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CAPCOON7

青祓のネタ庫

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背比べ


夕暮れの校舎で、ひとりで泣いていた。
靴は片方しかなくて、もう片方は隠されてしまった。
これでは帰れない。上履きで帰ることも可能だけれど、
そうすればきっと神父さんは心配するだろうし修道士達も気づくはずだ。
それだけはいやだった。

雪男はこんな風にいじめられたとしても、男の子だ。
なけなしのプライドまで捨てたくはなかった。
泣いて、一息ついたら靴を探して帰ろう。
そう思ってしゃくりあげる息を止めて、呼吸を整えた。ところで、雪男の前に影が差した。
雪男にひやりとした汗が流れる。今は夕暮れ。
そう、人ならざるモノが歩き出す逢魔が時だ。
雪男はそういった人ならざるもの、悪魔が見える。
神父が言うには幼い頃に魔障を受けたことが原因らしい。
こんな怖い思いをしたくなくて、弱い自分を変えたくて。
そして大切なもの。兄を守るために、雪男は神父の手を取った。
しかし祓魔師の訓練を始めたからといって、すぐに強くなれるわけではない。
資格のない訓練生の今はあくまで対処法を学んでいるだけにすぎない。
恐怖がなくなるわけではないのだ。

今、雪男の目の前に立つ影がある。
祓魔師を目指すなら、動揺してはいけないこともわかっている。
でも、雪男は今小学生だ。頭では理解できても、心がついていかない。雪男は叫んだ。

「あ、悪魔ッこっちに来ないで!!」

雪男にかかっていた影が、動揺したかのように揺れた。
いつもなら、雪男の影の中に入って驚かしたり、
もっと怖い声をあげてくるはずなのにそれがない。
雪男は視線をあげた。そして、心の底から後悔した。

「お前の・・・くつ。あっちにあったから」

そこには兄である燐が立っていた。
クラスは違うが、帰り際に雪男のことを知ったのだろう。
泣いている自分の為に靴を探してきてくれたのだ。
それなのに、自分はなんてこと言ってしまったのだろう。
雪男は真っ青になって言った。

「ごめん、兄さん。その、僕ちょっと動揺してて・・・」
「ん?ああ気にすんなよ」

燐はぽんぽん、としゃがみこむ雪男の頭を撫でた。安心させようとしたのだろう。
兄の手はいつだって優しさであふれていた。
この手から、神父さんや自分を唸らせる料理がでてくるのだ。
この手があるから、雪男には家族がいるのだと安心できるのだ。
この手は、雪男にないものをたくさんもたらしてくれる。
でも、その優しい手は今かすかに震えていた。
そのことに雪男の心は悲鳴を上げそうになった。

悪魔の子。化け物。お前なんか死んじゃえ。
なんでここにいるんだ。悪魔だ。悪魔がいる。

兄の燐に浴びせられる言葉。
悪魔という言葉を、よりにもよって自分が言ってしまった。傷つけてしまった。

僕のせいだ。

雪男の目にまた涙がこみ上げてきた。それを見た燐が、慌てたように雪男に話しかける。

「大丈夫だって雪男、靴は見つかったんだし。
そりゃ、今は汚れちゃってて履けないかもしれねーけど。帰ったら洗えばいいだろ」
「そうだね・・・これ履いたら靴下の方が汚れちゃうや」

雪男は返ってきた自分の靴をみてため息をついた。
運動場にでも放置されていたのだろう。
砂埃でかなり汚れているが、帰って洗えばなんとかなるだろう。
体育で汚してしまったとでも言えば言い訳がたつ。
しかし、問題は帰り道をどうするかだ。
靴下を汚れることを覚悟で履けば大丈夫だが、
そうすると汚れた靴下と靴の両方を洗わなければならない。手間は二倍だ。
雪男が考えていると、燐がその場に背を向けてしゃがみこんでいる姿が見えた。
雪男は首を傾げる。

「兄さんなにしてるの?」
「なにって見りゃわかんだろ。おんぶだよ。ほら、乗れ」
「え、でもなんで兄さんが僕をおんぶするの?」
「なんでって、俺がお前の兄貴だからだろ。靴このままじゃ履けねーし。
俺がおんぶして帰れば済むことだ。ほら」

燐は雪男を急かすように腕を自分の首に回させた。
燐のランドセルは反対側に背負っているので、お腹からはランドセルが出て、
背中には雪男を背負ってというなんとも重たそうな光景になってしまう。
雪男は慌てて燐に言った。

「いいよ、自分で歩く」
「俺がいいからいーんだよ。ほら、俺って力持ちだから大丈夫だって」

燐の腕は、雪男と変わらないくらいの細さなのにこの腕のどこからそんな力が出てくるのか。
雪男とランドセルを軽々と持って燐は歩きだした。
雪男は振り落とされないように、靴を持った手をしっかりと燐の首に回して固定する。
それだけで、雪男の心は安堵に包まれた。

「兄さん・・・」

雪男は燐の背中に耳を当てた。とくとくとく、と心臓の鼓動が聞こえる。
体も雪男とそう変わらないのに燐は大人をも凌ぐ力を持っている。

知ってるよ。兄さんが力持ちなことくらい。
だって、兄さんは本当の悪魔なんだもの。

言えるわけのない言葉を飲み込んで雪男は燐の服をぎゅっと握りしめた。
兄は雪男のことを弟だからと守ってくれる。
でも、兄のことは一体誰が守るのだろう。
今は神父さんがいてくれる。でも、神父さんがいないところで兄さんに危機が迫ったら。

兄さんを守る人は誰もいなくなってしまう。
雪男は自分が弱いことを知っている。
だから、神父のように兄のようになりたいと強く願った。
自分は差し伸べられる手にいつまでも甘えていてはいけないのだ。
今度は自分が手を差し伸べられるように。

「兄さん」
「なんだよ」
「兄さんが困ってたら、絶対に僕が助けるからね」

僕は力持ちじゃないから。兄さんよりもがんばらないといけないだろう。
それでも、僕にできることがきっとあるはずだ。
同じ身長に揺られて帰る道は、いつもよりも少しだけ遅かった。

***

あれから、何年たっただろうか。
雪男は理事長室の扉を開けて、声を荒げた。

「兄さんッ」
「おや奥村先生お早いお着きで」
「それよりも、兄はどこです!?」
「そこにいますよ、お持ち帰りお願いしますね」

見れば、ソファの上に燐が横たわっていた。
腕で顔を隠している、顔色は少し青い。貧血ぎみなのかもしれない。
雪男は燐の足下を見て、その原因を突き止めた。
右足が包帯でぐるぐる巻きにされている。添え木もあることから、折れているのだろう。
任務で怪我をしたという知らせを受けて、急いで来てみればこれだ。
雪男といっしょの任務の時ならば雪男が気を配れるので燐の怪我は最小限に押さえられる。
しかし、一度離れてしまえば燐は誰かを守るためにその身を投げ出すことも厭わない。

「こんなこと、いつまでも続けないでよ」
「悪ィ・・・お前に迷惑かけて」

ほら、そうして自分のことを考えない。
そういうところが一番嫌いだ。

「そんなことより、もっと自分を大事にしてよ」

雪男は何回目かわからない台詞を吐いた。それに燐が答えることはない。
この問答はこれからも何回だって続くだろう。
雪男はため息をついて、燐を背中に背負って理事長室を後にする。
向かう先は医務室ではなく寮だ。
二人だけの空間の方が、傷も見やすいし、なにより燐も休みやすいことが理由だった。

一度、医務室に運んだときにその場にいた祓魔師に暴言を吐かれて以来行かないようにしている。
まだ、魔神の落胤を憎む輩は消えていない。
そんな奴らの心ない言葉で、兄が傷つくことが雪男は許せなかった。

いつもよりぐったりとしていることから、今回は相当血を失ったのだろう。
今はうっすらとした跡を残して消えているが、燐の体には生傷が耐えない。
傷がいくら消えてなくなろうとも、雪男は燐の傷を覚えてやるつもりだった。
蚯蚓腫れ一個だって見逃してなるものか。

「兄さんふくらはぎ、それから右手左二の腕、首にまで切り傷の跡があるよ。
それから鎖骨あたりには火傷。制服で隠れているけどまだあるでしょ」
「そうだなー。今回結構手こずったから。悪いな背負わせちまってさ」
「僕がいいからいいんだよ。ほら、僕って昔より力持ちだから大丈夫」

そういって、雪男は燐を背負いなおした。
昔はこの背中に背負われていたのに、今は逆だ。

自分は兄より背が高くなった。
自分は兄より体重が重くなった。

同じだった昔には、もう戻れない。

背負って歩けるようになるくらいだ。
身長差は日々開いていく。
これから、どんどん。
兄を守れるくらい、自分は大きくなれただろうか。
背中の重さは、年がたつにつれてどんどん軽くなった。
それは雪男に力がついたのか、燐が軽くなったのかはわからない。
そのどちらでもあったのかもしれない。

「雪男」
「なに」
「お前、俺より背中でっかくなっててむかつく」
「ようやく気づいたの」
「認めたくなかっただけ」
「腕も肩も、身長も兄さんより大きいよ」
「イヤミか」
「真実だ」
「雪男」
「なに」
「すぐ追いつくから、お前もうコレ以上でっかくなんな」
「・・・無茶言うなぁ」

伸びる身長をどう止めろというのか。
しばらくすると、背後から寝息が聞こえてきた。
きっと疲れていたのだろう。
とくとくとく、と昔聞いていた鼓動が、背中から聞こえてきてなんだかくすぐったい気持ちになる。
僕たちは変わってしまった。
でも、変わらないものもきっとある。

「絶対、兄さんを追い越してみせるからね」

兄の背はもう伸びない。
それは悪魔に覚醒した瞬間に確定してしまった事実だ。

それでも。
背よりも大きな兄を追い越すために僕は今でも足掻いている。

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