青祓のネタ庫
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最近、兄の様子が変だと雪男は思っている。
元気そうにしているのに、ふいにどこか遠くを見ている時がある。
そんな時、兄はここにはいないと雪男は強く感じた。
どこを見ているの、どこに行きたいの。
兄さんがいるべき場所はここでしょう。
そんな遠くにいかないでよ。
雪男はそう思いながらも、それを伝えたりはしない。
言ってしまえば、雪男が燐に甘えているという証拠になってしまう。
自分から離れて欲しくないと。
自分のそばから離れないで欲しいと。
なんという身勝手な欲求だろうか。ほの暗い気持ちが心の隅で疼いている。
小さな頃ならいざ知らず。今の雪男は燐に甘えてなどいられない。
守るべき対象に自分が甘えているなど、許されるはずもない。
ただでさえ、燐の周囲の状況は刻一刻と変化しているのだ。
わずかの油断が、そのまま燐の命を危険にさらしてしまうことになる。
そうなれば雪男は自分が許せない。
「でも、最近の兄さん少し変だな」
昼休憩の時もそうだった。
女子に囲まれて身動きの取れない雪男を置いて、燐はどこかへと消えていった。
雪男は、朝燐からお弁当を貰っていなかった。
わざわざ届けに来てくれたのか。
そう期待していたのに、女子を撒いた時には燐はおらず、昼休憩も残り少なくなってきていた。
雪男は仕方なく、購買で残り物のパンを買っておいた。
もし燐に出会えて、お弁当をゲットできても、パンとお弁当両方を食べきれる自信はある。
育ち盛りだからだろうか、胃は燐のおいしいお弁当から、大量生産のパンまで受け止めてくれる。
もちろん、一番は兄の食事だが。
空腹のまま授業を受けるのも寂しいので、ここは腹の虫に従った。
周囲の女子は手作りのお弁当を渡してくれるが、雪男はそれを食べるつもりは毛頭ない。
一度食べてしまえば、ずるずると周囲からの貰いものを受けてしまうことになる。
それよりは、小さな頃から慣れ親しんだ兄の料理の方が何倍だって欲しい。
いつだって、どんな時にだって雪男のためを思って作ってくれたものを、雪男は無駄にしたくない。
燐の姿を探している最中でも、思い出しておなかがすいてきた。
パンで誤魔化したとは言え、お腹はやはり燐のお弁当が恋しいようだ。
昼休みが終わりに差し掛かった頃に、雪男はようやく燐の姿を見つけた。
「兄さん!」
呼ばれて、燐は振り返る。その顔はふつうのはずだった。
しかし、雪男にはなぜだかとても不自然に思えた。
まるで、何かに耐えるかのような表情に見えた。
朝の姿と差異はないか、瞬間的に探してしまったが燐はそんな様子をすぐになくして雪男にいつもの通り話しかける。
「雪男、どうした?」
不自然さを取り払った笑顔だった。
雪男は疑問に思いながらも、先に用件を告げる。
「さっき、教室まで来てくれたでしょう。ごめんね、手間かけさせて」
「いいよ、別に特に用事があったわけじゃねーし」
「え?そうなの?じゃあ今日僕のお弁当ないの?」
「悪いな、朝忙しくて作ってられなかったんだ。明日は作ってやるからさ」
燐はそう言うと、教室に向かって歩きだした。
なぜだろう、違和感がちくりちくりと雪男の疑問を刺激する。
普通科と特進科は階が別だが、途中までは一緒だ。
雪男は燐に続いて歩き出す。雪男は変だな。と思う。
燐が教室に来たときには、確かにお弁当の包みらしきものを手に持っていたのに。
雪男は何気なく、後ろを振り返った。
廊下の先の方にピンク色の頭が見えた。目の悪い雪男でもわかる派手な色合いだ。
そんな色の頭をしている人物は一人しかいない。
でも、彼の周囲にいつもいる勝呂や子猫丸はいなかった。
「・・・志摩君?」
思わず漏れた言葉を聞いた人物はいなかった。
別に、あの三人はいつも三人一緒に行動しているわけではないだろう。
その片割れがいたからといって、なにかがあったわけでもない。
雪男は特に気にすることなく、前を向く。
後ろに気を取られていたせいか、兄とは距離ができてしまう。
いつもだったら、自分にだけは作ってくれていたのに。
今日に限ってどうしたのだろう。
雪男は偶然だろう。と自分に思いこませて話しかける。
「兄さんのお弁当がなくて残念だ」
「別に、俺のじゃなくってもいいだろ。お前モテるんだし」
暗に、ないなら女の子が作ったやつを食べればいいと言われたようで、腹が立った。
女の子にモテる。
だけならいいが、あの手この手の攻めをみせる女子のやり方に正直雪男は引いている。
好意も度が過ぎれば迷惑だ。
好きではないものにいくらモテたって、しょうがないと雪男は思っている。
それよりは自分の心の中心においている人がかけてくれる何気ない言葉の方が、何倍も雪男の心を動かすのだ。
雪男の口は、腹いせのように言葉を放つ。
「僕は、兄さんの作ったものが好きなんだよ」
いいわけのような言葉で、好意を隠した言い方をするのが雪男の癖になっていた。
そうして兄の反応を試しているのだから、我ながら最悪のやり方だと思う。
別れ際に告げた一言。
聞こえなかったふりをして。
燐は雪男の言葉に返事を返さないまま、足早に去っていった。
「兄さん・・・?」
おかしい。おかしい。おかしい。
なにかがおかしい。
でも、その答えを知ってしまえばなにかが壊れてしまうと本能が警鐘を鳴らす。
どうして、僕を避けるの。
遠ざかる兄の背中を見て、雪男はなぜだか、やけに不安になった。
兄に疑問を投げるのは簡単だ。
でも、そうすれば兄の存在がもっと遠ざかる気がする。
距離が空いたのはいつからだろう。
小さな頃とは違うこともわかっている。
中学生時代はすれ違っていた。
だが、決定的なのは、春以降。
兄が悪魔として目覚めた時から、すべてが変わっていった。それでも。
「それでも、僕は・・・兄さんの事が好きなんだよ」
そのことを、燐はこれっぽっちも知らないのだ。
雪男がぽつりとつぶやいた言葉の先。
背後から、奥村君。と声をかけられた。
まさか、人がいるとは思わなくて、雪男は動揺した。聞かれてしまっただろうか。
いや、小声だし、独り言だったし。言い訳が頭の中を巡る。
しかし、雪男に声をかけた女子生徒は雪男の様子を気にかける様子はない。
聞こえていなかったようだ。
女子生徒は、雪男に申し訳なさそうな顔で告げる。
「奥村君、お兄さんの事ごめんなさい。私・・・」
「え?何のことです?」
唐突に兄の話題が出て、雪男は驚いた。
燐は学校の方では不良みたいだと言われて、あまり積極的にクラスに関わっていないようだったのに。
女子生徒は雪男の言葉に首をかしげながら、話を続ける。
「さっきお兄さんと話していたから、てっきりもう知ってるのかと思ったの」
女子生徒は、昼休憩中の出来事を雪男に伝えた。
自分を守って野球のボールが当たってしまったことを、申し訳なく思っていると。
そして、感謝していると。
もしも傷を作ってしまったなら、申し訳なかった。と伝えて欲しいと雪男に告げる。
雪男は、話を聞いてどんどん自分の心が冷えていくことが理解できた。
野球のボールは、打ち所が悪ければ骨を折ってしまうことだってあるのだ。
あの不自然に感じた違和感の正体を知って、雪男は不快感を隠せない。
なんで話してくれなかったんだよ。
それを、燐に隠し事をしてきた雪男が言う資格はないことはわかっている。
でも、納得はできない。
そして、雪男は自分でも意識せずに嘘と建前を口にした。
「怪我は大丈夫だったんでしょう。兄は頑丈ですからね。
さっき自分でお昼を食べたようですし。気にしなくていいですよ」
「よかった。志摩君がお兄さんのこと心配そうに見てたから、余計に気になったの。
二人とも、お昼は一緒にお弁当食べていたようだし。大丈夫だったんだね。
ちょっと気が楽になった。ありがとう、奥村君」
女子生徒はそれだけ言って、去っていった。
お礼と謝罪を告げたかっただけなのだろう。
そのおかげで、ひっかかりが解けた。疑問の答えは他人が持っていた。
そして、女子生徒の言葉で雪男は燐の嘘を知った。
志摩君といたんだ。
なんで、それを隠すのさ。
彼は知っていたんだろう。
知らないのは僕だけか。
「なんで、嘘つくんだよ・・・」
予鈴が鳴っている、もう戻らなければまずいだろう。
雪男は燐とは違う教室へ続く道を駆けた。
こんな時、優等生を通している自分がひどく不自由に思う。
授業をさぼって、燐を探して問いつめたかった。
しかし現実には授業をさぼることも、燐を探すこともできない自分を知っているからこそ夢想した。
きっと、授業をサボれば教室にいるクラスメイトから噂がたつだろう。
その噂は周り回って燐の耳に入らないとも限らない。
雪男のことを一番に気にするのは、雪男ではない。燐の方だ。
昼休憩の出来事も、当人からではなく他人からの伝達の方が早かった。
そうして先の先まで考えて、今という時間を未来の仮定に拘束される。
こんな風だから、燐は雪男になにも話さないのだろうか。
そう思うと、また気分が重くなる。
この心に沈む想いを言えばいいのだと、本能が囁く。
しかし、言えばもう今までのようにはいられないと理性が止める。
この気持ちの終着点をどこに決めるのか。
それはまだ、雪男には決めることができない。
「言ったら、いけないんだ・・・」
好きだというたびに歪む燐の顔を思うと、ひどく心がささくれたった。
逃げ込んだ空き教室で、燐が血を吐いていることを雪男は知らない。
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