忍者ブログ

CAPCOON7

青祓のネタ庫

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

夜と着物


メフィストに呼ばれて理事長室の扉を開ける前、燐はなぜだか妙な胸騒ぎがしていた。

胸の奥がざわついている。嫌な予感、とでもいうべきだろうか。燐の直感はよく当たる。
しかも部屋の前での胸騒ぎだなんて、十中八九中にいる人物が原因に決まっている。

燐はメフィストからの呼び出しを無視することに決めた。
人のことをおちょくって遊ぶことが趣味の悪魔だ。
一回や二回呼び出しを無視したってかまわないだろう。
燐はそう決めるとくるりと方向転換して、今来た廊下を戻ろうとした。
しかし、そんな行動などお見通しだったのだろう。
中から声がかかる。いつものスリーカウントだ。

「アインス・ツヴァイ・ドライ!」

ピンク色の煙に包まれたかと思うと、次の瞬間には理事長室の中にいた。
燐は目を開いてあたりを見回す。目の前にはニヤリと笑う悪魔が一人。
燐はメフィストに抗議した。

「いきなりなにすんだよ!」
「上司の呼び出しに応じない躾のなっていない
候補生を呼び出しただけではありませんか、問題でも?」
「・・・嫌な予感がした」
「流石奥村君です。第六感の鋭さは折り紙付きですね☆」
「なん・・・だとッ」

燐は後ずさりした。一体どんな無茶振りをされるのだろうか。
メフィストの口振りからして恐ろしい予感しかしない。
たぶん、燐が嫌がることだ。それは間違いないだろう。
メフィストは指を燐の背後に向けた。恐る恐る振り返って燐は目を見開いた。
そこには青い生地に美しい装飾が施された着物があった。
靴はブーツであることから、どこかモダンな雰囲気も醸し出している。
装飾の細かさと美しさを見れば、一目で価値のある一品だとわかるものだ。
まるで貴族が着ていそうな、祭事に使われていそうな着物だった。
燐は着物を見て首を傾げた。

「これがなんだよ」
「はい、君の衣装です」
「え」

燐は額から冷や汗をかいた。メフィストは動揺する燐を見てとても嬉しそうに答えた。

「君に任務を言い渡します。この着物を着て任務に向かってください。
詳しいことは夜君から聞くといい。連絡は既に取ってあります」

燐は全力で部屋から逃げ出そうとした。
しかし、制服の端をメフィストに捕まれて思い切り床に引き倒された。
抵抗材料となる倶利伽羅は早々に燐から引き離して、ソファの上に投げ飛ばす。
カシャンという金属音が響く。燐はメフィストを殴りとばそうと拳を上げた。
しかし拳ごと無情にも押さえ込まれてしまった。
床に倒れ込んだ燐の上にメフィストがのし掛かり、足も体重をかけて拘束される。
燐の馬鹿力も、同じ悪魔であるメフィストにとっては無意味にされてしまう。

「聞き分けのない子だ」
「どけよッ!」

燐が暴れようとすると、ちょうど扉の開く音がした。
燐は天の助けと思い扉の方向を向く。そこには燐を少し成長させたような容貌の、夜がいた。
夜はメフィストと燐の状態を見て怪訝な表情を浮かべる。

「未成年者暴行未遂・・・」
「失礼ですね、奥村君がこの衣装を着ないと言うからこうなったんですよ」

夜は視線をずらして豪華な衣装を見た。
そして燐が必死に抵抗する意味がわかってなんともいえない気分だ。
誰だって無理矢理着替えさせられそうになったら抵抗するだろう。
燐は床の上で芋虫のように蠢きながら抵抗した。

「イヤなものはイヤだ!!こんな高そうな着物着れるか!
任務に行った先で汚したら責任持てねーよ!」
「貴方変なとこで理性的ですよね」
「着物の汚れって取れにくいんだぞ!」
「・・・まぁそこはフェレス卿がクリーニングに出せば済むことじゃないか?」
「そうですね、高くは付きますが補償しますよ奥村君」

夜とメフィストに丸め込まれそうになっている。燐は声上げて抵抗した。

「メフィストに借りを作るのがイヤだッ!」
「それは確かにそう言えるな。燐、お前賢くなったなぁ」
「貴方たちがどういう目で私を見ているかよくわかりましたよ」

ぎりぎりとなおも抵抗の手を緩めない燐を片手で拘束して、メフィストは夜を呼びつけた。

「夜君、このままじゃ埒があかないんで奥村君押さえておいてください」
「え」
「夜!お前俺を見捨てるのかよ!」
「これは命令ですよ、ちょっとだけでいいですから!」

夜は非常に困った。
メフィストは上司だし、虚無界の権力者である八候王の一人にも数えられる人物だ。
下級悪魔の夜が逆らえるはずもない。でも燐はもっと大物だ。
今は候補生でいるが魔神の力を継ぐ唯一の後継者であり青い炎の使い手である。
どちらも夜にとっては逆らい難い。夜は少しの間思案して、二人に近づいた。

「すまん、許してくれ」
俺も今はしがない雇われ悪魔なんだ」

そう言って夜は燐の腕をがしりと掴んだ。燐の顔が真っ青になる。
夜は自分に味方してくれると思ってたのに。
所詮祓魔師と言ってもサラリーマンということだろう。
人間世界で生きるにはこうした処世術が必要だ。曰く、上司に逆らうべからず。
夜のお陰でメフィストの両手が自由になった。ここからが腕の見せ所だ。
どう辱めてやろうか。
メフィストは嬉しそうな顔で燐のネクタイに指を絡めると、しゅるりとネクタイの結び目を解いていく。

「ふふネクタイ結ぶのお上手ですね、
まるでプレゼントのリボンを解いているみたいで胸が高鳴ります」
「はーなーせー!!」

燐は最終手段の炎を使おうとするが、炎を使おうとすると体が硬直することに気づいた。
このクソピエロ。部屋全体に結界張りやがった。燐相手のメフィストの本気が怖い。

延びる魔の手から逃れようと、声を大にして叫んだ。

「雪男――ッ!助け・・・むぐぅ」
「ナイスタイミングです夜君」
「すまん燐。この償いは必ずするから・・・」

夜の手で口を塞がれ、手を拘束され。燐はメフィストによってぽんぽん脱がされていった。
高校生が大の大人によってたかって
拘束されて服を脱がされている姿を見て、夜はかなりの罪悪感を抱いた。
だってこれではまるで。

「なんだか強姦している気分ですね。ドキドキしますね」
「・・・やめてくれ頼むから」

燐を無理矢理。その実行犯に数えられることはごめんだ。
状況的にはそうでも、絶対にごめんだった。
悪魔二人の手によってセクハラとパワハラを受けた燐は、哀れ。
すべてが終わった頃には真っ白に燃え尽きていた。

***

「危ない!全員逃げろ!!」

森にある神木に向かって、祓魔師の男は声を荒げた。
瞬間、神木の前にあったお社がぐにゃりと曲がる。空間が捻れた後、お社は木っ端みじんに砕け散った。
ここは以前周囲の山を仕切る神が祭られていた神社だった。
しかし時代の移ろいと共に山岳信仰が廃れると、
以前はあったささやかなお祭りも、供物も、信仰心のある人間も少なくなっていった。
足の途絶えた神社は荒廃していく。神はただそこにあるだけの神となった。

祭られていた神は、名のある土地神だ。自分を忘れた人間に対して恨みを持った。
だから、山に立ち入った人間を次から次へと神隠しに会わせた。
いつからか、山は神隠しの山と呼ばれるようになった。
地元の人間は、ますます山に入らなくなった。

正十字騎士團は神隠しにあった人間を取り戻す依頼を受け、山に立ち入った。
しかし、名のある神なだけはある。空間を捻れさせ、姿を現さない。
いくら荒神となったとしても、神は神だ。神殺しは大罪である。
祓魔師のチームを率いていた男は、メンバーに後退するように言った。
メンバーの中には雪男も混じっていた。

「ここは一端引くぞ!この締め縄より後ろへ下がれ!」

神域を区切る締め縄は、そこにあるだけで結界の役目を果たす。
メンバーは全員、しめ縄の前。つまり神社へと続く階段へと避難していた。
祓魔師が逃げたことにより、荒神による攻撃も一端だが収まった。
だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
雪男はメンバーの手騎士に話しかけた。

「あの神は、なんて言っているかわかりますか?」
「使い魔からの話で概要だけはなんとか・・・」

手騎士は掻い摘んで話を述べる。あの神は人間に忘れられたことが悔しい。
人間にまた祭られたいと思っている。ここまではわかる。
だが、謝罪しろ。目上の者に会わせろ。と言っているという。

「使い魔から聞いた話なのであまり詳しくはわからないのですが、
どうもかなり気難しい性格だそうです」
「位が上の神は扱いにくいって言いますもんね」

雪男が眉をひそめる。しかし扱い辛いからといって神を殺すわけにはいかない。
あの神は周囲の山を統括しているのだし、殺せば山に影響がないとも限らない。
ことは穏便にすませたかった。

「つまりあの神様はいわゆる人間における上司からの謝罪、が
欲しいということでしょうか?」
「おそらく」

人間における目上の者からの謝罪。クレーマーみたいなことを言う神だ。
そうなるとこの中で一番位の高い者はチームリーダーだろうか。
リーダーの男はそれならばと声を上げて、叫んだ。

「申し訳ない!人間の都合によって振り回されご迷惑をおかけした!
この場を借りて謝罪します!!」

すると、べし。とリーダーの頭に緑色の毬栗が投げつけられた。
山からの攻撃、だろうか。リーダーは頭をさすりながら戻ってくる。
俺じゃ駄目みたいだ。一応上一級祓魔師なのに。とへこんでいた。

この中での上司が駄目。となると考えられるのは、この神社を祭っていた
近くの町の町長とかになるのだろうか。
しかし神隠しの被害にあっている町の住人を連れてくるわけにはいかないだろう。
今度は住人のほうから謝罪を求められそうだ。
雪男たちはあらゆる手段を取って対応してみたが、
その都度山からアオダイショウが投げられたり、石が飛んできたりした。
神はどれもお気に召さないようだ。
ではなにが言いたいのかというと、手騎士の使い魔では又聞き状態になってうまく話が聞き取れない。
神を沈める方法で一番やっかいなのが会話ができないことだった。
殺せないのなら説得するしかないのに、言葉が通じない。
これほどやりにくい相手はいないだろう。

神隠しにあった人間も浚われてから時間がたっている。
あまり長引かせるわけにもいかないのに、時間だけが過ぎていった。
リーダーの男が支部への定期連絡を終えると、辺りは徐々に暗くなっていっていた。

「なんとか日暮れまでに決着をつけたいけど」

視線を山へと向ける。辺りは夕暮れで赤く染まってきた。
雪男は神社へと続く階段に目を向けた。
神社は、山道から階段を上がってくるようになっている。
階段の両側には楠が植えられており、隙間から漏れる夕暮れの光が幻想的な雰囲気を作り出している。
その階段の下から、なにかがあがってきている。雪男は警戒して銃を構えた。
夕暮れ刻は逢魔ヶ時。悪魔が来てもおかしくはない。
徐々にこちらに近づいてくる人物は二人、一人は祓魔師のコートを着ていた。
そのことで雪男の警戒は少し取れる。
しかしその背後にいる人物は誰だろう。
青い豪奢な着物を着て、ゆっくりと登ってきている。
祓魔師の顔を確認して、雪男は声をかけた。

「夜さん?!」

驚いた。定期連絡で手こずっている情報を聞きつけて応援にきてくれたのだろうか。
祓魔師でもありながら悪魔でもある夜は、
言葉の通じない相手との会話には重宝されている。
雪男は夜が来たことに気を取られていたが、その後ろにいる人物を見て目が点になった。

そこには青い着物を着て、瞳の奥に静かな怒りを潜めている燐がいた。
なんで兄さんがここにいるの。
雪男は声をかけようとしたが、できなかった。
長年一緒にいるのだ。一目見てよくわかった。兄は、怒っている。
何に対してはわからないが、こうなった時の兄は手がつけられない。
雪男は一歩引いた。なにかまずいことにならなければいいのだが。
夜は締め縄の前までくると、口上を述べた。
ちなみにカンペ付きである。

「荒神様にかしこみ申す!我は上一級祓魔師だが、こ
ちらにおわす方にお仕えする下級悪魔でもある。
こちらにおわす方をそこらの人間とお思いになられるな。
やんごとない身分の、高貴なるお方であられる。
この度の荒神様のお戯れを深く嘆いていらっしゃる。
そこで荒神様のご用件をお聞きしに参った!」

夜が言い終わると、山がざわついてなにかの音を響かせた。
地鳴りのような、木々のささやきのようなそれは雪男達にはただの音にしか聞こえない。
しかし、夜には言葉として聞き取れているようだった。夜は眉をひそめる。

「謝罪、と供物・・・?いや、待て。そんな無茶なこと。
人質を拘束?私を誰だと思っている。神に逆らうのかって、えええ。まずい、な」

ぶつぶつとつぶやく言葉の端々から、まずい事態になっていることが伺えた。
どうやら、神様は怒っているらしい。
気むずかしいクレームの対応を行っていたところで、
訳の分からない悪魔が来たのだ。怒らないわけがない。
山がざわついて、上から枯れ葉が落ちて来た。
神が怒っているのだろう。夜は後ろを振り返った。
燐は黙ったままだ。夜は燐に声をかけた。

「この神様は、要求が通らないと人質を殺すそうだ。
しかもその人質ってのが神社の信仰を思い出してお供えしに来た人たちみたいだぞ。
ここの神様は頭に血が上って、自分の味方を浚っちまったみたいだ。
話も通じない。どうする?」

要求は自分を奉って、人間による謝罪と大量の供物。
その供物の中には人間まで含まれていた。どんどん内容がエスカレートしていっている。
自分の味方をしてくれた人を間違って拘束して、謝罪も要求している。
気むずかしいとは聞いていたが、ここまでくると流石に調子に乗っていると思わざるを得ない。

燐は一歩踏み出した。夜と雪男が一歩下がった。
そして、締め縄の手前で燐が言った。


「跪け」


途端に、青い炎が階段脇にあった楠に灯った。
炎はそのまま神社周辺の木々に宿って、神社を取り囲む炎のドームができあがった。
祓魔師のメンバーはその地獄のような光景に冷や汗をかいて叫んでいるし、
神様も青い炎に怯んだのか地鳴りがしている。

地獄絵図のようだった。なおも燐と神のにらみ合いは続いている。
時折炎が吹き荒れると、近くの空間が歪んで爆発を起こす。
物質界なのに虚無界のような光景だ。
夜と雪男はことの成り行きを見守っていたが、魔神の落胤と神様の
ガチンコ勝負を止めるタイミングがわからない。
二人とも燐に声をかけ辛くてしょうがなかった。

すると途端に炎が消え、地鳴りが止んだ。
辺りが静寂と暗闇に包まれる。燐は言った。

「てめぇのせいだろ!甘えんな!」

すると神木の前に、神隠しにあっていた被害者が現れた。
祓魔師達が駆け寄って助け起こすが、全員怪我もなく無事なようだ。
辺りはしいん。と静まり返っている。
説得、というかねじ伏せたらしい。夜は燐に話しかける。

「なんて言ってた?」
「ああ、あいつ最初は寂しかっただけだったらしいけど。
人を浚ったり、物を壊したり。駄々をこねる度に色々な要求が通るから、
最後の方は狙ってやってたんだってさ」
「なるほどね、だから甘えるな、か」
「まぁもうやらないだろ。でも信仰ある人に加護は与えるらしいから、
祭っておいて損はないぞ」

クレーマーと言える者の目的は、自分の要求を通すことである。
しかし、クレーマーは位のある者に対応されると途端に萎縮する傾向がある。
メフィストがここまで読んで燐を派遣したかは定かではないが、被害もそれほどなく終わり方は見事だ。
しかしこのやり方は格上とされる超上級悪魔がやるから成功するのである。
日本支部においてはおそらく燐かメフィストくらいしかできないだろう。

「あのおっさん自分が行く面倒だったから俺に言ったんだろ!!」
「否定はしないな、まぁ無事終わったんだから怒るなよ」
「そうだよ兄さんのお陰で終わったんだし。人質も無事だったんだからさ」

二人に説得されながらも燐は顔を赤くして怒った。

「俺が怒ってるのはそこじゃねぇ!!」
「じゃあなんで?」
「こ、この着物ッ着たくなかったんだよ!」
「ゴージャスだけど似合ってるよ?」
「まぁ確かに、格好いいぞ」
「だって・・・アイツが!」

燐は言葉を続けようとして押し黙った。
夜と雪男が首を傾げる。雪男が燐をじろじろと見た。なんであんなに怒ったのだろう。
望まない着物を着せられたからだろうか。しかしそれだけではないような気がする。

燐は我慢できないといった風に訴えた。

「メフィストの野郎!着物は下は穿かないもんだって、俺のトランクス盗ったんだよ!!」

普通に着るだけなら問題なかったのに。
メフィストはあろうことか燐の穿いていた下着を奪ったのだ。
つまり、今燐は。
自然と雪男の視線が燐の下半身に向いた。
燐は顔を赤くして震えている。夜は奥村兄弟のやりとりを首をかしげて見た。

「着物着たら下は穿かないんじゃないのか?」
「誰ですかそんなこと言ったの!」
「フェレス卿」
「あの悪魔!!」

人間の常識を知らない夜まで丸め込んでいるなんて。
今時穿かない人間は一部しかいない。そのマイノリティを常識だと教え込んでいる。
雪男はメフィストの恐ろしさに戦慄した。
このままでは夜も燐もメフィストの良い様に教育されてしまいそうだ。

恐ろしい事実を知って、雪男は言葉も出なかった。
そして話を聞いていたのか周囲の祓魔師がひそひそと燐を指さしている。
燐にはそれが、穿いていないんですってよ。ノーパン。
などという言葉に聞こえて、耳を塞ぎたくなった。

雪男はリーダーの男に声をかけると、燐の手を引っ張って階段を下りていく。
夜はその後をついていく。

「とにかくどこかのコンビニ行こう。落ち着かないでしょう」
「う・・・うん」
「悪い燐、そうだとは知らなくてな。
着替えの時の謝罪の意味も込めて俺が下着買ってやるよ。早い方がいいよな」

夜はそう言うと、燐をひょいと抱えあげた。そのまま悪魔の跳躍力で飛んでいく。

「わああああ!夜、待て!」
「近くのコンビニまで一キロちょいあるから、雪男!先に行っておくぞ!」
「夜さん、待って!兄さん!」

雪男は飛んでいく二人を見送って、呆然としていた。

「・・・着物の裾が、はだけてて」

見えていた。抱えられているとはいえ、飛んだり跳ねたりしていたら当然だろう。
兄が公然猥褻罪で捕まらないためにも、急いで追いかけなければならない。
そして夜に悪魔に教えられただろう間違った知識を正さなければ。
雪男はため息をついて、二人を追いかけるために走り出した。

まず手始めに教えるのは、メフィストの言うことを信じるな。という事からだろうか。

PR

志摩廉造の心は密かに荒ぶっていた


青い月が灯る夜空を、一枚のカーテンが遮った。
閉まる音は部屋の中を外界と遮断する為の合図だ。
メフィストはおかしくてしょうがない、という風に笑う。

「やっと二人っきりになれましたね奥村君」

視線を窓から部屋へと向ければ、そこにはメフィストから貰った青い着物を羽織った燐がいた。
團服は着ておらず、プライベート用のラフな格好だ。Tシャツにズボン。その上から羽織る青い着物。
不思議な格好だが、そのアンバランスさがなぜだか似合っていると感じた。
燐は、年齢で言えば二十歳を超えている。しかし、その体は十五歳の時から時を止めている。
成長していないわけではない。ただ悪魔の成長が人間のそれと比べてとても緩やかなものであることは確かだ。
その証拠に五年たった今でも、十五歳の時と同じ風貌を残している。
悪魔の旬は、人間でいう十六。その上、汚れのないうちに腹に納めることが悪魔の作法だ。
メフィストは常々実に惜しいと思っていた。もしも燐が十六のままで姿を止めていればと思うと。
喉が思わず鳴ってしまう。だがそうなれば他の悪魔が黙ってはいなかっただろう。
旬の香りにつられて今以上の悪魔がこの学園に押し掛けていたのかもしれない。
そう考えれば、十五で時を止めたのは一種の防衛反応だったのかもしれないとさえ思えてくる。
燐はメフィストの言葉に首を傾げた。

「なぁ最後に教えてくれることってなに」

燐はあくびをする。眠いのだろう。
今の時間ならば燐は寝ていてもおかしくはない。メフィストは指を鳴らした。

「とても、気持ちのいいことですよ」

燐の目の前が煙に包まれ、次の瞬間には燐の体は横たわっていた。
とっさに手をつけば、手が沈みこんだ。とても柔らかい、高級なシルクのシーツの感触。
なぜ自分はここにいるのか。起きあがろうとする体にのし掛かるものがいた。

「メフィストッ」

燐の体勢は、メフィストに押し倒されていると言っても過言ではない状況だった。
視線を逸らせば、先ほどまでいた理事長室の明かりが部屋の遠くの方から覗いていた。
ここはメフィストの寝室だ。カーテンは閉められ、スタンドの明かりがぼんやりと照らすだけの空間。
なぜこんなことになっているのか、燐には検討がつかない。

「離せ!」
「言ったでしょう、私の夜伽話。ですよ。ああ正確には伽をするのは君ですがね奥村君」
「よ・・・とぎ?なんだそれ、おとぎ話?」
「それに近いですね、しかしファンタジーではありません。肉と欲にまみれた即物的なお話ですよ」

メフィストは燐の着ていた羽織をはだけさせ、Tシャツをたくしあげた。
驚いたのは燐だ。なぜメフィストの前で体を晒さなくてはならないのか。
燐は必死に抵抗した。しかし、体にうまく力が入らない。

「なん、で」
「暴れることも想定内ですよ、私がなんの準備もなく貴方をベッドに招くとでも?」

メフィストが指を鳴らすと、部屋全体に青い魔法陣が浮かび上がってきた。
その陣はベッドに近づくにつれて糸のように組みあがり、最終的に燐の体を覆う鎖のようになっていた。
先ほどまで見えなかった、青い鎖。それが燐の体を捕らえていたのだ。
燐は炎を出して逃げ出そうとするが、それも鎖の拘束によるものだろうか。
炎を出そうとすれば途端に体が硬直してしまう。
強ばった体を愛おしむように、メフィストは燐の体のラインをなぞると、
ズボンに手をかけて下に引きずり下ろしてしまう。
残るは、下着だけとなってしまった。
燐は唯一動く口でメフィストを罵った。

「この変態理事長ッ!」

その言葉すらおもしろいと言ったふうにメフィストはおどけて言った。

「PTAを敵に回すのも悪くない」

見た目十五歳の燐を手込めにする学園の理事長。
これで正十字学園の制服を燐が着ていれば完璧だっただろう。法を犯す行為。
悪魔としては最高の名誉ではないか。
そしてメフィストは燐の下着を奪い取り、その体を貪る為に自分の上着をはぎ取った。
部屋からは、二人分の体重を受けて軋むベッドの悲鳴と。燐の悲痛な声が響きわたった。



「―――ああ、教育委員会が見てるッ」

「その口を閉じなさい志摩君!!!」

雪男が近くにあった本の角で志摩の頭を殴り飛ばした。
志摩の持っていたノートが、ばさりと手から落ちて床に広がった。
そこには燐のお世辞にも上手いとは言えない字で、台詞が書かれている。
勝呂はそれを拾い直すと、ぱらぱらとめくって内容を確認した。
これは、燐が図書館で読んでいた資料。その写しだ。

「あいつ、律儀に俺の言うたこと守ったんやなぁ・・・それにしても、内容がえげつないわ」

燐が勝呂に聞いた、暗記をするための方法。朗読して、書いて覚える。
燐はきちんとその言葉を守っていたのだ。
勝呂は、図書館で燐が見ていた内容をほんの少しだが覚えていた。
その記憶は、最終章に関連するものだったらしい。
夜伽、という単語を見て勝呂はぎょっとしたが、
淫魔相手の祓魔作業もある仕事柄故、深くは追求しなかったのだ。
悪魔を罠にかけるために、そういうふりをすることがあるからだ。

しかし今では何故追求しなかったのかと悔やまれる。


事の始まりは、燐が夜になっても戻らないという雪男からの連絡だ。
昼間に豹変した燐の態度を見ていたので、何かあったのだろうと思ってはいたが、雪男と話してその訳がわかった。

「実は、兄と少々喧嘩をしてしまいまして・・・
普段ならなんてことはないのですが、今回は長引いてしまっているんです」
「ああそれで・・・ん?となると奥村は今先生とは別行動なんですよね」
「ええ、無視されていますし」
「じゃあ図書館で見たあの資料は一体なんやったんや―――?」

勝呂は燐が最近任務で淫魔関係の仕事を扱ったかを問いただした。
しかし雪男の記憶では燐はそんな仕事をしていた覚えはない。
では任務の資料と思われるあの冊子にふりがなをふった人物は一体誰なのだろうか。
燐は試験に合格したとはいえ、まだ勉強は苦手である。
仕事で渡された資料も、たまに雪男がふりがなをふってやって、なんとかこなしているような状況だったのだ。

一体誰が燐に資料を渡したのか。そこが今回の事件の肝の部分だ。

騎士團は燐に対しては昔よりは緩やかになったとはいえ監視の体制を解いてはいない。
燐がそういった性的なこと。つまり子供を残すようなものには極力触れさせたがらない。
魔神の落胤が淫魔に手籠めにされる状況など、騎士團にとっては悪夢だろう。
燐以外の魔神の落胤ができては一大事なのだ。
急いで雪男と合流した京都組は兄弟が住まう旧男子寮で燐の不可解な行動を改めるために、
燐の荷物を片っ端から捜索した。いわゆる家探しである。
燐の免許証や仕事道具が転がっていることから、一度は寮に帰ってきたらしい。
しかし、また出ていったようだ。

「ウホッ、女子校生モノとか良い趣味しとるわ奥村君」
「志摩さん、そんな個人さんのプライベートに関わるもん探さんといてください!不謹慎や!」

子猫丸は志摩の持っていた燐の秘蔵書を元の位置に戻した。しかし志摩の手つきは卑猥である。
個人の秘密を探るなど愉快以外の何物でもないだろう。
志摩廉造は即物的な男である。さっそく次の獲物へと手を伸ばした。

「ん、このノートは奥村君の字やな・・・」

志摩が見つけたノートをちら見すると、その内容に唖然とした。
そこには昼間、燐が志摩たちにとった行動がそのまま書かれていたのだから。
これは劇の台本だ。喜劇か悲劇かは最後まで見なければわからない。


志摩はみんなの前で台本を朗読し始めた。
それが、先ほどの内容である。


雪男は気分が悪くなったようだ。鳥肌まで出ている。当然だ。
実の兄が悪魔の手込めにされている台本など、気分がいいものではないだろう。
勝呂は志摩の手から台本を奪って、内容を確認した。そして驚愕する。

「志摩、お前この台本・・・理事長が奥村を理事長室に招くとこまでしか書かれとらんで。
あとは『暗転☆』だけや。さっきのはまさか・・・」
「ええ、俺の鋭意捏造創作ベッドシーンです。よくできてますやろ」
「志摩さん、最低や!よく何食わぬ顔で同期の悲劇を朗読できたもんやな!」
「流石の僕も騙されましたよ・・・」

志摩は得意気だが、周囲はどん引きである。
エロに対しては妥協を許さない男だ。だが志摩はメフィストの台本の意味を忠実に再現したに過ぎない。

「暗転、なんかで終わらせるってことはもっとすごいこと考えとるってことやろ。
暗転、の二文字にはそれこそ無限の可能性が秘められとるわ。理事長の毒牙は俺にも想像つかんで。
こうしている間にも奥村君は理事長の腕の中で悲鳴を―――」
「だから問題はそれを阻止するためにどうするかでしょう!」

雪男は再度志摩を怒鳴った。
流石の志摩も、今回は口を閉じる。雪男の指が撃つべき相手を捜して何度もトリガーを引いていたからだ。
今はあまり刺激するべきではない。
もしも燐がそういった目にあっていたら、それを慰めるのも事態を収拾させるのも雪男だろう。
胃が痛くなるのも無理はないし、その犯人を八つ裂きにしたいと思うのも普通の感情だ。
にしても、以前後見人だった人物がその子供が成人した末に手を出すとか、AVみたいやんなぁ。
と志摩廉造の心は密かに荒ぶっていた。もちろん、表には出さなかったが。

「こうなったら理事長室に乗り込むか・・・ですね。おそらく奥村もそこにおるはずですし」

勝呂は雪男に言葉をかける。雪男もこくりと頷いた。
時計を確認すれば、時刻は夜の十一時を指している。
いつもなら燐は寝ているはずの時間だ。その時間になっても帰ってこないということは。
イヤな予感しかしない。
雪男は銃を構えた。勝呂も、弾を装填する。
子猫丸は錫杖を持ち、志摩はカメラを構えた。

「志摩さん」
「わかっとりますよ」

カメラをポケットに納めて、志摩も錫杖を持つ。
同期が悪魔にハメられようとしている事実を黙認するなど、断じてできない。
兄は、いい仲間を持ったな、と雪男は涙ぐみそうになった。
しかし、台本を書き移して覚えていたとしても、意味を理解していないならそれは無意味だ。

おそらく、燐はメフィストの暗転☆の意味を理解してはいなかっただろう。
たぶん、ふりがなもなかったので「あんてん」とは読まずに「ほし」とだけ読んでいた可能性もある。
そうでなければのこのこ理事長室に行くわけがない。
雪男は無事に連れて帰ってこれたら、もう一度漢字を教え込もうと心に決めた。
燐にとっては地獄の勉強合宿はもうひとつの悪夢だろうが。

「でも待ってください。俺らだけで理事長に太刀打ちできるんですかね?」

志摩はもっともな質問をした。メフィストが本気を出せば、おそらく理事長室に入ることすらできないだろう。
メフィスト=フェレスは空間を支配する悪魔だ。自分のテリトリーに敵を招くとは考えにくい。
ではどうするか。雪男はしばし思案した。
そして、苦渋の決断。といった風に眉間に皺を寄せて答えた。

「僕に、考えがあります」

雪男は空中をちらりと眺めた。


***


メフィストは上機嫌で寝室の寝具を整えていた。
いつもならスリーカウントでどうとでも帰れるのだが、今日に限っては手ずから整えたい気分だったのだ。
以前から狙っていた末の弟を今夜、思うままに貪れる。
そう考えると胸が高鳴ってしょうがない。
弟はきっとあらん限りの罵声と抵抗をメフィストにするだろう。
自分はそれをねじ伏せて、思い知らせてやるのだ。
奥村燐が、誰のものであるかを。
メフィストは一通り寝室を整えると、じっと目を凝らした。
寝室には、よく見ないとわからないが、魔法陣が敷かれていた。しかも部屋全体に。
これは燐を捕らえるための魔法陣だ。志摩の妄想が現実のものとなっている。
メフィストは時計を見て、そろそろかと顔をにやけさせた。
丁度タイミング良く、理事長室のドアがノックされる。来たか。獲物が。
メフィストは舌なめずりをしながら、ドアに向かった。途中、くしゃみを一つしてしまう。

「誰かが、噂でもしてますかね」

もしかしたら、兄の危機に気づいた雪男がなにがしかの行動を起こしているのかもしれない。
だが、今夜は人間がいくら頑張ろうと無理だ。
今宵の為に理事長室と寝室への空間はねじ曲げているし、鍵を使ってもたどり着けないようになっている。
燐が一度メフィストの寝室に入ってしまえば、空間を支配しているメフィストが許さない限り出ることはできない。
その間に、メフィストの手によって何度果て、幾たびも犯されるのだ。
生け贄の羊のように。
メフィストはその想像を巡らせて、扉を開けた。
獲物が内側に入ってきた。メフィストは目を開いた。


「若君ッ!!!こちらにいらっしゃるのですか!?」


ドアを蹴り破って、白鳥ことアスタロトが入ってきた。
メフィストはとっさに結界を張ろうとするが、鼻がむずむずしてそれどころではない。
アスタロトは魍魎をメフィストの部屋中にぶちまけた。メフィストはマスクを取り出して、装着する。
目がかゆいのでゴーグルも忘れない。
そうしてようやくアスタロトと向かい合うことができた。

「おのれ汚らしい!この私のテリトリーを不浄で汚すとは!」
「それはこちらの台詞だメフィスト=フェレス!
若君をどこに隠した!場合によってはお前とて許せぬ!」

理事長室に繋がる廊下から、雪男はひょっこりと顔を出して中の様子を伺っていた。
もちろん、アスタロトがいるのでマスクはきちんとつけている。後ろに控えていた勝呂たちも同じ様相だ。
雪男は、部屋の中に漂っていた魍魎に燐がメフィストに手込めにされそうなことを話した。
魍魎はアスタロトの眷属だ。アスタロトは魍魎を介して、視界や言葉を盗み見ることができる。
アスタロトが乗るかどうかは賭けだったが、上手くいったようだ。

「しかし、八候王同士の同士討ち狙うとか先生も博打打ちますねぇ」
「ええ、どう収束するかは正直僕にもわかりません」

部屋の中では、すさまじい魔力のぶつかり合いが起きていた。
たぶん、メフィストが空間を切り離していなかったら、部屋ごと。いや建物ごと吹き飛んでいただろう。
アスタロトは白鳥という人間に取り憑いているので、戦いにおいてはやや不利だ。
メフィストのように何百年もかけて馴染んだ体を持っているわけではない。
ようは、時間を稼げればそれでよかった。
雪男は叫んだ。

「兄さん!いるなら返事してくれ!」

部屋の中に向かって叫ぶが、返事はない。もしかしたら、気絶でもさせられているのだろうか。
それならばこの部屋の中に踏み込まなければならない。

「アカン先生!今行ったら人間は死んでまう!」
「しかし、このまま見ているわけにもいかないでしょう!」

部屋の外にいても、漏れ出す瘴気と魔力で息が詰まりそうだ。
人間がこの中に入るなど自殺行為だ。勝呂は必死に雪男を止めた。
雪男になにかあれば、一番悲しむのは燐だ。でも、このまま見ているわけにもいかない。
雪男が覚悟を決めていたところで、この場面にふさわしくない、電子音が響いた。

「なんや?誰の携帯の着信やろ・・・」
「あ、僕です。ちょっと失礼」

雪男は携帯に出た。魔力の渦のせいで電波がやや飛んでいるが、確かに言葉が聞こえた。

「雪男、たすけて」

それは、燐の声だった。


感想ありがとうございます


うわあああ、まさか本の感想いただくとは思ってもみませんでした。
拍手もぱちぱちありがとうございますッ!
コメントも本当にありがとうございます!励みになります。

面白いものを作れているかは自分では疑問ですが、
またぽちぽちやっていきたいなぁと思っております。
自分との戦いとはよく言ったものですね。
ですが戦いたいとは思います。

青祓面白いんですものおおおおおお!と変わらぬ愛を叫んでみる。

通販再開されているようです

とらのあなさんで通販再開されているようですので、
リンク張らせていただきますね。

「伽藍DOLL」書店通販ページ

もしご興味あるようでしたら、どうぞ~。直通です。
内容が気になる方は下のページにてご確認ください。

オフラインページ

メルフォにてご連絡いただきましたので、急ぎ作ってみました。
ありがとうございます!

長男は弟をハメるのがお好き



燐は祓魔の資料が保管されている図書館で、本を読んでいた。
勝呂は燐の姿を見て驚愕のまなざしを向ける。あの奥村燐が勉強をしている。
感動で目の前がぼやけてしまった。
燐が勉強しているところなんか、命がかかっていた祓魔師試験の時以来だった。
しかし、感動している場合ではない。
勝呂は燐の前に近づいて、肩を叩いた。

「珍しいな、お前が勉強しとるなんて」
「うん」

燐は本を捲って、一旦閉じた。そして一冊の冊子を鞄の中から取り出す。
勝呂はその冊子を興味深そうに眺めた。表紙は白いし、この図書館の蔵書でもなさそうだ。
しかし燐はその冊子を真剣に読みふけっている。
閉じた本の表紙には、やさしい暗記の仕方。と書いてあった。
なにを覚えようとしているのだろうか。
ちらりと冊子の隙間から除いた文章にやや驚きながら、勝呂は燐に問いかけた。

「奥村、なんやそれ」
「ああ、暗記しなきゃいけない資料なんだ。お前暗記得意なんだよな?
なんかいい方法ないか?」
「そんなもん、覚える他ないわなぁ・・・そうや、読んで書いてを繰り返すと
案外頭に入るもんやで」
「ふうん、じゃあ後で書いてもみるわ。ありがとな」
「礼はいらんて、頑張りや」
「うん」

勝呂はこれ以上邪魔してはいけないだろうと思い、燐の傍を離れる。
燐は冊子から目を離そうとしない。
もしかしたら、次の任務の資料なのかもしれない。
ならば邪魔してはまずいだろう。
勝呂はちらりと見えた文章を思い出す。しかし祓魔の仕事を生業にしていると
見かけることもある文章なので特に突っ込みはしなかった。
間もなく。図書室の扉が開いて、雪男が入ってくるのが見えた。
勝呂はぺこりとお辞儀をする。雪男も同じ動作を返した。
今は同じ祓魔師だが、雪男に対してはやはり講師と教え子の立場という感じになってしまう。

もしかしたら、さっきの資料は雪男が手ずから作った兄の為の資料なのかもしれない。
燐は未だに漢字を苦手としているので、読み仮名を振った資料を雪男が作っていても
おかしくはない。愛されとんなぁ。と勝呂はしみじみと感じ入る。

違和感に気づいたのはまもなくだった。
雪男は燐に気づきながらも、すたすたと本棚の方に行った。
燐も雪男に気づきながらも、資料から目を離さない。
いつもなら挨拶くらいは交わすのに。
勝呂は首を傾げながら、奥村兄弟を見つめていた。
喧嘩でもしたのだろうか。それならばいつものことだ。放っておくことにしよう。
勝呂はその選択が間違いであったと、後で気づくことになる。

***

勝呂が上司から任務を言い渡されたのは、図書館で奥村兄弟の冷戦を見た数日後のことだった。
祓魔対象の悪魔は、腐属性の上級悪魔。森で瘴気をまき散らし、木々を枯らしているらしい。
今はまだ山深い場所で暴れているだけなのでいいが、数キロ先には町があった。
人間の住む場所までたどり着けば、被害は甚大である。

悪魔が町に辿りつくまでにケリを付ける。時間制限付の任務だった。
勝呂はすっかり手に馴染んだ銃を持つと、森の中へと踏み入った。
胞子が飛んでいるので、マスクも忘れない。
木々は枯れ、胞子が飛び交い、足元の土は腐っている。
どこかの映画の話ではないが、マスクを外せば5分で肺が腐ってしまいそうな有様だ。

「ひどいな・・・」

不浄王の時を思い出す。あの時もこんな状況だった。
勝呂は同僚の祓魔師と共に、目当ての悪魔を目指した。
同僚の祓魔師が声を上げる。勝呂はすぐさまその場にしゃがみこんだ。
どうやら、目当ての悪魔の進行方向へと回り込むことができたようだ。
注意深く、その姿を確認する。その悪魔は、キノコのような姿をしていた。
キノコの根本から無数の触手が伸び、それが足のように動いて前に進んでいるようだ。
キノコの笠の部分には人型を象った胞子の塊がくっついている。
ぶつぶつと言葉を放っていることから、あの胞子の塊には意志があるのだろう。
悪魔の核となる部分のようだ。

勝呂は同僚と目配せをして、その胞子部分に銃を向けた。
決めるなら今だ。後方の部隊とも連絡を取り合い、火力で一気に叩くことを決める。

「今やッ!!!」

勝呂の合図と共に、火炎放射器と銃口が火を噴いた。
キノコ型の悪魔は一気に炎に包まれる。核となる部分を打ち抜き、身体を炎が焼き尽くす。
辺りには木々が焼ける匂いと、悪魔が焼き尽くされる異臭が立ち込める。
吐き気がするほどの匂いだが、悪魔討伐現場ではよくあることだ。
悪魔の姿は、炎に包まれて徐々に見えなくなってきていた。
おそらく身体が燃え尽きたせいで、小さくなっていっているのだろう。
勝呂は悪魔の進行方向に目を向ける。まだ遠いとはいえ、この先には町がある。
ここで食い止められてよかった。そう思った矢先、同僚の悲鳴が聞こえてきた。

「う、うわああああ!!」

見れば、触手に足を取られて宙吊りにされているではないか。
勝呂は驚きながらも、その触手を銃で打ち抜く。
地面に落下した同僚を支えながら、なんとかその場から逃げだした。
すると、先ほどまでいた場所から無数の触手が針のように生えてきたではないか。
一歩遅ければ串刺しになっていただろう。ぞっとしながらも勝呂は次の手を考えた。
近くの地面に銃弾を撃ち込み、聖水をばら撒けば、触手の進行は止まった。
勝呂は同僚に声をかける。

「大丈夫か、あれはたぶんさっき焼いたキノコの触手やろ。まだ生きとるみたいや」

視線を燃える悪魔の方に向ければ、焼いたはずの悪魔の体が地面から再生されている最中だった。
触手とは、根のようなものだったのだろう。キノコの形をしていることから菌糸とも言えるかもしれない。
菌糸がより集まって、幹をつくり、笠を象る。その笠の上には胞子でできた人型がケタケタと笑っている。
不浄王の時もそうだったが、腐属性の悪魔は再生するから厄介なのだ。
勝呂が舌打ちして、カルラを呼び出すべきか考える。

しかしその召喚の間は自身が無防備になってしまうので、騎士の前衛が必要だ。
今いる同僚は、医工騎士だった。勝呂は今回の任務で竜騎士として参加している。
騎士を持った称号のものはこの部隊には少数だ。
それも騎士がメインではなく、他の称号と併用している場合が多数だろう。
腐属性の悪魔は、遠距離からの攻撃が普通だ。
極少数いる悪魔とのハーフなら別だが、人間があの瘴気の中生きれるはずがない。
よって任務の際には前衛の騎士はあまり入れないことが慣例となっていた。
勝呂は唇を噛む。ここに奥村がいれば。そう思わずにはいられない。

奥村燐は騎士としてはおそらく最高の素質を持っている。
悪魔としての身体能力に、瘴気への耐性、加えて全てを浄化する青い焔。
まったくもって、最強の同期を持ったものだ。しかし、その同期に頼るわけにはいかない。
勝呂は燐に負けたくはなかった。今、自分にできることをやらなければならない。
勝呂がカルラ召喚の陣を描こうとしたとき、声が聞こえた。

『足止めは、俺がする』

それはよく知る声だった。勝呂はハッとするが、カルラの召喚に力を入れることにした。
同僚に声をかける。

「悪い、しばらく俺無防備になるわ。なんとか持ちこたえてくれ」

同僚は勝呂の言葉に動揺しながらも、手に聖水と銃を持った。銃を持つ手が不恰好なのは、
竜騎士の資格を持っていないからだ。それでも剣とは違って引き金を引きさえすれば銃は打てる。
間違って、俺に当てんなや。と願いながら勝呂は詠唱に入った。
ほぼ同時に、悪魔が動き出そうとしていた。触手を動かそうとしたのだろう。
ずずず、という地面を削る音があたりに響いていた。音は、すぐに止んだ。
悪魔の目の前には人影があった。その影は青かった。
視界を遮っていた胞子が風で消えていく。
そこには、祓魔師姿に青い着物を羽織った燐がいた。
燐は悪魔に声をかける。

「静まれ!下賤なる者よ!!」

その声を聞いて、勝呂はぎょっとした。あの燐が難しい言葉を使っている。
驚きだ。図書館で勉強した成果だろうか。
悪魔は燐の声に反応して、触手を燐へと伸ばした。
その触手は燐にたどり着く前にあっという間に燃やされてしまう。
燐は青い焔を全身に灯して、冷徹な瞳で悪魔を見た。
悪魔が慄いたことが、感覚で分かった。悪魔は恐れている。

「ここでお前がしたことを俺は許すつもりはない。
大方腹を満たすために町を襲おうとしたのだろう。
人間に害を成し、森を壊し、お前が物質界に与えた損害は命を持って贖うがいい」

悪魔はなにかを燐に訴えていた。しかし、燐はそれをばっさりと切り捨てる。

「俺の名前を言ってみろ」

悪魔はその場に傅いて、言った。若君様、と。
燐は満足そうに笑った。

そして、勝呂の詠唱が終わり、カルラが召喚される。
カルラの炎は、燐の目の前にいた悪魔を焼き尽くす。
不死鳥の炎だ、重火器の炎とは性質が違う。
燃える炎に染められて、燐の羽織がはためく。
燐は手を翳して、カルラを。勝呂を助けるように青い焔を繰り出した。

「焼き払え!!」

まるでどこぞの殿下のような口ぶりだが、今の燐の姿から見ると妙に様になっていた。
カルラはこくりと頷いて、燐の焔を増長させるように炎を燃やす。
燐の声と共に、森が燃えていった。
その日、数キロ先にあった町では森の中で青と赤の炎が燃えている姿が見えたという。
全ての胞子が燃えて浄化された後、燐の姿はどこにもいなくなっていた。


次に目撃したのは志摩だった。
志摩が任務にあたっていると、廃ビルにいたゴーストの親玉に命令している悪魔がいた。

「消えろ、目障りだ下級が」
「申し訳ありません、若君様」

次に目撃したのは子猫丸だった。
子猫丸が任務にあたっていると、古い神社に住み着いていた化け狸を踏みつけている悪魔がいた。

「俺に従え」
「若君様の仰せの通りに・・・」


そしてその京都組の遭遇した出来事は勝呂によって集約され、雪男への直談判へと繋がった。

***

「先生!奥村がおかしなったんです!悪魔の親玉みたいになったんです!」
「今は先生じゃないですけど・・・って、え?なんですかそれ?」

雪男は首を傾げた。旧男子寮では冷戦が続いているが、普段と変わったことはないように思えた。
しかし、勝呂達の説明を聞いて、徐々に眉間にしわを寄せて考える。
兄さん、一体どうしてしまったんだ。
雪男も任務があるため、ここ最近はすれ違いが続いていた兄弟だ。話もまったくしていないに等しい。
会っても、図書館のように無視し続けるのが常であった。雪男としてもここまで長い喧嘩は初めてだった。
しかし昨日寝ているところを見たが、特に様子は違わなかった。
燐の豹変は任務での時だけということだろうが、学生時代とは違って今は社会人である。
オフの日の方が少ない。つまり、燐はほとんどの時間を悪魔の親玉みたいにして過ごしていることになる。
これは由々しき事態だ。騎士團の上層部に見つかれば反逆罪と見られかねない。
雪男と勝呂達が燐を探しに行こうとすると、ちょうど任務帰りの燐が歩いている姿が。
そして、その背後にいるものたちに雪男たちは驚愕した。

燐の後ろには、またもや取り憑かれている白鳥と、無数の悪魔が群がっていたのだ。

「寄るな、穢れる」
「ああ、若君。ようやくご自分の立場を理解されたようで私は大変うれしく思います。
若君から発せられる言葉すべてが私の身に染みわたります。なんという甘美・・・なんなりとご命令ください。
我らは貴方様の手足です。この身を焼いても我らは貴方に忠誠を誓いたい。足を舐めさせて下さい」
「さりげなく自分の欲望を混ぜるなッ」

燐は背後に群がるアスタロトにも、悪魔にも冷たく帰れと命令していた。
しかし、その命令すら今まで貰えなかったのだ。
燐に傅く悪魔にとっては、命令も冷たい視線も、全てがご褒美である。

雪男は悪魔に命令する燐の前に立ちふさがった。

「なにしてんだよッ」

そして、そんな雪男を燐は無視した。
無言で立ち去って行く兄の姿を、雪男は呆然と見つめていた。
喧嘩をしていた自覚はある。でも、燐にここまでの対応を取られたのは初めてだ。
勝呂達も、普段と違う燐の姿になにも言うことができなかった。
まるで、燐が遠いところへ行ってしまったように四人は感じたのだ。

***

雪男たちからも、アスタロト達からも逃げ出して、燐は学園の隅に設置されている
ベンチで、メフィストに連絡を取っていた。
手には、図書館で読んでいた冊子がある。

「メフィスト、お前の台本すごいな。雪男たち呆然としてたぜー」
「でしょう、なにせ私の構成は完璧ですからね☆貴方用に考えて、
ルビまで振った『悪魔としてグレる方法』ですから!」

燐は中学時代に既にグレている。その様子を知っている雪男からしたら、
生半可なグレ方では驚かすことはできないと燐は考えたのだ。
そして、悪魔としての振る舞いに力を入れるグレ方を取ったのだ。
燐は、魔神の落胤である。悪魔にとっては神にも等しい存在だ。
誰も逆らったりしないし、迷惑をかけても悪魔だからかまわないというわけだ。
それでも燐は内心すごく悪いことをしている自覚があった。
だから、雪男にちょっとだけ思い知らせることができたら、すぐにやめようと考えていた。

「なぁメフィスト、台本の1章『台本の暗唱』2章『悪魔としての権威の示し方』
3章『下僕の作成』もできたし、4章から5章もほぼできるから、そろそろ終わりにしたいんだけど」
「いいですよ☆では今夜、私の部屋に来て下さい」
「わかった、最終章『メフィストの夜伽話』ってあるけど、これなんて読むんだ?ここだけふりがなないんだけど」
「それは今夜教えて差し上げますよ、夜は長いのですからじっくり・・・ね」

メフィストは燐をハメたのだ。兄弟の不仲に乗じて、燐を美味しく頂いてしまおうという魂胆である。
見た目15歳の燐に手を出そうというのだから、教職に就く身としては限りない冒涜だ。
しかし、メフィストは悪魔であるのでそんなタブーは関係ない。

そんなことは露知らず、燐は携帯電話を切って、台本を閉じる。
燐の心の中には、雪男や勝呂達の呆然とした表情が浮かんでは消えていた。
悪いことしたなぁ。
そう思っていても、してしまう時がある。それがグレるということである。
それでも、今夜で終わるようだからいいかと燐は考えた。

燐は自分の貞操が狙われていることに、これっぽっちも気づいていなかった。

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]