青祓のネタ庫
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「これからは、人間殺す覚悟がないと勝てへんで」
そう彼に言っても彼は相変わらず優しいままだった。
いくら自分が忠告しても、きっとその信念は曲げないのだろう。
彼は悪魔だけれどそこらにいるどんな人間よりもずっと人間らしかった。
おそらく、大半の者が憧れるであろう「人」という存在にきっと誰よりも近い存在だった。
悪魔という強い力の持ち主だから、彼は人に優しくできたのだろうか。
力を持つからこそ優しくなれるとするならば、それは力持つ者の傲慢だ。
弱者を助けるという体裁をとりながら、その実周囲を見下しているのと同じではないか。
彼のことをすごいと思う自分がいたことも真実だけど。
彼のことをとても憎らしいと思う自分がいたことも本当だ。
俺はあんな熱くなれへん。
なんであんなにがんばるんや。
俺には全くわからへん。
家族は自分に重石を乗せて、仲間は自分に正しさを求めた。
そんなもの、クソくらえ。俺は皆とはちがうんや。
志摩の心には影があった。そしてその影に呼応するかのような使い魔、夜魔徳もいた。
夜魔徳は自身の主の心を見抜いていた。
だからこそ、自分は彼らと敵対したのだろう。
イルミナティに入って、出雲を浚って、仲間とも思えないようなことをしたというのに。
あれからいくらか時間が過ぎてこうして会えるようになるなんて、当時は思ってもみなかった。
それなのに、どうして彼が消えてしまうことになってしまったのだろうか。
世の中とは理不尽だ。そう志摩は思っていた。
「・・・うーん」
少しの肌寒さを感じて志摩は目を覚ました。目の前には木の天井。部屋の中ではない。
外だ。道理で肌寒いはずである。自分は神社の境内で倒れていたようだ。
そして思う。どうして自分はこんなところで倒れていたのだろうか、と。体がどっと疲れている。
以前に比べて格段に召還の負担は減ったとはいえ、力あるものの召還には体力を消耗する。
まるで夜魔徳を召還した後のような疲労感。記憶が繋がっていく。
脳裏に青い炎の姿を思い出す。急いで飛び起きて、周囲を確認するが
そこには志摩以外誰もいない。彼は去ってしまったのか。
「あー、りんちゃんのパンツみれんかったか」
残念、と冗談めかしてつぶやいて、がしがしと乱暴に頭をかいた。
軽口をたたいてはいるが、内心穏やかではない。
ようやく出会えたというのにみすみす逃がしたと彼らに知られれば、
どんな目に遭わされるかわかったものではない。
彼ではない可能性にも賭けてはみたけれど、
夜魔徳を退ける為に呼び出した青い炎は本来ならこの世に存在するはずのない力だ。
特定するのには十分だろう。
志摩は境内に背を預けて、ため息をついた。
燐がいなくなってからというもの、勝呂は怒るわ子猫丸は動揺するわ。
出雲は寂しそうな表情をするわ、しえみは泣き出すわ。志摩はその収束に追われたり、
八つ当たりを受けたり散々な目にあった。
しかしその中でも雪男の動揺は、志摩の目から見ても異常とも呼べるようなものだった。
なんとしても見つけださなければならない。それは皆同じ気持ちだ。
けれど、追放の命令を出したのも雪男で、追うのも雪男なのだ。
そこにどんなすれ違いがあったのかは、当人たちでないとわからないだろう。
でも雪男と燐は確実に道を違えてしまっている。このままでいいはずもない。
一度、話し合うことはできないのだろうか。会うことはできないのだろうか。
昔から知る双子が今絶縁とも呼べる状況になっていることは、やはりとても心が落ち着かない。
「おせっかいは、坊たちの仕事やというのに・・・めんどくさ」
志摩は腕と足を回して体の状態を確かめてから立ち上がった。足下はふらつくけれどなんとかいけるだろう。
今日の出来事をどのように報告するべきか。志摩が悩んでいると、神社の階段をあがってくる姿が見えた。
その人物は志摩が出会った彼と同じ服装をしている。唯一違うといえば、
手にコンビニの袋を持っていることくらいだろうか。志摩は思わず境内の影に隠れた。
彼は境内に近づいて来ている。志摩がいなくなっていることにはまだ気づいていないようだ。
射程範囲内に彼が足を踏み入れた。今だ。志摩は全力で飛び出した。
「貰ったぁあああああああああ!!!」
「うおおおお!!?」
背後からの強襲だったせいか、全力で二人で境内の、それこそ社の中まで転がり込んでしまう。
志摩は自分よりいくらか細い体に全身でまとわりついた。
そのままマウントポジションを取ると、勝ち誇ったように彼のフードを奪い取る。
「観念しいや奥村君!」
頭の両側に手をおいて、視線をそらせないようにする。
志摩の目の前には十五歳の姿のままの燐がいた。特徴的な青い瞳と赤い虹彩がこちらを見ている。
自分と同じ年のはずなのに、この若作りは犯罪やな。と志摩は冗談めかしてつぶやいた。
燐は観念したかのように志摩に向かってゆっくり手を挙げた。
「・・・ひさしぶり」
「うん、おひさしぶり」
二人はこうして再会を果たした。
***
「まさかあのサイトで悪魔じゃなくて志摩が釣れるとは思ってもみなかった」
「俺も如何わしいサイトかと思ってアプローチかけて奥村く・・・りんちゃんが釣れるとは思ってもみんかったわ」
「おいなんで言い直したんだよ」
「サイトにりんちゃんってあったやん。詐欺やパンツ見れるかと思ったのに。蓋を開けたら男子高校生かいな」
「高校生じゃねーぞ、それに如何わしい依頼は受けてねぇって」
「見た目の問題やろ。AVでもよくあるやん、明らかに高校生じゃないやつ。
あ、それでいうと奥村君って合法?」
「・・・やめろよ、気持ち悪ぃ。口がまずくなる」
燐が持っていたのはコンビニの袋だった。
中にはいくつかの飲み物が入っている。
その内の一つを志摩に投げて寄越した。
戻ってきて志摩の目が覚めなかったら、これだけ置いて帰るつもりだったと聞いて、志摩はほっとする。
早めに目が覚めた自分をとても誉めてやりたい気分だ。
「お前さ、監視の悪魔が憑いてねぇけどどうしたんだよ」
燐が志摩に疑問をつげた。騎士團から燐が同期に接触しないようにと、監視の悪魔が付けられていたはずだ。
燐が近づいたり、話そうとすればすぐに監視者に対して危害を加えるというとても危険な代物である。
志摩はそれならな、と呟いて指先に黒い炎を灯した。
「俺の場合、夜魔徳君がおったから誤魔化せてるってだけやな。他の人の場合はまた別やと思う」
「どういうことだよ」
「黒い炎は物質界のものに干渉できない代わりに、悪魔に対して効果を発揮する。
物に取り憑いた悪魔は、器は傷つけずに中身だけ燃やす、みたいなもんや。
今回のはそれの応用。騎士團から憑けられとった悪魔の「中身」だけ燃やして「外見」はそのまんまにしとるんよ。
召還者との縁は切れずに中身は夜魔徳君のままっていうちょっと特殊な状態にして放置しとるからね。
間違っても「俺を襲え」なんていう命令は聞かへんよ」
騎士團も悪いことするからな。これくらいはやりかえされて当然やで。
志摩は悪い顔で笑う。燐は思い出した。志摩は笑顔で自分たちを裏切ったのだと。
彼は呼吸をするように嘘をつく。それが今は役に立っているといえばそうなのだけれど。
「他の奴にはまだ憑いてるのか」
「うん、確実におるね。俺の場合は使い魔が特殊やったからよかったけど。
皆の場合正攻法で悪魔を祓っても、また騎士團からの監視の悪魔が増えるだけになるから現状維持しかできへんやろな。
俺も、そんな遠方に夜魔徳君飛ばせるわけちゃうから、せいぜいできて自分の周囲が精一杯やわ」
「・・・そうか」
「今のところ会えるとしたら、俺くらいでごめんな」
「別に残念ってわけじゃねーぞ。お前に会えたってだけでうれしいし」
志摩はさびしそうな燐に向けて言った。
「奥村君・・・結婚しよ」
「しねーよ、誰がするか」
「じゃあ同棲しよ」
「居候の身だから却下」
「付き合おう」
「そのつもりはない」
「ひどいわ」
「その気もねーくせに言うな」
「俺は本気やで」
「お前の本気は信用できない」
久しぶりに軽口をたたき会って、お互いに笑う。
やっと少し笑ったな。そう思って志摩は話を切り出した。
「奥村君、奥村先生のこと・・・どう思っとるん?」
燐から表情が消えた。当然だ。自分を永久追放する判断を下した、唯一の家族。
どうしてだという気持ちと、納得のいかない思い。
志摩は燐が騎士團から去ったと聞いたとき、同時に雪男も去ったのだと思っていた。
彼は兄である燐を守ることを人生の目標にしていたし、実際にそう生きてきていた。
だから、雪男が燐を追放したというのも理由があるのだと思っていたのだけれど。
それでも、彼がした永久追放という処分が燐を傷つけたのは本当だ。
志摩は雪男の味方でもなければ、燐の味方というわけでもない。
ただ、二人がお互いを嫌いになったのだとしても、どこかで手は打てないのだろうかと思っている。
少し話をするだけでもいい。会えないのなら、電話だけでもいいだろう。
どこかで繋がりを持っていて欲しかった。
高校時代に、家族も友達も。全ての縁を切ろうとしていた自分だからこそ言いたい。
奥村君それはあかんって言って俺を止めてくれたやん。
諦めないでいてくれたのは他でもない君なんやで。
燐は戸惑いながらも気持ちを口に出した。
「正直に言うと、俺はあいつのこと許せない。
俺の目標も夢も全部。あいつの一言で無くなっちまったって言ってもいいからな」
「・・・うん」
「でもさ、それって俺にもそのまま。俺の言葉がそのまま俺に返ってくるんだ。
アイツの小さなころの夢は医者になることだった。でも、銃を持たせて悪魔を殺すようになったのは
他でもない。俺が悪魔だったからなんだ。だから、俺のせいであいつの目標も夢も全部無くなっちまったって
考えたら・・・俺は」
もう会えないし、会いたくない。
会えばきっと許せない思いが爆発してしまう。
でもその思いはそのまま燐を傷つける。
「だから、さっきから先生のこと一回も名前で呼ばへんの」
志摩の言葉に燐は思わず口を抑えた。無意識だったのか、それとも。
燐の様子を見て、志摩はため息をついた。
これは修復、というよりは再建。といった方がいいかもしれない。
自分が雪男に燐を見つけたと連絡を取ろうかと思っていたけれど、言わない方がいいだろう。
もう一度会えば、兄弟の仲は完全に壊れてしまう。
少なくとも志摩にはそう思えた。
あれだけ家族のことを大事にしていた燐が弟の名前を呼ばないなんて重症だ。
それに、先程燐は居候をしていると言っていた。
弟以外の者に、家族以外によりどころを見つけたのなら新たな関係を築いていった方がいい。
時が解決する問題だってあるだろう。それに。
「祓魔の世界から足を洗おうとは、思わんかったんやね」
「うん、俺が役に立てるっていったらやっぱりこれかと思ってな。
俺を生かしたことが正しかったってことを、どんな形でもいいから証明してやりたい。騎士團に居られなくなっても。
方法はまだいくらでもあると思ったから」
「それでええと思うよ」
祓魔の世界で繋がっているなら、いつか会える日も来るだろう。
今はまだその時ではない。
志摩は立ち上がった。そろそろ戻らなければならない。
空は白んできており、朝日が昇ろうとしていた。
二人の別れの時間だ。
「携帯番号は・・・たぶんバレるからやめとこか」
「そうだな、お前に迷惑かけたくねぇし」
「俺はええんやけどな。うまいこと逃げるんやで奥村君。皆には俺からうまいこと言っとくわ」
「そうしてもらえると助かる」
志摩は燐に手を振った。燐も志摩に手を振った。
元気で。お互いにそう言って、後は別々の道に進んだ。
燐はアスタロトが待つ家に帰っていく。
志摩は燐の後を追うこともなく、そのまま道を歩いて行った。
携帯が着信を告げる。そういえば依頼を受けるやりとりの上で「悪魔高校生探偵りん」の番号はこの携帯に入っているはずだ。
この電話が終わったら消去しなければ。
「もしもし」
『ああ志摩君ですか、急で悪いんですけど任務をお願いできませんか』
声の主は、奥村雪男だった。燐を追っている男からの電話。
志摩は何事もなかったかのように雪男に話しかける。
志摩は嘘がつける男だったから。
「ええですけど俺今まで女の子と遊んどって、朝帰りなんですよね。きっついわ~」
『簡単なことなんですけど』
「ならいいですよ」
『それはよかった―――その持っている携帯を、僕に渡して貰えばいいだけですから』
志摩の呼吸が一瞬止まった。心臓が早鐘を打つ。まさか。
電話口の向こうで雪男が笑った。
『一度組織を裏切った者に対して、監視をつけないわけがありませんよね。
そう、悪魔だけじゃない。例えば盗聴器、とかね』
志摩は携帯を叩き壊そうとしたが、遠方から足元に向けて弾丸が飛んできたせいでそれもできない。
そういえば、彼は遠距離射撃が得意だっただろうか。腕や足の一つくらいは打ち抜かれそうである。
志摩は迫りくる者に対して、せめてもの抵抗の意志を見せつけた。
「夜魔徳君立て続けで悪いけど。せめて携帯壊すくらいの時間、稼いでくれる?」
志摩は今にも倒れそうな体力の中、夜魔徳を呼び出した。
燐が仕事を始めてから早数か月。最初の内は手探りだった仕事も徐々に軌道に乗ってきた。
最初に仕事をした学校では予想通り、やはり悪魔が関係していた。
幽霊はその学校の七不思議と呼ばれるものに属していたが、その実態は悪魔が
思春期の子供を拐し力を得ていたという類のものだった。
被害者の子は皆原因不明の衰弱に陥っており、一歩間違えれば死んでいたかもしれない。
燐が悪魔を祓うと、被害者の子は目に見えて回復していった。
依頼主の女の子は、病院で親友が目を覚ましたと聞いて号泣していた。
本当に心配していたのだろう。
しかし、大人は悪魔や幽霊などどいったものは信じておらず、子供たちが何を言っても聞かなかった。
子供だけがこの学校に蔓延る異常に気付いていた。
被害者の子の中にも、原因を突き止めようとして逆に被害にあった子達もいたらしい。
依頼主はだからこそ。藁にもすがる思いで燐に助けを求めたのだ。
友達を、自分たちを助けて欲しいと。
燐はその期待に応えることができてよかったと思う。
被害に遭った子達は、力を奪い取られていただけで傷は負っていなかった。
魔障を受けた子がいなかったのが不幸中の幸いだ。
「これで被害は無くなると思うけど、もう危ないことはすんなよ」
燐は依頼主にそう声をかけた。依頼主も燐が戦っていた姿を見ているので、
どれだけ相手が人知を超えたものだったかは姿が見えていなくても理解はしたらしい。
依頼主は燐にお礼を言うと、もうこういった案件には関わらないことを約束した。
一般人には一般人の生きる道がある。
例え友達を救うためだったとしても、自分が傷つけば友達はそのことを気に病む。
それを繰り返さない為にも、自分の身を守る大事さも教えた。
燐が雪男から口を酸っぱくして言われたことを、まさか他人に言うことになるなんて
思いもよらなかったが。
「何か困ったことがあれば、また言えよ。力になるから」
依頼主はこくりと頷いた。依頼主とはもう会うこともないだろう。
依頼を終えて学校を去るころには、もう朝日が出ていた。
燐は初めての仕事を終えて手に入れた一万円を朝日に照らした。
依頼主の心からの、ありがとう。という一言が胸にしみる。
お金も、言葉も。全て自分の力で得たものだ。
燐は騎士團で働いていた頃、ふとした瞬間に自分はやはり兵器なんだと感じていた。
それは自分を遠巻きに眺める同僚だったり、心無い一言や陰口を聞いたときにいつも衝動的に
訪れていたものだった。
なによりそんなもの達から必死に自分を遠ざけようとしていた雪男の姿を見て、
自分よりも怒っていた雪男を見て、俺はまだ大丈夫だと、耐えれると思っていた。
燐は雪男にも自分にも言い聞かせるようによく言っていた。
おれはへいきだよ。しんぱいするな。
その度に雪男は辛そうな顔をするんだ。
そんな顔をさせたいわけじゃなかったのに、俺たちはうまくいかない。
最後まで、うまくいかなかった。どうしてだろう。
青い炎を知る人は、必ずあの青い夜のことと繋げて燐を見ていた。
燐は、悪魔だ。祓魔師は人間だ。どうしようもない隔たりがあったし、実際に差別もあった。
そこから解放されて、夢を奪われて、絶望を知って。
それでも人と接することを諦めることができなかった。
燐は寂しかったのだ。誰とも繋がれない、一人に戻るのはもういやだった。
助けてくれてありがとう。
その依頼主の一言が、どれだけ燐を救っただろうか。
依頼主は燐のことを何も知らない。悪魔を祓ったのも、倶梨伽羅を抜かずに
青い炎だけを操って消失させたことが原因だったかもしれない。
燐を悪魔と知らずにいたから、よかったのかもしれない。
だけど、何も知らない人からの言葉こそが燐を救ったのだ。
騎士團にいたころには味わえなかったこの思いは、燐の支えになるだろう。
燐はアスタロトのいる家に帰ってきた。
帰った、というのは語弊があるかもしれない。ここはアスタロトの憑りついた人間の住まいだから。
燐の家ではない。それでも扉を開けた先にいたアスタロトは燐に声をかけた。
「お疲れ様です。お帰りをお待ちしておりました」
燐は一言、ただいま。と声をかける。
今だけはこの場に、この状況に甘えていたかった。
全てを無くしてもなお、燐を支えてくれるものはある。
それを糧に、燐は生きていこうと思った。
***
何度目かの任務を終えた後、燐の携帯が着信を告げた。
それはアスタロトからの転送メールだった。パソコンから受けたメールを自動的に燐の持つ携帯に転送し、
そのまま次の任務先へ行けるというものだった。
もちろん、受ける受けないは燐の自由意思によるものだ。
胡散臭いものはそのまま流して、次に送られてくるメールを待つ。ということもできる。
いわゆる自由業だ。燐はこの職業は性に合っていると思った。
がちがちの組織の中で働くよりは、自分の力を役立てるにはよほどいい使い道だと思う。
燐が携帯を開くと、示された場所はここからすぐ近くの神社だった。
依頼主は悪魔の誘惑に困っており、なんとか解決して欲しいとの依頼だった。
依頼主に悪魔が見えているため、実際に会って祓って欲しいらしい。
悪魔に取り憑かれているわりには緊迫感の無いメールで、
アスタロトからは一言、お止めになった方がいいかと思います。という文章までメールに書かれていた。
燐は携帯を閉じて少し悩む。悪魔に取り憑かれているのなら祓った方がいいだろう。
でも、悪魔が見えて、憑りつかれているのならなぜ騎士團の方に助けを求めなかったのだろうか。
この依頼主は悪魔関係のことを人に隠そうという気がない。それが疑問だ。
開き直っているならば、騎士團に相談する糸はいくらでも掴めるだろうにそうしない行動への疑問。
燐の仕事はいわばモグリだ。正式な手続きさえ踏めば騎士團も助けてくれるだろうに。
騎士團には言えないようなことでもあるのか。それとも。悩んで、燐は諦めた。
「あー、やめだやめ!考えても始まらねぇなら会えばいいんだよな!」
少しでも怪しい依頼、所謂アダルトな依頼だと感じれば逃げればいいだけのこと。
燐はフードを被って頭を覆った。これなら悪魔になったときでも耳や角が隠せるし、
体型が隠せるので年齢もばれにくい。なにより、あまり顔を人に知られたくなかった。
黒髪に青い瞳、それに赤い虹彩となれば知り合いにばれれば一発である。
燐はあくまで人に知られないように生きなければならないのだ。
だから依頼主とも必要最低限のことしかしゃべらないようにしている。
燐がビルの合間をぬって飛んでいくと、待ち合わせの神社が見えた。
鳥居の向こうには暗闇が広がっている。あまり人気のない神社らしい。
燐は注意深く周囲を伺ったが、依頼主はまだ来ていないようだった。
依頼主にはフードを被った人物が目印だと伝えているので、程なく会えるだろう。
そう思っていたのがいけなかった。
暗がりから突然、誰かが燐に向かって飛びかかってきた。
「ッ!?」
燐は咄嗟に身を屈めて襲撃者を避けた。少し遠くでぶお、と襲撃者のくぐもった声が聞こえてくるので
顔でも打ったらしい。燐は急いで逃げようとした。すると、覚えのある感覚が燐を襲う。
「夜魔徳くん!捕まえてや!!」
ぼう、と暗闇から湧き上がる黒い炎。覚えのある気配。当然だ。
夜魔徳を使役できる人物など一人しかいない、上に聞き覚えのある声。
最悪だ。燐は声を出さずに呟いた。目の前にはピンクの頭をした優男が笑っている。
手加減はしてられないようだ。
燐はフードがずれないように押さえながら、夜魔徳に向き合った。
夜魔徳の炎から流れるように身を翻して逃げ、燐は志摩に向かう。
召喚者を叩くのは戦術の基本だ。夜魔徳は自分の炎が避けられたことに驚愕する。
そのまま主の元に向かう敵の前に黒い炎を灯した。
黒い炎は悪魔を害し、人に使えばその魂を焼き尽くす。
勿論、殺すつもりはないので手加減はしているがそれでも人にとっては十分脅威なはず。
しかし、敵なる人物。燐はその黒い炎に身一つで突っ込んでいった。
「なッ!?」
志摩も驚く。黒い炎を超えて、敵が来た。殴られると思った瞬間には錫杖で攻撃をいなして躱す。
夜魔徳は黒い炎に触れたことで人物が何者かを察知することができた。
急いで主に危険を告げる。
『主よ、相手が悪い。退かねばやられるぞ!!』
悪魔の中では階級が全てだ。自分より上の相手となると手加減はできない。
主の望む生け捕りが難しいとなれば殺し合いしかない。
若しくは主の安全を考えるなら逃げるのがいいだろう。
夜魔徳が警戒し、フードを目深に被り、正体を隠す謎の人物。
志摩は当初あのサイトは完全にアダルトなものだと思っていた。
最初に飛びついたのも、冗談のつもりだったのだけれど目の前の相手は志摩の襲撃を避けた。
悪魔探偵と名がつくからには、悪魔に関する知識もあるだろうと夜魔徳も呼び出した。
明王クラスの悪魔を呼び出せば普通驚いて動けなくなる。
それを狙ったのだけれど相手はあろうことか夜魔徳に向かってきた。
攻撃を躱した上に、黒い炎をものともしない。
これは自分の予想が当たっていれば、なんという大物を引いてしまったのだろうか。
志摩は鳥肌が立つのを押さえられなかった。
彼がいなくなって、志摩の知っている彼らは随分と動揺していた。
八方手を尽くして探しても足取りも掴めなかった。
騎士團からは彼を探すことは禁止されていたけれど、誰も諦められなかった。
自分たちの前から姿を消した友を、皆ずっと探している。
これを逃せば、志摩はたぶん彼らに殺されるだろう。
今ここで善戦するしか志摩に道は残されていない。
「夜魔徳くん、悪いけど頑張ってもらわなあかんみたいやで。
奴さん逃したら俺の生死に関わるわ」
志摩は錫杖を向けた。フードを被った相手は逃げる機会を伺っているようだが、
夜魔徳の黒い炎がそれを阻止する。夜魔徳にはもう手加減は一切不要だと告げた。
それでもどのくらい持つかはわからない。
味方にすると頼もしいけれど、敵にするととてつもなく厄介だ。
けれど、こちらにもアドバンテージはある。もし相手が志摩の想像する相手だとしたら、
彼は間違いなく志摩を殺そうとはしないだろう。
付け入る隙があるとすればそこしかない。
だけど、と志摩は考える。
彼ではない可能性も否定はできない。
体のラインを隠す服を着ているので男女の区別もつきにくい。
そうだ、女子ならば気絶させればあんなことやこんなことができるかもしれない。
勿論志摩とて紳士の端くれなので最後まではしないけれど、エロいことすれすれまではできるかもしれない。
仮に女の子だった場合を考えて、志摩は戦闘に向けて布石をうった。
「悪魔高校生探偵りんちゃんに告ぐ!俺が勝ったらパンツ見せたって!!!」
志摩はそのまま夜魔徳の炎を持って突っ込んでいく。
夜の神社に燃え盛る黒い炎と青い炎が交差した。
あなたのお悩み解決します。
悪魔で困ったことがあれば是非ご連絡ください。
パソコン画面にそう打ち込むと、後はクリックして
アップロードするだけだ。
程なくして、パソコンの画面にあるサイトが映し出される。
そこには悪魔高校生探偵という文字がでかでかと乗っていた。
タイトルの横には著作権フリーのかわいらしい女子高生の画像を貼るのを忘れない。
「できました若君!」
「できましたじゃねぇよ!どこのエロサイトだッ!!」
祓魔師として活動できる場がないかとアスタロトに相談した所、
それならばWEBが一番であると紹介を受けたのが事の発端だった。
結局アスタロトはあの後一歩も譲らず、とうとう燐が根負けする形で同居が始まった。
燐が担当するのはこの家の家事全般である。
アスタロトが取り憑いている男は金持ちの子息なだけあって金には困っていないようだ。
一応父親の会社の役員として仕事はないが、たまに出勤してはいるようでアスタロトもそれに合わせて外出をしている。
残った燐は町中の些細な悪魔絡みの事件を見つけては解決してみたものの、
誰かに依頼されたわけではないので報酬はゼロ。たまに助けた人がくれるお菓子くらいが収入だ。
これではいけない、と燐は思った。
はじめはアルバイトでもしようかとも考えたが、身元がバレることは燐の立場上よくないだろう。
履歴書を偽ると、犯罪を犯していることになる。
祓魔の世界ならば、ある程度のグレーゾーンは許されるとはいえ、ここは一般社会。
節度はわきまえなければならない。
だからこそ、正式に祓魔の依頼人を募る必要があった。
相談相手のアスタロトは仕事から帰ってくるなりパソコンをいじり、あっと言う間にサイトを立ち上げた。
いかにもいかがわしい作りにしたのは、仕様である。
「そもそも、名前をもろに『りん』にするんじゃねーよ!
なに考えてんだ!女子高生がやってるって勘違いするじゃねぇか!」
「最初の内はエロサイトの広告やそれ関係の依頼でしょうけど、大丈夫ですよ」
アスタロトは自信満々だった。すべてわざとやっていることであると燐に説明する。
こんな、男受けするようなサイトにすることで何のメリットがあるというのだろうか。
燐は素直に疑問を口にした。アスタロトはそれに答える。
「まず、祓魔のこと。つまりは我々悪魔関係のことですが、
人に知られたくないというのが人の心情です。人は見えないものに理解はない。
その依頼人だけが見える悪魔の存在を理解できる人はまず、一般社会にはいないでしょう。
だからこそ、誰にも知られないように調べようとします。
そこでWEBという不特定多数の検索に引っかかるようにしたのです。
また、悪魔がらみのものは闇と関わりが深い。検索ワードもその類のものが多いので、
こういったいかがわしい仕様にしたほうが、よりサイトが引っかかりやすくなるでしょう。
女性画像をトップに載せたのは、男性の気安さを誘発すると共に、女性にある程度の気持ちのゆるみを生みます」
「どういうことだ?」
「考えてもみてください。見ず知らずの女性が、見ず知らずの男性に助けてください。
なんてよっぽどのことが無い限り言いませんよ。女性は同じ女性の方が安心するんですよ」
「俺男だぞ」
「大丈夫です。依頼を受けるのは「悪魔高校生探偵りん」という架空のキャラクターですからね。
若君はさしずめ執行人といったところでしょうか。誤魔化しはどうとでも利きますよ。
それに、若君ならば外見年齢が十五歳のままですから、
仮に依頼主の女性を助けに行ったとしても怪しまれることもありません」
悲しいかな。それは燐が男性としてみられることがないと断言しているようなものだ。
確かに未だに補導されそうになっている身としては反論ができない。
「じゃあなんで俺の名前だけは載せたんだよ。これ、騎士團側にばれたらどうすんだよ」
アスタロトはそれも大丈夫です。と答える。
「騎士團といっても所詮は人の組織です。膨大なWEBの情報の中から、
いかがわしいサイトをくぐり抜けてここにたどり着ける者はわずかでしょう。
その時は閉鎖すればいいだけの話ですしね。それに、偽名はなるべく使わないほうがいい。
依頼人と直接会った時に名前を呼ばれてすぐに反応できた方が信頼も増します。
嘘を通すには、ほんのひとさじの本当を混ぜることで、人間は簡単に騙されるんですよ」
その言葉を聞いて、燐は冷や汗をかいた。流石は悪魔だ。人の闇の傍に寄り添い、
生きてきた年月は燐とは比べものにならないくらい長い。
アスタロトの言うことは間違ってはいない。方法としてはあまり納得はできないけれど。
それは裏の世界を生きていくには必要な知識だった。
メールボックスには次々とメールが届いた。その中の大半は如何わしいサイトへの誘導メールだったけれど、
それはアスタロトが専用のシステムで除去していく。残ったメールはほんのわずかだった。
しかし、その中に一つ気になる内容があった。
「これ、ここの近くだな。それも学校絡みか」
「思春期の子供は感受性が強いですからね。惹かれて何かが現れていてもおかしくはない」
メールの内容は、学校に現れる幽霊を退治して欲しい。というものだった。
依頼主は怯えているらしく、文章自体もたどたどしい。
恐らくはこの学校に通っている生徒だろう。
悪魔が見えてはいないようなのでまだ魔障は負っていないだろうが、
本当に悪魔が絡んでいた場合は解決を急がなければならない。
魔障は人の一生を狂わせる。ある日突然悪魔が見えるようになっても、自分以外の人間には見えないとなれば
どれだけその人の心を傷つけるかはわからない。
周囲に理解のある大人がいればいいが、祓魔師の職業もあまり深いところまで知られていないのが現状だ。
一人でも多くの人を、悪魔から救わなければならない。
魔障を受ける人が減れば、祓魔と関係を持つ人が減れば。
あの学園、騎士團に所属する人も、きっと少なくなるはずだ。
燐の記憶の中の声が答えた。
僕は、生まれた時から悪魔が見えた。
兄さんから魔障を受けたからだよ。
燐はその声を振り払った。
悪魔から受ける被害を少しでも減らしたい。
燐が願うのは、ただそれだけだ。
アスタロトが燐に声をかける。依頼を受けるかどうかを聞いているようだ。
メールのピックアップまではするが、最終的な判断は燐に任せるらしい。
「どうしますか、正直嘘をつく人間がいるのも本当です。
受けるか、蹴るかは若君の判断にお任せします」
燐はメールの内容をチェックした。
すると、メールの一番下にこう書かれてあった。
たすけてください。
燐は頷いた。助けてくれ、それだけで燐が動く理由には十分だ。
「返事してくれ、俺が出る」
「わかりました」
アスタロトは返信メールにこう書いた。
依頼料:一件につき百万円
送信ボタンを押そうとしたところで、燐が止めた。
ぎりぎりのところだった。折角受けようとした依頼が流れるところだ。
「お前依頼一件につき百万とかどういう感覚してんだ!
どう考えても納得しねぇだろ!!誰も払えねぇよ!」
「一件につき百万とか安くないですか?若君が向かわれるという時点で
金などには代えられないくらいの価値があるのですけれど、人間はそれを理解していません。
最低賃金です。これでも譲歩してますよ」
「最低賃金百万とか馬鹿言ってんじゃねぇ!払える金額じゃねぇと人も寄りつかないだろ!」
「でも安すぎるのも問題です」
お互いに散々言い合って、なんとか落ち着いた値段を送信した。
この依頼主は学生のようなので、どうにか払える金額として一万円を提示した。
勿論これは場合によっては上がることを伝えた。やっかいな相手だった場合は労力がかかるからだ。
依頼主によっては上の金額を提示するのもありかもしれない。
最低限の金額も決まり、燐はアスタロトにお礼を伝えた。
「ありがとな、いろいろと」
「いいえ当然のことをしたまでです。私は若君の僕ですから」
アスタロトに出会わなければ、燐はまだあの寒空の下にいただろう。
それでも、人に憑りついているということを考えれば燐はやはり全面的に甘えるわけにはいかなかった。
人には、人の人生がある。悪魔にそれを邪魔されるなどあってはならないことだ。
アスタロトの憑依が解ければ、燐がここにいることもないだろう。
この人と燐は何も関係がないのだから。
燐は一抹の罪悪感を抱えながらパソコンの画面を見た。
あとは依頼主が決めるだろう。返信を待つだけだ。
アスタロトは燐の表情を見て、徐に懐から一万円札を取り出した。
燐は首を傾げる。
「なんだよ」
「返信までは時間がありますし。最初の依頼は、私からでどうでしょう?」
燐は俺にして欲しいことでもあるのか、と問いかけた。
「悪魔高校生探偵『りん』の初めてを頂くこと自体既に興奮の対象なのですが、
口汚い言葉で私のことを罵っていただくお仕事をお願いします。それが何よりのご褒美―――」
最後まで言い終える前に燐がアスタロトを蹴り飛ばした。
もちろん壁にぶつけるようなヘマはしない。
修理費がかからないように、その場で一回転するように鮮やかに蹴り飛ばしたのだった。
「アダルトな依頼はお断りだ」
十分ご褒美と取れる冷たい視線を送りながら、燐はやっぱり早くひとり立ちしようと決意するのだった。
***
パソコンを弄っていると、ふと気になるサイトを見つけた。
膨大なページを見ていたのでいい加減目が疲れていたのだけれど、妙に気になる。
自分の第六感を信じてクリックしてみると、そこには可愛らしい女子高生が表示されたページが。
内容を見てみると、どうやら自分のやっている仕事と被るところがあるようだ。
インターネットなので、本当に依頼を受けているかどうかはわからない。
こういった釣りページを作って、依頼主の住所や番号を聞き出して売るような業者もあるくらいだ。
何故知っているのかというと、実際そういう業者に自分の住所を盗まれたことがあるからだった。
それ以降、何度も何度もアダルトグッズのチラシやダイレクトメールが届くようになってポストが
実に卑猥なことになった経験がある。当時付き合っていた女の子にもそれが原因で振られてしまった。
屈辱の経験である。
「にしても、かわいらしい子やなぁりんちゃん」
連絡とってみようかなぁ。
そう呟いて志摩は画面の向こう側の女の子(フリー素材)をそっと指で突いた。
秋は鼻炎が辛いですね。
体調不良が続いておりますが、皆様もお気をつけて。
集中力が切れるのが何よりも辛いですね。
そんな時はSQの発売日を思って乗り切ろうと思います。
元気出して次回にはSSの整理と拍手を変えたい・・・orz
あと今気づいたのですが55万打ありがとうございます!
いっつもぶち抜いてから気づくのですがありがとうございます!
拍手パチパチありがとうございます!
以下返信です。
2013/9/14
世間は志摩一色な気がしますが、勿論志摩のことも気になりますが~の方。
メフィ燐の同志様いらっしゃいました!いやSQのあの展開は興奮しましたね。
メフィストが燐を背後に庇うシーンは本当に素晴らしかったです。
私も以後燐に対しての過剰な触れ合いがあるのではと思ったのですが夢でした。
コメントありがとうございます。疲れた体が癒されました(^^)
2013/09/16
やっと夏コミの本を読めました~の方。
お話気に入って頂けたようでほっとしております。いつも本を出す時はドキドキなので
感想頂けて本当にうれしいです、ありがとうございます!
奥村兄弟を書いているときはちゃんと彼らになっているだろうかといつも首を傾げているのですが、
兄弟関係がたまらなく好きというお言葉をいただいて安心しました。
これからも色々な奥村兄弟を書いていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします~!
2013/09/17
東北の民 様
コメントありがとうございます!実は台風の時には横浜にいたのですが、
始発に乗っかって台風で電車が止まるぎりぎりに帰宅しておりました。危ないところでした笑
通販のご利用ありがとうございました!通販最後の一冊を購入すると表示が変わるとは知りませんでした。
無事お手元にお届けできたようで嬉しいです(^^)
季節の変わり目ですので東北の民様もお体にお気をつけて、
私も頂いたコメントを糧に仕事と更新を頑張りますね!
燐が痛みで目を覚ますと、そこには天井があった。
天井のある日など、寮で過ごした最後の日以来である。
あのころは天井があって、天露がしのげることがどれだけありがたいかを
わかってはいなかった。
それに、寒くもない。燐は安心したように深呼吸をした。
そこで、自分の寝ているベッドから他人の香りがすることに気づく。
落ち着いている場合ではない。意識を失う前の記憶が一気に甦ってくる。
燐は急いで飛び起きた。しかし、途端に体に激痛が走る。
「いってッ!!」
燐はお腹を押さえて転がった。上半身は裸だった。腹に巻かれた包帯からは
動いたせいか血が滲んでいる。悪魔から負った傷だからだろうか。治りが遅い。
そうだ、おかしい。ここにいること自体がおかしなことだ。
燐は悪魔に。アスタロトに捕まってしまった。
周囲を確認すれば、そこは普通の一人暮らしの男の部屋。と呼べる場所だった。
ベッドとソファが一つ。テレビも一つ。パソコンと椅子。
唯一、ロフトと呼べる場所に繋がる梯子が壁に掛かっていた。
アスタロトはどこに行ったのだろう。
いや、いないのならば好都合だ。ここからすぐに逃げ出さなければならない。
燐は痛む傷を押さえて、恐る恐るベッドから抜け出そうとした。
しかし、それを阻害する音が部屋に響く。ガシャン。金属音だった。
見れば、足には枷と呼ばれるものがついていた。
その枷には鎖が着いており、鎖はそのままベッドの支柱に繋がれていた。
燐は戦慄した。なんというおぞましい行為だろうか。監禁だ。
中世ならまだしも現代のこの世に枷を付けるとか正気の沙汰ではない。
悪魔に常識を求めるのも間違っているかもしればいが。
燐は急いで枷を外そうともがいた。
カシャンカシャンと音が響く。
ここで失敗したのは、青い炎で物理的に鎖を焼き切ろうとしなかったことである。
空中を漂っていた魍魎と視線があった。
後は、簡単な事である。動けない燐に変わって魍魎は主に燐の状態を伝えに行った。
間髪入れずに、扉が開く。
燐はアスタロトが入ってきた瞬間に、青い炎を自身に宿した。
容易に触れられないようにするためだ。アスタロトは腐の王。
燐の抵抗を防ごうと思えば燐の負った傷を腐らせることくらいはしそうである。
腐った傷程治りにくいものはない。そんなことはごめんだった。
アスタロトは燐の寝ているベッドの近くにパソコン台にあった椅子を引き寄せて座り込んだ。
そこには強者が浮かべる笑みがあった。
間違いなく。この部屋の中で支配者と呼べるものはアスタロトだった。
「御加減は如何でしょう?」
「テメェのせいで最悪だ」
燐は炎を宿したままアスタロトと対峙する。
悪魔との言葉は、できることなら交わすべきではない。
言質を取られればそれは契約となり、強引に悪魔が対価を求めてくることもある。
こういった難しい交渉のやりとりは雪男の役目ではあったが、それはもうできない。
燐は一人。だから降りかかる火の粉は全て自身で受け止めるなり払わなければならないのだ。
誰かに甘えるようなことは、考えてはいけない。
燐は脳裏に過ぎったすべての人との思い出を振り払った。
そうでなければ、この難局を乗り切ることは難しそうだ。
「俺が一人になった途端に現れたな。狙ってたのか」
「違います、といえば嘘になりますね。最も、知ったのは少し前のことです。
学園に忍ばせていた魍魎に探らせたのですよ。若君が外の世界に出られたことを知って、
私は心が躍りました」
そのぞくぞくと体を震わせる姿を見て、悪趣味な奴だと燐は感じた。
なぜなら、探らせたということは燐がどのような経緯であの町を出たのか。
追い出されたのかを知っているのだ。
燐が今まで信じていた全てに裏切られたのだということも。
「若君があの町へ復讐する姿を今か今かとお待ちしておりましたのに、
そのような傾向もなく、町から町へと転々とされておりましたね。
それも、外で寝るなどとそのような危ないことをされてはなりませんよ。
若君は虚無界の王族とも呼べる存在であることを自覚して頂かなければと思い、
見かねてお迎えにあがった次第であります」
「御託はいんだよ、丁寧な言い方もよせ。俺に何がしたい。何が欲しいんだ」
アスタロトは流石、御察しがいい。とにやりと笑った。
その笑った表情はまさしく悪魔だった。闇を舐める悪魔は恍惚の表情を浮かべて言った。
「若君を私の元に引き留めたい、それだけです」
「は?」
引き留めるとはアスタロトの元に。この部屋にいろ、ということだろうか。
周囲を見回すが、至って普通の人間の部屋にしか見えない。
だからこそ思う。この部屋は、アスタロトが憑りついている人間のものであって
アスタロトのものではない。だからこそ燐のものでもない。
燐はふざけるな。と言った。足の枷がカシャンと音を鳴らす。
「そんなくだらないことの為にこんなことしてるなら、今すぐ離せ!」
「くだらないことでしょうか」
「そうだ、お前が取り憑いているその人は俺たちには関係ないはずだろう。今すぐその人間を解放しろ」
「それは無理なご相談だ、私が物質界に留まるためには必要な措置ですから。
それに彼に取り憑いているならば、言わば私は社会的には彼自身に成り代わっているという
ことになりますから、問題はないでしょう。後は良心の問題の話では?」
そもそも、悪魔に取り憑かれるような人間には碌な奴がいませんよ。とアスタロトは言う。
燐もアスタロトに憑かれている人間が自分の記憶にある限り同一の人物であることは理解していた。
人が変わらなければ、悪魔に付け入られる。付け入られるスキや心の闇を抱えたのは
まず間違いなくこの人間の責任でもある。
それでも、悪魔に取り憑かれたままでいいはずもない。燐は反論した。
「だから俺は納得がいかねーって話だ!」
「ではこれでどうでしょう。『盗んでない、借りてるだけ』ですよ」
「借りてなんかねぇよ、奪っているだけだ」
物質界に来ている悪魔は借り暮らしをしているようなものだとアスタロトは言うが、
燐はそうは思わない。人のものは人のものだ。
悪魔を小人に例えるなど悪趣味である。アスタロトはにやにやとこちらを見て口を開いた。
「私の解釈の話になりますが、人とは所属する生き物であると私は考えます」
アスタロトは魍魎を二匹呼び出すと、そのうちの一匹だけを白く変色させた。
白と黒の二匹を指先で突いて、空中に並べる。
「例えばの話です。大きな括りでいえば白い方を物質界。黒い方を虚無界としましょう。
その中に国があり町があり、学校があり、家があり、家族があり、人がいる。
住んでいるものが悪魔と人という若干の違いはあれど、この世の全ては何かに属しているのです。
悪魔ならば私の眷属である「腐」、その他に火や水や時や地、氣もありますね。
人ならばどこの学校の何年何組の、誰。祓魔師ならば、日本支部所属の誰。
会社ならば、どこの部署の誰。でしょうか。誰かに自己紹介をするときには必ずと言っていいほど
その人物なり悪魔なりの『所属』を口にします」
アスタロトはそこまでいうと、では質問です。と燐に向けて指を差した。
「若君―――いえ、奥村燐は「人」ですか「悪魔」ですか?」
二人の間にはモノクロの魍魎が浮かんでいる。
どちらかを選ばなければならない日がくるだろう。
不浄王を倒したその時に、悪魔から問いかけられた。どちらなのかと。
燐は選んだ。選んだはずだった。魔神を倒したその日に。
「俺は「人」を、選んだ」
だから魔神を倒して人の側に立って戦っていた。そのはずだった。
アスタロトは笑みを絶やさなかった。反対に燐は不安そうな顔を隠せない。
「奥村燐は人を選んだ。でもおかしいですね。疑問が沸きます。
では、今ここにいる貴方は「人」のどこに所属しているといえますか」
今の燐には何もない。あるのは自分というただ一人だけだ。
家もない。友達もいない。家族もいない。何もない。
燐の手には何も残らなかった。
人か悪魔か。選んだ末の結末がこれだった。
燐は人を選んだけれど。人が燐を選ばなかったのだ。
「あの町から追い出されたのに、まだそんなことを言うのですか。
人という括りからはじき出されたのに、まだそんな未練があるのですか。
私には理解できません。あの町は、人は、師は、友は、そして家族は、貴方を捨てたのに。
貴方はまだ貴方を捨てたものに縋り付くのですか」
「言うな!!黙れッ!!」
燐は枷を青い炎で焼き切った。そのままアスタロトの胸倉を掴む。
燐の瞳は揺れていた。図星だったからだ。
燐を追い出したのは、一人にしたのは、雪男だ。
アスタロトは震える燐をそっと腕に閉じ込めた。
燐は離れようともがくが、アスタロトはそれを許さない。
「ここが嫌というのならそれでもいいでしょう。しかし、少なくともここが、私が。
若君が帰る場所の一つにはなります。好きなだけここにいて、嫌なら出ていくといい。
貴方は一人だ。何処にも行く宛がないのなら、せめて生きる為にそれくらいはしてもいいのではありませんか」
悪魔の甘言だった。
仕方がないのだと囁いてくる。
燐はそれに縋りたくはなかった。けれど行く宛がないことも事実だった。
目的を持たなければならない。
なにか、生きていくための目的が。
燐の視界に先程の白と黒の魍魎が過ぎった。そこで、閃いた。
間髪入れずに、燐の体から青い炎が巻き上がった。
アスタロトは自身を焼きかねない炎からすぐに距離を取る。燐は笑っていた。
「残念、すぐに祓わせてはくんねーな」
「お戯れを」
アスタロトは炎を纏う燐の姿に鳥肌が隠せなかった。
甘い言葉で自分を誘う悪魔を焼き尽くそうとしたその容赦の無さに震えあがると共に歓喜する。
やはり、私の言葉には屈しないというのですね。素晴らしい。
燐はアスタロトに向けて言った。
「俺は、もう一度祓魔師になる」
正十字騎士團からは除名されたとはいえ、祓魔の技術が無くなったわけではない。
燐には青い炎もある。この力と知識を使って祓魔師になろう。
いわば、何処にも属さないフリーの祓魔師というわけだ。
誰かの許可などいらない。燐がやりたいからやるのだ。
悪魔を祓う悪魔。騎士團からの仕事を奪い取るくらい、やってやる。
自分のやった行いを認めさせてやりたい。
その行動の先で、神父の行いの正しさがきっと証明されるだろう。
それが今の燐の生きる目的だ。
「手始めに、お前から祓ってやるよアスタロト」
だがこの悪魔のしつこさは知っている。一筋縄ではいかないだろう。
難問だが仕方ない。燐はアスタロトに向き直る。
アスタロトは叫んだ。
「私を祓うということは、監視するということですね。
つまりはその間は私と共にあるということですね。
私と共にあるということは、ここに住まわれるということですね。
それがいいです、全力で私は若君に祓われないように抵抗します。
若君も全力で私を祓いに来てください。全力で抗います。
その間、私は若君との二人暮らしを謳歌します!」
「え、なんで俺お前と住むことになってんだよ」
「ならば、手始めにこのマンションの住民を腐らせることから始めましょうか」
「ちょ!!やめろそんなの許さねぇからな!」
本気でやりかねないアスタロトを止めるため、燐はここに居ざるをえなくなった。
それでも外での暮らしよりも数段ましな生活を送れるようになったのは事実だろう。
アスタロトの思惑に乗っかったようで、なんだか癪ではあるけれど。
こうして燐と悪魔との奇妙な共同生活が、幕を開けた。