いていた。
燐は、意識が混濁していくのがわかった。
瞼が重い。
意識が暗闇の底に囚われていく。
また。声が聞こえる。
誰かが、俺を呼ぶ声が。
志摩は、かわいい女の子の手を握って、
救護テントの近くまで送ってあげた。
その子は、誰もいなくなった校舎の廊下の隅っこにうずくまっていたのだ。
どうも話を聞くと、教室から避難するときに周囲の戸惑いや怒声、
反狂乱になった様を見て驚いて腰を抜かしてしまったらしい。
しかし、そんな彼女にかまう人物などいるはずもなく、
一人立てないまま取り残されてしまったそうだ。
彼女は体調は悪そうだが、魔障にはかかってはいなかった。
座り込んでいた廊下側は風向きがよく、瘴気を吸い込まなかったからだ。
少し休めば、治るだろう。
志摩は何度もお礼を言う女の子に別れを告げ、先ほど脱出してきた校舎を見上げた。
まだ、他にもいるんじゃないだろうか。
志摩の勘はそう告げていた。
一番、なにかを見落としているような。
そんな不快感、記憶の隅が警鐘を鳴らすような。
だいたい、こういう事態で一番まずいのは
誰がどこでなにをしているのかが把握できないことだ。
生徒の多くは無事だろうが、全てのクラスメイトの無事を確認できたものはいくらもいないだろう。
人がばらばらになり、人の所在が掴めない。
そういうときに、彼女のように取り残されてしまう者が出てしまう。
犠牲になるのは、いつだってふいに取りこぼされてしまった者なのだから。
志摩は、ひとまず救護テントで貰った名簿を見た。
そして、先ほど助けた彼女の名前を見つけ、そこに赤ペンでバツ印をつける。
所在のわからない生徒が見つかった場合は、救護テントの本部にそれを告げる義務があった。
少し歩いて、志摩は本部の人に見つかった旨を伝える。
中にいた救急隊員がそれを受けて安堵の表情を浮かべた。
そして。
これ次に更新された名簿なんだ。
君、どこかでこの子達に会わなかったかい?
と今度は写真付きの名簿を渡される。
本来なら個人情報がどうのといって
顔写真つきの情報は外部の人間には見せないものだ。
しかし、事態は深刻だ。
学園が持っている最大限の情報を開示して生徒の安否確認を行っている。
たぶん、これは理事長が一枚噛んでいるんだろうなと思いつつ、志摩は確認した。
本来なら一般の生徒には見せない代物の書類だ。
だが、志摩は祓魔塾の生徒だ。
階級的には補佐役として扱われるため、こういった書類も手に取ることができた。
「あ、この子は無事です、30分くらい前にあっちのテントに収容されました」
「そうか」
「それと・・・あれ?」
志摩は、行方不明者の欄に奥村燐という名前があるのを見つけた。
まだ見つかっていないのか。
奥村先生は旧校舎にいくといっていたのに。
志摩は燐の携帯に電話をかけようとしたが、圏外だった。
ここは電波がまだ戻ってはいないらしい。
まぁ彼は悪魔だ。
ちょっとやそっとのことではどうにかならないことは知っている。
志摩は近くにいた救急隊員の男に話しかける。
「すみません、この子はたぶん大丈夫とは思います。
今、この子の弟が探しに行っているはずですから」
「え・・・いや、そんなはずはないぞ?」
男はきょとんとした顔をした。
「だってこの子は一番最初に私が持っていたストレッチャーに乗せた子だ。
随分顔色が悪かったし、今頃は病院に行っていると思うが」
「え、ちゃんと見てください!ほんまにその子、この顔してはったんですか!?」
志摩はずいっと書類を男に見せた。
男は間違いない、と答える。
トイレから救急隊員の男に抱えられて出てきたのだと言う。
話を聞いて、志摩は思い出した。
(ああ、あの時トイレに入っていっとったの奥村君やったんか・・・)
志摩は頭を抱えた。
でも、彼が怪我などするのだろうか。
志摩が納得できない様子を見て、男が安心させるように言った。
「友達だったのかい?なら、一度病院に連絡を取ってみるといい。
番号なら教えてあげるから。
そうだ、なんなら彼を助けた救急隊員に話を聞けばいいんじゃないのか。
確か、名前を藤堂といったから――――」
「え」
志摩の脳裏に、京都での一件が思い出される。
藤堂三郎太。
京都の、志摩の、勝呂の、子猫丸の。
大切なものを奪おうとした人物。
しかし、藤堂という名字はよくある名前だ。
同姓なだけだろう。そのはずだ。
そうして、思い出した。
あの、廊下ですれ違った時。
何かが気になった。
毛布で全身を覆って、ストレッチャーで運ばれていく誰か。それを運ぶ人物。
その背格好は、藤堂に似てはいなかったか?
どっと一気に冷や汗が吹き出した。
「うわあああああああああ・・・」
この勘が間違いだったらいいのに。
あのストレッチャーが通った廊下は、燐が入っていったトイレがある階だ。
なにより、燐と連絡がとれない。
救急隊員の人がこの場で嘘などいうはずもない。
なんてことだ。
「すみません、訂正します。この子、今一番ピンチや!
このこと、祓魔師の先生に伝えたってください!」
志摩は、そう言い残して走り出した。
向かうのは、旧校舎だ。
雪男の携帯に電話をかけたが、話し中で通じなかった。
中庭を走り抜け、旧校舎が見える位置まできた。
旧校舎の、一階の渡り廊下に、誰かがいた。
ふらふらと覚束無い足取りで歩いている。
「せんせ・・・じゃない?」
瘴気が濃くて視界が悪いが、あれは人だ。
そして、黒い制服から伸びるしっぽ。
あれは、探している人物だろうか。
志摩は近づこうとするが、コールタールの大群が道を阻む。
まるで集団が一つの意志を持っているかのように集い、志摩に牙を向いてくる。
下級も、集合体になればやっかいだ。
ここは、祓うしかない。
志摩はとっさに渡り廊下の壁を盾にして隠れた。
背後で壁にぶつかった有象無象のコールタールが散っていく。
また、空中で集う前にしとめなければ。
志摩は懐から錫杖を取り出し、手早く組み立てる。
しゃらんという音を鳴らし、錫杖をコールタールに向けた。
詠唱を始める。
「その行いによって、その悪行によって報い
その手の行為によって支払い・・・彼らに報復したまえ」
詠唱に反応したコールタールは志摩に襲いかかるが、
それを錫杖でいなしながら、詠唱を続ける。
本来なら前衛が欲しいところだが、そうも言っていられない。
京都にいた頃に見たことがある。
兄は騎士の資格も持っていたので、戦闘時には前衛と詠唱を同時に行なうこともあった。
自分はそこまで器用にはできそうもないが、見よう見真似で詠唱と攻撃を行なう。
「・・・主は、祝されよ!!」
最期の言葉を口にする。
「汝、途に滅びん!!!」
ぱんっと手を合わせた。
光に包まれて、コールタールが消えていく。
続けて周囲にいたコールタールも詠唱で霧散させ、彼に近づいた。
視界が、悪い。
瘴気に覆われていて前が見えにくい。
それでも志摩は、とっさに彼の手を掴んだ。
「奥村君!!」
彼からは血のにおいがした。
送信者 奥村 燐(兄さん)
題名 なんかおかしいぞ
教室にコールタールがいっぱいいる。
トイレから見たけど、
コールタールが発生してる場所がわかった。
誰かがひょういされてからじゃ遅いし、先に行ってる。
たぶん、旧校舎のほうだ。
兄の言葉を信じ、雪男は旧校舎に向かうため中庭を駆けていた。
腰の部分につけた二丁拳銃と、ポケットには聖水がいくつか。
装備はこれだけだ。
本当なら、旧男子寮まで戻って装備を整えたいところだが、今は時間がない。
兄を見つけて連れ戻す、そうしてすぐに寮に引き返そう。
雪男はそんな算段をたてていた。
「まったく、いつもいつも一人でつっぱしって!こっちの身にもなれよ!」
額に青筋を浮かべながら、拳銃の弾を装填し、
目の前のコールタールの集合体を打ち抜いた。
旧校舎に近づくに連れて、数が増えているし瘴気も濃くなってきている。
雪男は、自分の腕に瘴気の中和剤を打った。これで少しは、持つはずだ。
「兄さんは悪魔だから、瘴気には大丈夫なはずだけど・・・」
なぜだろう、なにか不安がよぎる。
なにか、見落としているかのような感覚。
雪男はポケットから聖水を取り出して、スイッチを押す。
聖水を周囲に霧状に散布して、周囲のコールタールを一瞬で消滅させる。
しかし、大元を絶った分けでもないし、
数が多いので効き目が切れるのも時間の問題だ。
それでもよかった。
雪男は携帯電話を取り出して、再度燐に連絡を取った。
今までも何度かかけたが、全部圏外で通じなかった。
今度は、電波がかろうじて1本立っている。
聖水によって清められたその場だけの連絡場。
通じろ、通じろ、と雪男は願った。
コール音が聞こえるだけ、まだ雪男は安心していた。
やはり、なにもつながらない状態のままでいるのとは不安の度合いが違う。
数コール鳴ってから、相手が出た。
「ちょっと兄さん一人で先走るなって言っただろ!
少しはこっちの身にもなってみろ!今どこにいるの!!」
続けようとして、携帯電話に雑音が混じった。
ザーザーという砂嵐のような音。
電話口の相手から反応がない。
少しの沈黙の後、聞こえてきた声。
『お兄さん元気ィ?』
男の声だ。耳に残る不快感。
人の神経を逆なでする、悪魔の声。
この声には聞き覚えがあった。
雪男の脳裏に京都での出来事が思い出される。
『奴』が兄の持っている携帯電話に出た。
それだけで、兄に『なにが』あったのか。理解できた。
こんな、無関係の人間を巻き込むような事態に、あの優しい兄が自分達の前に姿を一度も見せなかったこと。
それだけで、兄に何かがあったのだと気づくべきだった。
「藤堂三郎太・・・!!」
電波が悪いのか、時折砂嵐が混じりながらも聞こえてくる声。
電話口の相手の顔が想像できた。彼は今笑っている。
そう、騎士団を、雪男を、出し抜いてやったという悦楽で、彼は笑っている。
笑い声が、雪男の耳を占領する。
ははっはははははははっははっっはははは!
聖水の効力が消えるまで、あとわずか。
最悪の連絡がついてしまった。