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CAPCOON7

青祓のネタ庫

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囁く声


掴んだ手が、ぐにゃりと歪んだ。
これは、人の手ではあり得ない感触だ。
志摩はとっさにその場から離れた。
廊下の壁を盾にしてしゃがみ込む。
爆発するように、『人』を象っていたものが崩れ落ち霧散していった。
コールタールが、人の形に化けていたのだ。
志摩のすぐ側を列をなして通り抜け、また空中で収束していく。
まるで授業で習った聖書の一説にある光景だ。
イナゴの群が現れて・・・と考えて。
それが、自分に向かおうとしている想像を巡らせた。

「ぎ、ぎゃあああああああああ!!!!」

志摩は耳を塞いで、首を横に振る。
違う、虫じゃない。虫じゃない。
虫じゃないから大丈夫。
近くに漂っていたコールタールを一匹つぶしてみた。
ぷちりといういい感触。
よし、大丈夫だ。虫じゃない。
錫杖を握って一呼吸おいた。
目の前に黒い何かが降ってきた。
人の姿をしたコールタールが羽織っていたものだろう。
正十字学園の制服の上着が、床にぱさりと落ちる。
志摩は、それを拾って確認した。
「・・・道理で・・・悪趣味や・・・」
なぜ自分があれを奥村燐と間違えたのか。
あれは制服の上着を着ていた。そして、彼特有の悪魔の尻尾まで形作っていた。
全て、奥村燐だと思わせる為のフェイクだ。
上着を羽織っていたので、コールタールであるとすぐには気がつかなかった。
コールタールは、集合体であるといってもそのひとつひとつは別の個体である。
つまり、意志があってないようなものなのだ。
この集団を操る、頭のような存在―――おそらく藤堂が、
コールタールを使ってこんなことをさせたのか。
志摩は、なにか手がかりがないかと思って上着を探った。

「・・・これ」

よく確かめなかったら、上着はこのままどこかに放り投げていただろう。
戦闘の時に荷物になるからだ。
しかし、制服の裏地にある刺繍に目が止まった。
入学時に支給されるそれには、制服の持ち主の名前が入っている。
志摩の場合は兄からのお下がりなので、自分の名前は入っていない。
しかし、名が示すこの制服の持ち主は一人しかいない。

「これ、奥村君の上着やん・・・」

この上着を捨てられなくなってしまった。
それより、もっとなにかないかと探してしまう。
生地が黒いせいでわかりにくいが、腕や腹の部分が切り裂かれている。
そして、香る血のにおい。
さっきコールタールが化けた人から香ったにおいはこの血のせいか。
彼が、この制服を着たまま怪我を負ったことがわかる証拠だ。
志摩は、唇を噛んだ。

ああ、くそ。あのとき、奥村君がトイレに入るのを呼びかけて止めていれば。
あのとき、廊下ですれ違ったときに止めていれば。
あのときか。
あのときか。


後悔はしてもし足りないくらいだ。
しかし、背後でまたコールタールが暴れる音がした。
どしん、と音を立てて植木を中庭に投げている。
こちらに植木が投げ込まれるのも時間の問題だ。

後悔している暇はない。

志摩は、燐の制服を腰に巻き付けた。
制服の上に制服という不思議な格好だが、これは持ち主に返さなければならない。
そして、持ち主も帰して貰わなければ。

そうでなきゃ、夢見が悪い。
同級生が浚われる瞬間にいながら、それを自分はみすみす見逃してしまったのだ。

「あーもー!めんどくさいことは嫌いや!考えるんは、坊や先生の仕事!!
さっさと奥村君返してもらうで!そうすればこんなもやもやともおさらばや!!」

このままではチャンスはものにする男、志摩廉造の名が廃る。
そして、彼の弟である雪男にこのことがばれたら、きっとただではすまされない。
なぜ気がついたときに自分に連絡しなかったのかと鬼の形相で詰め寄られるに違いない。
雪男が燐を見つけている可能性にも賭けたいが、おそらくそれも難しいだろう。
人に見つからないように目的の獲物を浚い、しかし自身の真の目的には触れさせない。
人を巻き込み、傷つけ、無関係の人間を平気で害す。
藤堂のえげつないやり口は、京都でイヤと言うほど身にしみた。
コールタールが投げた植木が、廊下の壁に当たる。
どどん、と大きな音がして壁にヒビが入った。
志摩は、覚悟を決めた。

「往生しいや!!!」

詠唱によって、コールタールが目の前ではじけた。

「・・・奥村君、ごめんな」

彼が帰ってきたら、謝ろう。無性にそう思った。






呼ぶ声がする。
この声は一体誰だろう。


兄さん
奥村君



みんなが呼ぶような声とは違う気がする。
お前は一体誰だ。
それは、もう一度俺を呼んだ。
呼びかけるように、囁きかけるように。
俺を。求めるように。


薄暗い闇の中に一人で漂っているようだ。
暗い。目を開けているのか閉じているのかもわからない。
気絶する瞬間まで聞こえていた、学校ならではの喧騒も今はない。
静かな、凍り付くような静寂。
ここはどこだ。
みんな、無事なんだろうか―――
どうして俺はこんな所に。

起きあがろうとした所で、腹部に鋭い痛みが走った。
痛みがある。ということは夢じゃない。
どうやらここは現実だ。
燐は重い瞼をゆっくりと開けてあたりを見た。
起きているのかもわからない暗闇。
せまくて、じめじめしてて。暗いことしかわからない。
途端に、燐の口元に、何かが寄せられた。
誰だ。相手の顔も、目的もわからない。

好きにされてはたまらない。

相手は何かの意図を持って、燐の口元を何かで塞ごうとしているらしい。
身をよじって嫌がったが、そのたびに痛みが幾度となく燐を襲う。
ひるんだところで、口元がすっぽりと覆われた。
どうも、呼吸器のようなものだ。
しかし、そこから吐き出されるものは酸素ではなかった。

「聖水を霧状にしたものだよ。もう目が覚めてしまうなんて、流石と言おうか。
少しおとなしくしていてもらうよ」

自分の側に、人がいる。
誰だ。上半身しか見えない。
救急隊員の服装をしているが、人助けなんていう高尚な気配はこの人物からは伺えなかった。
マスクをしているから、眼鏡の部分しかわからない。
呼吸をするたびに、この聖水のせいで力が抜ける。
呼吸器を取ろうとするが、腕も、足も何かがはめられていて動けない。

「聖銀で固定してるから動きにくいだろう?
しかし、私なんかが聖銀に触るとこんなにも焼けただれるのに、
やっぱり魔神の血をひく純血種は庶民とは違うんだねぇ」

ほら、とそいつは自分の手を見せてきた。
なるほど、赤く焼けただれており悲惨だ。
対して燐の方はというと、聖銀と言われてもただ違和感というか動きにくい。という印象しかなかった。
ただし、聖水を注射された左腕だけは、まだ痺れていて動かしにくい。
相手は、よく見ろというように自身の手を燐の前に持ってきた。
相手の手から、ただれて壊死した部分から赤い炎が沸きだして、次々に細胞を修復していく。
暗闇だからこそよくわかる。
火の粉に包まれて燃え、再生と破壊を繰り返す手。
その光で、顔が見えた。
人物はいつの間にかマスクをはずしていた。
こいつは、以前会ったことがある。
北正十字の住宅街で、京都で、害悪をまき散らした人物。

「藤、堂・・・」
「そうだよ。いや、覚えていてくれたとはね」

忘れるわけがない。あの惨劇を招いた人物だ。
いや、正確にはもう人ですらない。
悪魔を喰らい、悪魔へと身を堕とした悪魔。

「君の弟さんにはお世話になったね?」

燐の神経を逆なでする発言だった。
藤堂は、言葉で相手の動揺を誘う。
そうしてできた隙間に入り込み、その人物の根幹を揺るがすのが手口だ。

「お前、京都で。雪男に怪我させやがって・・・ただで、すむと、思うなよ・・・」
「よく歯向かってこれるなぁ。今、君がどういう状況かわかってる?」

ドス、という音がして、燐の体に刃がつき立てられた。
じわりと滲む血。激痛。
「う、ああああ!!」
歯を食いしばった。痛い。
白いシャツの上に血が滲む。
そこで自分が、制服の上着を着ていないことに気づいた。
藤堂の手が、シャツのボタンにかかる。
ひとつひとつ外されていくボタンにぎょっとした。

「・・・やめ、ろ」

燐の意思は無視され、シャツが開かれた。
黒のアンダーが藤堂の前に晒される。

「やっぱり白いシャツのほうが目立っていいかな」
「なにがだ・・・」
「こっちの話。あ、君の血だけど。あっちに集めてるんだ。結構溜まっただろう?」

地面に滴り落ちた燐の血は、意思をもっているかのように奥の棚に置かれた小瓶の中に入っていった。
燐が寝かされているストレッチャーの置かれた床には魔方陣が描かれている。
この魔方陣は、血を一定の場所に誘導するように命令する陣だ。
他にもそこかしこに陣が張られている。
よくサバトなどを行なうときに使用されるものだが、それを燐が知るはずも無い。
血の入った小瓶の数は、ざっと見ても7つはあった。
それだけ多く、燐の血が抜かれているとわかる証拠だった。

「目的は、なんだ・・・俺の血を集めてなにがしたい」
「そうだね。少しでも君に近づく為。かな?」

藤堂は、小瓶を一つとって。それを一気に煽った。
燐は、自分の血が飲まれる瞬間を見て顔をしかめる。
気持ちいいものとはいえない。はっきり言って気持ち悪い。
ごくん。
と全てを飲み込むと、藤堂の体から紅い炎が湧き上がった。

「カルラの炎。まだ完全には慣れたとはいえないけど、
君の血のおかげで少しは安定してきたよ。君の血って悪魔にとってはすごくいいものみたいだ」

すごく馴染んできたよ。君の血。
僕の腹で蠢いている。
藤堂の手が、燐の首にかかる。
血が流れる頚動脈を慈しむ様な、そっと触れる感触が気持ち悪い。
頭がくらくらする。
貧血だろうか。あれだけ血を抜かれたのだ。
いくら悪魔の回復力があるとはいえ、すぐに造血はできない。
意識が朦朧としてきた。それでも燐は動かない体で抵抗をしようと試みる。
藤堂は、燐に囁く。


「京都で聞いたんだけど、奥村雪男君。君のことが大ッ嫌いなんだって」


その言葉は、燐の胸に響いた。
君が、いるから彼は追いつめられたんだ。
ここで、君が退場したほうが彼のためになるんじゃないかな。

「そんなこと・・・」

あるか。といいたかった。
でも、本当にそうか?と思う自分もいる。
死んでくれ。
という声が聞こえた。
思い出すのは家族の。雪男から言われた言葉。

『神父さんを殺したのは兄さんだ』

雪男は今でも俺を殺したいのだろうか。


「僕としては、君がいなくなるのが一番だと思うんだけどね。
兄を亡くして身軽になった僕が言うんだ。きっと少なからず弟君も思っているんじゃないのかい?」


その様子だと、君たちはまだ決定的にすれ違っているようだね。
兄弟だからこそ、ねじれるとやっかいなんだ。
けっこうそこに関しては僕は理解があるよ。

その言葉に、燐は怒りを覚えた。
雪男が俺のことを嫌いでも。殺したいと思っても。
それは雪男が思って決めることだ。
燐はそれを受け止めるだけだろう。
それこそ、他人から干渉されるいわれはない。
これは、兄弟の。家族の問題なのだ。
燐は、藤堂を睨みつけて言った。

「うっせーな・・・人様の家庭の事情に・・・口出しすん、な・・・!」
「確かに、それは一理あるな」

しゃべるたびに聖水を取り込んでつらい。
しかし、こいつは許せなかった。
京都の一件でも会ったらかならず一発殴ると決めていた。
だが、腕は重くろくに言うことを聞いてくれなかった。

「では、家庭の事情はひとまずおいといて、僕の目的を果たすことにしようか。
まぁ君も、弟君の為になることだと思ってあきらめてくれ」

藤堂は、小瓶をいくつか手に取った。
同時に、携帯電話が鳴る音が響く。
ディスプレイを確認した藤堂が、それに出る。
藤堂の笑い声が辺りに響いていた。

燐は、意識が混濁していくのがわかった。
瞼が重い。
意識が暗闇の底に囚われていく。


また。声が聞こえる。
誰かが、俺を呼ぶ声が。

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